第3話 手話奉仕員養成講座

ドラマの中で主人公の想は手話で会話をし、相手とのコミニュケーションを取ります。


私も自分の難聴が進行性の難聴だと分かった時に、医師から「将来のことを考えて聞こえているうちに手話を覚えた方がいい。」とアドバイスを受けました。

将来コミニュケーションを取る手段のひとつとしてお勧めして下さったのでしょう。


そのアドバイスを受けて直ぐに私は手話を学べる場を探します。

そして見つけたのは市が募集していた「手話奉仕員養成講座」でした。


「手話奉仕員養成講座」には手話奉仕員、通訳者として福祉の仕事に関わりたい人、手話を勉強したい人、手話を必要としている職場にいる人、と理由は様々で年齢層も高校生以上高齢者まで幅広く参加されていました。


「手話奉仕員養成講座」では初級が半年、毎週1回2時間学びます。

初級の内容は指文字を覚える。相手の簡単な手話が理解できる。自己紹介、挨拶の手話ができることだったように思います。


見たことがあるかと思いますが、指文字は「あ」から「ん」まで全部指で様々に形を変えて言葉として示します。

私はその指文字を覚えることが苦手で苦戦しました。自分のフルネームすら間違えることも度々で、指文字の勉強中は緊張していましたね。


今は自分の名前を指文字で示すことはできますが、他の指文字は忘れてしまいました。緊張しいだった私は指文字を頭の中に刻むことが出来なかったようです。


初級を終えると、そのまま継続で中級を半年学びます。中級の内容は特定の聴覚障がい者と手話で会話ができる。日常的な会話ができる。だったように思います。


この頃になると、指導員さんが講座の参加者を数名指名して、教室の前に立たせ、皆の前で学んだ手話を披露するという学習も始まります。


6人くらいでそれぞれ1人ずつ、指導員さんの言う言葉を手話に変換して披露するのです。


「朝、学校に行った」とか「今日は友達に会います」とか「明日はお休みです」とか言えば簡単な言葉ですが、手話にすると動作に感情ものせて言葉として伝えるので難しかったです。


それに何より教室の前に立って皆の前で手話をするということがもう、緊張と飛び出しそうな心拍で自分の番になってどのように手話をしたことやら全く記憶にありません。


まるで劣等生のような生徒ながら、親しくなった参加者の人たちにも支えてもらい、私は1年間の手話奉仕員講座を学び終えることが出来ました。


1年間学び終えると中級の手話奉仕員カードが貰えます。もう何年も前、昔のことなので今もそうなのか分かりませんが、このカードは聴覚障がい者に「日常会話くらいは手話ができますよ。お手伝いしましょうか?」と奉仕できることを示しています。


私は自分自身が手話を使えるようになることが目的だったので、自分から進んでボランティアに行くことはありませんでした。


しかし、今思うと勿体ないことをしたなと思います。もっと積極的に聴覚障がい者の中に入って手話で会話をすれば良かったなと後悔もあります。


なぜなら、私の周りに手話で会話をしてくれる人はいなくて、私が手話で話しても理解できる人がいなかったからです。


家族も「手話より口で話した方が理解できるよね」と私が学んだ手話を一緒に覚えようとは思ってくれませんでした。


だんだん私は手話を使わなくなって、今は全く手話を使うことはありません。それはもう1つ理由があるのですが、その理由はまた改めてお話ししたいと思います。


全く手話を使わなくなって、私は学んだ手話のほとんどを忘れてしまいました。

朝、昼、晩の挨拶。「私はあなたを愛しています」という言葉。苦しい、嬉しい、悲しい。僅かながら覚えている手話も。


手話はやはり、覚えて、使って、体に刻んで、繰り返し繰り返し手話を使う経験を重ねることが自然に感情も一緒に伝えることができるのだろうなと、今は、思います。

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