一章 華仙女は花を詠み、花で祓う①

 生きることは罪深いのだと、せんこうけんは知っている。

 笑ってはいけない。泣いてもいけない。感情を表に出し自己表現をすることは一族を不快にさせ、自らへの責め苦が増えるだけだと、物心ついた時に学んだ。一族にうとまれ、しいたげられることは紅姸にとって日々の常であり、ひたすらにえるしかなかった。

はくじよう! 紅姸!」

 その生活が十六年続いた時である。そうをしていた紅姸の耳に、せわしない足音と悲鳴に似た呼び声が届く。

 呼んだのは華仙一族のばあだった。深いしわが刻まれた顔はいつも険しく、おうへいな態度を取っているのだが、今回はちがった。こわみようあせりがにじんでいる。せいぼうにいた白嬢も婆のだんと異なる様子に気づいたらしく、あわてた様子でけつけてきた。

 白嬢と紅姸は姉妹だが、二人のあつかいは異なっていた。白嬢は婆を祖母と呼ぶことを許されている。しかし紅姸は許されていない。婆は白嬢だけを孫として可愛かわいがっているのだ。

 婆は、紅姸と白嬢が並んだのを確かめるなり、おびえたような声音で告げた。

「よくお聞き。しゆうようからの使者がここにやってくる」

 集陽とは、この国『こう』の中心にある都だ。その都城には髙を治めるけんろくていが住まうごうそうれいな宮城があり、周囲にはみかどしたって地方より集まった数多あまたの人々が住むという。産物や果物など髙のあらゆるものは集陽に寄せられ、この国で最も栄えているといっても過言ではない。

 紅姸は集陽をおとずれたことがない。華仙一族のかくれ里は集陽より遠くはなれた山奥にあるためだ。ふもとの村人でさえ、ここに華仙一族がひそんでいると知るのはごく一部だというのに、集陽からの使者がやってきたのだ。仙術師が潜んでいると知り、殺しにきたのだろうか。使者の目的はわからないがいやな予感がする。紅姸は婆が慌てる理由になつとくした。

「麓の村に潜ませていた者からしらせがあった。最近、仙術師についてさぐる者がいると聞いていたが、ついに里の位置が知られ、ここに向かってきているらしい。お前たちはむろに隠れるよう。それから──」

 老いたひとみは紅姸をとらえるなり、べつを込めてするどくなった。

「紅姸。このきようはお前がいたから起きたことだ。何代も隠れんできたというのに、お前が生まれたがために、こうして華仙のへいおんおびやかされる。そんなお前を殺さず生かしたことに感謝し、その手足や命を捨ててでも白嬢を守れ」

 おさや婆は容姿たんれいなる白嬢を可愛がり、彼女に傷がつくことをおそれている。有事に白嬢の身代わりになれと命じられるのは初めてではなかった。

(この日々が終わると思えば、死などこわくない)

 こういった命令には慣れている。身命をなげうかくはとうにできている。ただ、むなしくは思うのだ。姉妹であるのにこうも生き方が違う。紅姸はごとく扱われ、白嬢のように生きることを許されない。死のことを考える時、虚しさはしずくのようにぽたりと、心のどこかに落ちていく。感覚さえわからないような心の奥底。しかし深く考える間はなく、今日も虚しさなどなかったかのようにう。

 婆の命令を受けた二人は裏口からしきを出て、敷地の外にある倉へと向かった。この屋敷は、華仙の里で最も広い敷地を持つ。この屋敷のあるじである長と婆が華仙一族を率いているためだ。身を隠すよう命じられた倉は屋敷の裏にある。

 倉の中は暗く、干し肉や草のにおいがじゆうまんしている。紅姸はすぐしよくを探して火をつけた。

 婆に指定された室はゆかしたにあった。あさぶくろに入ったいもや木箱を動かし、手燭の明かりをたよりに床板を外す。これらの作業を行うのは紅姸であって、白嬢は空の木箱にこしけてながめていた。だまって見ているのもきたのか、不満げにそのくちびるが動く。

「早くしなさいよ」

 高圧的な物言いは今に始まったことではない。白嬢にとって紅姸は、長や婆だけでなく一族全員から虐げられる者だった。紅姸はせ細り、身につけているのは布ぎだらけの襤褸ぼろだ。それに比べて白嬢は、健康的で美しく、一族の者が麓の村で手に入れたじゆくんを着ている。知らぬ者が二人を見たら姉妹だと気づかないだろう。

「あんたのあざは、ついに一族をもほろぼすのね。婆はどうしてあんたを生かし続けているのかしら。わたしならさっさと殺しているのに」

 紅姸はもくもくと床板をがす。紅姸だって、望んでこの生き方をしているわけではないが、言ったところで生意気だとしかられるだけだ。

 紅姸の右手には花痣があった。花痣は生まれた時からついていた。火傷やけどあとのように赤くただれているが痛みはなく、成長しても消えることはない。痣は中心に正円、四方に花びらのような独特の形が並ぶ。華仙一族はこの花痣を忌み痣と呼び、恐れていた。

