第一章 元魔王に恋は無理ですか?②/第二章 元魔王はうっかり目立ちたくない①

「それでギル、やっぱりその……あなたも生まれ変わったのね?」

 魔術学院の校舎裏にギルベルトを連れてきたアリアナは、辺りに人がいないことを確認してからおそる恐るたずねた。

 先ほどは思いがけぬ再会に驚いてこうちよくしてしまったが、我に返ったアリアナは自分たちが周りから注目されていることに気づいてあわてた。それもそのはず。筆頭公爵家の次男であるギルベルトが国王以外の人間に膝を折っていたら、それはみんな驚くだろう。

 ギルベルトも、これ以上もくを集める場で前世の話をしたくなかったらしい。おとなしくアリアナの後ろについて、この校舎裏までやって来た。そして二人きりになるなり、前世ぶりの見慣れた仕草でアリアナを見下ろし、やれやれとかたをすくめた。

「その質問……陛下の目には、俺が百歳を超えた老人に見えているのですか?」

「もちろん見えないけど、万が一ということもあるじゃない」

「そのような若返りの秘術が発明されていたら、歴史が変わっていますよ」

(……か、かわいくない! この生意気な態度、やっぱりギルだわ!)

 さっき一瞬でも再会に感動した心を返してもらいたい。アリアナはムッとしてギルベルトをにらんだが、前世から変わらぬ彼の態度にホッとしている自分にも気づいていた。

「あなたは見た目も中身も前世からあまり変わっていないようね。私の方は見た目も結構変わったはずなのに、さっきは目が合っただけで、よく私だって気づけたわね」

「前世と比べて見た目の印象はだいぶかわいらしくなられましたが、あなたの目は変わりません。そのように強い光を宿すむらさきの瞳を、俺はほかに知りませんから」

 ギルベルトに言われて、アリアナはなつとくした。なんの因果か知らないが、アリアナは前世で「おうの瞳」と呼ばれたほどとくちよう的な紫の双眸を持って転生したのだ。

「その瞳のおかげで、俺はすぐあなたに気づくことができました。今世で俺は公爵家の次男に生まれ変わりましたが、陛下も貴族の家に……陛下?」

 ギルベルトがおどろいて言葉を切る。そのくちびるにアリアナが指を押し当てたのだ。

「陛下じゃないわ。今世の私は、アリアナ・フォン・コルティッツ。へいぼんな人間の少女よ」

「……平凡? さすがにそれは無理があるのでは?」

「そんなことないわ! さっきだって、入学式でとなりに座ったとしごろのおじようさんとつうの人間らしいあいさつわしたんだから」

「努力して普通の人間らしさを演出している時点で、あやしさしか感じられないのですが」

「うっ……」

 アリアナは何も言い返せなかった。一応アリアナにだって、自分が変わっているという自覚はある。だからこそ、この学院では周囲に馴染もうと初日からがんっているのだ。

「とにかく陛下はダメよ。あだ名にしたって、周りからきまくってしまうわ」

「わかりました。では、アリアナ様でいいですか?」

「ええ、それなら……」

 アリアナはうなずきかけ、ちゆうで慌てて首を横に振った。

「やっぱり様付けもなしにして。今世のあなたは公爵家の次男で、『勇者の再来』なんてたいそうな二つ名で呼ばれてるんでしょ? そんな人から様付けで呼ばれたら、やっぱり変に思われて……って、ギル、どうしたの?」

「『勇者の再来』なんてやめてください。あなたにだけはその二つ名で呼ばれたくない」

「え?」

 思いがけぬ強い口調にアリアナは驚いた。海色の瞳が翳りを帯びて、気まずそうに下を向く。固く口を引き結んだ横顔には、いかりともけんとも取れる負の感情が浮かんで見えた。

(私、何かまずいことを……あ、待って。ギルは前世で魔王の配下だったわけだから)

