第5話 初恋・共感




 晴海に言われるがまま、俺は彼女と一緒に下校した。




 クラスの人気者と下校しているにも関わらず、心持ちは最悪のまま。


 道中は会話すらなく、次に互いの声を聞いたのは、学校から最寄りの駅前にあるカラオケに入ってからだった。


「この恋を〜、どう忘れたらいい〜のだろう〜」


 やけに実感が込められた美声を震わせ、晴海はマイクに向けて熱唱する。


 その横顔は胸に詰まったものを吐き出すかのようで、自然と手拍子を打ってしまう。




 約三分半に及ぶ歌唱はつつがなく終了し、大型の液晶テレビに採点結果が表示される。


 結果は驚きの90点越え。感心の声を漏らしていると、晴海はソファに腰を下ろして大きく息を吐いた。


「っはぁ〜……ちょっと気分が楽になってきた」

「……大丈夫か?」

「それはあんたもでしょ、高峯」


 まあ、確かに。大丈夫かと聞かれたら、全然大丈夫じゃない。


 正直に言えば今すぐ自室の布団にくるまって絶叫したいし、思いっきり泣いてしまいたい。


 だけど……玄関で見た晴海の表情がどうしても気になって、俺はここにいた。


「あーもう、マジ最悪の気分。高峯、今日はとことん付き合ってもらうから」

「その前に一つ聞きたいんだが……もしかして、晴海って」


一瞬、戸惑いが生まれる。


 これから口にしようとしていることは、とてもデリケートなもの。


 今の状況では特にそうで……俺なら、赤の他人には踏み込まれたくないことだ。


「大門先輩のことが好きだったのか、って?」

「っ……あ、ああ。さっきの学校での反応が、ちょっと気になってさ」


 まさか、自分から言ってくるとは思わなかった。


 動揺が声に乗ってしまうと、晴海はふっと寂しげに笑って背もたれに体を預ける。


「そうだよ。それで先輩に告白したけど、フられちゃった。『真剣に付き合ってる子がいるから告白は受け入れられない』ってさ」

「……そこまで一緒かよ」


 鮮やかな色合いのネイルの先でマイクを弄びつつ、「んー」と悩ましげな声をあげた。


「でも、単純に好きっていうのとは、ちょっと違うかな。憧れだったり、尊敬だったり……いろんな感情があったから」


 それって、俺が小百合に抱いていた感情と似たようなものだろうか。


「結構長い間片思いしててさ〜……高峯は? 宮内さんのこといつから好きだったの?」

「俺は……小学校の時から、七年くらい」


 今更ごまかすこともないだろうと、口の中で呟くように答える。




 晴海は目を見開いて、ややオーバーリアクションに驚きの表情を浮かべた。


「うわ、凄いね。そんなに長い間、誰かのことを好きでいられるんだ」

「俺にとって、小百合は理想の人間で、唯一の女の子だったからな。それなのに……」


 まさか、大門先輩と付き合ってたなんて。フられたことよりその部分がクリティカルヒットだった。


 思い出してまた気分が悪くなっていると、「本当にすごいよ」という言葉で意識が引き上げられる。


「あたしは中二の時から。ちょっとしたきっかけがあってさ、そっからずっと追いかけてて……今の高校に入ったのも、先輩がいたからで」

「ははっ、奇遇だな。俺も小百合があそこに行くって言うから、めっちゃ勉強した」

「マジ? もしかして、風邪引くくらいやった?」

「まさか、晴海も?」


 こくり、と頷かれる。

 

 どうやら晴海と俺は同じタイプの人間だったらしい。


「ほんと、人生で一番ってくらい参考書読んだよね。おかげで肌荒れるし、間食増えるしでもう最悪」 

「ああ、わかるわー。俺も受験期間はろくにジム行けなくてさ、筋肉落ちるわ、腹は緩むわで超焦った」

「高峯、細いのにスタイルいいよね。鍛えてたんだ」

「おう、小百合みたいに自分に自信を持つには、まず健全な体からって思ってな」

「それも宮内さんの為、か……すごい好きじゃん」

「当然だ。あいつはいつも、自分の思う理想に向かって努力し続けるすごいやつなんだ。それに綺麗だし、案外優しいところも……」


 思わずいつもの癖で捲し立ててしまい、本格的に始める寸前でハッと止める。


「それを言ったら先輩だって凄いんだから。空手超強いし、誰にでも分け隔てなく優しいし。それに、困ってる人がいたらちゃんと相談に乗ってくれるんだよ」


 すると、晴海も同じようなことをしてきてキョトンとする。


 彼女はにっと笑った。どうやら俺にだけ恥をかかせないようにしてくれたらしい。


「あたしら、互いの好きな人のこと本気で好きじゃんね」

「……ああ。好きだったよ。すげえ好きだった」


 あいつを想えば、どれだけ辛いことでも我慢することができた。


 いつか隣に並んでも恥ずかしくないと思える自分になれるまで、いくらでも頑張れた。


 


