第8話 引き起こし

「君が、轟 萌歌くんかい?」


萌歌は急に声をかけられてビックリしながら後ろを振り向くと、ジャージを着た身長が高めのスラッとした松嶋菜々子似の女性教官がいた。


「あっ、はい!轟です、轟 萌歌です!よろしくお願いします」


萌歌が挨拶をすると、女性教官は萌歌を数秒間見たあとに自己紹介をした。


「普通二輪の教官を担当している佐倉奈々未だ、よろしく」


佐倉教官は握手の手を差し出すと、萌歌も握手を交した。


「まずは準備体操からだ」


佐倉教官の体操をお手本にして簡単に準備体操を終えると、早速コースの方へ向かい1台だけ傷とサビが酷いバイクの元へきた。

次の瞬間、萌歌は驚きの光景を目にした。

佐倉教官が無造作にバイクを転倒させたのだ。


「萌歌くん、今からやるのは車体の引き起こしだ。バイクは車と違って転倒と隣り合わせで乗らなければならない、私が1度お手本を見せるからよく見てくれたまえ」


佐倉教官は、倒れた車体の下に右膝を入れて片手を地面側のハンドルのグリップを持ち、もう片方の手をシートの下を持つと体をシートに密着させて一気に車体を持ち上げた。

それを見ていた萌歌は「す、すごっ…」と思わず口がぽかーんと開いてしまった。


「ちゃんと見ていたかい?コツは力で持ち上げるのではなく、体をしっかりバイクに密着させて斜め上前に押し歩くイメージに近いな。ちなみにだがこのバイクは私が引き起こし用で用意したエンジンが壊れたバイクでタンクにはガソリンではなく砂が詰まっていて200kg以上の重量があるぞ」


佐倉教官が最後に言った重量を聞いて、萌歌はそんなに重いの!?って一気に不安に襲われた。

さっき佐倉教官は軽々と持ち上げていたが、あんな細い体のどこに200kg以上の車体を持ち上げる力があるんだろうと思った。


佐倉教官は再び車体を転倒させると、「さぁ、次は萌歌くんの番だ」と言うと萌歌は倒れたバイクの前でしゃがみ込んだ。

萌歌は先ほど佐倉教官のお手本通りに右膝をシートの下に入れ、地面側のハンドルのグリップを左手で持ち、右手でシートの下を持つと体を密着させて車体を一気に持ち上げようとするが全く上がる気配がない。


「え…重すぎっ…」


萌歌は何度も力を入れるが全く持ち上がらない…

佐倉教官は両手を組んで黙って見ていた。

大体の教習所は女性の教習生には手を貸してくれるケースが最近はあるが、佐倉教官はそんな甘いことをするつもりはないと言わんばかりに冷たい視線で見ている。


一方、萌歌の引き起こしの様子を遠くから見ていた愛琉と幸助は使っているバイクで衝撃を受けていた。


「幸助さん?萌歌が引き起こししているバイクって旧車のCBRですよね?……この車校やばすぎないですか…今時スーフォアでしょ普通(笑)」


愛琉が苦笑いしながら言うと、幸助も心配そうにしていた。


「CBR400Kだね…俺が10代の頃の教習車に使ってる車校はあったけど…今では考えられないねぇ、今はスーフォアだよ(笑)、…それにしても、萌歌ちゃんだいぶ引き起こしに苦戦してるな」


幸助と愛琉は未だに車体を持ち上げられずに悪戦苦闘している萌歌を心配しながら見ていた。


なかなか引き起こしが出来ずに5分以上経過したあたりで、黙って見ていた佐倉教官がアドバイスのようなものを言ってきた。


「萌歌くん、君は全然体ごと車体を持ち上げようとしてないんだ。腕だけで持ち上げようとしても絶対に無理だ!ただでさえ君は小柄なんだ、もっと体を密着させて車体を体ごと押すイメージだ」


佐倉教官はクールな男言葉の喋り方なのでキツく聞こえてしまうかもしれないが、萌歌のことをしっかり見てくれている。

萌歌は一旦バイクから離れると深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。


再びバイクのシートの下に右膝を入れて、左手で地面側のハンドルグリップを持ち、右手でシートの下を持つと体をシートに密着させて一気に斜め上に押し歩く感じで力を入れた。

さっきまで持ち上がる気配がなかった車体が少し持ち上がった。


「そうだ!少し上がったぞ!絶対に体をバイクから離すなよ!そこまで持ち上げたら自分自身が立ち上がる感じで一緒に車体も持ち上げるんだ!」


佐倉教官の言葉通りに萌歌は自分自身が立ち上がろうとするが、膝が曲がったところからなかなか車体と一緒に持ち上がらない。


「よし!あともう少しだ!そこからは根性だ!」


佐倉教官にそう言われて、萌歌は自分の力を振り絞って車体を完全に引き起こした。

勢い余って反対側に車体を倒しそうになったが気合いで耐えてすかさずサイドスタンドを立てた。


「はぁ…はぁ…こんな重いんだ」


身長145cmで体重が32kgの萌歌には、引き起こしはかなりキツいところだがどうにか持ち上げることができてホッとした。


「よくやったな、その小柄な体格でたいしたものだ。まだコツを掴めてないから苦戦しているが何度かやってるうちに感覚が掴めるようになるぞ。よし、それでは次は早速バイクの発進だ」


佐倉教官がそう言うと、次はいよいよバイクに乗車して発進の練習に入ることになった。

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