第6話 聖女
ウォルフはやや間を置いてから平静な声色でディアナに問いかける。
「なぜ、君がここに居る」
「それは、同じ事をわたくしがお聞きしたいところですわ」
ディアナはハンカチで汗まみれの父をの額を拭いながらそう返した。ジギスムントは娘とウォルフの間で幾度も視線を行き来させるだけで何も言えず、二人の家来もただ見守っているだけだ。
「俺は兄上の名代としてここに来ている。参加は絶対だ……それよりも、今度は確実に伝えさせた筈だが」
「ええ、手紙はお読みしました」
「なら、どうして」
「今日は父とこちらへ招待されたのです」
ウォルフはその言葉を聞くとジギスムントの方へ一瞥をくれる。ジギスムントはしどろもどろになりながらも、どうにか首だけを動かして肯定した。
息を
「そうなら、そうと言ってくれれば……」
「殿下。そろそろ後ろの方をわたくしにもご紹介頂きたいのですが」
ディアナはウォルフの後ろに二人の騎士とともに控えていた銀髪の女性から目線を外さずにそう言った。その女性はこの場に似合わぬ白の修道服に黒いケープを
ウォルフは一つ咳ばらいを挟んで紹介を始める。
「こちらは、いま王城にて逗留して頂いてるベルナデット聖師母猊下でいらっしゃいます」
ジギスムントなんかはウォルフからの紹介を聞くと今にも膝をついて祈り出そうとするまで感激している様子だが、ディアナはますます目に敵意を募らせるとやや不機嫌そうに組んだ腕を指で叩いていた。
紹介を受けたベルナデットはディアナたちの前に進み出て、丁寧に礼を取ると涼やかな目元を伏せながら口を開いた。
「本日は名誉なことにもウォルフラム殿下にご相伴にあずかるのみならず。こうして、エーゼル侯爵閣下とのお目通りが叶い感激しております」
顔をディアナの方へと向けると言葉を続ける。
「侯爵家のご令嬢のご評判はたびたび私の方へまで聞こえておりました。北の姫君の噂に何ら違う所なきお姿を拝することができて大変光栄でございます。ディアナ様」
その聖職者というよりも貴族的な礼を受けて、ディアナは小さく息を吐いてからベルナデットに同じように貴族的な礼を返した。そのまま、彼女は目をまっすぐと見ながら話し始める。
「かくも名高き聖師母猊下から直接そのようなお言葉を賜ることができて嬉しい限りでございます。わたくしめの不見識ゆえに猊下に対して礼を失する時もあるやもしれませんが、その時はこの未熟者へのお導きをお願いしたく思っております」
ディアナは何かを決めたように一度め閉じてから続けた。
「猊下には一つお聞きしたきことがございます。多忙な身でいらっしゃることは重々承知しておりますが。どうか、お時間をいただきたく」
ディアナがそう口にするのを聞いてジギスムントもウォルフも慌てた様子だ。
ウォルフはその言葉を聞くや否や顔色を赤や青へと変えていた。
彼がディアナの方に駆け寄って何事かを言おうとするのを制したベルナデットは控えていた騎士に目配せしてから答える。
「未だ修道の半ばへをも至らぬ身ではありますが、私にできることであれば……すぐに部屋を一つ貸して頂けるようお願いするので、そちらにて」
ベルナデットはそういうと女主人に話を通して客間の一つを貸してもらうと、ディアナとともに案内を受けた。案内人は二人のただならぬ様子に恐縮しっぱなしだ。
ウォルフは何か言いたげであったが、ディアナから「また、後ほどに」と告げられてからは黙って二人たちを見送った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
部屋の表に一人を立たせもう一人の騎士に何かを言い付けるとベルナデットはディアナに着席を促す。
案内されたのは屋敷の主がいつも商談に使っている客間らしく、上等ではあるが決して嫌味を感じさせない調度品の数々で飾られている。二人は騎士も侍女も下がらせてから向かい合って席に着いた。