 アリアナは自分のやらかしたことにはたと気づいて、頭をかかえた。

「ごめんなさい、ギル。今の発言は、私が無神経だったわ。元魔王配下のあなたとしては、二つ名に勇者の名前を使われたらいやな気持ちになるわよね。私には前世の最後の方のおくがないせいで、勇者に対する感覚があなたとちょっと違うみたいで……」

「……は? 記憶がない?」

 ギルベルトが心底驚いた顔でアリアナを見つめる。アリアナは申し訳なさでいっぱいになって、しおしおとうなずいた。

「そうなの。魔王としてせんとうに参加した辺りまではかろうじて覚えているんだけど、そのあと勇者にたれた時のこととか全然記憶になくて……あの、ギル?」

「あの時のこと、あなたは本当に何一つ覚えていないんですか?」

「それは……」

 アリアナは目をせ、前世の最期に思いをせた。あの日の朝、自分はいつもと同じようによろいを身につけ、ファビアーノたち配下の者を従えて戦場におもむいた。それから……。

「痛っ!」

 後頭部にするどい痛みが走るのを感じて、アリアナは頭を押さえた。

「陛っ……いえ、アリアナ! だいじようですか?」

「平気よ。ただ、今みたいにあの時のことを思い出そうとすると頭が痛くなるせいで、私は自分の最期や勇者についてくわしく知らないの。まぁ、自分が殺された時のことなんて詳しく知ったところでつらくなるだけだから、あえてけていた面もあるけど」

「そんな……」

 アリアナの説明に、ギルベルトがなぜかひどくショックを受けた顔で押しだまる。

「ごめんなさい、ギル。その様子……もしかして私、前世の最期であなたと何か約束でもした? もしくは、何か相当まずいことをやらかしたとか?」

「……告白しました。ずっと好きだったと」

(えっ!? 告白って……私、忘れてるだけで、本当はギルのことが好きだったの?)

 絶句してギルベルトを見つめる。その目がだいに半眼になるのをアリアナは感じた。彼があまりにしんけんな顔をするものだからいつしゆんだまされそうになったが、さすがにそれはない。

「ギル、私があなたに告白したなんて、またからかったわね?」

「……あ、バレました?」

「当然でしょ!? 配下の中で一番年下のあなたは弟のような存在だったんだから!」

 生まれ変わっても、やっぱりギルベルトは生意気な年下のままだ。

(人がなくした記憶の心配をしてる時に、じようだんを言わなくてもいいのに。……あ、でも、もしかしたら本当は何も思い出せない私のことをづかってくれたのかしら?)

 昔からそうだ。ギルベルトは本音をなかなか周囲に明かさない。そんな彼が軽口をたたくのは、他人に心配をかけまいと気遣って本音をはぐらかす時だった。だとしたら彼を責めるのはすじちがいだ。それより悪いのは、彼にそんなことをさせた自分の方なのに。

「ごめんなさい、ギル。私は魔王だったのに、最後までみんなを守れなかった。しかもその時のことを全部忘れているなんて最低よね」

「あなたが謝ることはありません。俺の方こそ、あなたを守れなくて……」

 ギルベルトがくやしそうに目を伏せる。アリアナは静かに首を横にった。

「ギルも無理しないで。私が前世の最期を思い出せないように、ギルも前世のことを無理に思い出したり、話したりする必要はないから」

 考えてみれば当然のことだが、魔王アレハンドラの死後も、ギルたち配下の人生は続いていた。ファビアーノや他の部下たちは魔族だったからまだいい。しかし、ギルは?

 ギルは魔王の配下でゆいいつの人間だった。魔王の自分が人間の勇者に討たれたあと、彼に対する魔族たちの風当たりが強くなったであろうことは想像にかたくない。その過去をり葉掘り問いただすほど、アリアナも無神経ではなかった。

「せっかくの入学式なのに、なんだかしんみりしたふんになっちゃって、ごめんなさい。前世ではいろいろあったけど、またあなたに会えてうれしいわ。せっかく生まれ変わったんだし、今世はたがいに学生生活を楽しみましょう」

 アリアナとしては、せいいつぱい明るく前向きに提案したつもりだった。だが、その言葉を聞いたギルベルトの顔はなぜかくしゃりと泣きそうにゆがんだ。

(え、なんで? 私、何かまた余計なことを言っちゃったの?)

