第4話 初恋・発覚




 その日は一日、小百合に話しかけることすらできなかった。




 だが、男のさがってのはどうしようもないもんで、フラれた相手だろうと簡単には忘れられない。


 ましてや相手は初恋の女の子。意識しまいと思えば思うほど、むしろ気にしてしまうもので。


「おーい、アキ。マジで行かなくていいの? 宮内さんに振られた残念会」

「あ、ああ。心配してくれんのは嬉しいけど、また今度にしてくれ」

「はいよ。まあ、朝も言ったけどあんまり気落ちすんなよ?」

「サンキュー。それじゃ!」


 放課後、なんだかんだと気にかけてくれる親友に別れを告げて教室を出た。




 まだそれなりに人が残っている校内を、なるべく自然を装って移動する。


 しかし、胸中には妙な焦りがあった。


「小百合、どこ行ったんだ……?」


 その理由は、案の定小百合のこと。


 昼休み、たまたま小百合のことが目に入った。


 その時あいつは、スマホを見て何やら嬉しそうな顔をしていたのだ。




 俺は直感した。あれは特別な相手への表情だったと。


 それから何度か同じ事をしているのを見て確信を深めた俺は、真相を探ることにした。


 小百合はもう十分以上前に教室を出てる。ヒロ達との雑談が少々長引いてしまった。


「もし先輩とやらに会いに行くなら、その顔を拝ませてもらおうじゃねえか……!」


 こっちにもプライドってもんがある。最高に魅力的な小百合に見合う男か確かめてやるわ!


「くっくっくっ……!」

「あいたた……」


 含み笑いをしていると、不意に悩ましげなが聞こえた。


 長年染み付いた習慣で、反射的に足が止まる。


 


 そちらに顔を向ければ、教室の中で初老の男性教師が腰に手を当てて呻いていた。


 何やら困っているようだ。しかし、今は急がなければ小百合を逃す可能性が……!


「まいったな……これじゃ運べん……」

「っ……あの、先生。何かお手伝いすることあります?」


 しかし、気がついた時にはもう教室に一歩踏み入っていた。


 先生は驚いた様子で振り返り、俺の姿を認めると、生徒だと理解して表情を和らげる。


「ああ。実は明日の授業の資料を持ってかなきゃならないんだが、ぎっくり腰をやってしまってな……」


 そう言って先生が示す机の上には、堆く積まれた白い紙束の山が。


「俺、運びます! どこの教室っすか!」

「お、おお。二階の端の資料室だ」

「うす!」


 場所を聞くや否や、紙束の山を両手で抱え上げる。


 それなりに鍛えているおかげで、軽く百枚以上はある資料は難なく持ち上げられた。


「これで全部ですか!」

「そうだな、これで全員分だ」

「先生はゆっくり来てください、置いとくんで!」

「悪いな、助かるよ」


 温和に笑う先生に背を向けて、俺は急いで資料の運搬に走り出す。


 引き受けちまった以上しょうがない、なるべく早く終わらせて小百合を探す!




 崩れないように気をつけながら、廊下を駆け抜ける。


 二階に上がる階段は廊下の向こう側。ちょっとした短距離走をしている気分だ。


 人気のない廊下を走破し、いざ階段に足を踏み出そうとした瞬間──隣接された女子トイレから人が出てきた。


「おわっ!?」

「きゃっ!?」


 なんとかたたらを踏み、急停止する。


 スマホをいじっていた相手は直前まで気が付かなかったようで、俺の声に肩を跳ねさせた。


「ごめん! 怪我してないか!?」

「いや、あたしも前見てなかったし……って、高峯?」

「悪いけど、ちょっと急いでるから!」

「あっ、ちょっ!」


 一刻も早くこいつを運ばなければと、俺は相手の顔もろくに見ずに横をすり抜ける。


 そして、一段飛ばしで階段を駆け上がっていった。





「資料室は……ここか!」


 二階に上がってすぐ、一番手前の教室のプレートに『資料室』の文字を発見。


 片手を紙束から外して扉を開け、中に入って一番近くにあった机に資料を置いた。


「ぜぇ、ぜぇ……こ、これで終わりだ」


 早々に頼まれごとを終えて、すぐさま小百合の捜索へ蜻蛉返りする。


 資料室から飛び出して階段を駆け下り、まずは一階の一年生の教室を探しに──!


「ちょっと待ったぁ!」

「ぐぇっ!?」


 く、苦しっ!? 誰だ、いきなり襟を掴んできやがったのは!?


 前触れなく首を絞められて、俺は下手人に振り向く。


 すると、そこにいたのはまさかの晴海だった。


「おまっ、晴海!? いきなりなんだよ!?」

「何でそんなに慌ててんのよ? ていうか昨日のことなんだけど、あんた本当に誰にも……」

「今度じゃダメか!? 俺、今はそれどころじゃないんだって!」

「はぁ? また? 人生焦りすぎじゃない?」


 そりゃ文字通り、これまでの人生が懸かってるからな!