 だけど、今。その夢はもう潰えた。


「ほんと…努力が報われないって、辛えなぁ……っ」


 …あれ、おかしいな。


 晴海が気遣ってくれたからなのか、抑え続けていたものが目尻から零れる。




 みるみるうちに溢れてきた涙で視界がぼやけ、それを見られたくなくて手で覆い隠した。


 どうにか嗚咽を噛み殺そうとするけど、悔しさがとめどなく込み上げて、必死に歯をくいしばる。


「小百合っ……なんで、俺を選んでくれなかったんだよっ……!」


 しまいには、そんな弱音さえ出る始末。


 本当に情けない。これじゃあ、小百合に好きになってもらえるはずがないじゃないか。


 もっと俺が強くて……それこそ、大門先輩みたいな男だったら、振り向いてもらえたのかな……っ。


「高峯。隠さないでいいよ」

「あ……」


 不意に、自分の手を包み込む別の暖かさを感じた。


 それに導かれるままに、目元から手を外すと……同じような顔をした、晴海がいた。


「あたしもさ。おんなじ、だからっ……!」

「っ、う、あぁっ、あああぁあっ!」


 俺は、晴海の手を握って悲しみを解放した。


 晴海も、俺の手の感触を確かめるように両手でしっかりと握り返してくれて。


 ほんの少し残ったまともな思考が、ここがカラオケであることを考慮し、どうにか声量を抑えて。




 俺達は、ただ泣き続けた。








◆◇◆








 十分くらい経過しただろうか。


 ようやく昂ぶった感情も元に戻って、俺は空いた手で涙を拭う。


「……すまん。迷惑かけた」

「ん。気にしないで」


 晴海の手が離れていく。途端にぬくもりがなくなって、少しだけ名残惜しく感じた。


 改めて、彼女と顔を見合わせて……同時にぷっと吹き出す。


「あはは、酷い顔だ」

「晴海こそ、目元が真っ赤だぞ」

「メイク崩れちゃったかな。ちょっと直してくる」

「ああ」


 化粧直しに席を立った晴海が、部屋を出ていく。


 



 ガチャリと音を立てて扉が閉まり、個室の中が急にしんと冷えたような気がした。


「……あいつ、いいやつだな」


 自分も失恋したっていうのに、あんな風に親身になってくれて。


 他人に優しいをする女の子はよくいるが、自分が辛い時に他人を気遣えるのは稀だと思う。


「なるほど。ありゃあモテるわけだ」


 クラスのトップカーストにいる所以、その一端を垣間見た気分だ。


「ごめん、お待たせ」

「おう」


 そんなことを考えているうちに時間が経っていたようで、晴海が戻ってきた。


 


 そのまま座るかと思ったのだが、何故か晴海は入り口の近くから動かない。


 どうしたんだと訝しい眼差しで見ると、あいつはこっち側のソファに腰を下ろした。


「ここ、いい?」

「べ、別にいいけど……」


 まったくそういう気はないが、ちょっとドキッとしちまった。


「……初恋だったんだよね」

「え?」


 初恋。その言葉に浮ついた気持ちは消え、隣を見る。


 晴海は、顔を俯かせながらぽつりぽつりと話し始めた。


「あたし、昔から人と話すのとか、一緒にいるのが好きでさ。なるべく仲良くなりたいって思って、誰が相手でも積極的に話しかけるようにしてるの」

「……そうなのか」

「それで友達もすぐできるんだけど、男の子からはよく告白とかされて。あたしは別にそういうつもりで接してるわけじゃないからお断りすんのね」

「まあ、特別好きでもない相手に告白されたらそうなるよな」

「うん。で、そうすると色々問題が起きるのよ。振った相手から悪口言われたり、悔し紛れに変な噂とか流すやつもいてさ」

「マジか……本当にそんなことあんの?」

「わりとね」


 うへぇ……ずっと小百合一筋で、告白したこともされたこともない俺には未知の世界だ。


「そいつら最低だな。自分の想いとちゃんと向き合わないで、晴海に八つ当たりして鬱憤を晴らそうとするなんて。同じ男として恥ずかしいわ」


 でも、だからこそ晴海を悪く言った連中の〝好き〟という感情が、中途半端だとも感じた。




 


 恋は、夢みたいなものだと思う。






 見ているうちはとても心地が良くて、何でもできるような気がする。


 自分にとって都合のいい結果ばかりを夢想して、きっとうまくいくと心のどこかで思い込んだりもする。




 だけどその夢から覚めた時は、自分自身できっちりケジメをつけなきゃいけない。相手に当たるなんて以ての外だ。


「あっ、すまん! 変なこと言って話の腰折った!」

「ううん、ありがと。……それだけじゃなくて、気取ってると思われて女子からもハブられたり、好きだった男子があたしを好きになったからとかでイジメみたいなの仕掛けられたこともあった」

