第30話 本当の自分
「お待たせしました。ブルーカルピスとソーダがお一つずつです」
「ありがとうございます」
購入したドリンクを受け取って、そのままテラスに行く。
すると、フェンスを挟んで浜辺に面したベンチの一つに、晴海がぼんやりと座っていた。
「ほい、飲み物」
「あっ、ありがと」
片方を渡して、彼女の隣に腰を下ろす。
しばらく沈黙して……唐突にパッと晴海が笑顔を浮かべる。
「やー、ごめんね? せっかくのデートだったのに、変なことに巻き込んじゃって。まさかこんなところで会うとは思わなかったな」
……くすんだ笑顔だ。いつもと全然違う。
「無理しなくていいぞ」
「……あはは。流石にわざとらしすぎた?」
「まあな」
そう言うと、途端に晴海は表情を暗いものへと変えてしまった。
「…ほんとごめん。こんな事になるなんて思わなかった」
「あんなの誰も予想できないから、気にすんなよ。それに、ああいう奴らの撃退は慣れてるんだ」
他人の不幸で笑う人種はどこにでもいるもんで、中学まで何度戦ったか。
その度に二度と同じことが起こるなって祈ってるんだけど。もう少し運の振り分けなんとかなりませんか運命の女神様。
「あたしも慣れてたつもりなんだけどなぁ。普段の学校での陰口はスルーできたのに、あの二人は流せなかったよ」
「……気づいてたのか」
晴海陽奈という太陽のような女の子の近くに生まれる、暗い陰。
そりゃあ俺がわかるんだ、本人が勘付かないはずがない。
「話したくないなら、何も聞かないぞ」
「んー、まあ、高峯には少しだけ話しちゃってるしね。むしろ変に誤解されたくないから、説明しておきたいかも」
「誤解なんてしないのに」
「それでもだよ。……聞いてくれる?」
これは、一回吐き出して気持ちをリセットしたいのか?
嫌なことを一人で抱え込む性格というのは薄々感じていたので、不謹慎だが少し嬉しかった。
「わかった」
「ありがとね……すぅ、はぁ」
一旦深呼吸をして、それから晴海が話し始めた。
「あの二人はさ、中学の時に入ってたグループのメンバーだったの。女子の方がリーダーで、男子はあたしと同じいつメンの一員って感じだったかな」
…奴らのことはよく知らないが、窮屈そうなグループだ。
「最初は楽しかったんだけどね。リョウスケがあたしにノリで付き合お〜的なこと言ってきて、それを断ったら全部変わっちゃった」
「待て。あいつが原因だったのか?」
「うん」
予想外の事実発覚に驚く。
晴海のトラウマにまつわる話だというのはわかってたが、よりによって大元かよ。
「で、次の日からあたしとヤッたとか何とか、根も葉もないこと吹聴し始めてさ」
「いや、最低すぎるだろ……」
「それを聞いた男子が何人か言い寄ってきて、一人がナナミの好きだった相手でね」
それが気に入らなかったらしいあの女は、クラスのリーダー的な存在だった自分の立ち位置を利用して晴海を追い込んだらしい。
それも、前々から邪魔に思っていたかのようにあれこれと悪評をばらまいたとか。
後は以前にも聞いた通り、大門先輩に出会うまでその状況が続いてしまったそうだ。
「でも、あの二人が言ってたようなことは何もないから」
「まあ、時々初心な反応するしな」
「むー、そうだけど」
少し冗談を挟むと、晴海は頬を膨らませる暗いの余裕は戻ってきたようだった。
初デートの時の反応を思うと、流石にそこを疑ったりはしない。
「よく人間恐怖症にならなかったな」
「けっこーギリギリだった。代わりに妹が極度の男嫌いになっちゃってさ」
「え、?」
「うん。今はツンツンしてるけど、あたしのこと大好きな子だから」
晴海にはいい妹さんがいるようだ。
「あのチャラ男も最低だが、女の方はもっとやべえな。完全な嫉妬じゃねえか」
「女子って案外そういうものだって。空気読めなきゃすぐにハブられるし」
こええよ女子社会。ドロッドロだな。
というか、全ての発端の男と性悪なボス猿女が付き合ってるってどんな悪い冗談だ?
何とも胸糞悪い気分でいると、晴海は弱々しく目を伏せる。
「さっきのは多分、あたしが楽しそうだったから邪魔してやろうって考えたんだと思う。昔から仲良いカップルに茶々入れてたし」
「…そっか」
ふと疑問が湧いた。
前々から少し気になっていたが、どうして晴海はそんな苦い経験をしてまで人と関わることを大事にするのだろう?
