第5話 特シツ:反転

 圧倒的な実力差だ。潜ってきた修羅場が違う。

 3倍上の体格差など関係ない。戦力差も完全無視。


「くはぁあああああああああ! なんで攻撃が当たらない!?」


「攻撃反転。質量反転。立ち位置反転。重力反転。視線反転。肉体反転。照度反転」


 津雲はその場から動くことなく、指を鳴らすだけで攻撃を繰り出す。

 1分もしないうちに、彼は悲しき性欲モンスターを沈めた。

 巨大兎の体は変な方向に曲がり、完全に動きを封じられる。

 変な方向に曲がってはいるが、決して折れている訳ではない。


「なるほど、1分って意外と長いな。こりゃ推しとも色々と話せるかもしれない!」


「……おいらの……っじゃまを……おいらのエッチタイムを……じゃまをして……お前を殺す……殺して……裸を全国民にさらしてやる……打ち首を……全国に」


「ふーん。意外とタフだな。気絶してくれないと困るんだよね」


 意識が飛ぶほど殴ったはずなのに、巨大兎と化した玉川の意識はまだあった。

 何が彼をここまでさせるのか? 強い意志? いや、強い性欲とでも言ったところか。バニーガールとエッチがしたい。その思いが彼の意識を繋ぎとめている。


「コスプレバニーガールちゃんとエッチが……エッチが……したい……」


「エッチがしらいならコスプレOKのソープに行けよ」


「ソープはプロだから……下半身が反応しない……素人だから……興奮する」


「じゃあ、彼女でも作ってバニーガールの衣装を着させれば?」


「それができたら苦労はしねーんだよ。あと、おいらはアニ手マールの矢瑠奈店長とエッチがしたい。バニーガール衣装の背中のチャックを舐め回したい」


「アレチャックって言うんだっけ? ファスナーじゃね?」


「素人は黙っとけ!! 全部同じじゃぼけぇええええ!」


「そうか。すまん」


「ハァハァ……叫んだら……意識が……。バニーガールとエッチの夢が……」


 風前の灯。

 今はゼェゼェと苦しそうにしているが、異常なタフさを持つヤツがこのまま終わるはずがない。このままだと体力が回復し、また暴れだす可能性も無きにしも非ず。


「できれば話し合いで解決したいんだがな」


 心のチンコさえ収めてくれれば暴兎化は治る。

 そうなれば苦しむことなく人の姿に戻ることができる。

 しかし、大概の場合は交渉決裂で終わる。

 なぜなら動物は命の危険を感じれば感じるほど生存本能が強くなり、子孫を残そうと考える。それは暴兎化した人間でも同じこと。数秒後には死ぬかもしれないと思えば思うほど子孫を残すために『誰かと交尾がしたい』と思うのである。

 例えて言うなら、自慰中に『シコるのやめろ!』と言われるようなモノ。

 一度下したパンツ。最低一発抜くまで、行為をやめる人間などいない。


 目の前にいる蓋子玉川は年齢も相まってか、強く性を求めている。

 津雲は無駄だと思いつつ、暴兎と化した玉川に話しかけた。


「なぁ、巨大なバニーさんよ。俺はアンタから大切な物を奪いたくない。だから一度出し性欲を戻してくれねーか? 戻せばお前もラビッツなれるかもしれない」


「断る。目先の性行為の方が大事に決まってるだろ。ラビッツなんかに興味ねーよ」


「……そうか……断るのか……」


 二人の間に無駄な沈黙が流れる。


「――いや、何もしないのかよ」


 断れたところで、黒兎は何もしない。

 正確に言えば、何もできないのだ。

 復活しそうな玉川を前に、黒兎はただただ俯いていた。

 とどめを刺さない津雲に矢瑠奈が声をかける。


「アンタ、ラビッツ協会の人間だろ」


「……」


「だったら一斉送信されたメールが届いてるはずだ。協会から正式に、蓋子玉川の処理が許可された。ためらうことはない。やれる」


「……」


「なんで手を出さない? そこまで追い詰めたのになぜソイツを狩らない?」


「勝負はもうついている。あとは警察の到着を待つだけだ」


「警察任せ? 協会から私らに許可が出たって言ってんだろ」


「……」


 何もせずに俯く黒兎を見ながら、矢瑠奈は言った。


「あの噂は本当だったんだな。反転って能力を目の当たりにした時点でなんとなく気付いたが、お前があの有名な黒兎か。かつてラビッツ協会の貢献ランキングで12か月連続で1位だった男。最強と呼ばれ、無敗の記録の保持者。だがあるとき、急に姿を消し、幽霊社員となり果てた。ランキングは最下位。基本給もなし、歩合制なので、倒した暴兎がゼロであれば、給料が出ることはない」


