第29話 俺にできること
「なあ。小百合はなんでそんなに頑張っていられるんだ?」
中学の頃、そんなふうに小百合へ聞いたことがある。
ノートにシャーペンを走らせていたあいつは、ふと手を止めて俺のことを見た。
「……突然ね」
「あっ、邪魔してすまん。なんか、ふと気になって」
「ううん、大丈夫。ちょっと休憩しようと思っていたところだったから」
テーブルの上にシャーペンを置いて、小さく息を吐く。
背筋が伸びた綺麗な姿勢のまま、小百合は俺へと視線を向けてきた。
「私がなんで頑張っているか、って質問だったよね」
「ああ。なんか、こうして一緒にいると、やっぱりすげえなって思ってさ」
その時の俺は期末試験の対策に難航して、学年首位だった小百合に教わっていた。
間近にその熱心な勉強ぶりを見て、ついそんな事を聞いたのだ。
普段の生活から学校での成績、立ち振る舞いまで完璧で、どうしてここまで努力できるんだろう、と。
「そうだね……私が正しいと思える私でいるため、かな」
「小百合が正しいと思える小百合?」
鸚鵡返しに聞くと、あいつは頷く。
「たとえば、聡人くんはどうして陰口やいじめをする人がいると思う?」
「えっ……」
軽い気持ちでした質問に返された質問の重さに、俺は固まった。
だが、答えを待っている小百合を見てすぐに頭を働かせる。
「……一概には言えないけど、相手の何かが気に入らないから、とか?」
「そうね。そしてその方が、自分らしく生きるよりずっと楽だからだと私は考えてるわ」
詳しく話してくれる姿勢をとる小百合に、俺も自然と背筋を正した。
「多くの人は自ら見た自分より、誰かから見た自分を大切に生きている。何を話し、何をして、その結果周りにどう思われるか。常にそう考えている」
「……確かにそうだな」
俺自身、小百合にどう見られるかということを常に気にしていたのでよく分かる話だった。
「コミュニティの中で生きている以上それは必然で、私も少なからずそうしているわ。誰に見られても恥ずかしくない自分でいるつもり」
「ああ。俺もいつも凄いと思ってる」
「ありがとう。……けど、そうするよりもっと簡単で、やりやすい方法が一つあるんだよね」
「それって?」
小百合は一拍置いてから、強調するように次の言葉を言い放つ。
「頑張っている誰かを馬鹿にして蹴落とす事で、〝みんな〟に合わせる方法」
「っ!」
「常に自分を律するよりも、別の誰かを下に置くことで安心してしまうほうがあっさり実行できる。努力をしなくても強くなれた気がするし、正しいと思い込める。だって〝みんな〟やっていることだから」
妙に実感が込められたそのセリフは、優秀故に妬まれる事の多い小百合だからこそだろうか。
俺もできる限りそういうやつを近づけさせないようにしているけど、全員を防げるわけじゃない。
「自分を押し殺して、みんなと同じように誰かの悪口を言い、気に入らない人を排除する。そうすれば周りから変に思われないし、仲間になれるもの」
「……小百合」
いつも平然としているけど、やっぱり辛いことがあるのかな。
そんなことを思い名前を呼べば──小百合は、いつもの強い目で俺を見てきた。
「だからこそ、私は他人の見ている私じゃなくて、私が見せる私でありたい。みんなに合わせて誰かを傷つける、そんな人間にはなりたくない」
「自分が見せる、自分……」
誰かがこうあるべきだ、と言う固定観念に縛られることなく、己自身で己を示す。
集団である学校、ひいては社会において、その生き方はとても難しくないだろうか。
しかしそれを語る小百合の目には一切の迷いがなかった。
「そしてそうある為には、今できる努力をするしかない。誰かに何かを言われても、〝自分はこのままで正しい〟と信じられるものがあれば、簡単には変わらないはずだから」
「……お前、本当に中学生?」
思わず聞いてしまうと、小百合がわずかに苦笑する。
「長々と語っちゃったけど、所詮は中学生の理屈。私の考えが通用しない可能性も十分にあるよね。でも……」
「でも……?」
「だからこそ、やる価値がある。やってみなきゃ分からないもの」
そう言って、再びシャーペンを手に取った彼女は勉強を再開した。
俺はそんな小百合にしばらくの間見惚れてしまう。
「……今回の試験。俺もいっちょ頑張ってみようかな」
「理解できないところがあったら言ってね。できる範囲で教えるから」
「ありがとう」
こいつみたいになりたいと改めて強く思いながら、俺もノートに向き直った。
◆◇◆
……この二人が、晴海と同中だって?