「とにかく、話ならまた明日にしてくれ! じゃないと……!」

「──失礼します」


 言いかけていた言葉が、中途半端に引っ込んだ。


 覚えのある声が聞こえた直後、一番近くの部屋……職員室の扉が開いて、俺は咄嗟に物陰へ隠れる。




 ほどなくして、職員室から小百合が出てきた。


 きっちり四十五度の姿勢でお辞儀をする彼女は、相変わらず立ち居振る舞いが綺麗だ。


「あれって……宮内さん? なんで隠れるわけ?」

「しーっ! 声が大きい!」


 人差し指を立てると、晴海は渋々といった様子で口を閉じる。


 視線を戻すと、小百合が玄関の方に移動するところだった。


「やべっ……!」

「ちょっと、待ってっ」


 教室と教室の間の柱の影や、曲がり角に身を潜めつつ小百合の後を追う。


 後ろからは、何故か晴海が付いてきた。

 

「お前、なんで付いてくるんだよ」

「いや、クラスメイトが不審者みたいな事してたら気になるっしょ」


 ぐうの音も出ない。今の俺は完全にストーカーそのものだ。


「高峯、なんで宮内さんを尾行してんの? 普段から仲良いんだから、話しかければいいじゃん」


 仲良かったのは昨日までだけどな。


「……俺にも色々あるんだよ」

 

 また訝しむような表情をする晴海だったが、直後にピンときたような顔をした。


「ははーん。わかった、あんた宮内さんに告ったんでしょ」

「ぬぐっ」

「で、昨日フラれたんだ」

「うぐぐっ」


 何もかも言い当てられてしまった。態度がわかりやす過ぎたか。


 



 てっきり弄られると思って身構えたが、しかし晴海はそれ以上揶揄することはなかった。


 むしろ、教室では見ないような真剣な表情で、何かを考えている。


「そっか……あんたもなんだ」

「……?」

「あっ、宮内さん帰っちゃうよ」

「何っ!?」


 慌てて前を見ると、靴を履き替えた小百合が校舎を出るところだった。


 玄関を出たところで下駄箱の陰に移動し、そっと顔だけ出して様子を伺う。




 小百合は、校門の前で立ち止まった。


「人を待ってるのか……?」


 やっぱり、例の先輩の彼氏だろうか。


「誰を待ってるんだろうね?」

「……晴海、いつまでついて来るの?」

「ちょっと気になる事があるのよ」

「ふーん…」


 よく分からないが、真剣な表情をしてるし晴海にとって重要な事なのだろう。


 これまで大して話したことのないクラスの人気者と一緒にいると、奇妙な感覚だ。




 そうして待つこと数分。


 じっと見守っていると、不意にあいつへ近づいていく人影があった。


「き、来たっ!」

「っ……」


 やや大柄なその人物は、まっすぐ小百合に向かって歩み寄っていく。


 そのうち、あいつも気がついて顔を上げ……強い信頼を感じさせる微笑を浮かべた。


「あ……」


 初めて、見る顔だ。


 きっと、あれが恋する乙女の笑顔というものなんだろう。それを理解した途端に黒い衝動が溢れてくる。


「くそっ……!」


 出来ることなら、あの表情を向けられるのは俺でありたかったのに……!


 胸に燻るものを感じながら、俺は小百合に近付く野郎の顔を確かめた。


 一体どこの馬の骨が、小百合の心を射止めて──ッ!?




「大門……先輩………っ!?」

 

 


 笑顔で小百合の前にやってきたのは、なんと校内屈指の知名度を誇る先輩の一人だった。


 まさか、そんなはずが……っ!


 信じられない俺の心をへし折るように、小百合は淡く頬を朱に染めて何かを話す。


 そして二人は、ごく近い距離で並んで学校を後にするのだった。


「嘘、だろ……」


 脱力するままに、その場で崩れ落ちる。


 どうにか両手で体を支えるが、ガクガクと震えてうまく力が入らない。


「大門先輩が、小百合の彼氏……?」


 よりによってあの人が相手とか、マジかよ……っ。


 


 いくらなんでも相手が悪すぎる。


 これで多少イケメンだとかスポーツマンだとかだったら諦めなかっただろうが、大門先輩にはまったく勝てる気がしない。


 伝え聞く噂だけでも文武両道さがわかるし、朝のちょっとした会話だけでもいい人なのが分かった。


 何より、小百合のあの表情──幸せそうな微笑が決定的で、もはや、絶望感すら感じた。


「うっ……」


 ヤバい、ショックがでかすぎて気持ち悪くなってきた。


 寝不足も重なり、俺はその場でうずくまりそうになってしまう。




「……そっかぁ。宮内さんが、相手だったのかぁ」




 しかし、後ろから聞こえた声にハッとした。


 耳朶を震わせる、深い悲しみを感じる声に顔を上げて晴海を見る。


「先輩、ああいう子がタイプだったんだね」

「はる、み……?」


 彼女は、泣いていた。


 白く滑らかな頬の上を、透明の雫がするすると伝っていく。


 口元に浮かぶのは悲しみと自嘲の入り混じった、歪な笑い。


 同じクラスになってから一ヶ月、一度も見たことのない顔は、まるで鏡で自分を見ているようで。


「ははっ……あたし、バカみたい………」



『……バカみたいじゃん、俺』



 こぼれ落ちた言葉が、空虚になった胸の中に波紋を生んだ。


 



 呆気にとられて見上げているうちに、晴海は自分の手で涙を拭う。


 それから、無様に這いつくばっている俺を見ると少し照れ臭そうに笑った。


「ごめん、変なとこ見せちゃった」

「い、いや……」


 な、何か言うべきなんだろうか。


 どうすればいいのか分からずにいると、ふと晴海がじっと見つめてくることに気づく。


「ねえ、高峯」

「な、なんだ?」


 そんな俺に、晴海は少し悲しげな笑顔で。




「この後、ちょっと付き合ってよ」


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