第10話

 不意に飛んできた何かが顔面にぶち当たり、悲鳴をあげた。


 ふわりと香った美味しそうな匂いに、俺はそれがなんなのか理解する。


「大!?」


 ハッとして振り返ると、汗だくの大が息を切らしながら右手を構えていた。


「ぶひぃ、ぶひぃ……ごめん! 遅くなっちゃった!」


 今のは大の奥の手である『唐揚げ弾チキンバレット』だ。

 右手から唐揚げを高速で射出するだけなんだが、本気を出せばそこそこの威力が出る。

 学校にバレるとカテゴリーが上がるかもしれないので内緒だが。


「ワイもおるで!」


 隣には、だぶだぶの私服を着た嬲の姿もあった。


「嬲……お前ら、なんで来たんだよ!?」


「友達だからに決まってるでしょ!」


「せや! 親友のワイら出し抜こう思うてもそうはいかんで!」


「カラオケの後学校に戻って勇人君が捨てた手紙頑張って直したんだから!」


「肝心の場所の書いてある欠片がど~しても見つからんからこの辺ウロウロしてたら勇ヤンの悲鳴が聞こえてきたってわけや! どや、ナイスタイミングやったやろ?」


「バカ野郎! あぶねぇだろ!?」


 こうなるのが嫌で、俺は内緒で来たというのに。


 俺がボコられる分には平気だ。

 全身に針を刺されようが、金玉を金槌で殴られようが耐え切る自信はある。

 けど、ダチを傷つけられるのはダメだ。


 こいつらは普通に怪我をして、死んじまうんだ。

 そんなのは絶対に耐えられない!

 それなのに、俺は嬉しくって泣けてしまった。


「それはこっちの台詞だよ! 丈夫だからって無茶しすぎ!」


「せやで! コンクリで固められて川に捨てられたらどないするんや! アホな事してへんで早ぅ逃げるで!」


「……あぁ、そうだな!」


 ダチが迎えに来てくれたんだ。

 これ以上意地を張る理由はない。

 俺の足を掴んでる謎の手をぶん殴って放させると、二人の元へと走っていく。


「逃がすな!」


 ぞろぞろと法被の親衛隊が退路を塞いだ。


「バカめ! なにをされても平気だと言うのなら、そこの仲間を痛ぶってやる! それでもダメなら……ふはははは! お前の仲間が良い事を言っていたな? 重石を付けて川にドボンだ。死ねない体で永遠に苦しむがいい! はーっはっはっはっはっは!」


「ざっけんな! こいつらは関係ねぇだろ!?」


「関係あるよ!」


「せや! 水臭い事言いっこなしやで!」


「お前ら、そんな事言ってる場合じゃねぇだろ!? 囲まれてんだぞ!?」


 普通に怪我して死ぬくせに、なにを余裕ぶってるんだ!?


「僕達がこんな危ない所にたった二人で来ると思う?」


「ワイらは勇ヤンみたいに向こう見ずやないで。というわけで、マルちゃん! 出番や!」


「マルちゃんって言うなあああ!」


 叫びながらシュタッと天井から降ってきたのは、ラフな私服の円子だった。


「円子!? なんでお前が!?」


「あんたの友達に頼まれたのよ! 風紀部なんだから、止めないわけにはいかないでしょ!」


 面倒臭そうな顔で言うと、円子は左腕の腕章をグイっと突き出す。


「というわけで、風紀部よ! バカ騒ぎはおしまいにして解散しなさい! あんたらだって異能免許の審査に落ちたら困るでしょ! いつか冬花が武道館に立っても、応援しに行けなくなるわよ!」