 ギルベルトが一度目を伏せ、再びアリアナを見る。そのわずかの間に何を思ったのかはわからない。ただその顔には、かくを決めた者特有のりんとした表情が浮かんでいた。

「あの、ギル……?」

「すみません。生まれ変わって再会できただけでも驚きなのに、またおそばに置いてもらえるなんて思いもしなかったので、少しどうようしました」

「何を言ってるの? 一度転生したくらいで、私があなたをきよぜつするはずないじゃない」

 アリアナは本気でムッとしてギルベルトをにらみつけた。

「今世の私はもう魔王でも、あなたのあるじでもないわ。それでもあなたが私にとって大切な存在であることに変わりはないのに」

「……あなたは俺のことをまだそんな風におもってくれるのですね」

「え? ギル、今何か言った?」

「いいえ、何も」

 ギルベルトが嬉しそうな、それでいてなぜか切なげなしようをアリアナに向ける。

「ちなみに今の俺はもうあなたの配下でもなければ、年下でもありません。それでも俺は、あなたにとって弟のような存在のままですか?」

「ああ、そういえば今世では私たち、同い年なのよね」

「なら、もう弟とは言えませんよね。その場合、俺たちはどのような関係になりますか?」

 アリアナはすぐには答えられずに、うでを組んで思案した。元魔王とその配下という前世の関係をきにした場合、今の自分たちはどのような関係になるのだろう?

「今の私たちは同じじゆつ学院に通う同級生、かしら?」

「同級生ですか? ただの?」

「え、えーと、それなら……友達、とか?」

 ギルベルトからなんともみような視線を返され、アリアナは答えにまった。

(言いたいことはわかるわ。友達っていうのは、もっとキラキラして尊い関係のはずよね)

 アリアナだって、友達にそういう理想をいだいてこの学院に入学した。しかし友達でなければ、今の自分たちの関係を他人にどう説明すればいいのだろう?

 無言で向き合う二人の間に、なんとも気まずい空気が流れる。その時だった。

「ギルベルトくん、アリアナさん、どこにいるんです?」

 校舎の方から自分たちを呼ぶ声が聞こえた。思わずギルベルトと顔を見合わせる。

 やがて二人の前に一人の男が現れた。彼は先ほど入学式であいさつをしていた教師の一人で、魔術記号学担当のノイマンといった。

「二人ともいたいた! もうすぐタクトのじゆ式が始まります。早く聖堂に来てください」

 ノイマンはそう言うと、用件はそれで終わりらしく、アリアナたちに背を向け去って行った。ギルベルトとの話に夢中になって忘れていたが、気づけば昼をとっくに過ぎている。

「行くわよ、ギル。入学早々こくなんて悪目立ちしちゃうわ。……ギル?」

 ノイマンのあとを追おうとしたアリアナは、思い切りまゆをひそめて足を止めた。ギルベルトが急ぐ彼女の前に手を差し出してきたのだ。

「あの、ギル? この手は?」

「ご存知ないのですか? 貴族社会では、男性が女性をエスコートするものなのです」

(…………! こ、これがうわさのエスコート!)

 かみなりに打たれたようなしようげきを覚えて、アリアナはギルベルトの手をぎようした。

 初めて『ステラ学院の秘密』を読んだ時から、そういう習慣が人間にあることは知っていたし、あこがれてもいた。それなのに、いざ目の前に手を出されると、どう反応していいかわからずにゴクリとなまつばみ込んでしまう。何しろ拝まれるのでも、ひざまずかれるのでもなく、こうして異性にリードされるのはアリアナにとって初めての経験だったのだ。

(さすが魔術学院、すごい場所だわ。あの生意気なギルにこんな行動を取らせるなんて)

 まるで弟のように思っていたギルベルトの手を取るのは妙に照れくさい。それでも初めてのエスコートというゆうわくあらがいきれず、アリアナは差し出された手に自分の手をそっと重ねた。その瞬間、ギルベルトの口元にフッとやさしいみがかんだ。

(ギルってば、なんて顔をするのよ。彼、こんな笑い方をする子だったっけ?)