 白嬢はこの痣を視界に入れるなり、顔をしかめた。

「それって、昔の華仙術使いにあった痣でしょう? その代からはくがいされるようになったきつの印じゃない。痣を持つ子がいるなんて凶事の報せよ。ああ、やだやだ」

 この痣が忌みきらわれるようになったのは二百年前だ。仙術を使う華仙一族は、髙の初代こうていに重宝され集陽に住んでいた。特に花痣を持つ華仙の女は力が強かったとされている。だが年を重ねるにつれ、帝は様々な仙術をにくむようになった。仙術師りである。らえられた仙術師は二度ともどってこなかった。華仙術師もその対象、命からがらげることのできた数名がこの山に身を潜めたという。

みなが言っているけれど、仙術を捨ててつうに戻るのが一番なのよ。『花の詠み声を聞き、たましいを花にわたす』──そんな仙術、必要とされないわ」

 隠れ里に住んで歳月がち、今や仙術師は時代に消えたとされている。華仙一族も仙術を捨て、普通のたみになろうとしていた。仙術はけいしようされず、才を持たぬ子が生まれればひどく喜んだ。白嬢が長や婆に可愛がられるのもこのためだ。

 しかし紅姸は異なる。紅姸は華仙術師だ。

 花痣は華仙術の強い才があることを示すものであり、仙術を捨てようとしている華仙一族にとって一族すい退たいの印だ。紅姸はその痣を持って生まれた。

 床板を剥がし終え、紅姸が顔をあげる。不敬だと叱られるため、白嬢の目を見てはならない。目を合わせないようにして告げた。

「終わりました。室に入りましょう」

「ああよかった。今度はもっと早く床を剥がしてちょうだいね──そうそう。あんたが先に入ってよね。へびや虫がいたら嫌だもの」

 命じられて、先に紅姸が室へと下りる。しばらく開けていなかったこともあり、じめついている。目をらして、何もないことを確かめてから白嬢に合図を送った。

(わたしに花痣がなかったら、仙術師の才がなかったら……白嬢と仲良くなれたのかもしれない)

 時々、かなうことのない『もしも』を想像する。この痣を持って生まれなければ、紅姸と白嬢は微笑ほほえみあっていたのだろうか。白嬢はずかしい妹を持ったと負い目をいだかず、姉としてそばにいてくれただろうか。

 白嬢が室に入ってから、紅姸は床板を戻した。うでをぴんとばし、見上げるような姿勢になるため首が痛い。床板の裏を引っくようにして少しずつずらして戻すため、作業は難航した。それでも白嬢に手伝うりは見られなかった。


 床板を戻したため室は暗い。目がくらやみに慣れるまでは時間がかかった。居住目的で作られていないためてんじようが低く、床には木箱や麻袋がいくつも置かれていたため、身動きが取りにくい。いんうつな場所で身を縮こまらせて息を殺すことしかできなかった。

 二人が隠れて少し経つと、けたたましい足音がせんめいに聞こえた。使者は倉庫の近くまでせまっているらしい。

 白嬢も足音を聞いていたのだろう。怯えの色がかぶ声音で告げた。

「わたしが殺されそうになったら、あんたが身代わりになるのよ」

「……はい。わかっています」

 紅姸の返事を聞いた白嬢は室の奥にある木箱のかげに隠れた。紅姸は取り外しできる床板の真下にひかえる。万が一見つかったとしても、紅姸が目立つようにと考えての配置だ。

(もしも見つかったら殺されるのかもしれない。でも、その方が今よりも楽になれるかもしれない)

 外から聞こえる物音は死の足音のようだった。しかし、ばあや白嬢に投げつけられる言葉の冷たさや、華仙一族から向けられる敵意の方がもっと紅姸を傷つける。見つかった方がよいのかもしれないと思うほどに。

 そこで戸の開く音がした。倉にだれかが入ったのだ。まもなくして話し声が聞こえた。

「これだけ探しても、麓の村で聞いた仙術師のむすめが見つからないのですから、どこかに隠しているのかもしれません」

「隠すのならばこういった場所がうってつけかもしれんな」

 声からして男が二人。長もいつしよのようで「何もないと言うておる」と声をあららげているが、男たちは無視していた。木箱を動かす音やつぼたおす音が聞こえることから、男たちは倉をらして、何かを探しているようだ。

 そしてついに──一人がこちらに気づいた。

しゆうれい様、ここに床板をずらしたあとがありますよ」

「なに? 開けてみろ」

 白嬢は身を縮めて、木箱の陰にかくれてしまった。これ以上隠れることのできない紅姸はじっと穴を見上げる。床板を剥がしているらしく、かりかりと細かな音がひびき、砂やほこりすきからこぼれ落ちてくる。光が入りこむ隙間はじよじよに広がっていく。

