第4話 モデル【エルラドルトランセスラビット】

 ドガァンンと、何かが地面に叩きつけられた音がした。

 まさか津雲が失敗し、矢瑠奈が地面に直撃したのか?


「……」


 そう思ったが、地面に落ちたのは巨大兎の方だった。

 彼の落下により、道路にくぼみができてしまった。


「とどけぇええええええ!」


 走りながらスライディングする津雲の姿。

 地面に直撃まじか――の所で彼は女性を受け止めた。


「やったー! 間に合ったー! カレーライスは、飲み物です。 ちなみにドーナッツは空気です」


 謎の歌を歌いながら彼は安堵した。

 レディを救った自分を褒めたい気分だ、と彼は思う。

 受け止められた女性は、弱弱し声で津雲に感謝の言葉を述べる。


「……あ……ありがとう……見知らぬ人……もう少しでアタシ、死ぬところだった」


 傷ついた女性へと目を向けると、その子はセクシーなバニーガールの格好をしていた。バニーと言えば衣装は黒や赤が相場だが、彼女のレオタードは珍しく褐色だった。津雲はバニーガールが好きなのでドキドキが止まらなくなっている。

 心の中で『おいおい、これはワンチャン夜の関係あるんじゃね?』と騒ぐ。

 だが、今は興奮を覚えているときではないようだ。


「こぽぉおお。お前。誰だ。おいらの女に、触れるな。殺す」


 地面に直撃して動かなかった巨大兎が動き出す。

 彼は口から白い息を吐きだし、体をこちらに向ける。


「受け止めてくれてありがとう、見知らぬ人。アタシはもう大丈夫だ」


 彼女の全身は傷だらけ。あらゆる箇所から血が出ており、バニーガールの衣装もところどころ破かれていた。バニーガールを傷つけるなんてあの野郎……許せない。


「……さぁ、お客様、二回戦と行こうじゃねーか」


 彼女はまだ戦う気だった。一般人が暴兎を相手にできる訳がない。――と一度は思ったが、津雲はすぐに彼女の頭から生えた荒々しい2本にうさ耳に気付く。


「アンタもラビッツなのか?」


「アタシは……アタシは……ラ」


「……ん?」


 なんだか雰囲気が変わった。

 刺々しさが消え、甘々さが漂う。


「ラブッ!! アタシ、もう我慢できない。アタシ、アンタのことが好き」


「は?」


 先ほどまで敵に向けられていた闘志が消失。

 彼女の視線は打って変わって津雲の方へと向けられていた。

 その情熱的な眼差しに彼を含め、秋葉原にいた野次馬たちも動揺する。


「は!?」「え!?」「ん!?」「マッ!?」「チョッ!?」


「アタシと交尾しよう、ねっ」


「え!? いきなり!? こんな白昼堂々と!?」


 突然の告白に津雲は戸惑った。

 頬を赤らめる女性からの熱い言葉。

 しかも数ステップ飛んでいきなり大人の行為だなんて!? 

 バニーガールとのおワンナイトラブ。最高じゃないか。

 落下を受け止めたことで発動した吊り橋効果ってやつ!?


「――って、いやいやいや、一回助けただけで好きとか、おかしいでしょ。裏があるに決まってる」


 そう。おかしいのである。

 そしてもう一人、おかしくなったヤツがいた。


「おいらの女に手を出したお前を許さない。殺す。殺したいほどお前が愛おしい」


「……ハァ?」


 聞き間違いだろうか?

 巨大兎から愛おしいと聞こえたような気がした。


「殺したいほどかわいい。お前は男だけど、おいら、お前のこと好きかこしれない! だから、おいらにお尻を見せろ! 共に新しい扉を開こうじゃないか!!」


「いやいやいや、男に欲情するとか変だ……あ、欲情と言えば」


 津雲は二人がおかしくなった原因に気付く。

 