驚愕と共に、もう一度そのチャラいカップルを見る。
ニヤニヤと底意地の悪そうな表情からは、とても晴海とウマが合うとは思えない。
だとすると……もしかして、人嫌いにさせかけた側のやつらか?
「……久しぶり。二人とも、卒業以来だね」
「うぇ〜い、久しぶり〜。って、まだ半年も経ってないじゃん、冷たくね〜?」
「てか、男連れじゃん。相変わらずひっかけるの上手いね〜」
……なんだろう。まだ一言も話してないのに顔が渋くなるのを感じる。
もともと俺の気質が真面目寄りだというのもあるが、何もかもが肌に合わない予感がした。
それより、晴海の様子がおかしい。
手を握る力は強く、浮かべた笑顔は目に見えて取り繕ったものだ。
「えー、違うって。この人は彼氏。ちゃんとお付き合いしてるの」
「え〜! うっそ〜、信じられな〜い! 中学の時はあんなに男侍らせてたのに〜」
キャピキャピと甲高い声で、わざとらしく驚く女にイラっとする。言葉のチョイスが最悪すぎるだろ。
「へえ、晴海ってこういうのがタイプだったわけ? なんかつまらなさそうなやつだな」
こっちはこっちで、初対面でそこまで言うか。常識を疑うぞ。
「侍らせてないから。みんなただの友達だったよ」
「うわ残酷〜。俺、晴海のこと好きだったのにショックだわ〜」
「は?」
……こんなやつが晴海を?
思わず彼女を見ると、小さく頷かれる。マジかよ。
つうか、隣に彼女いるのに言うことか、それ?
「へ〜、割とイケメン。晴海やるじゃん」
「………そりゃどうも」
「ね〜、彼氏さんはどこで晴海と知り合ったの?」
「どこって……同じ学校のクラスメイトだが」
「大変でしょ〜、彼女が誰にでも媚び売ってる子だとさ〜」
……俺は今、何と話しているのだろう? 別の惑星の生命体だろうか?
会って五分もしないうちに元同級生を攻撃し始めた連中に呆気に取られていると、女は言葉を続ける。
「ねえ、彼氏さん知ってる? この子、男に思わせぶりな態度取って結局フるんだよ? 性格悪くない?」
「っ……」
お前よりは10万倍マシだ、と言うのをどうにか堪えた。
「俺もフられちゃってさ〜。絶対脈あると思ったのに『そんなつもりじゃない』って〜。あの時はマジ泣いたわ〜」
口を噤んだ俺が驚いていると勘違いしたのか、男の方まで何やら言い始める。
「いいじゃん、おかげでうちと付き合えたでしょ?」
「マジそれな。優しく慰めてくれたナナミちゃんサイコー」
「もー、リョウスケったら〜」
俺の気分はサイテーだよ。頭痛がしてきたわ。
勝手に盛り上がってゲラゲラ笑ってる超生物に、いよいよ口の端が引きつる。
こんなのが大勢いた環境で過ごしてたってのかよ、晴海は。そりゃトラウマにもなるわ。
「うちも前に好きだった男子取られてさー。飽きたら捨てるくせに誰にでもいい顔して、本当ヤバいって」
「彼氏さんも気をつけたほうがいいよ〜? そのうちポイッてされちまうかもな」
「っ……!」
大きく震えた晴海の手に、思わず反射的に顔を見る。
なんとかという様子で対応していたが、晴海は限界の様子だった。
大門先輩と小百合のことが発覚した時でさえ声を荒げなかったのに、露骨に表情が怒りに染まってきている。
ネイルの先が食い込むくらいに握られた手からは、内心が少しだけ伝わってくる気がした。
あたしが誰かと一緒にいるのは、そんな最低の理由からじゃない。自分にとっての恋は、決して飽きたら捨てるような、簡単なものじゃない、と。
ただの妄想かもしれないが……怒りにつり上がった瞳の奥に、悲しみのようなものが垣間見えた気がして。
「お気遣いどうも」
「っ、高峯……?」
だから俺は、晴海とその二人の間に立つように一歩踏み出す。
「大丈夫だ。任せろ」
「あ……うん」
背中に隠した晴海の手をしっかりと握って、そいつらと真っ向から向かい合った。
「だけど、いらない心配だよ」
