第一章 隠した箱 II

 1時間目は数1だった。

「じゃあ今日の日直は佐久間だから…じゃ、佐久間、これ計算したらなにになる?」

 梨菜が当てられ、答える。まず日直の人を当てて、次は前後どちらかの人に当てていって…というのが数1の先生のスタイルだ。

「お、正解。じゃあ次、櫻井ー」

 梨奈は数学が得意って言ってたっけ。いいな、羨ましい。心臓がぎゅっとなる。

「x=3で最大値4です」

 梨奈の次の出席番号の櫻井さんが答える。

「はい、そうだね」

 先生が黒板に『x=3で最大値4』と書く。それをみんなが写す。シャーペンのさかさかという音が教室を包む。

 今日は後ろに回ってきた。私の名字は駒井だから、今日は当たらないかも。

 心の中で安堵のため息をつく。

 授業が始まってから40分が経ち、授業が終わるまであと25分となった。みんな集中が切れてきたのか、座り直したり、伸びをしたり、あくびをしたりしている。だが私はそれどころじゃなかった。

 まずい。今日は先生どんどん当てていくな。あと25分、もしかしたら回ってくるかも……。

「じゃあ次の単元進もうか。次のプリント配るね」

 先生は教壇の上のプリントの山から一部を削いで、窓側の列から配っていく。

「期末テスト、あと2週間ぐらいだからね。問題集もちゃんと進めとくんだよ」

 えー、この間中間やったばっかじゃーん。そんな声が教室のあちこちから聞こえる。心臓がぐうっとなる。

「テストの頻度が減ったら、一回のテストの範囲がめっちゃ広くなるから。そっちの方がみんなやでしょ」

 たしかに。でも部活できなくなるのやだ。プリントを回しながら、みんなざわざわと喋っている。

「ねえ、家庭科部は次の部活いつなの?」

 期末こそ、中間の挽回しないと。理系行きたいなら、もっと数学頑張んないと。

「ねえ、涼香ってば!」

 体がびくりと反応する。

 私に話しかけられていると思っていなかった。

「あ、ごめん。なんだって?」

私が無意識のうちに無視してしまっていたのは、隣の席の城山なつめだ。

「もう。次の部活いつ?」

「明日。そのあとはテスト週間に入るから、テスト明けかな」

「そっか。週に一回だもんね。明日は何作るの?」

「チョコマフィン」

「ふぁーー!美味しそう。また浩太くんにあげるの?」

 チョコマフィンという響きになつめは黒目がちな瞳を輝かせる。

「うん。せびられた」

「ねえ、やっぱ浩太くんってさ……やっぱやめた。涼香怒りそう」

 なつめは前向きに座り直すと口を尖らせた。

「……なによ」

「よし、プリントに名前書いたら、授業再開するよ」

 先生に言われ、急いでプリントの右上に組と番号、名前を書く。駒井涼香。

「じゃあ次は、青山。このとき、Xの変域はどうなる?」

  出席番号1番の子に回った。あと20分。

 その後も順調に授業が進んでいって、とうとう私の前の席の子が当てられた。

「2」

「そうだね。正解」

 心臓がばくばくばくばくいっている。

「じゃあ、つぎ駒井」

 プリントを見ていた顔をあげ、先生と目が合う。

「aが取れる範囲を求めるにはどうしたらいいと思う?」

「今二次方程式になってるから、aを移行してaに着いての方程式にしたらいいと思い、ま、す」

「そう。よくできたね。aについての方程式にしたら、グラフをかくとy=aのグラフになるから……」

ほっとした。でもまだ動悸は治らない。指先まで痺れて、シャーペンのグリップがいつもより冷たく感じる。

授業中当てられるのが怖くなったのは、いつからだろう。


 

 授業が終わる頃には、動悸や痺れは治っていた。

「涼香、浩太くんが呼んでるよ」

 1時間目が終わってすぐ、机の中から2時間目の現代の国語の用意を出していると、梨奈がそう教えてくれた。

「え?浩太?梨奈、教えてくれてありがと」

「うん」

 教室の前方の扉に目をやると、扉の前でこちらを見ている浩太がいた。

「どうしたの?」

「忘れ物しちゃってさ。生物の教科書持ってない?」

 申し訳なさそうな顔をして浩太は言う。

「ああ、あるよ。ロッカーの中置き勉してった」

 廊下にあるロッカーの鍵を開け、中を覗く。深緑色の背表紙に白いインクで『生物基礎』と書かれた教科書を手に取った。

「教科書だけでいい?資料集は?」

「ああ、資料集も貸してもらえると助かる」

「おけ」

教科書の横の資料集も取り出す。ロッカーの鍵をかけ、浩太に向かい合う。

「はい」

「ほんとにありがとう!助かる。いつ返せばいい?」

 浩太は顔に笑顔を浮かばせて教科書と資料集を受け取った。

「今日は生物ないからいつでもいいよ。あ、でも5時間目体育だから、帰りでお願いできる?」

「ん、わかった。じゃ、クラス戻るわ。ほんとにありがと!」

 手を振って浩太は教室の方に戻って行った。浩太が人混みに消えたのを見届けると、私も教室に戻った。

「……なに」

 私の机の周りに集まっていた梨奈、なつめ、そして私の席に勝手に座っていた河内真彩がにやつきながらこちらを見ている。

「浩太くんってさー。二組だったよねー」

 まあちゃんこと真彩がにまにましたまま言う。

「そうだね」

「でさ、ここ七組だよねー」

 まあちゃんと同じような笑みを浮かべながら、梨奈が言う。

「そうだね」

「遠いのにわざわざなんで涼香に借りにきたのかなー」

 2人と同じようなにやにや顔でなつめも言う。

「さあ。他クラスに私以外友達いないんじゃない?」

 空いていたなつめの席に座りながらいう。すると私以外の三人がほぼ同時に吹き出した。

「なに、なんで笑うの」

「そんなわけないじゃん。浩太くんバレー部でしょ!バレー部の友達とか、小学校同じだった子とかに借りればいいじゃん」

 笑いすぎて目に涙を浮かべながらなつめがいう。

「ほんとに、涼香って素でちょっと浩太くんの悪口言っちゃうよね」

 まあちゃんもいう。

「ちがう!悪口じゃないもん!ほんとにそう思ったの!あの子人見知りだから!」

 必死に弁明する。

「確かに。5月の初めのときとか、目があったら頭下げるくらいだったもんね」

 梨奈がいう。

「でもさ、やっぱり、浩太くんにとって涼香が特別なんじゃないかな」

 まあちゃんがいつのまにか手にしていたチョコレートを口に含みながらいう。

「さ、涼香さん。もしほんとにそうだったら、涼香さんはどうですか?」

 まあちゃんが机の上にばら撒いたチョコレートをなつめが奪って言う。ねえ、とまあちゃんが言い、ちょうだい真綾様、と不敵な笑みを浮かべながらなつめはまあちゃんに媚を売る。

「もし、そうだったら、ちょっと、嬉しい」

 スカートをギュッと握った。

「「「ちょっと??」」」

 3人が口を揃えてこちらを向く。

「……めっちゃ」

「「「きゃー!涼香ったらかわいい!!」」」

 3人がわたしに抱きついてきた。

 恥ずかしい。

 でも、ほんとのことだよ。

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