第7話 初恋・乙女心




「今日は色々とありがとね、高峯」




 最寄駅の改札前、あたしは彼に振り返る。


 後ろにいた高峯は足を止めて、ちょっと頬を赤く染めながらそっぽを向いた。


「……おう」

「ふふっ、まーだ照れてんの」

「しょ、しょうがねーだろ。こういうの、初めてなんだから」


 初めて。そう、初めてだよね。


 彼が本当にずっと付き合いたかったのは宮内さんで、けどそれは叶わなかった。


 その失恋を克服するために、あたしと付き合う覚悟を決めてくれたんだ。


「ふふっ、それを言ったら私だって初彼氏だよ。初めて同士、いいじゃん♪」

「……初めて同士、ね」

「んー? なんか変な想像した? したっしょ?」

「ばっ、おま、してないわ!」


 あはは、顔が真っ赤だ。初心だなぁ。


 まあ、あたしもそういう経験があるわけじゃないんだけどさ。


「まっ、せっかくの関係だしさ。色々初めてのことを知っていこうよ、二人で」

「そのための交際、なんだしな」

「そういうこと♪ だから早く慣れてよね?」

「ぜ、善処する」


 こういう素直なところは結構、あたし的にポイントが高い。


 あっ、大事なこと忘れてた。


「とりあえず、連絡先教えてよ」

「わかった」


 スマホのトークアプリを立ち上げて、互いを友達に登録する。


 特に問題なく操作が完了して、一覧の最上段に高峯の名前が並んだ。


「おっけー。じゃあ、後でメッセージ送るから」

「俺から送るよ。なんていうか、全部晴海からやらせるのも悪いし」

「ふふっ。それじゃあ楽しみにしておこうかな?」


 ちょっとした気遣いができるところも、嫌いじゃなかった。




 そんなことを話しているうちに、電車の来る時間になってしまう。


 高峯は学校から徒歩二十分圏内に住んでいるらしくて、駅にはあたしを見送りについて来てくれた。


「あたし、そろそろ行くね。改めて、今日は付き合ってくれてありがと」


 二つの意味で、なんてね。


「……おう。その、帰り道には気をつけてな」

「おっ、早速彼氏っぽいじゃん」

「い、いいから行けよ」

「はいはい。高峯も気をつけて」


 挨拶を交わして、小走りに改札を抜ける。


「晴海! また明日な!」


 そのままホームに行こうとした時、後ろからそんな言葉が聞こえた。


 少しびっくりしながら振り向くと……大声を出したせいか、赤面している高峯を見て、思わず笑みが浮かぶ。


「うん! また学校でね!」


 そう言って手を振ると、高峯はホッとしたようだった。


 可愛い反応するな、なんて心の中で思いながら、あたしは階段を駆け下りた。




 ちょうど発車するところだった自宅方面の電車に、滑り込むように乗車する。


 アナウンスとともに背後で扉が閉まり、ゆっくりと車両が動き始めた。


「ふぅ、セーフっと」


 まばらに人が座っている座席の隅に腰を下ろして、あたしはそっと息を吐く。




 色々と怒涛の一日だったな。


 大門先輩に彼女がいるって知って、それが宮内さんで……彼女を好きだった高峯と関わることになった。


 そして、互いの複雑な想いを共有して。今は一応、恋人ってことになっている。



(……本当に驚いちゃった。まさか、あの宮内さんがね)



 密度の濃い一日を思い返す中で、最も鮮明に思い出すのは、やっぱりあの光景。


 大門先輩が宮内さんと肩を並べて行ってしまうのを見て、あたしは気がつけば涙を流していた。


 とても苦しくて、悲しくて……けど、ほんの少しだけ、納得するような気持ちもあった。



 

 あたしの知っている宮内さんは、真っ直ぐな人だ。




 いつも真剣で、絶対に周りに流されない。


 自分の中にある正しさに、常に正直に生きている人。あたしにはそう見えた。


 


 きっかけは、少し前に見たとある事。


 宮内さんは成績優秀で生活態度も良くて、入学してから一ヶ月なのに先生達からの信頼が厚い。

 

 でも、それが気に入らないって人間もいる。それがうちのクラスにいる女子の一部だった。




 ある日の昼休み、宮内さんはその子達に廊下で囲まれてた。


 調子に乗ってるとかポイント稼ぎだとか、そんなことを言われていたと思う。ありきたりな嫉妬だ。

 

