第26話 微かな影
それを聞いたのは偶然だった。
「てかさー、晴海ってマジ調子乗ってない?」
「わかるー。何様だよって感じ」
休み時間、トイレから出ようとした時。
壁の向こう聞こえたそんな会話に、思わず廊下に出るのを躊躇する。
「いつもヘラヘラ笑っててさ、正直ウザいわ」
「自分のことみんなのお姫様とか思ってんじゃない? なんかそんな雰囲気じゃん」
「うわ、ありえる」
どうやらトイレの中にいる女子達が、晴海のことを貶しているらしい。
少し聞いただけでも、何の論理もない単なる感情的な僻みだとわかる、くだらない悪口だった。
「いつもみんなに囲まれてて、あたし充実してます〜みたいにアピっててウケるんだよね〜」
「ね。八方美人なだけのくせに」
「同じクラスじゃなくてよかったわ〜。そうだったら笑っちゃってたもん」
「C組の子も辟易してんじゃないの?」
どうやらその女子達はうちのクラスではないようだ。確かに教室じゃ聞いたことない声だな。
……少なからず驚いた。あの晴海が、こんなふうに言われるとは。
そりゃあ万人に好かれるなんて無理な話だろうけど、どこにでもこういう輩はいるんだな。
「あ、ていうか知ってる? 晴海、高峰と付き合ってるらしいよ?」
「うっそ、あの宮内の腰巾着の? ありえね〜、略奪したの?」
「そこまでリア充アピ必死だと、むしろ可哀想に思えてくるよね〜」
「きゃははっ、マジそれ」
おいおい、今度は俺のことか。どんだけ晴海を馬鹿にしたいんだ。
腰巾着って部分はまあ、あながち間違いでもなかったんで置いておくとして。
流石にこれ以上は看過できない。
「あー、晴海? ごめん、今日の昼飯のことなんだけどさ……」
俺はポケットからスマホを取り出して耳に当て、さも通話している風を装いながらトイレから出た。
わざとらしく大声で話せば、途端に女子トイレからの罵声がぴたりと止まる。
それを確認してから、俺は足早くその場から離れた。
「……ふう、あんな連中がいるとはな」
彼氏とはいえ、流石に別のクラスにまで同伴はしてないので気づけなかった。
小百合といた頃は俺が守る、なんて勝手に意気込んで警戒してたんだけどな。
普段どうなのかは知らないが、もし表面上は笑顔を貼り付けて晴海と接しているとしたらゾッとする。
「……うちのクラスにもいないだろうな?」
高校生ともなればさらに知恵がつき、態度を擬態するのも上手くなるだろう。
もし同じようなのがC組にもいて、見抜けてないだけだとしたら。そんなことまで考える。
晴海の優しい心を知っている俺は、無性に腹が立った。
「あ、おかえりー」
「おう、晴海」
教室に戻ってすぐに、定位置にいた晴海と顔を見合わせる。
珍しく一人みたいだ。
「………」
「? どうしたの? あたしの顔に何かついてる?」
「あ、いや、なんでもない」
「そお?」
危ない危ない、思わずじっと顔を凝視してしまった。
……自分の近くに潜む悪意に、気づいているのだろうか。この前も俺の悩みを察していたし。
「その……元気か?」
「え? 元気だけど? どうして?」
「いや、深い意味はないんだけどさ。普段からあんなに人に囲まれてて、疲れることはないのかなって」
……言っといてなんだが、意図を感じずにはいられないセリフだろこれ。
晴海が人付き合いが上手いのは知っているが、どうしても心配になってしまった。
「もしかして、どっかであたしの悪口でも聞いた?」
「っ!?」
み、見抜かれた!? こいつ心が読めるのか!?
ありえないことを考えていると、晴海が苦笑した。
「やっぱり。そういう意味の質問だったかー」
「カマかけたのかよ」
「見事に引っかかったね」
くっ、俺が単純すぎるだけか。不器用なことが恨めしい。
そんな俺を見て、晴海は柔らかく笑う。
「まあ、好きでやってることだからね。時々めんどくさいことも起こるけど、平気だよ」
「そうか? 力になれることがあったら言ってくれ」
小百合と一緒にいると、あいつへの変なやっかみもしばしば目に入っていたので、ある程度対策は心得てる。
まあ大門先輩にアドバイスもらってからは一人でやってきてるんだし、お節介だろうが協力的な姿勢は示しておく。
すると、晴海は少し考えるようなそぶりを見せた。
「んー……」
やっぱり何か困ってるのか。そう身構えると、ちょいちょいと手招きされたので身をかがめて近く。
「実はね……」
彼女は俺の耳元に顔を寄せ……
「高峯がいるだけで力になってくれてるよ♪」
「っ!?」
つん、と頬を軽く押されて、思わず身を引いた。
楽しそうに笑っている晴海を見て、またからかわれたことに気付く。
「あれ〜? 顔赤いけど大丈夫?」
「お、お前な!」
「ふふっ。心配してくれてありがとね」
「……おう」
なんだかはぐらかされたような気がするけど、これ以上は本当にお節介になりそうだ。
「お? また仲睦まじくしてる?」
「うおっ、びっくりした!」
突然肩に手を回されて横を見れば、美人トリオの一人こと真里がいた。
ちなみにさん付けは不要と言われたので、最近は外してる。
「どーん!」
「わっ、大弥!」
「へいへい、私らがいない間にどんな話ししてたわけ?」
続けて晴海の方に光瑠と大弥が絡み、あっという間に最近の昼の構図となる。
「高峯があたしのこと心配してくれたの。変な奴が寄ってきてないかー、ってさ」
「へえ? いいこと言うじゃん」
「まあ、彼氏だし」
「高っち、自覚芽生えてきてるね〜」
「あんたはどのポジなのよ」
い、いつもながら騒がしい。
美人トリオは押しが強く、基本的に小百合以外の女子と深く絡んでこなかった俺には新鮮だ。
「てか、高峯が心配しなくても、ウチらが目ぇ光らせてるし」
「陽奈はちょー可愛いからな〜。嫉妬する子がちょくちょくいるのも不思議じゃないわけさ」
「友達が嫌な思いするのを防ぐのは当然っしょ」
「お、おお。鉄壁だなお前ら」
前々から思ってたけど、こいつらいいやつだな。ヒロもそうだが、真の陽キャは性格がいいという実例を見た気分だ。
「へへー、いいでしょ高峯」
「まあ、そうだな」
「おっと、高峯は守らないよ」
「ウチら陽奈専用だから」
「男だろー、自分の身は自分で守れー」
「辛辣だなおい。言われなくてもわかってるっての」
この様子なので、マジで俺が余計な心配しなくても普段は美人トリオがいれば平気そうだな。
とはいえ、彼氏としてはじゃあいいか、ともなれないので、一応目を光らせておこう。
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