第7話 言葉の形
騒がしい宴の喧騒から離れる人物が一人。
黒髪の男は心底見下げるような目つきを庭園の馬鹿騒ぎに向けながら、壁のそばをなぞるように歩いている。灯りもここまでは届かない。
彼が月明りを頼りに歩いていると、悪趣味に感じられる騎士の像の陰に誰かがいることに気づいた。「誰か」と問う前に小柄な人影が口を開いた。
「お待ちしておりました。特使閣下」
「あいにく灯りが無くてね、失礼でなければ先にご紹介頂けると助かる」
「これは大変失礼いたしました。わたしはロートホルン家にてディアナ様の侍女を務めさせて頂いている、リーゼロッテ・モントラーベと申します」
特使は小さく頭を下げて礼を返す。
「……それで。こちらからも挨拶が必要かな」
「いえ。閣下のことはよく存じ上げておりますので」
「そうか。なら、そろそろ用を聞こうか」
リズは肩から下げていた鞄に手に入れ、中から束になっている手紙を取り出した。彼女は歩いて特使に近付き、それを彼に差し出す。手紙の封は破られておらず、外からは書かれている宛名が分かるだけだった。
「こちらが誤って当家に届けられていたようでしたので」
特使は手紙を受け取ると、月明りを頼りにそこにある封蝋が自分のものであることを確認する。四つの手紙のうち三つが特使が送ったものであり、残りの一つは汚い字で宛名に彼の名が書かれていた。
特使は見せないように息を吐く。手紙を懐にしまいながら、彼は暗がりでこちらをじっと見ている小柄な少女に声をかけた。
「確かに、これらは私が書き送ったもので間違いない。何かの手違いでそちらに届いてしまったのだろう」
「そうでしたか。うっかりと封を破ってしまう前に気付け、幸いでした」
「ああ、それとだ。モントラーベ嬢。この一枚。書かれている差出人の名前に、心当たりもないし。宛名の綴りも誤っている。悪いが、そちらで処分してもらいたい」
リズは特使から粗紙が使われている手紙を受け取って聞き返す。
「よろしいので」
「そういう類の手紙は日に何十通と来るのでね。それに、私もそれらすべてに目を通すほど暇じゃない」
特使は辟易とした顔を作って見せ、わざとらしくため息をついた。懐に手を入れ、リズの方に歩み寄る。
「ところでだ。本当に手紙の内容を読んでいないのかを聞きたいのだが」
「それは、わたしの言葉を信用してもらう他にありません」
「信用ね、──」
あと数歩で伸ばした手の届く距離に至ろうとするとき。
馬車の繋ぎ場の方から「お二方、いかが致しました」とよく響く声が届いた。
外套を纏い、手に持った携帯ランプの灯りが照って常よりも目立って見える赤毛の騎士が小走りでやってくる。特使は目の前の騎士がランプを持っていない方の手で、隠すように外套の下で剣の柄を握っているのを認める。
特使は肩をすくめて少し離れる。
「いや、問題ない。見回りご苦労……君は、王子殿下の従者だったかな。殿下に宜しく伝えといてくれ」
そういうと会場の出口の方へと去っていった特使を見送ると、リズは少しバツの悪そうにしているロイの方に向き直った。
「誰に似たのか、心配性ですね」
「え、えと。あのぉ」
リズはごまついているロイから強引にランプを受け取ると、先導するように出口とは反対側に歩き始める。ロイも慌てて付いてきた。
「会場に姿が見えませんでしたが」
「王子には、聖女サマの騎士が付くようなので。俺は馬車の方に」
「なるほど。その聖女様は、お嬢様と会っていらっしゃていましたが」
「はあ」
「……馬車の方へは戻らなくてもいいの」
「人に少し任せてきたので」
会場の喧騒が判別できる声として耳に届くか届かないか位の場所に至って、ロイは急に立ち止まった。ずっと剣の柄は握ったままであるし、顔も赤い。
「き、今日のドレスは、いや。今日も、リズさんはお奇麗です。その緑色のドレスもよくお似合いで。なんか、俺」
「ロイ様も、素敵でしたよ。まるでお話の騎士みたいで」
「いえいえ、そんな──」
ロイの言葉をかき消すような歓声が聞こえてくる。二人は自然と主人たちがいるだろう所に目を向けた。
恐らくそこでは、二人の不器用な主たちが事を決しようとしているのだろう。
数年間の、数か月の、一週間の二人の時間の。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「お待たせ致しましたわ、殿下」