 円子の言葉に親衛隊がたじろぐ。


「怯むな! 我らが怒りを忘れたか! このゴミムシは氷の女王をかどわかし、卑劣な手によって純潔を奪ったんだぞ! そんな非道を許していいのか!」


「否! 否! 否!」


「奪ってねぇよ!?」


「黙れええええええええ! その可能性を植え付けただけでも、氷の女王の処女性は失われたも同じなのだ! 我らが聖女は穢されて、二度とは元に戻らないのだ!」


「うわ。キンモッ。処女がなんだって、恥ずかしくないわけ?」


「おい円子! やめろよ! 可哀想だろ!」


 俺だってキモいと思うが、女の円子がそれを言うのは攻撃力が違い過ぎる。


「いや、二人とも大概だと思うけど」


「なに挑発してんねん……」


 呆れたように大達が言う。


「俺はフォローしてただろ!?」


「うるせぇ! てめぇに言われるのが一番傷つくんだよ!?」


 岸本がマジギレし、他の連中もいきり立つ。


「こうなったら全員始末して証拠を隠滅してやる! 全隊! かかれえええ!」


「「「「「おおおおおおおおお!」」」」」


 と、約百人の怒れる異能者達が突っ込んでくる。


「だぁああ! どうすんだよ! お前のせいだぞ!?」


「あたしは助けに来てやったんでしょ!?」


「余計に悪化してるじゃねぇか!?」


「喧嘩してないで! 一点突破で逃げようよ!」


「せやで! ワイは童貞のまま死ぬのはごめんや!」


「俺だって嫌だよ!」


「あたしだって!」


 いや、円子には聞いていないんだが。

 男子ノリに女子が混ざってきて、なんか微妙な空気になってしまった。


「な、なによ!? 文句あんの!?」


 真っ赤になって照れると、円子が親衛隊達を睨みつける。


「風紀部舐めんじゃないわよおおお!」


 円子の全身からごわごわした茶色の体毛が伸びだし、スポーティーな身体が二回り程膨れ上がる。


 あっと言う間に二足歩行の巨大な狼女の出来上がりだ。


「グルルルルルルアアアアアアア!」


 文字通りの獣の咆哮に、殺到していた親衛隊達の足が止まる。


「ワイも負けへんで! オス度80パーセントや!」


 フンッ! っと嬲がマッスルポーズを取ると、こちらも全身の筋肉が肥大化して、別人のようなゴリゴリのマッチョマンに変身した。


 これが嬲の奥の手だ。


 嬲の『性転換』は女だけじゃなく、より男らしくなることも出来る。


 大も右手からドドドドっと唐揚げ弾を乱射して、左手からは大量のレモン汁を放水している。あれが目に入ると痛いのなんの!


 というわけで俺も奥の手を解放したいのだが……。

 生憎そんな物は持ち合わせていない。

 ファイティングポーズを取るのが関の山だ。


「怯むな! 相手はたった四人だぞ! 戦果を挙げた奴には褒美に我が秘蔵の氷の女王のお着替え生写真をくれてやる!」


「「「「「おおおおおおおおおおお!」」」」」


「冬花のお着替え生写真!?」


「なんでお前が反応してるんだよ!?」


「だって欲しい――じゃなくて、許せないでしょ!?」


「言ってる場合!?」


「あかん! 数が多くて逃げられへんで!?」


 一点突破のアイディアはよかったのだが。

 やはり百対四じゃ無理がある。

 包囲網は突破できず、あとは蹂躙されるのを待つだけだ。


「円子ぉ! 俺が囮になる! 二人を抱えて逃げてくれ!」


「はぁ!?」


「勇人君!?」


「あかんでそれは!?」


「仕方ねぇだろ! 円子だって三人抱えて逃げるのは流石に無理だろ! 俺は最悪なんとかなる! 川に沈められたら頑張って探してくれ!」


 円子は何か言いかけて、その言葉を飲み込んだ。


「……わかった。悪いけど、そうするわ」


「悪かねぇよ。一人でノコノコ来ちまった俺が悪いんだ」


「ダメだよ勇人君!」


「なに格好つけとんねん!」


「いいから! あんたは早く元のサイズに戻って! そんなデカくちゃ抱えられないわよ!?」


「嫌や! 勇ヤンが残るならワイも残る!」


「僕だって!」


「お前らわがまま言うなよ!」


「じゃああたしも残るわよ!?」


「おい円子!?」


「あんたらおいて風紀部のあたしだけ逃げるわけにはいかないでしょうが!?」


 あぁ! なんでこうなっちまうんだ!


 俺は不死身の『クマムシ』なのだ!


 なにされたって苦しいだけで死にはしない!


 だから気にしないで見捨てて欲しいのに!


 そんな事をしている間にも親衛隊共は殺到し、俺達はめちゃくちゃに――


「――させません」


 冷え冷えとした声と共に、極寒の風が肌を撫でた。

 キンッ。と硬質の音共に、俺達の周囲を分厚い氷の壁が覆う。


「……嘘。どうして……。この事は冬花には言ってないのに……」


 青ざめたような声で円子が呟く。

 俺も金玉が縮み上がっていた。


「これは――」

「まさか――」

「あぁ、きっとそうだ!」


 親衛隊がどよめく。


 パキパキと空気の凍る音と共に、地面から氷の柱が伸びだして空中に階段を作った。


 カツン、カツン、カツンと。


 その上を、氷のティアラをのせた白いロリータ服の碓氷が歩いてくる。


「おぉ! 氷の女王!」


 岸田が歓喜すると、その場に跪く。


 その動きが波のように伝播して、親衛隊達が碓氷に向かってかしづいた。


「岸本さん。これはどういう事なんでしょうか?」


 人形のような無表情で碓氷が尋ねる。


 どうやら面識があるようだが。


「はっ! 氷の女王に忠義を誓う剣として、貴方様を辱めた大罪人に裁きを下そうとしておりました!」


 顔を伏せたまま報告する岸本は褒美を待つ忠犬のように誇らしげだ。


 そんな岸本に向かって、俺や円子は必死に首を振り、両手で×を作る。


 岸本を凝視する碓氷は、瞳孔の開き切った凄い顔をしていた。

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