第二章 元魔王はうっかり目立ちたくない②

 タクトの授与式を終えて聖堂を出た時、辺りはおだやかな夕暮れに包まれていた。アリアナはりようもどる学生たちの流れに逆らい、ギルベルトを連れて学院外れの池に向かった。

 池に近づくと、底にしずんだコインがゆうを反射してかがやいているのが見える。

『ステラ学院の秘密』に書かれていた通りだ。この池に向かって後ろ向きにコインを投げ込むと、水のがみが願いを聞き入れてくれて、こいかなうのだという。

「こんなところまで俺を連れてきて、どうしたんです? 愛の告白なら、池に願うより、直接俺に言ってくれた方が確実だと思いますが」

 アリアナに手を引かれたまま、ギルベルトが軽口をたたく。アリアナはムッとしたが、取り合わずに彼を池のほとりに建つあずままで連れて行き、そこでようやく手を離した。

「アリアナ、本当にどうしたんです? ここは恋人がよくおうに使う東屋のはずですが」

「そうね。プライバシーが守られるという点では、逢瀬以外のようにももってこいだと思ったから来たのよ。あなたはそこのベンチに座ってちょうだい。で、これを飲む!」

「は?」

 こんわくしているギルベルトの鼻先に、アリアナはカバンから取り出したびんきつけた。もったりとして茶色がかったあやしさ満点の液体が、ふちまでたっぷり入っている。

「あの、アリアナ? これは……」

「回復薬よ。万が一の時に備えて、母が私に持たせてくれたの」

「なぜそれを俺に?」

「まさか私が気づいていないと思ってたの? あなた、本当は立っているのもつらいくらい魔力を消費してるんじゃない? かくしたつもりでも、さっきから様子が変だもの」

 授与式でのことを思うと、自分のなさになみだが出そうになる。たがいに学生生活を楽しもうと宣言した直後に、ギルベルトに自分のしりぬぐいをさせてしまうなんて。

「私が元魔王だとバレないように、選定石を壊してくれてありがとう。だけど、もうあんなちやはしないで。おびになるかわからないけど、とりあえず回復薬を──」

「ありがとうございます、アリアナ。ですが俺の魔力は一晩れば回復しますから、そういう貴重な薬は何かあった時のために取っておいて……アリアナ!? いったい何を──」

 アリアナが無言でギルベルトの肩を押す。そのままよろけるようにベンチに座った彼を見下ろして、アリアナはため息をこぼした。

「そんなフラフラの状態で何を言ってるの? 今こそ、その何かあった時でしょ?」

「ですが……」

「どうしても飲まないと言うなら、鼻をつまんで口から流し込むわよ」

 アリアナがなおもていこうするギルベルトのとなりこしけ、回復薬を飲むまで見張るかまえを取る。ギルベルトはそんな彼女の態度に目を丸くし、プッとき出した。

「な、何よ? 急に笑って」

「アリアナは昔から変わりませんね。自分だって元魔王だとバレそうになって大変な時に、そうやって人の心配ばかりして」

「現に今、私を庇ったせいで大変な目にってる人には言われたくないんだけど」

「なら、俺たちは相思相愛ですね」

「……やっぱりあなた、私に力ずくで回復薬を飲まされたい? 口だけ回復しても、身体からだが動かないなら仕方ないわよね」

「いえ、結構です。ありがたくちようだいします」

 ギルベルトが真顔でアリアナから小瓶を受け取り、中身を一気に飲み干す。「うっ」と顔をゆがめて口を押さえた仕草にいちまつの申し訳なさがこみ上げてきたが、それでもアリアナは、彼が回復薬を飲んでくれたことにひとまずの安心感を覚えた。

「これで一晩寝れば、だいぶ回復するはずよ。あとは選定石の方だけど、あれってすごく高価で貴重なじゆつ具だったんでしょう? しかも百年以上前から使われていたって……」

 粉々にくだけ散った選定石を思い返して、アリアナは胃が痛くなった。

「百年前って言えば、『ステラ学院の秘密』に出てきた選定石のモデルになっていたかもしれないわよね。そんな聖具にも等しいものを私のせいでこわしてしまったなんて……なんとか直すことはできないかしら?」

