第5話

「お願いします! もう諦めてください! 私なんか、放っておいてください!」


「やなこった! お前みたいな泣き虫に舐められたまま引き下がれるかよ!」


 俺は丈夫さだけが取り柄のカテゴリー0の『クマムシ』だ。

 碓氷みたいに凄い事は一つも出来ない。


 だからどうした。

 女の子一人泣き止ませるのに、ウルトラミラクルなスーパーパワーなんか必要ない。

 必要なのハートと根性、あとはちっとばかしの創意工夫だ。


 というわけで、俺はおもむろに服を脱いだ。


「ほ、ほわぁあああ!? ななな、なにやってるんですかぁ!?」


 真っ赤になった碓氷が指の間からガン見しながら声を裏返させる。


「だから、このクソ滑り台を登ってお前の所まで行くんだよ!」


 畜生、クソ寒ぃ!

 氷の城の中でパンイチになっているのだから当たり前だ。

 こうでもしなきゃ、カテゴリー0の俺が氷の滑り台を登り切るのは無理だろう。

 だから俺は氷の滑り台に腹這いになった。


「うぉおおおおおお!? つつつつつつつつ、冷てぇえええええええ!?」


 俺でなければ心臓麻痺や凍傷で死んでいるだろう。

 けど俺は死なない。

 死ぬほど寒くて痛いが、それだけだ。


 そして予想通り、俺の皮膚はキンキンに凍った坂道にぴったりと張り付いている。

 アイスに唇がくっつのと同じ現象だ。


 これだけしっかりくっついてくれれば、氷の滑り台だって登れるだろう。

 あとはこいつを剥がすだけだ。

 ベリベリベリベリ。


「だあああああああ! いでえええええええ!?」


 文字通り、肌を剥ぐような痛みに悲鳴をあげる。

 けど、痛いだけで実際には剥がれない。


 盆場の爆破が直撃したって傷一つつかなかった俺だ。

 この程度でダメージを受けはしない。

 というわけで、俺はベリベリと嫌な音を立てながら氷の滑り台を這いのぼる。


「いや、いやぁ!? やめ、やめてください!? そ、そんな事したら、死んじゃいます!?」


 碓氷は真っ青になって腰を抜かした。


 必死の形相を浮かべた俺が、ベリベリと皮を引っぺがしながら這い上って来る様子はかなりホラーな光景だろう。


 他に手がないんだから仕方ない。


「ううううるるるるせええええええ! おおおおおおれええええはああああふうううじじじじいいいいみいいいいだあああああ!」


 寒すぎて舌がまともに回らない。

 これが終わったら絶対にラーメンを食べよう。

 それもどろっどろの身体に悪そうな家系を。

 そんでたっぷりお湯を溜めて熱々の湯船につかるのだ。

 そんな妄想で自分を勇気づけながら俺は匍匐を続ける。


「うぉっしゃああああああ! 見たか碓氷! 俺の根性!」


 氷の滑り台を登りきると、俺は込み上げる達成感でマッスルポーズを取った。

 気分はエベレストを登り切った登山家だ。


「いや……いや……来ないで……来ないで下さい……」


 碓氷はその場に尻餅を着き、頭を抱えて震えている。


「なんだよ碓氷。俺が怖いのか?」


 ニヤリと笑う俺に、碓氷がこくこくと頷く。


「はっ! 情けねぇ! カテゴリー5が聞いてあきれるぜ! 俺はお前なんか全然怖くねぇ! つまり、俺の勝ちだ! わかったか!」


 ビシッと指を突きつける俺を、碓氷が呆けた顔で見上げる。


「……じゃあ、本当に私の事、怖くないんですか?」


「怖くねぇって言ってんだろ」


「き、嫌いになってもいませんか?」


「嫌いな奴の為にこんな事が出来るかよ!」


 じんわりと、氷が解けるように笑みが広がる。


「そ、それってつまり、わ、私の事が好きって事ですか!?」


「いや、そうじゃない」


 笑みは一瞬で砕け散った。


「じゃあ、なんなんですか!?」


「俺が知るかよ! お前が俺を好きなんだろうが!」


「そ、そうですけど……」


 困惑する碓氷の目を真っすぐ見つめて、俺は言う。


「俺はただ、昨日伝え損ねた返事の続きを言いに来ただけだ。碓氷の告白を受けるには、俺はお前を知らなすぎる。お前だって俺の事を知らないだろ? だからよう、まずは友達から始めようぜ。そんで、お互いの事をちゃんと知って、それでもまだ俺の事が好きだってんなら、そん時は付き合おうぜ」


