第22話 隣にいる人




 ……この前のことが時折脳裏をちらつく。




 小百合のあの目……やっぱり軽蔑されただろうか。


 いや、フられておいて何言ってんだって感じだけど、恋愛感情とか以前に尊敬してる相手に失望されるのはキツいのだ。

 


 それに別の男があいつに近寄ってるっていうのも結構ショックがでかい。


 ある程度は覚悟していたつもりだった。でも実際に目の当たりにすると、心が引っ掻かれるような不快感を覚えてしまったのだ。


「高峯、平気? すごい顔だよ?」

「っ」


 隣から聞こえた声に、ハッと正気に戻る。




 そちらを見ると、一緒に下校していた晴海が不思議そうな顔をしていた。 


「ごめん。少し考え事してた」

「ふーん……」


 訝しげに長い眉尻を上げる様子に、内心冷や汗が出る。何やってんだ俺は、晴海といる時までこんなこと考えて。


 しかし俺の杞憂とは裏腹に、晴海はすぐに表情を朗らかにした。


「で、次のデートなんだけどさ。今週の日曜にしない?」

「いいな。晴海は行きたい場所あるか?」

「んー……あっ、水族館とかどう?」

「水族館ね。何か理由があるのか?」

「この前、真里達と好きな海の生き物の話になったの。そしたらイルカとか見たくなったんだよねー」

「なるほど。じゃあ、どこか探しておく」

「決まりっ」


 特にここに連れて行きたい、ということもなかったので、晴海の案に決まった。




 水族館、か。


 そういえば中学の時、校外学習で行ったな。あの時は小百合と同じ班になって内心飛び上がってたな。


 珍しく目を輝かせていたので、それが可愛くて……って、また考えてるし。


「はぁ……」


 こんなんじゃ、いつまでも堂々巡りだ。


「……ねえ、高峯」

「ん? どうした?」


 気にしすぎな自分に呆れつつも返事をすると、何故か満面の笑みの晴海は一言。








「やっぱりデート、今から行こっ!」

「………はい?」





 


◆◇◆








 突如とした晴海の一声でデートに行くことになり、最寄駅から電車で移動すること一時間。


 向かった先は神奈川の中心とも呼ぶべき街、横浜。

 

 そして、最終的に降りたのは……


「ねえねえ高峯、これヤバくない!? めっちゃデカくてウケるんだけど!」

「台湾唐揚げってマジでかいのな……」


 はしゃいだ様子で晴海が見せつけてくる巨大な唐揚げに、俺は圧倒される。


 名前は知ってたが、本当にちょっとした顔面サイズである。晴海の小ぶりな顔だと、下手したらすっぽり収まってしまうかもしれない。




 そんな俺と晴海の周りには、夕方にも関わらず多くの人で賑わっていた。


 中には俺達と同じ、学生服のカップルの姿もある。




 横浜、中華街。




 数多の中華料理や雑貨、観光名所が点在する横浜屈指の人気スポットが、今回の目的地だった。


「これ絶対映えるじゃん。写真撮ろっと」


 テンションが上がってる晴海はスマホを取り出し、唐揚げを自分の顔の横に置く。


「俺が撮ろうか?」

「いいの? お願い」

「はいよ」


 手を出して、ファンシーなケースのスマホを受け取る。


 晴海はスマホを手放し……その瞬間、がっしりとまた腕を掴まれて引き寄せられた。


「うおっ!?」

「ほら、一緒に撮ろっ!」


 近っ! ほとんど顔くっついてるんだが!