 選定石にれたのは今日が初めてだが、その原理さえ理解できれば、似たような魔術具を作ることはできるかもしれない。そうすれば元魔王の魔力に反応しないよう、こっそり細工をほどこしておくこともできるし、学院へのばいしようもできる。

 そう考えたアリアナは聖堂のある方をちらちらと気にかけ……不意におんな気配を感じてバッとり返った。ギルベルトがなぜかすごくいい笑顔でこちらを見ている。

「あの、ギル?」

「まさかと思いますが、選定石を自分で修理しようなどと考えていませんよね?」

「……ま、まさかー。ほとぼりが冷めたころに選定石のレプリカを作って、こっそり聖堂に置いてこようかとは考えたけど」

「そういう心臓に悪いサプライズはやめてください。選定石のように高度で複雑な魔術具がある日とつぜんとくめいで聖堂に届けられていたら事件ですから。選定石を壊した分は別の形で学院に返せばいいでしょう。こうしやく家からの寄付など、方法はいくらでもあります」

「でも、それじゃあ、あなたの負担が増すだけだわ」

 アリアナとしては、なんとかギルベルトにめいわくをかけない方法を取りたいのだが、いまだ人間社会にみのうすい彼女には具体的なやり方が思いかばない。

「今日助けてもらった分のお礼もふくめて、何か私にできることはないかしら?」

 アリアナのしんおもいが伝わったのだろう。ギルベルトは「別に」と言いかけた口を閉じ、少しなやんでから「それならピッタリのお礼があります」と答えた。

「何? 私にできることならなんでも……えっ!?」

 アリアナは言葉を失った。アリアナのほおにギルベルトのかみが触れたと思った、そのしゆんかん、肩に彼がポスンと頭を乗せてきたのだ。

「あ、あの、ギル? 何をして──」

「お礼、してくれるんですよね? なら、少しこのままでいてください」

「え、でも……」

「アリアナは、俺にこうされるのがいやですか?」

「べ、別に嫌じゃないけど……!」

 おどろくほど近くで聞こえた問いかけにアリアナの声がうわずる。

 ギルベルトは魔力がかつしてつかれているだけだ。それなのに肩に感じる重みと体温が落ち着かなくて、そわそわする。

(相手はあのギルなのに……)

 アリアナはギルベルトの横顔をちらっとぬすみ見て、声にならないため息をこぼした。弟みたいに思っている彼が相手でもきんちようしてしまうなんて、こんな状態で自分に『ステラ学院の秘密』のような恋ができるだろうか?

(何事もあきらめちゃダメよ。まずは全力で周囲に馴染むところから始めなきゃ)

 今日みたいにギルベルトに迷惑をかけないためにも、そしてこの学院でてきな出会いを果たすためにも、まずはかんぺきいつぱん人を目指してみせる!

 アリアナは内心でしくちかった。が、当面の間はドキドキとうるさい心臓にえながら、ギルベルトにかたを貸し続けることしかできない。そんな彼女の緊張とまどいなどつゆ知らず、ギルベルトは日が暮れるまでその肩に頬を寄せていた。


    ● ● ●


 タクトのじゆ式を終えた翌日、アリアナは昨日の誓いを胸に、ようようと使い魔しようかんしきのぞんだ。それなのに、何がいけなかったのだろう?

 召喚を終えた彼女の前には今、りゆうりゆうとしたきよを黒くかたうろこおおわれたドラゴンがちんしている。

(なんか私、浮いてない?)

 あわてて周囲を見回したアリアナの頬を一筋の冷やあせが伝い落ちていった。

 人間の魔術師は魔術を発動させるためにほうじんいている間、無防備になる。その間の護衛やメッセンジャーの役割を務めるのが、使い魔と呼ばれるじゆうたちだ。その召喚の儀式では、とくしゆな紙に術者が自らの血を使って魔法陣を描き魔力を注ぐことで、術者とあいしようが良く、彼らと同等かそれ以下の力を持つ魔獣が呼び出される。

 そのせいか、学院のグラウンドは今、新入生たちが召喚した小型や中型のおとなしい魔獣たちでまっており……やっぱりどう見ても明らかに自分だけ周囲から浮いている。

 アリアナをへいげいするドラゴンの口には、岩をもかみ砕くほどするどきばが並んでいる。その牙の間からフシューと高温の蒸気がれ出る様を見た学生たちが顔を引きつらせて固まり、彼らが召喚した魔獣たちも毛を逆立ててドラゴンをけいかいしている。