ディアナはペンや測量器などの帝国からの産物を眺めていたウォルフに声をかけると、手に持っていたグラスの一つを渡した。
二人は常の決まり通りに神と王への文言を唱えた後で、互いのグラスをあてて乾杯をする。
「殿下。本日はあなたにお聞きしたいことがありまして」
「そうか……いや、待ってくれ。私の方でも、君に言っておかなくてはならんことがあってな。どうする」
ディアナは息を一つ置いてから答えた。
「殿下からどうぞ。私の方は、その。少し時間がかかりそうなので」
「前もって断るが。やはり、何もかも話すという訳にはいかん。それでもいいか」
「承知しております」
ウォルフは懐からペンダントを取り出すと、それを温かみを感じさせる瞳を向けている。金の金具に収められた碧水晶を優しく撫でた。
「思えば言ったこともなかったが。これはな兄上からの贈り物なんだ。」
彼は自分の首にペンダントをかけて見せた。
ディアナの目から見てそれは決して飛び抜けて高価な品には見えない。もちろん、宝飾品としての価値はそれなり以上のものであろうが、一国の王子それも何時かの国王と目されるような立場の人物が身に着けるにはやや違和感があるものだ。
「十年以上前だ。俺が珍しく風邪をこじらせてな。それも、教会の癒しの奇跡も効かん類のものだ。そんなときに兄上は病の平癒を願って、これを下さった」
ウォルフはペンダントを右手で握りしめると心臓の在るあたりによせる。
「兄上はな義姉上と一緒に俺の手を握っていて下さったんだ。温かかったよ。俺は感じるんだ。これを手にする度に、あの時の温かさを。それ以来、戦場でも何処でも俺はペンダントに救われてきたように感じたんだ」
「殿下、それをわたくしに──」
ウォルフは手でもう少しだけディアナに言葉を待ってもらった。
「いや。本当はな、これも俺が言わねばならなかったことなんだ。でも言わなかった。違う、言えなかったんだ。ずっと怖かったんだ……俺はずっと未熟で子供だったから。責任すら取れない子供だ」
彼は手に今一度力を込めた後で、ディアナの方へと向き直る。その目にはいつも以上に強い意志が感じられ、同時に揺れても見えた。
「ディアナ。俺は、自分が王になると思っていないし、なろうとも思わない。侯爵家にとっては約束違いかもしれん」
ディアナにはその言葉から彼の怯えをを感じる。
「それに、君にとっても。きっと強いられた努力を台無しにされたと感じるかもしれんが。でもだ、それでも。俺が君の婚約者でいいのなら、これを」
そう言いながらウォルフは改めてペンダントをディアナの前に差し出した。
ディアナはペンダントごと彼の手を凍えた身体を温めるように両手で包む。目を合わせながら、彼の手の震えが収まるのを待ってからディアナは口を開いた
「何で王都に残っているのか、考えていたんです。家のためじゃない、王妃になるためでもないんです。あなたと居たいから、なんです」
「ディアナ」
「あなたと居たいから、王妃にだってなってやる気だったのです。ウォルフ、あなたはどうなの。あなたも……」
ウォルフは深呼吸を一つする。
「俺は、初めてペンダントを渡した時から変わらないつもりだ。相応しいとか、相応しくないじゃなく、君に俺と一緒に居て欲しいんだ………君のことが、好きだから。いつからか、何でだったか君が愛おしいから。誓わさせてくれ、ディアナ」
「はい、殿下。心からの愛と敬意をあなたに」
ウォルフはディアナの首にペンダントをかけ、跪いて彼女の手の甲に口づけする。
「我が神と王の名に懸けて、俺は全身全霊をかけてあなたへの愛を捧げ、生涯にわたって君のすべてに敬意を表することを誓う」
どっと会場がわく。今の今までは固唾を飲んで見守っていた聴衆もついに抑え気なくなって、次々と歓声を上げた。
ある人は涙ぐみ、
ある人は祝福を上げ、
ある人は踊り、
ある人は賭けの勝利を喜び、
ある人は触発されたか隣の誰かに愛を告げる。
それぞれが各々の形で喜びを表現して、王都の夜をますます騒がしいものにするのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
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