「人払いをさせておきますので、この場では儀礼や作法についてはあまり気にし過ぎないで下さい」
ベルナデットはつい先ほど淹れてもらった茶に一度口をつけてから言う。
「それでは、いかなる御用でしょうか。神についての問答ではないのでしょう」
「恐れ入ります。猊下……いえ、聖女様はいかなる目的をもって殿下にお近づきになられているのか。それをお聞きしたく」
その言葉を聞いてベルナデットは目を細めた。
「目的ですか。恐らくは、あなた方と変わりないかと」
「それは、いったい──」
「王家の人間に貸しを作っておく。下らぬ風評が飛び交うことになりましょうが、それを差し引いても余りあるものです」
彼女はカップの中身をスプーンでかき回している。
「でも、あなたが知りたいのはそういう事じゃない……王城の住民たちの昨今の慌しさ、王太子夫妻の隠棲、第二王子の隠し事、私という城の
ディアナからはカップに隠れたベルナデットの口元がよく見えなかったが、クスリと笑っているように見えた。
「そういうことでしょう……でも、まぁ。ご安心を。我々には侯爵家と席争いをする気は全くありませんから。それに、私としても何処かの誰かのように修道の誓いを捨てるつもりもありませんし」
「……」
「私の口からすべてを話すことは叶いませんが、少なくとも教会は両家のご婚姻に祝福申し上げるとだけ言っておきます」
ベルナデットは目の前の少女の様子を興味深げに眺めながら続ける。
「どうでしょうか。これで、この件についてはご納得頂けませんか……まあ、侯爵家はともかく。あなたはそう簡単には納得しかねる所でしょうが」
「……わたくしはこれまで努力してきたつもりでした。でも、最近はなんだか少し自信が持てなくって」
ディアナはらしくないと思いながらも弱音を吐いてしまう。その声は叱られた子供のようで、目線を彷徨わせながら一つ二つと口に出していた。
家のこと。昔のこと。己のこと。
国のこと。今のこと。彼のこと。
大切な友人でずっと一緒に居た侍女にだって言ったことのない事まで話してしまっている。しかし、一度口から出た言葉は飲み込めない。
ベルナデットはそれに小さく頷きと同意を加えながら聞いていた。彼女は聖職者としての本分を果たし終えてると、ゆっくり話しはじめる。
「あの帝国人ではないのですが、あなたは猪みたいなお人ね……これは、決して皮肉ではなく。あなたは何があっても前へ進める、そんな強い人。でも、今は進むべき道を見失ってしまっている」
「道ですか」
「ええ道です。でも、道などいくら間違えても良いのです。どこに行くべきかさえ分かっていればね。ディアナ様、あなたはどこへ行きたいのですか。」
「わたくしは──」
ベルナデットは彼女を手で制した。
「まだ、言わないで。力強く前へ進めるのはあなたの美点でしょうが、時には立ち止まって考えることも必要です。それは、ゆっくりと言葉に変えてください」
「……ありがとうございます。聖女様」
「いえいえ。それと、聖女やら猊下なんて言わず。ベルと、お呼びください。私には名前で呼んでくれる人が少ないので。最近は寂しいんです」
ベルナデットはわざとらしく笑って見せると、居住まいを崩してカップに残っていた茶を一気に飲み干す。
「では、お言葉に甘えさせてもらって。ベル様と」
「ふふ。では、これはベルナデットとしての言葉なのですが。わたしも
そう言い残すと、ベルナデットは一度透き通るような銀色の髪をかき上げてから身なりを整え、ディアナに断って席を立って出ていく。控えていた騎士に二三告げ、最後にもう一度振り返って手を振り、扉の向こうに消えていった。
扉の奥にある会場の方ではいまだ喧騒が尽きず、宴もたけなわに王都の夜を賑わせているようだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
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