第二章 元魔王はうっかり目立ちたくない③

 翌日、アリアナはまんじりともせずに寮の一人部屋で夜明けをむかえた。考えれば考えるほど、ギルベルトの真意がわからなくてなやんでしまう。公爵家で教育を受けたのか、彼は自分と練習をしなくても、エスコートのような女性のあつかいに慣れているように見えたのに。

(異性にめんえきのない私とちがって、私との練習がギルのメリットになるとは思えないわ。というか、それ以前にギルは恋愛に興味なんてあるの?)

 アリアナの知る限り、前世のギルには恋人がいたためしもなければ、いたうわさの一つも聞かなかった。周りがぞくばかりだった点を差し引いても、その姿勢はてつていしていた。

(前世で私といつしよの時にはたまに甘いセリフを口にしていたけど、私のことが好きだった……わけないわね。好きな相手に対しては普通もっと甘いふんになるものでしょう? あれは『ステラ学院の秘密』が好きな私をからかって遊んでいただけだわ)

 だとしたら、今回の恋の練習もそういった遊びの延長なのだろうか? でも、そんなことをしてギルベルトになんのメリットがあるのだろう?

 いくら悩んでも、結局同じ疑問に立ち戻るだけで先へ進めない。アリアナは「はぁー」とため息をついて、ベッドから上半身を起こした。

 白々としたあさがカーテンのすきから部屋に差し込んでいる。時刻は六時。寮の朝ご飯にはまだちょっと早い。

(このままていたってろくなことがなさそうだし、少し外を歩こうかしら?)

 朝のすがすがしい空気を吸えば、この行きまった頭も多少マシになるかもしれない。そう考えたアリアナは制服にえ、寝ているりんじんたちを起こさないようにそっと寮を出た。


 魔術学院の朝は意外と早い。アリアナが外に出た時にはすでに寮住まいの学生がジョギングをしたり、アドラーが学院内で飼っているじゆうの小屋に早足で向かったりしていた。

『ステラ学院の秘密』を愛読するアリアナとしては、こういった学院の風景は何度見てもきることがない。だが今朝はあまり人と顔を合わせる気にならず、アリアナの足は自然とひとのない方へおもむき、気づいた時には学院の外れにある大きな池の前に来ていた。

 恋のじようじゆを願って、乙女おとめたちが投げ入れたものだろう。池の底にしずんだコインが、差し込む朝陽を浴びてキラキラかがやいている。ここは学院内で一二を争うほど好きな場所だが、今朝ここへ来たのは間違いだったかもしれない。池のほとりに建つあずまを見ていると、昨日のことがいやでも思い出されてしまい、アリアナはほおが熱くなるのを感じた。

(ああ、もう! ギルのメリットってなんなのよ? もういっそ本人に聞いた方が──)

「アリアナ? そんなところで頭を抱えながらうなって、どうしたんです?」

「へ? ギル?」

 後ろから急に声をかけられ、アリアナはギクッとした。絶賛悩み中の今、悩みの種から話しかけられるなんて、タイミングがいいのか悪いのか。とはいえ、無視するわけにもいかず、気まずさを押し込めて振り返る。アリアナは目をパシパシしばたたかせた。

(え、何これ? どういうじようきよう? というか、ギルの後ろの子たちはだれ?)

 五人の女子学生たちが、こちらに向かって歩いてくるギルベルトの後ろについている。中の一人がアリアナを見て、その目に敵意に満ちた光を浮かべた。

「ギルベルト様、彼女って昨日ドラゴンをしようかんした子ですよね? 昨日も仲良さそうにお話ししていらっしゃいましたけど、お知り合いなんですか?」

「はい。すみませんが、彼女と話があるので、私はここで失礼します」

「ええー。なら、私たちも一緒に──」

みなさんはどうかこのまま朝の散策を楽しんでください。では」

 にっこり笑うギルベルトを前にして、女子学生たちがあからさまにかたを落とす。ただ、ここでごねても印象が悪くなるだけだとわかっているのだろう。彼女たちはみように鼻にかかった声で「またあとで」と告げると、アリアナにするどいちべつを残し去って行った。

「改めておはようございます、アリアナ。こんな朝早くからどうしたんです?」

「ギルの方こそ、女の子たちに囲まれて何かあったの?」

「いつものことですよ。早く目が覚めたので外を歩いていたら、話しかけられたんです」

「えっ? つうに歩いているだけで、女の子たちがあんなに集まってくるの?」

 そんな恋愛小説のような話が現実にあるなんて、にわかには信じがたい。自分にはいまだに話しかけてくれる同級生の一人もいないのに、なんてうらやましい話だ。

「どうしたんです、アリアナ? もしかしていてるんですか?」

 ムスッとしているアリアナを見て、ギルベルトがからかうように聞いてくる。

「べ、別に羨ましくなんてないわよ? むしろ、毎日あんなたくさんの女の子たちから話しかけられていたら、気の休まるひまもなくて大変よね」

「……ええ、本当に。俺にこいびとがいたら、余計な気も遣わなくて済むんですが。独り身のせいか休日も興味のないお茶会に呼ばれることが多くて、毎回断る理由に苦労しています」

 ギルベルトは異性からモテたり、社交の場に呼ばれたりしてもあまりうれしくないのだろうか。なんだかみような顔つきでたんそくしている。

(そりゃあ、恋人のいる相手には誰だってえんりよするでしょうけど……あ、もしかして!)