 そんな中、アリアナも目の前のドラゴンを見上げたまま動けずにいた。腰がけたわけではない。よく見たら、この顔に見覚えのある気がしてきたのだ。

(私に呼ばれて来るなんて、もしかしてこの子……)

 じっとドラゴンを見つめる。すると、ドラゴンの方もアリアナを見下ろしながらフシュフシュと連続で蒸気をき出し、しっぽをバタバタふるわせた。その様子にアリアナは確信した。このちょっとあらっぽい愛情表現といい、つやのある黒い鱗といい、ちがいない。

(この子、クッキーだわ! まさかこんなところで再会できるなんて!)

 魔王時代、傷ついているドラゴンの子どもを拾ってかいほうしたことがあった。その時にクッキーばかり好んで食べていたから、クッキー。

 アリアナにとっては、百年ぶりに再会したいとしのペットだったが──。

「アリアナくん! ドラゴンを召喚するなんて、いったい何をしたんだ!?」

 背後で上がったせいに、アリアナの全身がビクッと震える。ついさっきまでクッキーを前にしてあごが落っこちるほど驚いていたアドラーが顔を真っ赤にしてさけんでいた。

「選定石のことがあるから、もしやと思っていたが、よりにもよってドラゴンなんて──」

「あ、あの、先生! 私は故意にドラゴンを召喚したわけじゃなくて──」

「実にらしい! でかしたぞ、アリアナくん!」

「……へ?」

 アドラーに肩をたたかれ、アリアナはキョトンとした。そういえば彼は入学式でも魔獣愛を語るほどの魔獣好きだった。その目は今クッキーを見上げ、うっとり細められている。

「ああっ! 生きているうちにこのきよでドラゴンを拝めるなんて、ありがたや……! 彼らはプライドが高く気性も荒いせいで、つうは召喚に応じないものなのに」

(そうなの!?)

「ドラゴンと言えば『魔王の牙』が有名だよな? ほら、百年前のいくさのさ」

「ああ。魔王の子飼いのドラゴンがとつじよ戦場に現れて、一個大隊をぜんめつさせたんだろう?」

「え……」

 学生たちのささやきを耳にしたアリアナは、大変みような気持ちでクッキーを見上げた。そういえば、魔王時代に留守番を嫌がったクッキーがキュンキュン鳴きながら戦場まで追いかけて来たことがあったが、まさかその時のことを言っているのだろうか?

(それにしても、魔王の牙って……)

 満足そうに甘えてクッキーばかり食べていたドラゴンに、そんなごつい二つ名は似合わない……と思うのは、やはり飼い主鹿のアリアナだけのようだった。

「ドラゴンを使い魔にするって、本気かよ? アドラー先生もさすがに認めないよな?」

「万が一、彼女がドラゴンの使えきに失敗して暴走させたら、対魔兵器のヴェノムを使った時くらいがいが出るわよ。きっと私たち、全滅だわ」

(え、何そのヴェノムって? 私、知らないんだけど)

 学生たちの責めるような視線を感じたのだろう。クッキーを前にして目をかがやかせていたアドラーが、気まずそうにゴホンとせきばらいをした。

「あー、その、いつまでもドラゴンをでていたい気持ちはわかるが……アリアナくん、そろそろ召喚を解こうか。この学院でヴェノムが使われることはないにしても、学生の君がドラゴンを使い魔にするのはさすがに危険すぎる」

「あの、先生、ヴェノムってなんですか? 対魔兵器ってぶつそうな単語が聞こえましたけど」

「おや、アリアナくん、君はヴェノムの話を聞いたことがないのかね?」

 思わずけんしわを寄せたアリアナを、アドラーが意外そうに見返す。

「ヴェノムというのは、今から百年ほど前に開発された毒物だよ。から吸収された毒が魔族や魔獣の神経に達すると、彼らは理性を失ってきようぼう化するんだ」

「なっ……!」

 アリアナは絶句してアドラーを見つめた。自分がその名前を知らなかったということは、おそらく魔王の死後に開発されたものなのだろう。

(そんなばんきわまりない毒を魔族や魔獣相手に使うなんて……!)