 口の端で笑って見せると、碓氷はポカンと大口を開けた。

 暫く呆けると突然立ち上がり、体当たりをするように抱きついてくる。


「はい! 是非! お願いします!」


「どぁああ!? バカ野郎!?」


 弾みで俺達は踊り場から飛び出した。

 真っ逆さまに硬い氷の床へと落ちていく。


 咄嗟に俺は柔からな碓氷の身体を力いっぱい抱きしめて、少しでも落下の衝撃を和らげようと身体を下にする。


 もふっ。


 落ちた先はふわふわの綿雪のクッションだった。

 碓氷が異能で作ったのだろう。

 全く、便利な異能だ。


 ホッとすると、頭上には燃えるような夕焼けが覗いていた。

 氷の城が先端から、さらさらと風に吹かれる砂のように消えていく。

 ダイヤモンドの風が吹くような美しい光景に、俺は思わず見とれてしまった。


「……また庇ってくれましたね」


 うっとりと、俺の胸板に頬を寄せながら、夢見る少女の顔で碓氷が呟く。


「また?」


「覚えてませんか?」


「……悪い。全然思い出せねぇ。それ、本当に俺だったか?」


 超絶美少女な上に、雪のような白髪の持ち主だ。

 そんな事があったなら、絶対に忘れるわけがないと思うのだが。


「絶対に伏見さんでした。私は昔、車に轢かれそうになっている所を伏見さんに助けて貰ったことがあるんです」


 そんな記憶は一切ないのだが、あり得ないと否定するのも難しい。

 なぜならば。


「あー……。言いにくいんだが、俺的には、そういうのよくある事というか……」


『クマムシ』なんて異能を授かってしまったせいで、俺は少しばかり無鉄砲に育ってしまったらしい。どうせ死なないからと、平気で危険な場面に飛び込んでしまう。


 だから、危ない目に遭っている人間を助けるのはよくある事だった。


 で、時にはそのまま気絶したりもするので、それで覚えていないという事もあるのかもしれない。


「知ってます。いえ、それを知ったのは最近の事なんですが……。だから伏見さんは、私にとってずっと憧れの人だったんです。命懸けで助けてくれたヒーローみたいな存在で、風紀部に入ったり、人の為になる色んな活動をしているのだって、伏見さんみたいな立派な人になりたかったからで……。だから、同じ実験都市に住んでるって分かって、凄く嬉しかったんです! これはもう、絶対に運命なんだって!」


 碓氷の声が弾むほど、俺は申し訳ない気持ちになった。


「……悪いが碓氷。そいつは買いかぶりだぜ。俺はただ、死なないと分かってるから無茶してるだけだ。てか、俺にとってそんなのは無茶ですらないしな。自分は死なないと分かってて、目の前の死にそうな奴を助けるだけだ。ただそれだけ。こんなもん、命懸けでもなんでもねぇ。碓氷や他の連中がやってるように、自分の異能を使ってちょっとした人助けをしてるだけだぜ」


 最初から分かっていた事だったが、やっぱり誤解だったらしい。

 俺はそんな凄い人間じゃない。

 同じような異能を授かったら、誰だって似たような事をするはずだ。


「そんな事ありません! 伏見さんは立派な人です! だって――」

「ちょっと待て。なんか騒がしくないか?」


 ハッとして辺りを見回す。


 いつの間にか、氷の城は完全に姿を消していた。

 そうなると、俺達の姿は外から丸見えになる。

 パンイチの俺と地べたで抱き合う氷の女王の姿がだ。


 土手には大勢の野次馬が居て、ひそひそと噂話をしたり、指をさしたり、携帯を向けたりしている。


 こいつは不味い!


「だぁあああ!?」


 碓氷を退かすと、俺は慌てて服を着た。


「と、とにかく、元気になったって事でいいんだよな!?」


「はい! お陰様で、凄く元気になりました! これならもう異能の制御も大丈夫です!」


「ならいい! あまり目立つと不味いから、俺はもう帰るぞ! ちゃんと学校来いよ!」


「はい! お仕事がなければ!」


 名残惜しそうな碓氷を置いて、俺は全力でその場から逃げ出した。


 もう手遅れな気がするが……。


 こりゃ、明日からもっと大変なことになりそうだ。



 †



「……買い被りなんかじゃありません」


 遠ざかる勇人の背中をうっとり見つめて、氷の女王は呟いた。


「だって、あの頃の私はまだ、ただの普通の女の子で、伏見さんだって自分の異能に気付いていなかったはずですから」


 恐らくあれは、勇人が自身の異能に気付くきっかけになった事故だったのだろう。


 だから彼は、掛け値なしに命懸けで幼い冬花を救ってくれたのだ。


 あの頃は世の中が異能者で混乱していて、それっきり行方が分からなくなってしまったが。


 冬花はずっと、あの時の男の子が自分を庇って死んでしまったのだと思っていた。


 でも違った。


 ちゃんと生きていて、今もあの時と変わらずにかっこよく生きていて、こうして再会する事が出来たのだ。


 これを運命と言わずして、なんと言う?


「……そんなの、好きになるに決まってるじゃないですか」

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