心模様

殴り書きです

途中で終わります


┄┄┄



 

 一つ、二つ、三つ。靑い桶に張つた水に白牡丹を竝べ浮かべては私は貴方の歸りを待つて居ます。四つ、五つ、六つ。花は桶から溢れ出て、音も立てずはらりと床に落ちました。それを見ると何だか嫌になつてしまつて、私は立ち上がり桶を玄關へ置いて外へ出ました。今日の空は薄ぼんやりと灰色に曇つてゐる。數ヶ月前、貴方は禦屋敷へ出向いて以降、めつきり姿をお見せにならなくなりました。どうしてお歸りにならないのかしらと心配になつて、頻りに心も落ち着かなくなつて、居ても立つてもいられず私は屋敷へ一通の文を出しました。意外な事に文は直ぐに歸つてきました。手紙を受け取つた私は飛んで喜んだものです。ですがいざ封を開けてみれば、貴方は歸るどころか禦友人と卓を圍んでは葉子戲やらの遊戲に明け暮れ、榮養の偏つた粗雜な食事を攝り寢ては遊んで怠惰に暮らしてゐるといふではありませんか。それを讀んだ私は思はず顏を覆つてしまひました。變に一種の失望を感じました。どうして貴方が、すぐに戾つてきて私の元へ驅けて來て下さると思ひ込んでゐたのでありませう。ええ、さうですね。貴方が樂しくお過ごしになつてゐるのならば、それは何よりも喜ばしいことでございます。私なんかと二人きりで過ごしてゐるよりも、きつとその方が幾分か樂しいのでせうね。どうぞ結構ですからお好きになさつて下さい。氣が滅入つてしまつたので、私は河を下つて村へ出てきました。まだ水邊には肌寒い風が吹いてゐます。分厚い着物に着替へて璃色の羽纖を着て行きました。自覺もしてゐるやうでしてをりませんでしたが、貴方が出て行つて仕舞はれてから隨分長いこと一人で暮らしてゐましたから人戀しかつたのでせう。通りに掛茶屋を見かけ、氣晴らしに出向くことにしました。私は普段一人でこんな所へ來たりしません。料理や菓子は何でも家で濟ませてしまひますし、あまり贅澤に興味が無いのです。けれども近頃は貴方に放つて置かれるのがどうにも氣に食はない。これは憂さ晴らしのつもりです。夕刻だからか店は隨分空いてをりました。邊鄙な村ですから、普段から暇なのかもしれません。茶屋の娘は本を讀んでゐた手を止め、鈴を鳴らして出迎へました。「如何致しませうか」「季節の綠茶と甘味を一つずつ下さい」渡された禦盆には碧羅春と薄桃色の甘味が可愛らしく器に乘せられてゐます。店の中から廣い庭へ出ることが出來ました。見渡して眺めてみると、こんもりとした白い花を澤山つけてゐる木蓮が竝んで生えてをりました。近くへ步いていつて、木蓮の下の腰掛けに座り、茶を一口飮んで息を吐きました。碧羅春と思ひましたが、茉莉の香を付けた茉莉碧螺のやうにも感じました。飮んでゐると溫かく安らかな氣持ちになります。氣を紛らはせようと必死になつてゐる自分が滑稽に思へてきました。貴方が居なくても私はかうして穩やかに暮らしていけます。昔ほど貧弱な身體でもありませんし、暮らしも作法もある程度身につきました。ですがどれも之も何もかもは貴方が敎へてくれたお陰です。ああ、やつぱり淋しくなつてしまう。貴方の消毒液の匂ひがする兩手や、頬を撫でられた時にそれを感じるのを思ひ出します。私は貴方の傷ついてざらついた溫かい手が好きです。何度も傷付いては治癒され、其れを繰り返した證、他でもなく眞面目に仕事をしていらつしやる證據であります。愛しい人、どうか早くお歸りになつて下さい。獨りで暮らしていけるのと、後から獨りになつてしまふのとではお話が違ひます。貴方のゐない暮らしが、伽藍として閑散とした部屋が、私にはとても淋しい。いつもの樣な小言でも構はないから、お聲を聞かせて頂戴よと縋れたならばこんなに苦しむ事はないのに。變に氣を張つて、强がつてしまふせゐで私は可愛げが無く手の掛からない女だと思はれてゐるに違ひありません。欲しい時に欲しいと言へたなら、淋しい時に傍に居てと賴めるならどれ程こゝろが樂になるでせう。

 

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