「安心したまえ、アリアナくん。ヴェノムの使用や売買は現在、国際条約で禁止されてるし、そのどく法も確立されてる。同じ魔獣を愛する者として気持ちはわかるが、心配ない」

 いかりに震えるアリアナの肩を、アドラーが落ち着かせるようにやさしくたたいた。

「ただヴェノムの使用がなかったとしても、学生がドラゴンのようにプライドの高い魔獣を使い魔にする場合には、常に暴走と反逆のリスクをともなう。彼らはけいやく後でも術者の方が自分たちよりおとっているとみるやいなや、おそいかかってくるものだからな。昨日の選定石の一件から君の魔力が強いことはわかっているが、君がこのドラゴンをたおして絶対服従でもさせられない限り、彼を使い魔にするのはやめた方がいい」

 アドラーのしんな説明に、周囲の学生たちが深々と同意してうなずく。アリアナは召喚の魔法陣が描かれた紙と目の前のドラゴンをしんみりした気持ちで見比べた。

 魔王が倒されてから百年もつのに、クッキーが自分のことを覚えていて、しかも召喚に応じてくれてうれしかった。だけど、普通の学生はドラゴンを使い魔にできないらしい。

(クッキー、ごめんなさい。いつか会いに行くから待っていて。それまで少しのお別れよ)

 召喚の魔法陣を破けば、契約前の魔獣はもといた場所にもどるはずだ。アドラーにうながされるまま、アリアナが断腸の思いで紙に手をかけた、その時だった。

「グルゥォォォォ!」と、地の底からひびくようなドラゴンのほうこうが辺りをらした。

「うわっ! なんだ、今の!?」

「しまった! みんなせろ! ブレスが来るぞ!」

 青ざめたアドラーが叫び、学生たちがいつせいにその場にうずくまる。血よりも赤いドラゴンの目がギロリとアリアナをにらんだ。長い首が彼女に向かって勢いよくり下ろされる。

(クッキー!? まさかこれは暴走……じゃなくて! イヤイヤをしてるの!?)

 アリアナはあせった。召喚解除をきよしたクッキーは、かつてのあるじむなもとに鼻をこすりつけて甘えようとしているのだろう。が、はたには暴走したドラゴンが人間の少女を襲っているづらにしか見えない。

「アリアナくん、退がりなさい!」

 アドラーがタクトを取り出して宙空に魔法陣を描く。

(やめて! そんなこうげき力の高い魔術を放たれたらクッキーが……!)

 クッキーがグワッと口を開き、アドラーの方を向く。そののどの奥がおきのようにチリチリと赤く光り始めた。

 まずい、ブレスを吐く気だ! 止めなければ! でもどうやって!?

(ああ、もう! しょうがないわ!)

 アリアナが自らの立場をかなぐり捨てクッキーの前に飛び出そうとした、その時だった。

「アリアナ、ここは俺が」

「……ギル!?」

 アリアナが振り向いた時にはもうギルベルトが彼女をかばって前に出ていた。いつの間に魔法陣を描いていたのだろう。宙空に生まれた光の矢がクッキーめがけ飛んでいく。

 アリアナが止める間もなかった。光の矢はクッキーの頭上に達するやいなや、パンッとハデな音を立ててはじけた。

 辺りが目もくらむようなせんこうに包まれる。ぼやけた視界の中で、黒いきよひびきを立てて倒れる姿が巨大なかげのように見えた。

「い、今のはいったい……?」

「ギルベルトくん、君がやったのか!?」

 魔術を発動しそこねたアドラーが、ぜんとしている学生たちと共に振り返る。ギルベルトは何も言わない。静かにたたずむ彼の横顔を、アリアナも信じられない思いで見つめた。

(まさかギル、そんな……!)