 鼻先を擽る、柑橘系と甘い香りの混じった晴海の匂いにドギマギする。


「高峯、早く早く」

「わ、分かった」


 急かす晴海に押されて、インカメラになったスマホを構える。


 満面の笑顔の晴海と、若干頬を赤くした自分を枠に入れて、シャッターボタンを押した。




 二、三枚ほど撮ったところで晴海が離れ、素晴らしき緊張から解放される。


「はいこれ」

「ありがとね。……んー、これかな。ちょっと加工して……」

「マイスタに上げるのか?」

「うん。あっ、顔はある程度隠すよ。高峯はそういうのNGタイプ?」

「いや、別にいい」

「よかった。うん、これでオッケー♪」


 SNSに写真をアップしたらしく、頷いた晴海はスマホをしまうと、唐揚げを輝く目で見る。


「いただきまーす。あむっ……んー! おいひい!」

「よかったな」

「すんごいジューシー! あーヤバい、美味しすぎて語彙力消える。高峯も食べてみてよ」


 ごく自然な流れで、ぐいっと突き出される巨大唐揚げ。


 一口齧られたそれを見て心臓が跳ね、思わず晴海を見ると、ニコニコと実に機嫌良さげだ。


 ……落ち着け俺。前に一回やったことあるだろ。


「じゃあ、もらうわ」

「うん!」


 覚悟を決めて、ええいままよと唐揚げを齧る。


 口の中に熱々の衣と香辛料、味付けされた鶏肉の食感がやってきて、素早く咀嚼すると飲み込んだ。


「確かに美味いな」

「でしょー? 一回食べてみたかったんだよねー」


 満足したらしい晴海が歩き出し、俺は合わせて足を進めた。




「中華街に来るのは初めてなのか?」

「んー、中学の時に一回だけ? よく覚えてないや」


 ……なるほど。あんまり楽しくない思い出だったっぽい。


 基本的にサバサバした性格な晴海だけど、こうやって話題を打ち切る時は深掘りされなくない、というのが最近わかってきた。

 

 わざわざ傷を抉るような真似をする必要もないので、俺も基本的にスルーしている。


「でも、次に来たら色々したいなーって思ってたんだよね」

「それを食べるのも、したいことの一つってわけか」

「そ。彼氏と一緒に自撮りもね♪」


 ぬぐっ、さりげなくアプローチしてくる。相変わらず余念がない。


「あっ、チャーシューメロンパンだって! 見にいこ!」

「おう」


 晴海を主導に、活気溢れる中華街の散策が始まった。




「ハリネズミ饅頭! なにこれ、ちょ〜エモいんですけど!」

「どうやって作ってるんだろうな、これ?」




 ある店では、動物を模したお菓子を食べたり。




「占いだって。相性占いとかもやってくれるのかな?」

「少し覗いてみるか?」

「うん!」




 またある場所では、カタコトの日本語で呼び込みをしてる占いを受けてみたり。




「見て見て、これピッタリじゃない?」

「……丈短すぎじゃね?」




 あるいは、雑貨屋で自分の体に際どいチャイナドレスを当ててみせる晴海に動揺したり。




 あらゆるものに溢れる中華街の中で、忙しなく時間が過ぎていった。


「可愛い〜! パンダ饅頭、最かわランキング一位!」

「最かわなのに複数あるのか」


 デートが始まってしばらく、パンダ顔の饅頭を手にルンルンしてる晴海に、思わず突っ込む。


 でも、常に楽しそうにしている彼女と遊んでいるうちに、だんだん俺も楽しくなってきた。


 まあ、事あるごとに二人で写真を撮ったのは、少し恥ずかしかったけれども。


「これ考えた人マジ天才。もう食べないで持ち帰りたい……」

「気持ちはわからないでもないが、温かいうちに食べた方が美味いと思うぞ」

「ぶー。ざんねーん」


 えい、とパンダ型の饅頭をひといきに頬張る晴海。


 小ぶりな口に全て入りきるわけもなく、ちょっと不満げなのが可愛らしく思ってしまう。

 