「……給料なんて必要ない。今の俺はイラストで稼いでいる」


「それでいいのかよ? それでも私と同じラビッツか!!」


「それでも俺は……この男から大切な物を奪いたくない……」


 アニ手マールの店員に支えられ、矢瑠奈店長が彼のそばまで来た。


「でもコイツは、目先の性欲を取ったんだろ? だったら救いようがねー」


「……それでも俺は……やりたくない。警察に任せれば、すべてうまくいく」


「アメーな。遅かれ早かれ、暴走を選んだヤツの末路は同じだ。数年前ならまだ病院側にも暴兎を受け入れる余裕があっただろうよ。でも最近は違う。テレビとかで言ってるだろ。ここ数年間はずっと病床が逼迫し続けている。暴兎を受け入れられる場所なんてどこにもねーんだよ。運よく受け入れ先が見つかった野郎はそこで死ぬ。そして運悪く受け入れ先が見つからなかった野郎は施設によって荒療治を受ける」


 ここで言う荒療治とは、ウサギ耳を切り落とすことである。

 最近の研究で分かったことではあるが、ウサギ耳を切り落とされた人間は、数秒もしなううちに元の人型に戻る。ただこの治療法を受けた者は大切な物を失う。

 本来であれば、荒療治には暴兎化した者の家族の了承が必要となる。

 しかし玉川は独り身だ。彼のために決断する家族はいない。

 こうなった場合、荒療治の決断は国か協会が行うこととなる。


 今、ラビッツ協会から正式に荒療治の許可が出されていた。

 つまり彼を受け入れる病院がないことを意味する。


「ここで私らがやらなきゃ、あとで警察がやるだけだ」


「それはまだ分からないだろ。受け入れ先が見つかるかもしれない」


「見つからねーから協会から正式に許可が下りたんだろが!」


「……受け入れ先、あるかも……」


「テレビ見ろよ。どこにもねーよ。それに医療従事者だって暇じゃねーんだよ。バニナウイルス感染患者や暴兎どものことばかり相手にしていたら金にならねーの。だからアタシらがここでコイツを処理すれば、少しは誰かの役に立つだろ」


「……それでも俺は、誰かのウサギ耳を切り落としたくはない」


「……」


 彼女の言葉は、彼には届かない。

 時間の無駄だと言うことが分かった。


「クソッ。正直体が痛くて動かねーが……。根性で動かすか」


「矢瑠奈店長! ダメですよ動いちゃ!」


「動かなきゃ、暴兎を処理できねーだろ。いいとこどりみたいで気が進まねーが、津雲てめーは下がってろ。選手交代だ。とどめはアタシがさす」


 矢瑠奈は鋭い爪を、倒れる玉川の方へと向けた。


「終わりだ」


「……ハァハァ……苦しい……バニーちゃん……おいらのそばに来てくれるのか? おいらを選んでくれるのか? うふふ、嬉しいよ。おいらを選んでくれて」


「んな訳ねーだろ。よくもウチの店をめちゃくちゃにしてくれたゴミカス豚野郎」


「うひょぉおおお! 罵倒されること好き! 元気出て来たぁあああ!」


「最後にアタシの秘密を一つ教えてやる」


「……うっはぁああ! バニーちゃんの秘密が知れる! ハァハァ……!」


「アタシ、元セクシー女優だから」


「……え……?」


 巨大な兎は目をまん丸くして硬直した。

 

「それでもアタシとやりたいか?」


「え……プロの方は?」


「元な」


「プロは……その……」


「結局テメェはそんなレベルだ。アタシとやりたきゃ、死んでやり直しな」


 矢瑠奈はその鋭い爪で蓋子玉川の兎耳を切り落す。


「……おいらのバニーちゃんは……プロの人……それじゃ立たない……スヤァ」


 蓋子玉川の体から蒸気が発せられ、彼の全身を覆っていた兎の毛が消えていく。

 5秒ほど経った後、彼の体は元の人間の状態へと戻っていた。

 耳を切り落とされただけなのにで、命に別状はない。

 今は暴れ狂った反動で寝ているだけなのでそのうち目覚めるだろう。

 目覚めたときの彼は、たぶん、大事な何かを失っている……。 


「……」


 眠りにつく玉川を見ながら、津雲は思う。


「この力。五徳ごとく駄兎だととは関係なさそうだな……」


 顔を上げ、彼は矢瑠奈の方へと視線を向ける。


「それじゃ、俺はこれからイベントがあるから行く」


 彼は悲し気な表情をしながら、皆に背を向ける。


「待てよ黒兎。今回は運が良かったかもしれねーが、強い相手と対峙したらどうすんだよ。テメェーのやり方じゃ、一生決着がつかねーだろ」


「大丈夫。そうなったら、今回みたいに他のラビッツがとどめをさしてくれるさ。それに俺はもう戦わない。今回のこれは、君を助けるために仕方なく戦っただけだ」


 彼は知っていた。

 暴兎の耳が切り落とされた場合、その人の体は元に戻る。

 だが、大切な物を失う。

 その大切な物こそ、いわゆる『性欲』と言うヤツだ。


 つまりそれは――


『興奮してもチンコが勃たなくなる』ことを意味する。


 チンコが立たず、最終的には性欲がその人から消えていく。


 その事実を知っていたからこそ、彼はウサギ耳を切り落とさない。

 