(ついに、死ぬ時がきたんだ)

 室の床がすべて外れた時、紅姸はそう感じた。

 まもなくして、光を背負うようにして男たちがこちらをのぞきこんだ。彼らは紅姸の姿を確かめるなり、顔を見合わせてうなずいた。

「……娘を隠していましたね」

「隠すということはこれが探していた者か──おい、そこにいるのはお前一人か?」

 問われて、紅姸は頷いた。彼らが下りてきてしまうと白嬢のことが知られてしまうので、紅姸は自ら室を出る。

 室が暗かったせいか、倉の中に出ればまぶしく感じる。倉にはおさや婆だけでなく、武装した者がたくさんいた。どうやら彼らも集陽からの使者らしい。こちらを覗いていた二人は武装した者たちとちがって、しようの凝ったばんりようほうを着ている。

 一人は金糸のしゆうが入ったこんの袍を着ていた。こしいたけんからして武官かと思ったが、それにしてはごうしやで目を引く金剣である。男のかみは長く、金飾の輪でっていた。身なりのきらびやかさはもちろん振る舞いもゆうぜんとし、ただ者ではないことを示している。まゆを寄せて不快感を表すも、たんせいな顔つきに浮かぶ凜々しさはくずれない。

「……ここまで屋敷を探したが、見つかったのはこの娘だけか」

 男はそう言って、ため息をつく。

 これに答えたのがとなりに立つ男だ。ぼくとうかぶり、あいの袍を着た者だ。にゆうな顔つきをしている。剣を手にしているが、こちらをこうげきしてくる気配はなかった。

ふもとの村で聞いたのは、山中で見た花の仙術を使う娘という話ですからね。娘のとくちようがわからないので彼女かどうかはわかりません」

 これを聞いて、瑠璃紺の袍を着た男は、頭から足先へとめるように紅姸をながめる。彼は首をかしげた。

「隠しているから当たりかと期待したが……この者はずいぶんと痩せ、身なりもひどい。仙術師とは思えんな」

「ではもう一度、里の中を探しましょう」

「室の奥を調べよう。ほかの者が隠れているかもしれん」

 彼らの会話は、ここに来た目的が何であるかを語っていた。華仙術師を探しにきたのだ。紅姸の背筋がぞくりとあわつ。

(この人たちは仙術師を見つけて殺すつもりかもしれない……けれど室の奥を調べてしまえば白嬢が見つかってしまう)

 身命をなげうってでも白嬢の身代わりとなれ。その言葉はじゆばくとなり、紅姸の足を動かした。紅姸は一歩歩み出て、彼らに告げる。

「……わたしが、里でゆいいつの仙術師です」

 この発言に対し、瑠璃紺の袍を着た男はかいの目を向けた。眉根をよせ不快感をあらわにしている。

うそをつくな。探しているのは花の仙術を使うという華仙術師であって、ではない」

「お待ちください!」

 割りこんだのは婆だった。あせっているのかいつもより声が高い。

「嘘ではございません。確かにその娘は仙術師です。花を用いた仙術を使う華仙術師でございます」

 婆の言葉を疑っているらしく、男は紅姸へと向き直る。

「本当にお前が華仙術師か?」

「はい。華仙術を得意としています。他の者は仙術を使えません」

「華仙術を使えぬいつわりの娘となれば──わかっているだろうな。宮城をだました罪は重い。この里に二度と戻れぬと思え」

 男はなつとくがいかないのだろう。彼はさぐるように室の奥をにらみつけている。いぶかしむ彼に声をかけたのは、隣に立つ柔和な顔の男だ。

「秀礼様、如何いかがしましょう」

 瑠璃紺の袍を着た男は秀礼と呼ばれていた。

「本人も周囲も華仙術師だと主張するのだ。この者を集陽に連れていく」

 紅姸は表情変化がとぼしいためわかりづらいが、内心ではこれから集陽に連れて行かれることにおののいていた。集陽はおそろしい場所だと聞いている。里にもどることはもうないだろう。

「長。これまで育てていただきありがとうございました」

 しいたげられてきたとはいえ今日まで生きてきたのだ。紅姸は感謝を告げる。しかし長も婆も冷ややかな目を向けるのみで、別れをしむ素振りはいつさい見られなかった。

「……随分と冷めた家族だな」

 そのやりとりを眺めていた秀礼があきれたように言う。

「せめて荷物を持ってきてやるなどないのか。家族との別れだろうに」

「ありますものか。里を出る者に持たせるものはひとつもございませんよ」

 秀礼の問いに答えたのは婆だ。やつかい者を追いはらえてせいせいするとばかりに、すがすがしく笑っている。

「……では、行くぞ」

 秀礼が歩き出したのを合図に武官たちも動きだす。紅姸はとうそうすきうばうかのように武官らにはさまれていた。大人しく、紅姸も彼らに付いていく。

 そうして紅姸は里を出て行った。見送る者は誰もいない。

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