「あー、もう晩ご飯食べれないや。可愛くて美味しいとか最強すぎて、完全にダイエット不可避なんですけど」

「美味いものは食いたいけど、体型維持するのも大変だよな」

「ほんとそれ。これから夏になるしさー、油断できないよね」

「だな」


 既に6月下旬に入り、クラスでは夏休みの話題が少しずつ上り始めている。


 同時に中間テストという難題も迫っており、嘆きの声もちらほらと聞こえた。




 俺も小百合と付き合えたら、夏にはあんな場所やこんな場所に……などと考えていたのだが。


 今俺の隣にいるのはあいつではなく、まさかのクラスの人気者だ。


「海も行きたいし、夏祭りも、プールとかBBQもしたいなぁ」


 一つ一つ、指折り数えて笑う彼女は、俺へと振り向き満面の花を咲かせる。


「夏休みが楽しみだね、高峯!」

「……ああ、そうだな」


 晴海につられて、自然と俺も笑った。


 一ヶ月前に夢想していた未来とは全然違うけど……でも、この向日葵のような女の子となら。


「きっと、楽しい夏になりそうだ」

「んー、夏休みに入ったらまずはどこに行こっかな〜」


 内心を吐露した一言は、周囲の喧騒に紛れて消えた。








◆◇◆








「お、おおっ、すごい感触だ」

「ねーっ、硬いのに柔らかくて不思議な感じ!」


 手の中に掴んだものを見て、俺達は興奮の声を上げる。




 両手で包み込める小さなサイズ。短い四本の足と、尖った顔つき。


 そして何より、その動物と自分の手を保護するための手袋越しに伝わる、体の大部分を覆う長い針の感触。


「こんな手触りなんだな、ハリネズミって」

「動物園で見たことはあるけど、実際に自分で触るとテンション爆上げだね」


 俺達は今、人生で初めてハリネズミを抱いていた。



 


 時刻も五時を回り、帰りの時間も鑑みて、俺達が最後に赴いたのが、この触れ合いカフェ。


 猫カフェ以外にこんな施設があるとは知らず、入った時はめちゃくちゃ驚いた。


 それだけでなく、この店ではフェレットやミーアキャットなどとも遊べるらしい。豪華だ。


「あははっ、めっちゃにゅるにゅる動いてる」

「つ、掴み続けるの難しいぞ、これ」


 思った以上にハリネズミは活発で、ゴワゴワと手のひらを針の先端がなぞる。


 一筋縄でいかないところが、また新鮮で面白い。



 しばらく悪戦苦闘してから、御しきれずにケースの中に戻してやると途端に隅の方まで元気よく走っていき、苦笑しながら晴海の方を見た。


「そっちの子は大人しいんだな」

「やっぱりどんな動物にも性格の違いってあるんだねー。見て、このちょっと眠そうな顔可愛くない?」

「眠そう、なのか? それ」


 俺にはよくわからないが、晴海的にはツボらしく、熱心に見つめている。


 下から包み込むように持ちながら、ゆっくりとお腹の柔らかい毛を撫でる表情は優しげだ。



(こんな顔もするんだな、晴海って)



 いつも明るげな表情ばかりだから、一種の包容力を感じさせる表情にふと魅入られる。


「こーやって丸まって寝てると、なんか赤ちゃんみたいだなぁ」

「……そうか」




 一瞬、赤ん坊を両手で抱える、慈愛に満ちた表情の晴海を幻視した。




 妙に様になっているその幻想につられて、いけない想像までしそうになる。


 慌ててかぶりを振ってそのイメージを打ち消すと、タイミングよく晴海が顔を上げた。


「もしかして、今ので変なこと考えた?」

「んなっ、か、考えてない!」

「えー、本当かなぁ? 高峯ってわりとむっつりなところあるしなー?」

「む、むっつりじゃーねし」


 嘘です、むっつりです。でも肯定したら恥ずかしいじゃん。


「あはは。でもよかった、元気出たみたいで」

「え?」


 告げられたその言葉に驚いて晴海を見ると、彼女は優しく笑っていた。


「なんか暗そうだったからさ。気分転換できたらと思ってたんだけど」

「……やっぱり、気づいてたのか?」

「モチ。彼女ですから」


 得意げに言われて、俺はつくづく不器用だなと自嘲する。


 咄嗟に誤魔化したつもりだったけど、人間観察力は遥かに晴海が上だった。


「高峯は相手のことを考えて合わせてくれようとするじゃん? だから、あたしが楽しそうなら、高峯の気も晴れるかなって思って」

「……そう、だな。おかげで心が軽くなったよ」


 気がつけば、自分の中のモヤモヤがいくらか解消されていることに気がついた。


 木陰から日の当たる場所に引っ張り出されるみたいに、雑念は遠ざかっている。


「ありがとな、晴海」

「ふふっ。水族館デートは、期待してるね?」

「誠心誠意、エスコートさせていただきます」

「よろしく♪」


 ……やっぱり、いい子だな。




 ただ明るいだけじゃない。いつも相手のことを観察して、寄り添える時は寄り添ってくれようとする。


 誰かを前向きにする優しさを持つ、陽だまりみたいな女の子だ。


「あ、起きた。あはは、ちょっと慌ててる」

「本当だな」




 自然と後ろ向きになっていた気持ちが改善され、少し緊張の解けた俺は、それからも晴海とのデートを楽しんだ。

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