「反転解除」


 発動していた能力を解除した。


「ハウッ!?」


 途端、女性は眉間に皺を寄せる。

 ペッと唾を吐き捨てて津雲の頬を叩く。


「よく見たらタイプじゃねーや。キモ。アタシを夜を楽しもうだなんて10年ハエ―んだよ。アタシとやりたきゃもっとトーク力を磨いて来な」


「助けたのに叩くなんた酷い話だ。まぁ、いいや。能力を解除しなかった俺のせいでもあるからな。むしろ俺が謝るべきだ。すまん」


 頬が痛かったが、落ち込むことはない。


「おいらの気持ちを弄ぶなんて……やっぱりお前許さない!!」


 乙女のようなことを言いだしたおっさん。

 津雲はジンジンする自分の頬を撫でながらヤツを見る。


「それはそうとバニーガールちゃんよ、アイツはそんなに強いのか?」


 彼は道路のど真ん中で興奮する巨大な兎へと視線を向けた。


「……」


 津雲には分かる。この女性は相当強いラビッツだ。

 その強いラビがあんなやつにボコボコにされている。

 単純に考えると、アイツの方が強いように見えた。


「ツエーわけねーだろ。あんなチンポ野郎より、アニ手マールの店長であるアタシの方が何十倍もツエーに決まってんだろ。勝つまで戦えばアタシのカ……チ……」


 口ではそう言うが、体はもう限界だ。

 相手に向かって歩くが、すぐにバランスを崩す。

 津雲は地面に倒れこむ寸前に彼女の体を支えた。


「アンタは十分強い。ただ相手が悪かった。あとは俺に任せて、そこで休んでいてくれ」


「ハァ? バカ言ってんじゃねよ。敵を前にして休める訳ねーだろ。ここでアタシがアイツを止めなきゃ、沢山の人が傷つく。それにアイツはアタシの店をめちゃくちゃにした! だからヤツはアタシの手でぶっ飛ばさなきゃ気が済まねーんだよ」


 彼女の意思は固い。とても気高い女性だ。

 そんな彼女の目を真っすぐ見て彼は告げた。


「言っただろ。俺が来たって。だからもう誰も傷つかない。俺を信じろ」


 津雲はゆっくりと歩き出した。


「それでも戦いと言うなら俺は止めない。だがこれ以上やれば、アナタは本当に病院送りだ。最悪の場合、死ぬかもしれない。よく知らないが、アナタはアニ手マール? と言う店の店長なんだろ。なら第一に考えるべきは自分の体だ。アンタが病院送りにでもなったら、店員たちが悲しむと思うぜ」


 津雲は沢山集まった野次馬の方へと指をさした。

 女性が視線を向けると、その中から全身の猫耳少女と動物のコスプレをした女性たちが現れる。彼女たちは「矢瑠奈店長!」と声を荒げながら、感動的なムードでバニーガール姿の秋元ウサ子へと駆け寄ってきた。一直線、大事な存在を包み込むように、皆で彼女を抱きしめた。店員に抱きしめられ、矢瑠奈は優しい笑みを浮かべる。


「みんな」


「無事でよかったです店長!! 皆のために戦ってくれて……ありがとうございます……店長が無事で……良かったです……本当に本当に……」


「心配してくれてありがとう皆。あと夜乃……お前はまず服を着なさい」


 抱きしめあう6人を見ながら津雲は微笑んでいた。

 アニマルコスプレ少女とバニーガール姉さんの重なり合う肌。


「……素晴らしい……」


「ねぇ、アンタ……」


 ボロボロの矢瑠奈がか細い声で津雲に声をかけた。


「認めたくないけど……確かにアタシじゃアイツには勝てない。限界を突破すれば何か見えてくるかと思ったけど、ボコボコにされて無様な姿になっただけだ」


「無様なんかじゃない。誰かを守るために戦ったアナタは格好いい」


「……フッ、嬉しい事いいやがる。んじゃ、任せるわ」


 バトンタッチ。


「――でもよ」


 戦いの前に、矢瑠奈は津雲に尋ねた。


「大きなお世話かとは思うが、本当に勝てんのか? 相手はかなり強えーぞ。言うなれば性欲モンスターだ。交尾をするためなら、邪魔者を容赦なく殺す暴走機関車。対してアンタは、強そうな雰囲気が全くしないと言うか……なんて言うか……」


「貧弱と言いたいんだろ? まぁ、言いたい気持ちは分かる。服装が黒一色だからな。黒は細く見える。でも俺は、残念ながらそこまで貧弱ではない」


「?」


「簡単に言うと、人を見た目で判断するのは軽率だってことだ」


 椎鳴津雲、通称:黒兎

 彼のモデルは【エルラドルトランセスラビット】

 四季が存在する地域に生息する兎だ。雪が降る季節になると毛が白色に生え変わり、雪と同色となることで生存率を上げる。雪が溶ける季節になると毛が黒色に変化。夜行性となり、暗闇にその身を隠す。季節ごとに色が黒と白に変わるのが特徴。

 

 これこそが食物繊維の弱者であるトランセスウサギが生き抜くために見につけたすべである。このことからエルラドルトランセスラビットは別名:反転兎とも呼ばれている。現時点で黒兎の髪の毛が反転して白色になることはないが、【反転】と言う能力だけは手にしていた。彼は自分の意思であらゆる物を反転させることができる。それが概念であろうと物体であろうと関係ない。全て反転可能だ。


「なぁ、デカブツさん。申し訳ないが、俺はこれから大事なハロライブのイベントに行かなきゃいけないんだ。あと兎羽うさはぺこなちゃんと何を話そうか決めなきゃいけない。最低でも30分前にはベルサイユ秋葉原に着きたいんだよ」


「くほぉおお。何を言ってやがる。お前。嫌い。おいらの愛の邪魔をするな」


「重すぎる片思いはただの迷惑だって偉い人から教えてもらわなかったのか?」


「失礼だな、不純愛じゅんあいだよ」


 黒兎は目の前で暴れる兎野郎に立ち向かう。

 果たして彼はガチギレした暴兎・玉川に勝てるのだろうか?

 彼の戦闘に野次馬たちの期待と視線が集まっていった。

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