第8話 交際初日は一波乱




「……うーむ」




 鏡に映る自分の顔を、顰めてみたり、手で頬を伸ばしたりする。


 かなり顔色は良くなった。死人みたいだった昨日とは大違いだ。


「昨日、か。色々あったな」


 失恋二日目にしては色々と濃すぎる一日だった。


 その疲れもあってか、昨夜はすぐに寝付けたが……きっと理由は、それだけじゃない。


「……マジで晴海と付き合うのか?」


 いくら考えても、自分の身に起こったことが現実とは思えない。


 失恋が確定したその日に、別の女の子と付き合うことになるなんて。


 それも相手はあの晴海だ。




 だけど、何度見てもスマホにトーク履歴は残ってたし、財布の中からカラオケ代は消えてたし。


「ちょっと兄貴、いつまで自分と睨めっこしてんの?」

「あ、美玲みれい


 洗面所に、ひょっこりと顔を出す一人の女。


 一歳下の妹は、鏡に齧り付いている俺に胡乱げな眼差しを送ってきた。


「お母さんが片付けられないから、朝ごはん食べちゃってよ。どうせいくら見ても、兄貴の冴えない顔が変わるわけじゃないんだから」

「朝からひでぇな。わかったよ、すぐ行く」

「ん。まあ、昨日のゾンビみたいな顔よりはマシなんじゃない?」

「一言余計だ!」

「早くしてよねー」


 くっ、小憎たらしい奴め。


 とはいえ、言ってることは悲しいながらその通りなので、洗面所を後にした。




「いってきます」


 手早く朝食を済ませて、支度を終えると家を出る。


 複雑な俺の心境とは裏腹に、外は今日も今日とて小春日和だった。




 それにしても……やっぱり晴海との交際は隠すべきなんだろうか?


 恋愛沙汰は少なからず人間関係に影響を与えるし、人といるのが好きだという晴海に迷惑はかけたくない。


 まあ、半分は俺が小百合に軽蔑されたくないってだけなんだが……悩ましいところだ。




 ぐるぐると考えているうちに、気がつけば学校に着いていた。


 校門の前に立って少し躊躇していると、肩に衝撃が走る。


「よーっす。今日もいい天気だな、アキ」

「おっ、おう。ヒロか。そうだな、素晴らしい晴れ模様だ」

「ん? ああ。ほら、行こうぜ」


 少し訝しげな顔をしたヒロに連れられるようにして、俺は校舎に足を進める。


 昨日とはまた違った、浮き足立つような気持ちのまま、ついには教室の前にまでついてしまう。


「………」

「なんでそんな凄い形相になってんの?」

「あ、いや、なんでもない」


 自分でも笑えるほどガッチガチになりながら、扉を引いて中に入った。


「あっ」


 入ってすぐに、近くから声が聞こえる。


 そちらを見ると、いつも通りクラスメイトと談笑していたらしい晴海がいる。




「おはよ、高峯」

「お、おはよう」

「昨日はありがとね。あの後平気だった?」

「平気って何が?」

「いや、一人で思い出し泣きとかしてないかなーって」

「してねえよ」


 そう?と笑う晴海の周りにいた女子の方々がきょとんとする。


 隣にいるヒロも同じような表情をして、昨日のように話していた俺はハッとした。


 早速やっちまった。平気かこれ?


「まあ、何もないならよかったよ」


 しかし、そんな些細なことは悪戯っぽく笑う彼女を見ると口にできなかった。


 


 ひとまず会話は終わり、俺はその場を離れる。


「アキ、やけに晴海と仲良さげじゃん。なんかあったん?」

「別に大したことじゃないよ。気にしないでくれ」

「ふ〜ん」


 首を傾げつつも、いつメンの方に行ったヒロと別れ、席に着く。


 あの様子だと、晴海は気にしないのだろうか? 一度互いの認識をすり合わせたいな。 


「とりあえず、放課後にでも話を……」

「………」


 基本的に人に囲まれている晴海と接触するタイミングを考えていると、不意に視線を感じた。




 なんとなくそちらを見ると、小百合と目線がかち合った。


「っ!?」


 思わず頭を下げる。あいつが俺を見てた? どうして?


 見間違いかとも考えたが、もう一度顔を上げて確かめる勇気がなかった。


 


 しかし、それから小百合に接触されることはなく。


 晴海からも朝以降はアクションがなくて、俺は少し不安な心境でいたのだが……ことが起こったのは四限目が終わった時だった。


「高峯、一緒にご飯食べよ?」


 終礼のチャイムが鳴り、先生が教室から出て行った直後。


 まだほとんどのクラスメイトが残っている教室で、俺の前にやってきた晴海はそう言った。




 騒がしくなっていた室内が、しんと静まりかえる。


 クラスの人気者が、普段から絡みのない男に昼食の誘い。そこには何かしらの理由が生まれてしまうものだ。


 一瞬で集中した周囲の視線に口の端を引きつらせつつ、俺は晴海を見上げる。


「は、晴海。いいのか?」

「えー、いいよ? だって、あたしら昨日から──」

「ちょっ、待て待て!」


 思わず立ち上がり、晴海の口元に手を当てて塞ぎ──直後、それが悪手であることに気づく。




 張り詰めていた空気が、ざわりと膨れ上がった。




 女子達はヒソヒソと囁き合いを始め、男どもの視線が一気に険しくなる。


 やべっ! 自分から色々考えてたクセにガソリンぶちまけちまった!


 思わず周りの反応を見て……途中、こっちを驚いたように見る小百合が映って心臓が跳ねた。




 とりあえず、すごく柔らかい晴海の唇から手を離して、小声で話しかける。


「なあ、いいのか? 彼氏の存在が公になると、交友関係に悪影響が出たりとか……」

「別にそこらへんは気にしないよ? てか、男できたからって手の平返すような相手はこっちから願い下げだし」

「お前、結構ハッキリ物言うよな」


 こういうサバサバしたとこがウケるというのだから、男ってのはアレだ。


「で、どうするの? ご飯、一緒に食べる?」

「……とりあえず、このままだと囲まれるから別の場所で」


 食べよう、と言いかけた時。


「いやー、ごめんごめん! 悪いけど、こいつは俺と約束してるんだ」


 ガッ、と誰かに肩を掴まれる。




 肩を鷲掴みにした手の主を見ると、いつの間にか隣にヒロがいた。


「なーんだ。城島が先約済みか」

「悪いね。明日の昼は貸すからさ、今日は諦めてくれる?」

「いや、お前何言って……いっ!?」


 いった!? こ、こいつ手に力を……!


 肩に食い込まんばかりに指先に力を込めながら、ヒロは俺に振り向く。


「な? アキ?」

「……お、おう」


 不自然なくらいの笑顔から発せられる圧力に、俺は頷いてしまう。


 満足そうに首肯したヒロは、再び晴海に笑いかけた。


「晴海、いいかな?」

「わかった。じゃあまたね、高峯」


 ウィンクを一つ残し、晴海は去っていく。


 残された俺は、恐る恐る親友の顔を伺った。


「さて、アキ。ちょっと外行こうぜ」

「ヒロ。少し俺の話を……」

「ああ、たっぷり聞かせてもらおうか」


 見下ろしてくるヒロの目には、クラスの男どもと同じ冷たい色があるように見えた。


 そして俺は反抗する気も起きず、肩を掴まれたまま教室を連れ出される。






……交際初日で詰んだかな、これ。




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