第28話 不幸な巡り合わせ
海岸を模したゾーンを抜け、深層へ潜るように沿岸ゾーンに移り行くと、また雰囲気が変わる。
中でも俺達の目を引いたのは……
「でっかいね……」
「ああ、でっかいな……」
真っ暗な水槽を覗き込み、揃ってそんなことを呟く。
限りなく深海に近い環境を模したそこでは、えげつない大きさのカニがゆっくりと蠢いていた。
「タカアシガニ……なんだろう、カニってちょっとクリーチャーみがあるよな」
「確かに。この世ならざる生き物?って感じがする」
世界最大のカニと謳われるだけあって、ガラス越しでも威圧感が凄い。
「これを捕まえて飼育してるんだから、人間は恐れ知らずなもんだ」
「さっきのも凄かったけど、こっちは本当に暗い海の底で会ったら悲鳴上げちゃいそうだな……」
「暗いところは苦手なのか?」
「ちょっとね。閉塞感を感じるっていうか、映画館とかは大丈夫なんだけど」
意外な弱点だ。
なんでもできそうな晴海でも、怖いものは怖いらしい。
「高峯は何か苦手なものないの?」
「オクラ、とか?」
「へー、意外。なんでも食べると思ってた。いつもお弁当は美味しそうに食べてくれるし」
「オクラだけはどうしてもなぁ」
中学の林間学校の時に食べて腹を下して以来、あれだけはどうにも苦手なのだ。
克服しようとは思ったが、見るのすら苦手なのでほぼ不可能だろう。
「オッケー。これから作るときは入れないようにするね」
「サンキュー。って、俺らなんの話ししてたっけ?」
「んー、カニは深海のクリーチャー?」
「混ざってる混ざってる」
そんなやり取りをしつつ、タカアシガニの水槽から離れて踵を返す。
すると、反対側に巨大な水槽が存在していた。
そこでは入り口で一部分だけ見た魚達が思うがままに泳ぎ、さながら水の箱庭だった。
「綺麗……」
隣から、感動したような晴海の呟きが聞こえた。
俺も圧倒されて、雄大さすら感じる水槽に目が釘付けになる。
水面に近い場所には、無数の魚群。岩に沿ってカラフルな魚達が列をなし、エイが空飛ぶ円盤のように泳ぎ回る。
まるで一秒ごとに変わる、生きる名画のようだ。
「命の宝石箱、って感じ」
「中々いい事言うな」
咄嗟に出たのだとしたら、大したセンスだ。
「でも、不思議だよね。サメとかもいるのに小さい魚が食べられないのってなんでだろ?」
「常にある程度満腹にしておく事で共存できてる、って聞いたことあるな」
「そういうことなんだ。……いいな。上手に生きられて」
不意に零されたその言葉に、もう一度晴海の方を見る。
水槽を見る瞳には、何か眩しいものを眺めるような色があった。
ふと、トイレで晴海を貶していた女子達を思い出す。
晴海を取り巻く環境は常に明るく見えて、しかしどこか影を孕んでいるところがあるのを最近知った。
見事に調和し、傷つけ合うこともない水槽の魚達を見て、彼女は何を思ったのだろう?
「晴海?」
「ん? どうしたの?」
振り向く顔に陰りはない。
……さっきのは無意識だったみたいだ。
「いや、なんでもない」
「そ? あ、見て高峯。あのエイすっごく大きい」
「本当だ」
疑問の言葉を飲み込んで、今はただこの時間を共有しようと思った。
十分ほど鑑賞して満足したので、ついに相模湾ゾーンの最奥、深海ゾーンへと入る。
「おおっ、ダイオウグソクムシだ」
水槽の中に展示された、白い巨大なダンゴムシのような生物に俺は目を奪われる。
「おっ、高峯も男の子だね。やっぱこういうの好きなんだ」
「否定はしない」
このなんとも言えぬ存在感に男心をくすぐられる。
やっぱり幾つになっても、こういうのを見ると童心に帰れる……
「これも大きいね。それにすごい硬そう」
……ど、童心に帰れるなぁ。決して邪なことなんて考えてないぞ、うん。
「ん〜? 高峯、鼻の下伸びてな〜い?」
「き、気のせいだ」
鎮まれ俺の煩悩。これくらいのからかいはいつものことだ。
特に不埒なことなど考えちゃいないが、何故か無性に恥ずかしくなったので、深海ゾーンを早々に去る。
「次はクラゲファンタジーホールか」
「あたし、クラゲも好きだよ。海水浴の時とか怖いから、水族館で見る専だけど」
「確かに」
特に薄暗かった深海ゾーンから、また雰囲気の変わったホールへと足を踏み入れる。
クラゲの体内を彷彿とさせるホールには、入り口の水槽に漂う小さな種から始まり、何種類ものクラゲがいた。
「うわー、うじゃうじゃいるんですけどー」
「ははっ、こんなにいると死んでても気づかなそー」
しかし、本来は静謐であるはずのその空間に嫌な声が響く。
どうやら中にいるカップルのひと組のようだ。
雰囲気をぶち壊しにするような発言に、入って早々顔を顰める。
「ねえ、見てこれ。雲みたいにふわふわしてる」
「あ、ああ」
しかし晴海の声に誘われて、他人事と意識を切り替えると彼女に応えた。
クリサオラ・プロカミア。
そう傍らに名称が記されたクラゲは、本当に雲のように儚い見た目をしている。
「……すごく綺麗だ」
幻想的なその姿に俺は魅入られた。
ふわり、ふわり、と水槽の中で揺蕩い、目を離せば溶けて消えてしまいそうだ。
「高峯もクラゲが好きなの?」
「そこそこ、な」
まあ、理由までは口にできないけど。
掴み所のない、遠い月のような存在……そんな
デート中にこんな事を言う程、無粋じゃないつもりだ。
「晴海こそ、どうしてクラゲが──」
「あれ? そこにいるの、晴海じゃね?」
聞き得そうとした時、唐突に誰かの声が割り込んできた。
驚いてそちらに振り返ると、先ほどあまりよろしくない事を言っていたカップルがこっちを見ている。
いや……俺たちというよりも、晴海を見てる?
「うわっ、マジで晴海じゃん」
「へえ、ぐうぜーん。こんな事ってあるんだぁ?」
全く見知らぬそいつらは、こっちに近づいてきて彼女の姿を確かめるなり、笑みを浮かべた。
それも、決して良い類のものじゃない。どこか嫌味で……おぞましいものを孕んだ、嘲笑。
「っ──!?」
同じように、近くでそいつらの顔を見た晴海が鋭く息を飲む。
握っていた手が強張り、驚いて彼女を見ると……一度も見たことのない
晴海には似つかわしくない、動揺と恐怖をないまぜにした怯えるような目。
青いホールの中でもわかるくらい顔を青ざめさせていく彼女に、俺は大きく困惑する。
「晴海? どうした?」
「っ………」
震える彼女は、答えない。
表情を隠すように俯いて、強く、むしろきつくとさえ言っていいほどに俺の手を握る。
怖がっている。それだけは理解した俺は、そっと囁きかけた。
「晴海。こいつらは?」
「……………この二人は」
やや時間を置いて、普段からは考えられないようなか細い声で、晴海が返事をする。
そうして聞き取った内容に、俺は驚愕した。
彼女はこう言ったのだ。
────あたしの中学の同級生、と。
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