 アリアナはムズムズと胸をくすぐるずかしさにえきれず、ふいと顔をそむけた。

 つないだギルベルトの手に力がこもる。その日、タクトの授与式が行われる聖堂に着くまでの間、彼はアリアナの手を決して放そうとしなかった。


   〇 〇 〇


 アリアナとギルベルトが聖堂に足をみ入れた時、そこにはすでに百名近い新入生と十名ほどの教師じんが集まって、タクトの授与式を始めていた。

 おくれてきた二人を見て、同級生たちがざわめく。いや、正確にはその視線が自分たちの手元に集中しているのに気づいて、アリアナはギルベルトの手をバッと振りほどいた。

(まずいわ、悪目立ちしてる。今世のギルはこうしやく家の次男だってすっかり忘れてたわ)

 入学式でも、ギルベルトねらいの声を聞いたくらいだ。そんな有望株が同級生の少女と手をつないで遅刻してきたら、それはもくを集めるだろう。案の定、ざわついている学生たちを見て、進行役を務めている教師のノイマンがコホンとわざとらしいせきばらいをした。

みなさん、今は授与式の最中ですよ。次、ロザモンド・シュナイダー、前へ!」

 学生たちがあわてて前を向く。その中から、緑のねこが印象的な少女が進み出た。

(あ! あの子、入学式でとなりだったロザモンドだわ。それに、あれは本物の選定石!?)

 アリアナはくわっと目を見開いて前方のひらけた空間を凝視した。木製のがっしりした台座の上にひとかかえほどもある巨大なすいしようちんしている。その表面はたった今切り出してきたばかりのようにゴツゴツしているのに、石しに下の台座まで見通せるほどんでいる。

(あぁぁぁー! このとうめい度に形! 『ステラ学院の秘密』に出てきたびようしや通りだわ!)

 アリアナがもだえする中、ロザモンドがきんちようしたおもちで選定石に手をばす。その指先がれたしゆんかん、石が内側から光り出した。

 透明だった石の表面に様々な色が浮かんでは混ざり、消えていく。やがてそれは青緑黄の三色を帯びた光となって聖堂を包んだ。

「うわっ! 新入生で適性が三属性!?」

「彼女、平民からきゆうてい魔術師になったシュナイダー氏のごれいじようだろ? さすがだな」

 同級生たちの話し声が聞こえたのだろう。ロザモンドの横顔にホッとしたような、それでいてほこらしげな笑みが浮かぶ。彼女がまんに思うのも無理はない。

 この世界を構成する物質──エレメントは、地水火風の四属性に分類される。魔族がじゆもんという声のしんどうを通じてエレメントに働きかける音声魔術を使うのに対し、人間の魔術師はタクトを使って宙空に魔法陣をくことでエレメントにかんしようする描画魔術を使う。

 魔術を使う上では四属性すべてに干渉できることが理想だが、すべてに適性のある人間は多くない。というより、全属性の魔術師にさえ多少の不得手は存在する。

 そこで人間の魔術師はタクトのしんじゆうや魔木の一部を使うことで、自らの苦手な属性を補う。例えば火属性が弱い魔術師のタクトには、火属性を持つ魔獣のきばが使われることによって、火属性の魔術が強化されるのだ。