 似たようなことを中学時代に何度もされたことを思い出して、勝手に気分が悪くなったあたしは、それを止めようとした。




『──だから? 私をこうして取り囲んで、優越感に浸ったつもりになって。それで貴女達が何か変わるの?』

 



 でも、そんな必要はなかった。


 宮内さんは他人の手なんて借りなくても、真っ向から彼女達に対抗してみせた。


 逆上して口々に罵るその子達に理路整然と言い返し、ついには論破してしまったのだ。


 完膚なきまでに反撃されて気まずそうに立ち去る彼女達を、宮内さんは最後まで透明な目で見つめていた。




 嫌悪も、軽蔑もない。最初から宮内さんにとって、その子達は敵ですらなかった。


 ……凄いな、って思った。


 それは大門先輩に出会うまでのあたしが、自分じゃできなかったことだから。


 あたしの手を握って励ましてくれた先輩のことが頭によぎって、世の中にはあの人と同じように強い人がいるんだと思った。


 今なら高峯が好きになった理由もわかる。彼女は人としてかっこよかったんだ。


 


 ……だからかな。先輩が宮内さんと一緒にいた時、妙にお似合いに見えちゃったのは。


 最初から争う気も起きないくらいに、私は宮内さんのことを尊敬してしまっていた。



(まさか、恋のライバルになるなんて思わないじゃん)



 てっきり、宮内さんは高峯のことが好きだと思ってたのに。


 あたしだけじゃなくて、女子の間では密かにあの二人が付き合っている噂さえ出ていたのだ。




 入学してからずっと孤高の花となっていた宮内さんが唯一、一緒にいた男の子が高峯だった。


 高峯といる時の彼女は、いつもどこか張り詰めている雰囲気が和らいで、居心地が良さそうに見えて。


 既に付き合っている。あるいは、その寸前と囁かれていたところに、今回の事件だ。


 まさに青天の霹靂。あたしにとっても高峯にとっても、これ以上ない衝撃だった。


 

(先輩と宮内さんの間に、何があったんだろう。まだ入学して間もないのに、いつ付き合えたんだろう?)



 どうして宮内さんは、ずっと自分を追いかけてくれた高峯を選ばなかったのかな。




 高峯も、とっても強い人だ。


 自分の想いに真っ直ぐに、たった一つの目標に向けてたくさんのものを積み上げていた。


 宮内さんに並びたくて、好きになってもらいたくて……7年もそれを続けるなんて、普通はできない。


 あんなに純粋でひたむきな感情を向けられたら、気づかないはずがないのに、なおさら振られた理由がわからなくなる。


「……羨ましいな」


 そんな高峯達に比べて、あたしは弱い人間だ。


 先輩のおかげでうまく周囲と付き合えるようになったけど、それはある程度仮面を被っているから。


 あの三人みたいに自分に正直なわけじゃない。




 それを自覚しているから、高峯に恋人になる提案をした。彼の側にいたいと思ったから。

 

「……あたし、強くなれるかな」

 

 強くなりたい。自分と向き合って、いつかこの想いをちゃんと終わらせたい。


 だから、高峯を知りたいと思った。その強さを、それを支えてきたものを。


 本気で涙を流す彼を見て、この人みたいになりたいって気持ちが湧いてきた。


 それで、いつかこの傷を乗り越える方法が見つかって──そしたら本当に、高峯を好きになれるかな。


 ……好きに、なりたいな。


「ん?」


 ふと彼の連絡先が追加されたスマホを見ると、通知が入っていた。


 もしかして。そう思ってトークアプリを立ち上げると、やっぱり一番上に新しい履歴がある。


 トーク画面を開けば──そこには、ちょっといかつい犬がお辞儀をするスタンプと一緒に、メッセージが一言。


『初めまして。よろしく』

「……ふふっ」

 

 思わず、声がこぼれる。


 いつの間にか強張っていた体から力が抜けて、自然と笑顔が浮かんだ。


 あたしはなんだか温かい気持ちになりながら、画面をタップして返信した。






『よろしくね、彼氏くん♪』






 ──そして、あたしは高峯聡人と恋人になった。



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