「え〜、せっかくあんたの為を思って言ってるんだぜ? なにせ晴海は──」
「ああ。晴海はお前みたいなのには勿体無いくらい良い子だからな。俺とは価値観が違いすぎて、ちょっと参考にならない」
「……はぁ?」
露骨に顔を不機嫌そうに変える男。
昔いた、小百合にこっぴどくフられて俺に有る事無い事言ってきたやつとよく似てる。
そしてこういう奴は取り繕うのだけは長けていて、リョウスケとやらもヘラヘラ笑い始めた。
「いやいや、何カッコつけちゃってんの? 俺はただ好意で……」
「好意? 害意の間違いじゃなくてか? 公共の場で昔好きだった女に悪口言うのがそうなら、やっぱり俺には理解できないな」
公共の場、と聞いて、男は周囲を見回す。
ホールにいた他のお客さんが非常に迷惑そうな顔をしているのを見て、焦ったように体を揺らした。
「けどさあ、晴海がヤバいのは本当だって。みんな言ってたよ。そいつ誰にでも良い顔するビッチ……」
「あんたにとって誰かといることは、常に媚を売って良い顔してるようにしか見えないのか。ご苦労さん」
ニッコリと笑顔を浮かべて答えれば、男の代わりに言い募ろうとした女がぐっと言葉を詰まらせた。
だが、すぐに口元をいびつに笑わせる。
「高校生になってすぐできた彼女にそんな入れ込んじゃって、体でたらし込まれてもしたわけ? 晴海、見た目だけは良いからね〜」
「一番傷ついた時に助けてくれたって意味じゃ、そうだな。入れ込んでるよ」
あの時晴海がカラオケに誘ってくれなかったら、今も絶望してただろうしな。
「むしろ聞きたいんだが、あんたはそうやってそいつと付き合ったのか?」
「はっ!? ざっけんな、まじキモい!」
金切り声をあげる女。俺としちゃ、そんなことを初対面の人間に言えるお前のほうがアレなんだけど。
こういう連中に対抗する時に大事なのは、冷静に、堂々としていることだ。
あっちのペースに乗るとつけあがってガンガン攻撃してくるので、その前にこっちで流れを掴む。
大丈夫。何回も小百合といる時にやってきたことだ。
「確かに俺と晴海は付き合い始めたばっかりで、まだまだ知らないこともあるだろうが……少なくとも、お前らよりたくさん良いところを知ってるし、彼女のことが好きだよ」
「っ!?」
あ、やべ。好きとか言っちまった。まあ一人の人間として好んでいるのは本当だし、いっか。
こいつらがどれだけネガティブキャンペーンかまそうが、全く響かない。むしろ嫌悪感だけが増していく。
「お前らが晴海の何を知ってて、どう思ってようが、俺には関係ないから。他人に余計なちょっかい出してる暇があったら、せっかくのデートを楽しんだらどうだ?」
ちなみにここで言う他人とは、俺と晴海の両方である。
語気は強く、顔つきも険しく。鍛えた体とクソカップルの男より高い上背で威圧する。
「……ふんっ。ムキになってだっさい男。いこ、リョウスケ」
「お、おう」
しばらくそうしていると、そいつらは気まずそうに捨て台詞を残して去っていった。
ホールから出ていくのを確認し、俺は体のこわばりを解く。
ふう……これ、結構疲れるんだよな。
溜息を吐き出していると、いくつかの乾いた音が聞こえた。
驚いて周りを見ると、俺達のやりとりを見ていたお客さんの何人かが拍手している。
「あ、すんません。お騒がせしました」
「……高峯」
恥ずかしくってペコペコしていると、不意に袖を掴まれた。
後ろに振り向けば、晴海が暗い表情で上目遣いに俺のことを見上げてくる。
「えっと、その……」
「……とりあえず、こっから出ようぜ。暗いところにいると気分も滅入るだろ」
「……うん」
そんな彼女を促して、俺はやや居心地の悪いホールから出た。
まだ微かに震える手を離さないよう、ちゃんと掴みながら。
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