 アリアナがかたを呑んで見守る中、選定石の放つかがやきがじよじよやわらいでいき、その中から一本のタクトが浮かび上がってきた。

「ロザモンドくんのタクトはミーツェの牙を芯に使ったものか。良い選定だな」

 魔獣学の教師アドラーが選定石を横からのぞき見て、なつとく顔で講評する。

「そのタクトは当面の間、君の苦手な火属性を補ってくれるだろう。卒業までに火属性をもっと自由に使えるよう、魔術の修練にはげみたまえ。君の成長に期待している」

「はい!」

 同級生たちがロザモンドにせんぼうまなしを注ぐ。彼女は満面の笑みでり返り、ちゆうでギョッと目を見開いた。目が合ったのだ。興奮して、異様にキラキラ輝くむらさきひとみと。

(タクトの授与式を生で見られるなんて、人間に生まれ変わって本当によかった……!)

 魔王時代、戦場でタクトを片手に向かってくる魔術師たちは正直うっとうしくて仕方なかった。しかし、それはそれ。アリアナは『ステラ学院の秘密』で、主人公のフリーダたちが使っているタクトにずっとひそかな憧れを抱いていたのだ。

(特に、エドガーがき親友のタクトを使ってフリーダを守るシーンとか最高よね! あの親友、フリーダのことがずっと好きだったんだもの。自分の死後もタクトを通じて最愛の人を守るとか、もう……!)

 思い出しただけで胸が熱くなり、アリアナは身悶えした。が、隣に立つギルベルトの生暖かい視線に気づいて、すんと元にもどる。今は授与式の最中だ。周囲の学生たちにむためにも、目の前の現実に集中しておとなしくしていた方がいい。

 タクトの授与は聖堂に来た順で行われているらしい。学生たちが次々に名を呼ばれては、うれしそうにタクトを受け取っていく。その一つ一つを楽しく見守り、待つこと一時間。

「次、アリアナ・フォン・コルティッツ!」

 名を呼ばれ、アリアナは期待に胸をふくらませた。ついに憧れのタクトをもらえるのだ。

「アリアナ、魔力の出し過ぎに気をつけて」

だいじようよ、ギル。任せて!」

 胸を張って笑うアリアナに、ギルベルトがづかわしげな視線を向けてくる。彼が元魔王の自分を心配する気持ちもわかる。でも、今の自分はあくまで人間だ。魔王の力を受けいでいるからといって、そこまで神経質になる必要はないだろう。

 アリアナは緊張と期待でうるさい心臓をなだめながら、選定石の前に進み出た。大きく息を吸い、石の上に手を置く。ヒヤッとして氷のようだと感じた、その直後のことだ。

(うわっ! すごい吸引力!)

 てのひらから魔力をぐんっと吸い取られる感覚におどろいて、アリアナは触れた手につい力を込めてしまった。その瞬間、石が内側からカッと光り、いなずまのような光が聖堂をつらぬいた。

「キャッ!」

「なに今の光!?」

 聖堂のそこかしこで悲鳴が上がる。そのすべてを包み込むように、暗雲が聖堂内をおおった。しかしそれは一瞬のことで、辺りを満たすやみはすぐに晴れていき……、

「え?」

 アリアナは目を疑った。彼女の前には、元魔王の魔力を吸い取った選定石がある。それは全属性を示す四色の輝きを放つ……代わりに、なぜかどす黒い闇色に染まっていた。

(なんか思ってたのとちがうけど……この純黒ってなんの属性かしら? タクトは?)