 アリアナはハッとしてギルベルトを見上げた。昨夜から悩んでいたメリットの正体がとつじよとして今、てんけいのごとく理解できた気がする。

「アリアナ? 今度は急にだまり込んで、どうしたんです?」

 じっと自分を見つめる視線におんな気配を感じたのか、ギルベルトがまゆをひそめる。アリアナは今答えを伝えるべきかどうかいつしゆん悩んだ。だが、善は急げだ。こういうずかしいことは、勢いでさっさと終わらせてしまうに限る。

「あのね、ギル。昨日の提案について、私なりに一晩考えたんだけど」

「……………………」

 ギルベルトが息をんで顔をこわばらせる。まさかこのタイミングでその話題を振られるとは思っていなかったのだろう。アリアナもつられてきんちようしながら続けた。

「私、あなたと恋の練習がしたいわ。あなたの言うメリットが何か、わかった気がするの」

「……本気、ですか?」

 アリアナを見つめる海色のひとみしようげきを受けたように大きく見開かれる。

「本当に俺の気持ちが伝わったんですか? その上で俺の恋人になってくれると」

「え、ええ。元配下のあなたとなんて、ちょっと恥ずかしいけど」

「俺もです」

 ギルベルトがフッと力をいて微笑ほほえむ。その顔があまりにもやさしかったせいだ。アリアナは急に恥ずかしくなって、彼の顔をまともに見られなくなってしまった。

「アリアナ? どうして下を向くんです?」

「あ、いや、その、こういうことは私、初めてで……。うまくできるかわからないけど、私もがんるから、その……ギル?」

 うつむいたアリアナの頭をギルベルトが安心させるように優しくなでていた。

「百年も待ったんです。今さらあせる必要はありません。少しずつ慣れていきましょう」

「え、百年? ギルってば、そんな前から私にそういう役割を求めていたの?」

「ええ、気づきませんでしたか?」

「全然知らなかったわ。それなら、なおのこと気合いを入れて頑張らなきゃね」

「ええ。期待しています、あなたの恋──」

ぼうてい!」

「…………………………は?」

 頭をなでていたギルベルトの手がピタッと止まる。深いちんもくが二人の間に落ちた。

「……すみません、アリアナ。その防波堤とはなんです?」

「え? あなたのもとには望みもしないえんだんやお茶会のさそいがい込んでいると言うし、さっきも女の子たちにさわがれて困ってたんでしょう? そこで私の出番ってわけよ!」

 真顔で沈黙しているギルベルトに向け、アリアナは自信満々に胸をたたいてみせた。

「私と恋人同士の振りをしていれば、あなたに声をかけてくる女子学生の数は格段に減ると思うわ。それに私も恋の練習ができておたがいに幸せ……ってギル、どうしたの? なんかけんにすごいしわが寄ってるけど」

「俺は今、自分の見通しの甘さをなげくべきか、それともこれは恋の練習のしがあると喜ぶべきか、なやんでいるだけです」

「……ごめん。本気で何を言っているのか、わからないわ」

 さっきまで乗り気だったくせに、急にどうしたのだろう? アリアナは嘆息しているギルベルトの真意を問いただしたかったが、残念ながらそうしている時間はなかった。

「おはようございます、ギルベルト様、それにアリアナさんも。気持ちのいい朝ですね」

 聞き知った声におどろいてり向く。いつからそこにいたのだろう。入学式でアリアナのとなりに座っていた少女──ロザモンドがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。入学式の時のツンツンした印象とはまるでちがう。彼女はギルベルトに親しげに笑いかけている。

(この感じ……ギル、ロザモンドと友達なの? いいなぁー)

 アリアナのせんぼうまなしにはきっと気づかなかったのだろう。ロザモンドは彼女の方には目もくれず、ギルベルトの前まで来て足を止めた。

「ギルベルト様、先日お話ししたお茶会へのご出席、考えてくださいましたか? 私の父をはじめ、きゆうていじゆつの方々がたくさんお集まりになりますの。『勇者の再来』とほまれ高いあなたにおしいただけたら、皆様きっとお喜びになりますわ」

