第10話 一念発起、デートの誘い




 俺は、ヒロに言われたことを考える。




 どっちつかずの態度では晴海も離れていってしまうかもしれない、という耳の痛い忠告。

 

 昼のことは、確かに俺が悪かった。


 妙な気遣いと小百合に見られているという恐怖からついつい遮ってしまったが、晴海は気にしてないみたいだったし。




 つまりあとは俺の気持ちの問題で、小百合の存在に怯えないかどうかってところだ。


 ……怖いが、やるしかない。こんな初歩でつまづいてたら克服なんて夢のまた夢。


『放課後、時間あるか? よかったらどっか行かない?』


 なので、まずは晴海をデートに誘おうと思った。


 昼のお詫びと、付き合っていくにあたってもっと彼女を知るべきだという理由も兼ねての結論だ。




 若干そわそわしつつ待っていると、数分で通知音が鳴ってすぐに画面を見る。


『おっけー♪』

「っし……!」


 思わず机の下で小さくガッツポーズをした。


 が、すぐにハッとして周囲を見渡し、誰にも見られていない事を確認してホッとする。


 


 念の為、もう一度教室の中を見ると……今度は晴海と目が合った。


 固まった俺を見て、彼女は微笑ませた口元にスマホを当てながらウインクしてくる。


「……恥っず」

「ア〜キ〜? 耳真っ赤にして今度はどうした〜?」

「うわっ、ヒロ!」

「さては誰かさんとデートの約束でもしてたか?」

「くっ、相変わらず面白そうなことはすぐ嗅ぎつけやがってっ」

「ははは、俺の嗅覚をなめてもらっちゃ困るぜ」


 とまあ、そんなことがありつつも。


 


 時折チクチクと刺さるクラスメイトの視線をできるだけ意識しないようにしつつ、一日を終えた。


「えー、連絡事項はこれくらいか。それじゃあ解散するぞー」


 長々とした担任の諸連絡が終わって、教室は喧騒に包まれる。


 ほどほどに周囲の空気が弛緩するのを見計らい、俺は晴海の様子を伺った。


 すると、彼女を中心にしていつものメンバーが周りに集まりだしている。


「………よし」


 昼間の挽回をしよう。今度は俺から、晴海を誘うんだ。


 肝心の小百合はまだ友達と話しているが、ぐっと腹に力を入れて覚悟を決める。


 気張れ高峯聡人。思い切りの良さだけがお前の取り柄だろ!


 


 そう思い席を立とうとした瞬間、ズボンのポケットが震えた。


 スマホを取り出して開けば、晴海からのメッセジーが一件。


『ごめん。グループの子の話に捕まっちゃったから、先に玄関行ってて』

「……マジか」


 最初から出鼻をくじかれた。


 教室の前方に目線を向ければ、晴海がこっそりと謝罪のジェスチャーを送ってくる。


 奮い立たせた気持ちが萎んでいくのが自分でもわかったが……ここで諦めてなるものか。




 俺はスマホをポケットに押し込むと、まっすぐ彼女に向かって歩いていった。


 迷いのない足取りのせいで、教室に残っていた奴らの視線が集まるが、気にせずに彼女の前に行く。


「高峯?」


 晴海は、驚いたような表情で俺の名前を呼んだ。


 ほんの少し、後退りしかけて……その寸前でぐっと拳を握ると、意を決して口を開く。


「下で待ってるから。今日は……デート、行こう」

「っ!」


 やっべえ、めちゃくちゃ顔熱い。デートって口に出しちまったよ。


 我ながらたどたどしい、上ずった声音で告げた言葉に、晴海もぽかんとしていた。


 