 光の矢がはじける直前に、アリアナの耳は確かに拾っていた。彼女とクッキーにしか聞こえないほどの小声で、ギルベルトが「クッキー、バンッ!」と命じたのを。

 あれはクッキー必殺の一発芸。お手とお座りをマスターした彼はごほうのクッキー欲しさに「バンッ!」と言われたら死んだ振りをするよう、ギルたちに仕込まれていたのだ。

「おい! あのドラゴン、死んだのか?」

「いや、ドラゴンだぞ? そう簡単には……うわっ!」

 遠目に様子をうかがっていた学生たちの前で、クッキーがむくりと起き上がる。クッキーはギルベルトの姿を見つけると、何事もなかったかのように彼に向かってこうべを垂れた。

「ド、ドラゴンが従っただと……? そんな馬鹿な……!」

 がくぜんとするアドラーの声を聞きながら、ギルベルトが前に進み出る。その手が、硬く黒いうろこおおわれた頭をなでた。

 ご褒美のクッキーをもらえなくて、クッキーはご不満らしい。その口からブシュッと変な音を立てて蒸気がこぼれた。だがギルベルトがもう一度頭をなでると、ポンッという音と共に辺りにけむりが満ちた。その中から現れたのは大型犬サイズの小さなドラゴンだった。

「ドラゴンの変身……! 話には聞いていたが、まさか本当にあるとは……!」

 かんるいにむせぶアドラーが言葉をまらせ、今にも拝み倒しそうな勢いでクッキーを見つめる。ギルベルトはそんな教師に向かって、にっこりがおで宣言した。

「このドラゴンは私の使いにします。服従させられるのであれば、いいんですよね?」

「え? いや待ってくれ、ギルベルトくん。君がゆうしゆうなことはよくわかったが、さすがに学生の使い魔にドラゴンを選ぶのは……」

しようかんされたじゆうが術者に倒された場合、その魔獣が術者を襲うことはもうない──しきの前にそう説明なさったのは、先生ではありませんか」

「そ、それはそうだが……」

「ドラゴンの生態については、まだ不明な点も多いと言います。私の使い魔にすれば、変身以外にも貴重な場面をもくげきする機会にめぐまれるかもしれません。そう思いませんか?」

「…………………………」

 アドラーが眉間に深い皺を何重にも刻み、理性と欲望の間でかつとうしているのが手に取るようにわかる。魔獣を愛してやまない彼が落ちるのは、きっと時間の問題だろう。

 ギルベルトがアリアナの方を向く。彼女がうなずくのを見て、その顔があんゆるんだ。彼としても、元魔王のペットを使い魔にすることにはじやつかんのためらいがあったらしい。

 その後、アリアナの予想通り、アドラーはギルベルトがクッキーを使い魔にすることを表面上はしぶしぶ認めた。もっとも、その顔には内心のウキウキした喜びがにじみ出ていたが。

 クッキーをギルベルトにゆずったアリアナはそれから二度目の儀式を行い、グリュコスという魔獣を召喚した。これまた魔族領にしか生息しない、巨大なわしの形をしためずらしい魔獣だが、ドラゴンのあとだとつうに感じられたのか、特にだれもつっこみはしなかった。

 ただ一人、しつしたクッキーがものすごい目でグリュコスをにらんでいたが、このグリュコスは空気の読める性格をしていたらしく、ビビってすぐクッキーにきようじゆんの意を示した。クッキーは子分ができたことでりゆういんが下がったのだろう。再びごげんに戻った。

 こうして結果だけ見れば、すべて丸く収まったように思えたが……。


「ごめんなさい、ギル! 今日もあなたにすごくめいわくをかけたわ」

 使い魔の召喚を解いたあと、アリアナは昨日と同じあずまにギルベルトを連れて来てせいだいに頭を下げた。今日もそうどうに巻き込んでしまったなんて、いくら謝っても謝り足りない。

 ギルベルトはひたすらきようしゆくするアリアナを前にして、小さく首を横に振った。

「別に迷惑だなんて思ってませんよ。俺も久々にクッキーに会えて嬉しかったですし」

「ありがとう。ギルにそう言ってもらえて助かるわ。でも、通常授業が始まる前からこんなにトラブルが続くなんて……やっぱり私に普通の人間は無理があるのかしら?」

 アリアナがぽつりとこぼした弱音に、ギルベルトはけんめいにも何も言い返さなかった。代わりに、彼は小さくかたをすくめて別の言葉を口にした。

「確かに、何かと規格外のあなたには、森に引きもっていてもらった方が都合がいいと感じる人間は多いでしょうね」

「ううっ、そうよね。やっぱり私がこの学院にいると、何かと迷惑をかけて──」

「ですが、あなた自身はこんなところで夢をあきらめてしまって、本当にいいんですか?」

「え、夢? 急になんの話?」

 首をかしげたアリアナを見て、ギルベルトがニヤリと意味ありげに口のはしをつり上げる。

「前世からの夢だったんですよね? この魔術学院で、運命のこいをすることが」

「…………っ!? ギ、ギル! なんでそのことを……!」

「あなた自身が俺に語ってくれたんですよ? 来世があるなら、『ステラ学院の秘密』のような学院生活を送って、ただ一人の相手を好きになり、その者から愛し愛される関係を築きたいと」

(あぁぁぁぁぁぁぁぁー!)