「っ……くだらねえ」

「だよね。本当に……辛かった」


 静かに落ちた一言は、深い悲しみと諦観で満たされていた。


「あたしは、ただ誰かと楽しく一緒にいたいだけなのに。でも現実はその反対で、すごく複雑で……そのうち、全部嫌になった」

「それって……」

「誰かといたいと思えば思うほど、嫌なことばっかり増えていく。だったらいっそ、もう他人と関わるのはやめようって思った」


 冷たい声で自分の過去を綴るその顔には、虚ろな笑顔が浮かんでいた。





 楽しくて笑う顔じゃない。どうにか自分の心を保つための、被り物の笑顔。


 話に真実性を帯びさせるには十分すぎるほどだ。もしこれが演技なら、晴海はアカデミー女優になれるだろう。


「全部から逃げ出したくなって……そんな時、同じ中学にいた大門先輩に出会ったの」


 今にも崩れてしまいそうだった晴海は、その言葉にひと匙の熱を込めた。


「一人で泣いてたら、大丈夫かって声をかけてくれた。人の顔を見るのも嫌だったあたしは拒絶したんだけど、根気よく訳を聞いてくれてさ」

「大門先輩がそんなことを……」


 いい人だとは思ってたけど、思った以上のイケメンだった。


「そのうち根負けして、仕方がなく悩みを打ち明けたの」

「先輩はなんて……?」


 ふと、晴海は顔を上げて。


 天井を見つめる瞳に光を灯し、懐かしむように微笑んだ。






「先輩は、全部我慢する必要なんてないって言ってくれたんだ」








◆◇◆








「嫌なことは嫌、違うことは違うって、はっきり言ってしまえばいいって、そう真剣な目で言ってくれた」


 …マジでいい人なんだな、先輩。


「その真っ直ぐさが、すごく眩しくてさ。ありきたりな言葉だったけど、その時のアタシには他の何より特別に思えて。一目惚れ?っていうのかな。なんかもう、ストンって心が落ちちゃった」


 さっきまでの陰鬱な表情とは裏腹に、晴海の言葉は溌剌としたものだった。


 現実と夢の板挟みになってた彼女にとって、きっとその言葉は希望の光のように思えたんだろう。


「それから、ちょっとだけ勇気を出してみることにした。誰かと一緒にいたいって気持ちに嘘はつきたくないから、うまく線引きしたり、人の感情を受け流す方法を身につけたの」

「上手くいったのか?」

「へへっ、まあね。先輩に出会う前より、ずっと生きやすくなったよ」


 嬉しそうに、楽しそうに、晴海はニカッと白い歯を見せて笑う。




 ……ああ、そうか。


 同じだったんだ、俺と。


 俺はあの日、小百合の強さに憧れて自分を変えたいと思う勇気を貰った。それは初恋だとかは関係なく、純粋な憧れだ。


「私の心を救ってくれた先輩に、お礼が言いたかった。あなたのおかげで、あたしは今も自分を好きでいられますって」

「……ああ」

「そして……あたしの人生を救ってくれた貴女の隣にいたいです、って」


 あの背中に恋焦がれた。だから同じようになりたくて……いつか、俺が守りたかったんだ。


「そう……したかったんだぁ」


 ぐすっ、と。鼻音が聞こえた。


 隣を見れば、小百合と寄り添う先輩を思い出したのか、また晴海は涙ぐんでいて。





 ……こんな時、あいつならどうするだろう。


 頭に浮かんだその疑問には、これまでの人生が答えを示してくれた。


「高峯……?」


 ソファに投げ出された彼女の手に自分の手を重ねると、驚いた顔で見られる。


 一瞬、余計なことをしたかなと思ったが、それでも俺は晴海の手を握った。


「わかるよ、晴海の気持ち。俺もそうだった」


 彼女がそうしてくれたように、傷ついた心に寄り添いたかったから。


「……へへ。やっぱり似た者同士だ、あたし達」

「だな」


 晴海の指に力が入る。俺も同じようにした。




 これは、ただ傷を舐め合っているだけなのかもしれない。


 好きな人にフられて、その人の相手は互いが好きだった人で、感傷に浸ってるだけかも。


 でも、それでも……こうして晴海と互いの熱を分け合うことは、間違いだとは思えなかった。


「……高峯はさ。これからどうするの?」


 ぼんやりと天井を見つめて、どれだけ時間が過ぎたのか。


 不意に、そんなことを晴海が問いかけてきた。


「まだ何も考えてない。そう簡単には立ち直れないし……」

「だよね……」

「ただ……強引に忘れるとかはしたくない。それは決めてる」


 きっとすごく時間がかかるだろうけど、でもこの夢を終わらせなきゃ。


 晴海は少し目を見開いて……それから微笑んでくれる。


「……そっか。高峯は強いね」

「何だそれ」


 俺が強く見えるなら、それはきっと小百合のおかげなんだろうな。



 それからしばらく、俺は何も考えずにぼんやりと天井を見つめていた。


「………ねえ、高峯」

「……なんだ?」


 すると、不意に晴海が話しかけてくる。


「もし、高峯がよければなんだけどさ」






 突然、それまでとは異なる強い何かを感じさせる声音に気を引かれ、彼女を見た。






 すると、晴海は既に俺をその綺麗な瞳で俺を見つめていて。






「あたしと付き合ってみない?」

「……………は?」







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