「……なあ、その。晴海にとって、人と接するってどういうことなんだ?」
「気になっちゃうよね。こういうことも起こるのにどうして、って」
苦笑した晴海は、少し沈黙してから静かに言った。
「ちょっと長くなるけど、いい?」
「もちろんだ」
「ありがと。……大した理由じゃないんだけどね」
そう前置きをしてから、どこか遠くを見るような目で語り始めた。
「あたし、小さい頃は引っ込み思案だったの。幼稚園とか、本当にちっちゃい頃だけど」
「え? 晴海が?」
「そ。内気で、周りの子とどうやって付き合えばいいのかよくわかんなくてさ。一人でじっとしてるような子だったよ」
驚きだ。今の晴海の様子からはとても考えられない。
「その頃、両親がすごい忙しくしててね。あんまり構ってもらえなくてすごく寂しかった。妹も小さくて、お母さんはそっちのお世話もしてたし」
「いつも一人だった、ってことか?」
「うん。でも仕事と育児で大変そうだったし、邪魔しちゃいけないって子供心に思って。代わりに勇気を出して、幼稚園の子に話しかけてみたの」
なるほど。家庭の中で感じていた寂しさを、別の環境に求めたのか。
そこで癇癪を起こさなかったのは内気だったからか、それとも昔からまっすぐな性格だったからなのか。
「そしたら、みんな笑顔で応えてくれた。たくさん話をしてくれて、遊んでくれて……これまで怖がってたのが嘘みたいに、楽しかった」
「あ……」
また、あの顔だ。
初デートの時にも見た、自分の大事なものを抱きしめるみたいな顔。
「あの時、まるで初めて世界を見たみたいだったんだ。灰色だった視界に色がついたようで、心の底から感動した」
本心を吐露する時に自然と浮かべるのだろう活き活きとした顔に、俺は見惚れた。
「あの感動が、あたしに人といる喜びを教えてくれたんだ。自分の世界を広げる最高の方法なんだって、そう確信した」
だから彼女は、人と接することをあんなにも大切にしているのか。
「だからあたしは人といるのが好き。あの時みんながくれたものを大事に、誰かに同じものを返したいって、そういう思いで生きてきた」
俺が小百合を追いかけ、できることを増やしていったように、彼女は人と関わることで多くを学んだんだろう。
強い感受性。それが晴海陽奈の太陽みたいな存在感の根源にあるものだったんだ。
「…だから、本気で告白してきた相手にはちゃんと誠実に返事をするのか?」
思わずそう口走ると、驚いた顔で見られた。
「……見てたの?」
「ごめん。前に偶然、一回だけ」
「……ううん。いつかは見られると思ってたし。でも、そう。誰かがあたしに向けてくる思いが真剣なものなら、ちゃんと返したいって思ってる」
「いいな、そういうの」
「あはは。けど、ずっと上手くはいかないよね」
「……あいつらか」
こくりと頷く晴海。
純粋なほど真っ直ぐなその思いは、しかし良いものばかりを引き寄せるわけじゃなかった。無邪気に眩しいものを追いかけていたこいつのことを、無慈悲な悪意が邪魔したのだ。
「あれから色々あって、上手く周りと付き合えるようになった。でも……やっぱりナナミ達のことはどうしても駄目だな。今でもときどき夢に見るもん」
浜辺に視線を流し、彼女は呟く。
「その夢を見るたびに、自分を否定される気持ちになるんだ。こんなあたしを本当の意味じゃ誰も好きにならないって、そう言われてるみたいで」
「晴海……」
儚く、普段の明るさなんて欠片も感じない表情で、晴海は微笑んだ。
「誰かといるのが好きなのって、そんなに悪いこと? 自分の思い通りにならなかったら、こんなあたしでいちゃいけないの?」
まるでこれまで溜め込んだものを吐き出すように、冷たい声で言い続ける姿は痛々しくて。
「──だから、先輩にフられた時はすごいショックだった。否定されても頑張ってきたのに、結局一番憧れてた人には受け入れられなかった、って」
何か言葉をかけようとした時、その言葉にハッとする。
彼女の儚げな表情は……小百合にフられた日の夜に鏡で見た、俺の顔とよく似ていた。
「やっぱり駄目なのかな。こういうあたしって」
「っ、そんなことはない!」
そう思った時、俺は声を張り上げていた。
驚いて振り向いた晴海や周囲の人に、慌てて声量を落としてから言葉を重ねる。