 アリアナは声にならない悲鳴を上げて、その場にしゃがみ込んだ。前世でギルが『ステラ学院の秘密』の新刊をわたしに来てくれた時のことだ。確かに来世の夢について熱く語った。だが、そんな前世の黒歴史を真顔で声に出しててきしないでほしい。

 あまりのずかしさにえきれず、頭をかかえてもんぜつする。そんなアリアナの耳に、ギルベルトがクスッと意地悪く笑うのが聞こえた。

「どうしたんです、アリアナ? もう恋はしなくていいんですか?」

「いや、するわよ! する気満々だけど! でも……!」

 これはいったいなんのしゆうプレイだろう? ギルベルトはアリアナの答えをじっと待っている。その無言の圧力に耐えきれず、アリアナは半ばやけになりながらなみださけんだ。

「いくら私が恋をしたいと願っても、相手がいないのよ! あなたも見てたでしょう? 選定石を純黒に染めちゃったり、ドラゴンを召喚しちゃったりして、ドン引きしてる同級生たちの姿を。こんな規格外のはくしやくれいじようを好きになってくれる人なんて──」

「俺にしておけばいいじゃないですか」

「……え?」

「俺がアリアナの恋人になりますよ」

「……………………」

 アリアナは頭が真っ白になった。何を言われたのか、すぐには理解できなくて、ギルベルトの顔を穴の開くほどじっと見つめてしまう。その視線に耐えられなかったのか、ギルベルトが照れくさそうに落ちてきたまえがみをくしゃっとかき上げた。

「そんなにおどろかないでください。今のあなたは元魔王の前世をかくすだけで苦労してるのに、その状態でれんあいまでするのは大変でしょう? だから、ほかの男のことなんて考えないでください。あなたさえ望むなら、俺が恋の練習相手になります」

「恋の、練習? 本当の恋じゃなくて?」

「……別に俺は練習じゃなくていいですけど」

「え? 何か言った?」

「いいえ、何も」

 ギルベルトがなぜかすねた様子でうわづかいにアリアナを見ながら続ける。

「魔術でもなんでも、うまくなるためには練習が必要でしょう? 恋も同じです。あなたが前世からあこがれ続けた恋をするために、俺と練習をするんです」

「練習って……確かにそういうことができたら私は助かるけど、ギルは? 私と恋の練習なんてして、あなたは本当にそれでいいの?」

 今の自分が誰かを好きになって告白したところで、ぎよくさいするのは目に見えている。その点、自分のことをよく知っているギルベルトが相手であれば、恋の練習中に多少変なことをしても大目に見てくれるし、彼から学べることも多いだろう。しかし、そんな自分のワガママにつき合うばかりで、彼の方に何かメリットはあるのだろうか?

「今世のあなたと私は対等な関係よ。それなのに、私だけが得をするなんて──」

「そうですか? 恋の練習をすることで、俺にも十分メリットはあると思いますが」

「え、どこに?」

「それは……秘密です」

 ギルベルトがくちびるに人差し指を押し当ててイタズラっぽく笑う。

「ちょっと! それじゃあ、いつまでってもメリットが何かわからないままじゃない」

「気になるなら、わかるようになるまでいっぱい考えてください、俺のことを。答え合わせなら、いつでも喜んで受け付けます」

 ギルベルトがたのしげに笑って、ベンチから立ち上がる。これ以上何かヒントを出す気はないらしい。彼はアリアナに背を向け、りようのある方へと先にもどって行った。

 恋はしたい。その練習もしてみたい。でも、あのギルベルトを相手に?

 自分と恋人のりをすることで、彼が得することなんて本当にあるのだろうか?

 ギルベルトが消えた先をいくら見つめたところで、答えは出ない。アリアナはある意味今世最大の難問を前にして、その場から一歩も動けずに頭を抱えた。

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