第5話 夜会にて

 夜の王都で爛々と明かりを絶やさない場所の一つに一台の馬車が乗り入れた。

 中からはくすんだ茶髪を横に流してたジギスムントを先頭に四人が出てくる。この日のために仕立てられた白と朱色のドレスに袖を通したディアナは父のエスコートを受けながら、案内を経て会場の方まで通された。


 「エーゼル侯爵閣下とそのご息女並びにお連れの方々がいらっしゃいました」と声が響き、珍しい人物の名に周囲の視線が集まる。

 何か月ぶりかの社交界の空気に耐えられなくなったのか、ジギスムントは無理やり連れてきた従者の背に隠れるとそのまま会場の隅に行ってしまう。


 ディアナは「後ほど」と言って父の背を見送ると、侍女とともに案内人に連れられて女主人の所にまで向かうことになった。


「これは珍しい」

古狐ふるぎつね殿でなく、エーゼルの閣下がいらっしゃるとは」

「どういった風の吹き回しでしょうね」


 会の話題が父のことで独占されている中でディアナは会場を見渡す。大小も形も様々な照明器具で明るくされた庭園には帝国からの輸入品やさらに遠方からの舶来品と思しき品々が用意されていた。

 

 ある婦人は色鮮やかな尾羽をもった籠の鳥で目を楽しませ、ある紳士は蜂蜜酒ミード葡萄酒ワインなどの用意された多種多様な酒を飲み比べている。

 まだ、夕食も配られる前だというのにカード遊びに興じている気の早い男たちもいれば、その後ろで二人の夫人であろう女性たちは噂話に余念がない。


 一通りあたりを見渡していると、恰幅のよい金髪の女主人がいるテラスにまで通されたいた。ディアナは彼女に軽く頭を下げ礼をする。


「お招きいただきありがとうございます。今は居りませんが、父の分も含めてここにご挨拶させていただきます」

「どうもご丁寧に、こちらこそ侯爵閣下とそのお家族にご足労頂き光栄の極みです」


 婦人は顔を寄せて他人には聞かれないように話しかけてくる。


「実は今夜も閣下は来られぬのだと悲観しておりましたの。彼の方はこのような場には中々来て下されぬようなので……それにディアナ様もてっきり王子殿下といらっしゃると考えていたのですが」


 ディアナの胸元にちらりと目をやってから続けた。


「いや、これは方々から聞こえ来る噂に過ぎないのですが。お二人の間に何事かがあったとか、無かったとか……お時間があれば、家の愚息を紹介していとも考えているので──」

「申し訳ありません。父とともに挨拶に伺わなければならない方々がいますので」

「これは失礼いたしました。では、また後ほど」


 ディアナは女主人のもとを離れると恐らくジギスムントがいるであろう人だかりに歩みを進める。彼の姿は見えないものの、人だかりより一つ高いところに彼の従者の頭が見えたからだ。


 従者の鋭い眼光が輝くたびに人の波は寄せては返すを繰り返していたが、まったく意に返さないで近づいてくる男が一人。その人物に、ディアナはついさっき聞いた案内人の「皇帝特使閣下がいらっしゃいました」との声を思い出した。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 


 黒い長髪を後ろで結っている特使は侯爵家の忠実な下僕を無視してジギスムントに近づく。見下すような目であたりを見渡して侯爵とその娘の姿を確認すると、大げさに礼を取ってから腕を広げ声を上げる。


「これこれは、珍しい方がいらっしゃるじゃないか。まだ暮れにはいささか時期が早いじゃありませんか、侯爵……いや捕鳥官殿」


 特使は給仕から受け取った酒で喉を潤してから続けた。


「いや、なに。貴殿を目にするのは年の暮れの祭事の時くらいかと勝手に追い込んでいたもので。いつもなら屋敷と田舎に引っ込んでいるでしょう。どうしたんですか」


 従者は特使とジギスムントの間に立って射殺さんばかりの目で睨みつけるも、やはりそれを気にも留めていない様子だった。ジギスムントは従者の背に隠れているままでいるため、この口撃は壁を相手にするかのように続いていく。


「挨拶ぐらい返したらどうですか。こっちがわざわざあなた方の作法に合わせてやっているんだから、貴殿にも相応の礼を尽くして頂きたいものです……それとも、なんですか。貴殿は言葉にも不自由するのですか」

 

 ディアナは人波を縫ってジギスムントの方まで近寄って小声で告げる。

 

「父様。無理を言って申し訳ありませんでした……すぐに、ここから出ましょう」


 その言葉にジギスムントは首をただ横に振って、手に持っていたグラスから酒を一気に飲み干すと震えながら口を開いた。


「い、いや。お……王子が。ま、だ」

「震えているじゃありませんか、それはよいのです」


 ディアナが帰りを促そうにも、まったく動こうとしない。それどころか、ジギスムントは手で黙っているように示した。

 当主を飛び越えて言を発する訳にもいかず、ディアナも従者もただ黙って睨みつけるしかなかった。反応の乏しさにいささか興が削がれたのか、特使は手法を変える。


「おお、そう言えばあなたのお嬢さんのこと聞きましたよ。どうやら、王子に愛想つかされたとか」

 

 案内人が王子の到着を告げた。


「そうか、今日は男に縋り付きにいらっしゃたんだ……あぁあ、見苦しい。田舎者の猪おん──」

「閣下。それは言葉が過ぎます」


 いつもは垂らしている亜麻色の髪を後ろに撫でつけているウォルフは感情を感じさせずにそう言った。二つの声がした気がしたが一方の声は小さすぎてかき消されてしまったようだ。特使は振り返って後ろを見ると、自分の肩越しに言葉を返す。


「ああ、王子殿下じゃないですか。お構いなく、挨拶も返してくれない人間にご高説を垂れているだけですので」

「そういう訳にはいきません。ロートホルンの名は我が王国にてその武と忠勇について語られておりますれば、主を同じくする同輩として誤りは正さねばなりません」

「それは何とも無骨なもので」

「閣下に置かれましても。かの地の駿馬と勇士たちを戦場にてご覧になったことがございましょう。」


 ウォルフは軽く咳払いをして続ける。


「そ、それにの家のご令嬢については。その、器量にしても礼儀作法においても言うこともなく。そもそも、他人がとやかく言うことでは……」

 

 特使は体をウォルフのほうに向き直し、大きくため息をついた。


「誤りを正すのなら。あの無礼者じゃないんですかね」

「我が国において、武人は言葉を無駄に弄するものではないので」

「……我々は、友人になれると考えていたのですが」

「互いの敬意があれば、今からとて遅くはないかと」


 特使はそれ以上は何も言わずその場から離れていく。

 ウォルフは割れる人波の中を歩きながら従者の影に隠れているであろう人物に語りかけた。


「侯爵、臣下と君主の名声というものは互いに不可分なもので──」


 そこにいるのがジギスムントだけじゃないと気づいた途端いつもの小言がやむ。

 ウォルフはそこに居るだなんて想像にもしていなかったディアナの姿を認めると、みるみる顔を赤く染めていった。


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