「確かに大門先輩にはフられたけど、晴海のそういう性格が嫌だからって断られたわけじゃないだろ?」
「……それはそうだけど」
こいつの気持ちはわかる。俺も小百合に断られた時は、自分が全否定されたように思えた。
でも、違う。
「ふぅ……」
一度深呼吸をして、自分を落ち着かせる。
それからゆっくりとした口調で、晴海に語りかけた。
「いいか。俺の主観になるけど、晴海が好きな奴はいる。たとえば、いつも一緒にいるあの三人。あいつらは晴海の性格が嫌いって言ったことあるか?」
「……ない。三人とも、こんなあたしと友達になってくれた」
「そうだろ。じゃあ、さっき言ってた妹さんは? 傷ついた晴海の為に怒ってくれたんだろ?」
「うん。すっごく、怒る気もなくしちゃってたあたしの分まで怒ってた」
確信を強め、俺はひとりで頷く。
誰しもに好かれることは不可能だ。時には一番好きな人に好かれることだって。
けど、それが全部じゃない。物事に裏があるなら、必ず表も存在する。一回で何もかもが決まるわけじゃないんだ。
「でもさ、やっぱりあたしがもう少し上手く立ち回れてたら違ったかもしれないじゃん」
「じゃあ聞くけど、あんな連中と晴海はずっと仲良くしたかったのか?」
少し逡巡してから、晴海はきっぱりと首を横に振った。
「いいか、晴海。所詮誰かの見てる自分なんてものは、そいつが勝手に都合よく当てはめたもんだ」
「……相手の都合のいい、あたし?」
「そう。人と一緒にいる上でそれが大事なのは、俺もわかる。けど晴海は、あいつらが言ってたような理由で人と接してるわけじゃないだろ?」
「うん。あたしはチヤホヤされたくて誰かといるんじゃない。それが純粋に好きだからだよ」
少しだけ力の戻った眼差しで、晴海は答えてくれる。
「だったらそれでいい。あんな赤の他人の言葉なんて何の意味もない。晴海のありたい晴海でいいんだ」
まだ俺は、晴海の多くを知らない。
でも、晴海は俺のこの生き方を肯定してくれた。小百合にフられてから自分を疑問視し始めて、それでもこのままでいられるのは、こいつの言葉があってこそだ
なのに晴海自身があんな連中や、先輩に受け入れられなかったことで自分を見失うなんて間違ってる。
「……高峯は? こういうあたしのこと、好き?」
「俺は……」
弱々しく求められた質問に、いつもの羞恥心が鎌首をもたげる。
でも今だけはむんずと押し戻して本心のままに答えた。
「……ああ、好きだ。これが恋なのかはわからないけど、一人の人間としてすごく好感を持ってる」
「……そっか。高峯は、そう言ってくれるんだ」
「一応、彼氏だしな」
少し残った照れ臭さがそんなことを言わせて、けれど俺は表情を引き締めると続ける。
「断言する。晴海は晴海のままでいい。自分を否定する必要なんてない」
「……高峯」
「俺なんかの言葉がどれだけ支えになるかはわからないけどさ。でも、誰かの押し付ける偶像に潰されないでほしいんだ」
ここまで踏ん張ってきたなら、それを無駄にするのは悲しすぎる。
少なくとも、俺はそんな晴海に救われたから。
「もし、それでも不安なら……」
俺は空いている方の手で、ベンチに置かれた晴海の手を包み込むように握る。
「言ってくれれば、こうやって俺が手を握るよ」
「あ…」
「それと、ありのままの自分でいるのに疲れたらその時も言ってくれ。相談に乗る」
人間、どんなに好きでやってることでもずっと続けていたら疲れるものだ。
俺は小百合がずっと完璧でいるのを見て、いつか支えたいな、なんて思ってたけど。
今は、晴海の抱える影を受け止めてあげたい。彼女の恋人として。
「ってまあ、助けられっぱなしで何言ってんだって感じだが……」
「……んーん。そんなことないよ」
また顔をうつむかせた晴海が、突然体を傾けてきた。
頭が肩に乗せられ、仄かに香った柑橘系の香りにどきっとする。
「は、晴海?」
「ありがと。おかげでちょっと元気出た」
それならまあ、滔々と語った甲斐もあるだろうか。
「ねえ、しばらくこーしてていい?」
「も、勿論」
「ん。ありがと」
晴海の温もりを感じながら、俺は浜辺を見て気を紛らわせる。
少しでも、元気になってくれるといいんだが。
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