第4話 手紙

 雌鶏が朝の訪れを告げている中で、ディアナは寝惚け眼をこすりながらベッドから這い出る。彼女は東向きの窓にかかっているカーテンを両手で勢いよく開けて、倒れこむように身を椅子に預けた。 

 窓から差し込む朝日を浴び、町中に響いている鐘の音を聞きながら侍女が部屋に来るのを待っている。


 軽快な足音がとともにベルを振り鳴らす音が屋敷を一周したのちに、扉をノックする音が響いた。ディアナがそれに「どうぞ」と答えると、リズが朝食を載せた台車を押しながら部屋に入ってくる。


「お嬢様。朝食をお持ち致しました」

「ありがとう、リズ」


 リズが円テーブルに豚の香草焼きに目玉焼き、パンとバターが載った皿を並べるのを見て、ディアナは胸元まで伸びた自分の明るい茶髪を櫛で梳かしながら尋ねた。

 

「この香草焼きはどこのものを使ったのかしら」

「エーゼル領から取り寄せたものです」

「やっぱりね。香りが違うもの」


 カップに紅茶を淹れて朝食の準備を終えると、リズは手紙の束を持って口を開く。


「お嬢様宛てに、手紙が何通か届いておりますがいかがいたしましょうか」

「ああ、そうね。返事を考えるから。今、読み上げてもらえる」


 ディアナは朝食を口にしながら読み上げさせた手紙の内容に耳を傾けた。

 一通目は、御用聞きからの新商品の売り込み。


「あなたの方で、適当に返事をしておいて」


 二通目は、母親から近況を尋ねられたもの。


「……これは、こっちで書いておくわ」


 リズが三通目を読み上げ始めた。


「んん。

 『ディアナ様へ 

  この所、段々と寒さが増してきておりますが。

  貴方様へおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

  こちらは、父王陛下と王太子殿下、私には過ぎた──」


 ディアナはリズから三通目の手紙を半ば奪うようにして受け取り、差出人の名前を確認する。そこには、第二王子ウォルフラムの名と王家の印章があった。

 彼女は急いで手紙に目を通すと、挨拶と己の近況報告から始まる文章がウォルフらしい几帳面な字で綴られている。


 神と王への忠誠が形式的に述べられた後に、昨日の茶の席に長居できなくなったこと事とその連絡の不備にてついての改めての謝罪がディアナに対してなされていた。彼らしく、詩的な例えなど洒落た表現を一つも含まない文だ。

 ディアナがさらに読み進めていたところで、リズから声がかかった。


「いったい、いかがなされましたか。お嬢様」

「いえ、ごめんなさい。その……て、手紙が、殿下からのだったから……」

「そうでしたか」


 続く文章には、ウォルフが数年前に西方での戦役から戻って以来よく口にするようになったコーヒーについて事細かく書かれている。その偏執ぶりを伺わせる文に少し呆れながらも、ディアナは侍女の手前であるので頬のゆるみを努めて抑えた。


 しばらくは上機嫌に読み進めていたものの、途中から段々とディアナの視線が険しくなっていく。ウォルフからの言葉にはディアナへの小言が増えていき、二枚目には初めから半ばまでが『王城における言葉選びの注意』から始まって『貴族にとっての風聞への対処』を含む小言で埋め尽くされていたからだ。

 先ほどまでは不器用さの表れとして少し微笑ましく思えた文も、今では命令書や行政文書のように思えてくる。


 そして、手紙は『今度の夜会には出席する必要がない』という内容と締めの言葉で終わっていた。ディアナはゆらゆらと手紙から顔を上げるとリズに問いかける。

 

「夜会、主賓は誰だったかしら」

「王子殿下と帝国からの皇帝特使でございます」

「主催は」

「王都のる商会の長であったかと」

「殿下の相手役に足る人間は誰がいるかしら」

「お嬢様……に付け加えるのでしたら。いま城に戻っておられる王女殿下か、あるいは件の聖女……聖師母猊下せいしぼげいかあたりが適当であるように思われます」


 ディアナは『聖女』の言葉を聞いて眉をひそめた。王城の秘め事に彼女が何らかの形で関わっていると噂になっているからだ。


「……父様の今日のご予定は」

「朝の会食後は屋敷にて余暇を過ごされると聞いております」


 ディアナは食堂の方で使用人たちが慌ただしく会食の準備を始めている物音を聞きながら、冷めてしまった紅茶を口にする。彼女はリズに自分の髪を梳かさせながら、手紙にもう一度目を通すことにした。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

 

「はあぁ」

 

 くすんだ茶髪の小柄な男がどこか遠い目をしながら、庭園の片隅に植えられた野菜を眺めていた。驚くほど覇気のないこの男はもうすぐ収穫を迎える野菜たちをただずっと見ている。

 何をするでもなく、ため息をついたと思えば首からかけているロケットペンダントを手に取り、泣きつくかのようにそれに頬を寄せた。


 ここが侯爵家の私的な庭園でなければ、彼のすぐ傍に熊のように大きな従者が控えていなければ、その手に駿馬の紋章が入った手袋が握られていなければ、白シャツにさえ着せられているこの男がエーゼル侯ジギスムント・ロートホルンだとは誰も思わないだろう。


「帰りたい」

「年の暮れまでです。辛抱ください、父様」


 ディアナはジギスムントがいるテラスに寄ると、そう声をかけた。ジギスムントが娘に仕草で席を勧めたため、彼女は静かに椅子に腰を下ろす。


「そんなことは分かっているんだよ。私だってね。でもね、こう。毎日毎日、高貴なる方々の相手をしてるんじゃ、嫌になっちゃうんだよ──」


 いつまでも愚痴を続けそうな父親を制するように、ディアナは本題を切り出した。


「二日後の夜会のことですが」

「ああ、商会の所のだね。気を付けて行ってらっしゃい」

「父様にわたくしの相手役をお願いしたいのです」


 その言葉を聞くとジギスムントは明らかに身を固くさせ、探るように尋ねる。


「確か。ウォルフラム殿下と行くんじゃなかった」

「事情がありまして」

「じ、事情」

「ペンダントを返してしまいました」


 それを聞いて彼は青くなりながら続けた。


「じゃ、じゃあ。いっそのこと行くのを辞めるってのはどうだい。あの会に集まっているのは帝国びいきの人ばかりなんだし」

「そう言う訳にも参りません。殿下とお話したいことがあるので」

「なにも、そんなに急がなくても。今度じゃ駄目なのかい」


 ディアナは居住まいを正して頭を下げる。

 

「お願いいたします。父様」


 ジギスムントはどうにかして顔を上げさせようとする。しかし、自分に似ないで頑固で意志の強い娘はこうなったらどうすることもできないと知っていたため、諦めて大きくため息をついた。



 彼は夜会への同行を約束すると一度娘を部屋に戻らせる。

 突発的に夜会のことを反故にしようとして、数歩進んでは諦めてテラスに戻る動作を繰り返すこと五回。やっと決心がついたのか、ジギスムントは残された時間を日光に照らされた野菜たち目に焼き付けることに費やしたのだった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

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