(……え。そんな風にギルを誘ってだいじよう? ギルは「勇者の再来」って呼ばれるのがだいきらいな上に、お茶会も好きじゃないって、さっき話してたけど……)

 アリアナはロザモンドのことが心配になった。隣を見ると、案の定ギルベルトは思案する顔つきでうでを組んでいる。この様子はきっと断る口実を探しているのだろう。

(どうせなら、ギルベルトの代わりに私を誘ってくれたらいいのに。私なら土産みやげ持参で喜んでお茶会にけつけるわ)

 アリアナとしてはロザモンドと友達になりたくて、つい彼女に熱い視線を送ってしまう。その時だった。ギルベルトがうずうずしているアリアナの手を不意に横からつかんだ。

(え、何? 私、そんなに落ち着きがなかった?)

 てっきり自分の態度をとがめられたのかと思ってあわてる。だがギルベルトはアリアナに何か注意をするわけでもなく、彼女の手を取ったままロザモンドに微笑みかけた。

「申し訳ありません、ロザモンド。あいにく、そのお茶会の日は恋人と先約がありまして」

「こ、恋人ですって? まさか……」

「ごしようかいします。私の恋人のアリアナ・フォン・コルティッツです」

(…………へ?)

 紹介された当人のくせに、アリアナはポカンとして隣のギルベルトを見上げた。

 ギルベルトが無言で手をギュッとにぎりしめる。アリアナはハッとわれに返った。

(いけない! 今の私はギルの防波堤だったわ! 恋人っぽく見えるようにしなきゃ!)

 とはいえ、こういう場合に普通の恋人はどう振る舞うものかわからなくて焦る。その時だった。不意にアリアナは背筋がうすら寒くなるのを感じてた。

(何この殺気!?……ロザモンド?)

 緑のねこと目が合い、息を呑む。ロザモンドは声に出してこそ何も言わなかったが、アリアナを見つめる瞳の奥にはかくしようのないしつ心がひそんで見えた。

「……そうですか、ギルベルト様のお気持ちはよくわかりましたわ。今回のお茶会は残念ですが、お気が変わられましたら、いつでもお声かけください」

「ありがとうございます。あなたのお父上にも、どうかよろしくお伝えください」

「おづかいありがとうございます。では、またのちほど授業で」

 ロザモンドがアリアナの方を上目遣いににらみ、足早にその場を去って行く。

 アリアナは頭をかかえたくなった。というより、用心深いギルベルトが未だに手をつないだままでいなければ、間違いなく頭をかきむしってその場にしゃがみ込んでいただろう。

(ロザモンドとは友達になりたかったのに、あんな風に敵視されるなんて……)

 自分から防波堤役を申し出たと言っても、あの反応にはへこむし泣きたくもなる。

「ねぇギル、あなたもあれで本当によかったの?」

 アリアナはさつそく自分のせんたくこうかいし始めて、ギルベルトに話しかけた。

「あなたがれんあいに興味ないのは知っているけど、あんな風にお誘いを断り続けていたら、この先本当に好きな人ができた時に困らない?」

「かまいませんよ。あなたさえいれば、俺は満足ですから」

「そりゃあ、今は防波堤役の私が一人いれば十分かもしれないけど……」

「期待していますよ、俺のかわいいこいびとに」

「………………っ!」

 アリアナは反射的にバッと顔をそむけた。ギルベルトの甘くささやく声が耳をくすぐった、その瞬間、ほおが熱くなってどうね上がった。

「どうしたんです、アリアナ? 顔が赤いですよ」

「き、気のせいよ!」

「そうですか? なら、覚えていてください。世の恋人はこういう風に言葉で相手に愛情を伝えるものなんですよ。あなたもぜひいろいろためしてみてくださいね」

「え……」

 にっこり笑うギルベルトを前にして、アリアナは言葉を失った。すでに心臓が痛いほどドクドク高鳴っているのに、これ以上自分にどうしろと?

 こうちよくしているアリアナを見て、ギルベルトがクスクスとたのしそうに笑う。

「そろそろ朝食の時間です。りようもどりましょう」

(待って! 今のは私をからかっただけなの? それとも……本気なの?)

 恋の練習も防波堤の役割もまだ始まったばかりだというのに、最初からこんな調子で心臓がもつだろうか?

 アリアナの手を引いて、ギルベルトが歩き出す。彼に言いたいことはたくさんあった。それなのに、つないだ手のぬくもりがあまりにも優しかったせいだ。アリアナは真っ赤になった顔を見られないようにするだけでいつぱいで、何も口に出して言えなかった。

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元魔王の転生令嬢は世界征服よりも恋がしたい 麻木琴加/角川ビーンズ文庫 @beans

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