 彼女の周囲にいた女子達もみるみるうちに表情を変えていく。驚愕から好奇へ、その目を爛々と輝かせ始める様は背筋に寒気が走った。


 周りからもざわめきが聞こえて、自分の行動が大きな影響を与えたことを自覚する。


「……ふふっ」


 その中で、晴海は。


 俺のことを見上げ、嬉しそうな微笑を浮かべたように見えた。


「うん。すぐに行くから、待ってて」

「お、おう!」


 返事を聞くや否や、俺は素早く教室から脱出すべく踵を返した。




 一転した視界には、窓際で駄弁っていた男どもの唖然とした表情と、楽しげに笑うヒロが映る。


 親指を立てる親友に同じジェスチャーを返しつつ、視線を扉に向けて。




 その途中で、小百合と目が合った。


「あ……」


 あいつは、静かな瞳でこちらを見ていた。


 驚くことも、それ以外の反応もせず、ただじっと、俺を見てくる。


「………」

「っ」


 いつも見ていたはずのその目が、なんだか居た堪れなくて。


 顔を逸らした俺は、そのまま教室から出ていった。


 


 足早に廊下を歩きつつ、さっきのことを思い出す。


 ……少し目を合わせただけで、何も言われていないのに体がすくんだ。


 俺は、この怖さと向き合っていくのだ。


「うし、頑張るか」


 自分に喝を入れて、俯きがちだった顔を上げる。


 ちょうどその時、中央階段のところに差し掛かって、ふと角の向こうから人影が現れた。


「っと!」

「おっと! すまない、ぶつかるところだった」

「いえ、こっちもすみま……せん……」

「ん? 君は……」


 ……目の前に立っていたのは、俺にとって非常に顔を合わせづらい人物。


 大門先輩、その人だった。




 思わず口を噤んでしまうと、訝しげにしていた先輩が何かに気づいたような顔をする。


「おお、この前の一年生か! はは、よくぶつかりそうになるな」

「……そ、そうっすね」


 なんとか、表情を引き攣らせることなく笑えただろうか?


 朗らかに笑う先輩とは対照的に俺は体の中が冷えていくようで、途端に居心地が悪くなる。


「む……」

「えっと……何か?」

「あ、すまない。この前は具合が悪そうだったから気づかなかったが、いい体格をしているなと。何かやってるのか?」

「まあ、筋トレを少し」

「なるほど、純粋に鍛えているタイプだったか。バランスの良い体型だからな、つい気になってしまった」

「それは、やっぱり空手部の主将だから……ですか?」

「うむ。有望そうなやつを見つけるとつい勧誘したくなってしまうんだよ。ははは!」


 はは、と相槌を打つように笑うが、それは冗談でも遠慮したい。


 先輩がいい人なのはわかるけど、今こうして会話するだけで小百合のことがよぎって胸が痛くなる。

 

「おっと、無駄話に付き合わせたな。俺はここら辺で行くとする」

「あ、はい。部活頑張ってください」

「ありがとう。じゃあな、一年生!」


 最後まで快活な態度で、先輩は去っていった。




 その背中を何故か見送りつつ、俺は無意識に伸びていた背筋から力を抜いた。


「……なんだろう。圧倒的余裕の差を感じた」


 俺にはない自信に満ちた姿。そこらへんが小百合の琴線に触れたのだろうか。


 って、また小百合のことばっか考えてるじゃん。ドツボにハマる前に悩むのはやめだやめ。


「なーに廊下で百面相してんの?」

「うわっ!? は、晴海!?」


 耳元で囁かれた声に振り向くと、すぐ後ろに晴海がいた。


 数歩分下がった彼女は、驚いている俺を見て悪戯が成功したような顔をする。


「お前、友達と話してたんじゃ……」

「んー? 誰かさんがお誘いしてくれたからまた今度になったよ。まあ、明日は色々と聞かれるだろうけど」

「あ……ごめん」

「なんで謝るの? 嬉しかったのに」


 下から覗き込むように顔を近づけられて、どきりと心臓が鼓動を打つ。


 肩から流れ落ちる髪に目を引かれていると、微笑む彼女は語りかけてきた。


「デート。行くんでしょ?」

「! あ、ああ。デート……してくれるか?」

「勿論。だって、あたしら恋人じゃん!」

「うおっ!」


 昼間は遮ってしまったセリフを言われ、手を取られて一緒に走り出す。




 弾むように前へと進む彼女の背中を追いかけながら、俺は強張っていた顔が少しずつほぐれるのを感じていた。



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