「……」


 以前はこの処理を病院や警察が行っていた。ラビッツは暴兎と戦って気絶させるだけで良かった。でも数か月前に法律が代わり、ラビッツも暴兎の耳を切り落とせる資格が与えられた。協会の許可せがあれば、心置きなく耳を切ろ落とせるのだ。

 それでも黒兎は、許可が出ても最後の耳を切る仕事ができないでいた。


「……」


 相手も彼を同じ人間だ。興奮し、発情し、異性に好意を向ける存在。暴兎となってしまったのはバニナウイルスのせいだ。――とは言え、暴兎化はその人物の感染予防の適当が招いた変貌なので、100%ウイルスが悪いかと言われればそう言う訳ではない。何パーセントかはその人物にも責任がある。どちらにせよ、その人物から人生における楽しみに一つを奪う訳にはいかない。と彼は思った。


「それに性欲が無くなったら、エロ画像でシコれない」


 自分がウサギ耳を切り落とされたらと考えると背筋が凍る。


「褐色バニーガールちゃんは蓋子玉川の兎耳を切り落としたんだよな」


 分かる。

 玉川は心の股間を収めなかった。その時点で適正なし。

 しかも彼は器物破損や暴力行為、様々な悪事をしていた。

 警察が来れば、逮捕されることは間違いないしだ。

 それに逮捕されれば、きっと警察も彼の兎耳を切っていた。

 最近は病院を探すことを面倒に思い、自己判断で兎耳を切る警察が増えた。

 正直数年経った今でもバニナウイルスの特効薬は開発されていない。

 なので人間に戻す方法はこれしかないのだ……。


「でも……性欲を奪うなんて……可哀想だ」


 今更言ったところでもう遅い。

 正式に許可が出た以上、誰も責められない。

 それに、これが蓋子玉川と言う男の選択なのだ。

 目先の性欲のために、彼は多くの物を失った。


「……」


 黒兎は今も模索していた。

 どうすればもっと多くを救えるのか?

 そこで思いついたのが交渉だった。

 話し合いでの平和的な解決を求めるのだ。

 この方法で救えた性欲、もとい人も沢山いる。


「まぁ、いいや。切り落とされたものはしょうがない。切れた物はもうくっつかない。とりあえず今は、ハロイチ推しトークのことだけ考えよう」


 今起きたことをいったん忘れ、彼はイベントを楽しむことにした。


 ■   ■   ■


 会場にはズラーーーーーと長い列ができていた。

 ここにいる何百、何千と言う人達が今日のイベントを楽しみにしていた人たちだ。列に並ぶ中、話すことを練習する人もいれば、音楽を聴きながら心を落ち着かせている人もいる。そして黒兎こと椎鳴津雲はと言うと――


「やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい緊張してきた。あと200人くらいで俺の番だ。やばいやばいなんて話そう。挨拶に0.5秒だっけ? フリートークに40秒? 別れのあいさつに残りの数秒? えっと、えっと別れの挨拶いる? いや、いらない気がする。でも『またね』くらいは言った方がいいよな。そもそも、またねって言ったところで次へねーだろ。カッコ笑い」


 めちゃくちゃ緊張していた。


「だってヤバくないか。いつも家で見ている推したが目の前にいるんだろ」


 家だろうが会場だろうが画面越しではある。


「お元気ですか? って言ったら、元気だよって返事をくれんだろ?」


 彼の表情は仮面で隠されているが、たぶんすごく汗をかいているに違いない。

 それから数時間程が経ち、彼の番が回ってきた。

 目の前には赤いカーテン、その向こうにはたぶん個室がある。

 黒兎はその圧倒的なカーテンにビビり散らかしていた。


「お客様、お入りください」


「あ、はい」

 

 カーテンの向こう側へ……。

 中へと入り、彼の画面の前に置かれた椅子に座った瞬間、画面の左上にあった60秒と表示された時間が動き出す。59秒、58秒。時間が過ぎていく。

 彼は心の中で『え、もう2秒が過ぎた!?』と焦った。


「あ、あ……」


「こんぴょこ! こんぴょこ! こんぴょこ! ハロライブ三期生の兎羽ぺこなぴょこー! 今日はぺこあに会いに来てくれてありがとうぴょこー!!」


「あ、あ、あはは……リアル挨拶、あざっす……きょ、今日は寒いね」


「だねー。11月だから、雪が降るかもね」


「アハハ……そ、そうだね……か、かわいい……」


「ありがとうぴょこー! お兄さんもかっこいいいぴょこよー!」


 黒兎は格好ういいと言われて喜んでいたが、彼の顔は黒い仮面で隠されている。格好いいと言う言葉が社交辞令にも関わらず、彼は普通に喜んでいた。


「お客様、お時間です。ご退出お願いします」


 外からスタッフの声が聞こえた。


「もう時間か。はやいなぁ……じゃ、じゃまたね」


「バイバ~イ! エンディング♪」


 至福の時間を満喫した彼は、ふわふわな幸せなオーラを纏わせながら物販コーナーへと足を進めた。これで彼は今日も元気に生きていける。

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