 たとえ純黒のかいしやくができなくても、タクトを入手できれば属性が判明するだろう。

 そう考えたアリアナは選定石に手をかざし、タクトが浮かび上がってくるのを待った。それは根気強く、じっと待った。が、いつまでっても石はちんもくを貫いたままだ。

「これはどういうことだ? まさか選定石がこわれたのか?」

 とつぜんの異常事態から最初に立ち直ったアドラーがぼうぜんとつぶやくのが聞こえた。

「私はこの学院に勤めて三十年になるが、こんな純黒の属性なんて一度も……」

「待ってください。私は過去に一度だけ純黒の属性についてぶんけんで読んだことがあります」

 混乱する教師陣の前に、歴史学担当の女性教師──クラインが進み出た。

「すべての属性をね備えた高位魔族の中には全属性が不可分なほどに混ざり合い、闇のような黒を示す者がいるという話です」

「え? 魔族?」

「ええ、例えば魔王など」

 その場にいた全員がアリアナの方をバッと振り向く。アリアナの背中を一筋のあせが伝い落ちていった。ここに来て、ようやく彼女にもことの重大さが理解できたのだ。

 そもそもタクトとは、魔術師の欠けた属性を補うために存在するものであり、選定石を通じてその魔術師にふさわしいものが選ばれる。しかし、すべての属性を最高レベルで有している魔王には最初から補う属性なんて存在しない。よって、いくら選定石に魔力を注いだところで、どのタクトも飛んできやしないのだ。

(ど、どうしよう? ここはこっそり呪文を唱えて適当なタクトを引き寄せるべき?……ううん、ここで音声魔術を使ったら、それこそ魔族だと疑われるわ)

 アリアナは転生後もなんの疑問も持たずに呪文で魔術を発動させていたが、人間の魔術師はつうタクトなしで魔術を使えない。そう、魔族の血でも引いていない限りは。

「アリアナくん、君はいったい……」

「い、いやですよ、先生! 私はしようしんしようめい、普通の人間です。さっき先生自身がおっしゃっていたように、選定石が壊れたせいで変な反応をしたんじゃありませんか?」

「…………………………」

 アリアナの苦しまぎれの言い訳に、教師たちの顔がますますげんそうにゆがむ。

(ううっ、このままじゃまずいわ。ほかに何か人間らしさをアピールできる方法は……)

 アリアナは頭をひねったが、それですぐに対応策が思いつくようなら、もっと前から人間らしさをきわめている。まさにばんきゆうすだと感じた、その時だった。

「先生、私に提案があります」

 混乱のちゆうで手を挙げる者がいた。今までだまって事態を見守っていたギルベルトだ。

「ギルベルトくん、なんだね? 純黒の魔力について、君も何か知っているのか?」

 少しいらった口調のアドラーに問いめられ、ギルベルトが首を横に振る。

「純黒の魔力は私も初めて見ました。ただ、その選定石が本当に壊れているなら、アリアナ以外の人間が魔力を流した場合でも、同じように変な反応をするはずだと考えたのです」

「まぁ、論理的に考えれば、そうなるはずだな」

「さて、ここに全属性であることは判明しているのに、タクトは持っていない人間がちょうど一人います。ためしに使ってみてはいかがです?」

 ギルベルトがニッとちようはつ的に笑って自分を指さす。アドラーは一瞬驚いたように目をみはり、すぐに「ああ」と納得した顔でうなずいた。

「そういえば、君は『勇者の再来』だったな。選定石が正常に動いていれば、あの勇者と同じように君には全属性のタクトがおくられるということか。……いいだろう、ものは試しだ。やってみてくれ」

「ありがとうございます」

 ギルベルトが一礼して選定石に手をばす。次の瞬間、その場にいた全員が息をんだ。ギルベルトがれた先からじようされていくように、しつこくの石がみるみるしんじゆ色にえられていったのだ。

「純黒の次は真珠色だと!? こんな色、見たことないぞ!」

「選定石はやはり壊れていたのか!?」

(ギルってば、何をやって……え? そんなことをしたら石が……!)

 アリアナはハッとしてギルベルトを見た。教師たちも異変に気づいたらしい。彼の手から放たれるりよくばくはつ的に増したのと同時に、何かがピシッと割れる音が辺りにひびいた。

「せ、選定石にヒビが……! ギルベルトくん、すぐに手をはなしたまえ!」

 アドラーのぜつきようを受けてギルベルトが手を離す。しかし一瞬おそかった。まばゆい光と共にパリンッと音を立ててくだけ散った選定石が宙をい、さめのように聖堂内に降り注ぐ。

 みな、あまりのしようげきに声も出ない。あんぐり口を開けて舞い散る石のかけらをぎようする中、ギルベルトがくるりと振り向いた。

「先生方、申し訳ございません。やはりこの選定石は途中から壊れていたのではありませんか? 普通に手をかざしただけなのに、突然魔力を大量に吸い取られて驚きました」

「いや! だからと言って、今までに何千という学生の属性を判定してきた選定石がそんな簡単に砕け散るものかね!?……ギルベルトくん、まさかわざとやったんじゃないだろうね?」

 アドラーがギルベルトに疑いのまなしを向ける。アリアナは見ていて胃が痛くなった。

(アドラー先生の解釈は正しいわ。ギルは最後、全力で選定石を壊しにかかっていたもの)

 きっとギルベルトは教師たちがじゆ式のあとに選定石の精査をして、そこからアリアナの前世がバレることのないように、大量の魔力をたたき込んで砕いてくれたのだろう。

かばってくれたのは嬉しいけど、これじゃギルまで疑われてしまうわ。どうしよう?)

 入学早々目立ちたくはないが、これ以上ギルベルトにめいわくをかけるわけにはいかない。アリアナはしゆんじゆんした末に思い切って手を挙げた。気づいたアドラーがまゆを寄せる。

「なんだね、アリアナくん? 何か気になったことでも?」

「はい。実は私もギル……ベルトくんと同じで、選定石に触れた瞬間、大量の魔力を吸い取られて驚いたんです。私の場合、属性の判定は初めての経験だったので、そんなものかと思っていたのですが、やっぱりあの時点で選定石は壊れていたのかも……しれません」

 アリアナの声がだいに自信を失って小さくなる。その発言をギルベルトが継いだ。

「この選定石は百年以上使われている年代物ですよね? 経年れつで調子が悪くなっていたところに私たちの魔力を大量に吸い取って、トドメをされたのではありませんか?」

「確かに、ギルベルトくんの魔力量はきゆうてい魔術師もりようするほどだと聞いているが……」

 アドラーが疑念を捨てきれずにうでを組む。そこへギルベルトがたたみかけた。

「だいたい先生、わざと選定石を壊して、私たちになんのメリットがあるんです? 選定石が砕けたせいでタクトをもらえずに明日あしたからの授業で困るのは私たちですよ?」

「それはそうかもしれないが……すまない。ちょっと協議させてもらおう」

 アドラーの発言を受けて、教師じんが聖堂のすみに集まる。彼らは選定石のメンテナンスじようきようなどについて検討したようだが、めぼしい結論を出すには至らなかったらしい。

「問題の選定石が砕けてしまっては仕方ない。原因の調査は後日改めて行うとして、君たちには当面の間、授業に支障が出ないように予備のタクトをわたしておこう」

 アドラーはまだ完全になつとくしたわけではないらしい。しぶい顔つきのままだったが、それでも予備のタクトをしまってあるたなにアリアナとギルベルトを案内してくれた。

(よかった。とりあえず、この場は切りけられたと考えていいのよね?)

 入学初日に元魔王だとバレる最悪の事態は防げたと知って、アリアナはかたの力を抜いた。ただ、やはりまだ安心してばかりはいられないらしい。

「すごいな、ギルベルト。あの選定石を壊すって、どんだけだよ?」

「彼の言ってることが本当なら、あのアリアナって子の魔力も相当よね」

(ううっ、目立ってる。……ギルはこんなに注目されて平気なのかしら?)

 ギルベルトは同級生たちの声など聞こえていないかのようにすずしい顔をしている。だが、その表情がわずかにこわばっていることに気づいて、アリアナは眉をひそめた。

(ギル? なんだか様子が変だわ。もしかして……)

 心配になっても、しゆうじんかんのもとではギルベルトに確かめるわけにはいかない。アリアナは不安をグッと呑み込み、この場はがおでアドラーから予備のタクトを受け取った。

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