悪魔の寵愛


 昔々、悪魔をも虜にしてしまうほどの美貌と慈愛の精神こころを持つ少女がいたそうな。運命の悪戯か、はたまた偶然か、出会った2人は間もなく恋に落ちました。

 然し、悪魔と人間の時の流れは残酷な程に異なります。更に少女は病を患っており、残された時間は殊更少ないのでした。2人は噛み締めるように最期の時間を過ごします。



 時は流れ少女を失い、ひとり悲しみに暮れる悪魔の青年。忘れてしまう事を恐れた彼は、残された少女と瓜二つの兄に言いました。


 ————形だけでも彼女の身代わりが欲しい。私の願いを叶えてくれるのならば、其の見返りとして悠久とわの一族の繁栄と栄華を約束しよう。



 事業に失敗し斜陽しゃようにかかる常盤家にとって、其れは願ってもない申し出でした。そして、その提案を呑んだ兄はより血の濃い一族と交わり、子孫を残します。

 そうして、今日まで続く常盤の秘匿すべき罪となったのです。


 其の悪魔は姿を隠しましたが、数百年経った今も、彼の配下の悪魔が何処かで少女を見守っているそうです。






✳︎✳︎✳︎






 資料室に侵入し、隠し部屋を突き止めた僕たちが部屋を施錠したところで、修繕中の橋の視察に出向いていた奏太郎さんと東雲さんが帰って来た。


 間一髪、間に合ったようだ。



 其れから1時間後、晩餐会にて————。



「いやあ、お待たせして申し訳ない! やっと、橋の修復が完了しましたので明日にはお帰り頂けますよ」

「其れは其れは⋯⋯早急に御対応いただき有難う御座います」

「とんでも無い。都会の方々にはこんな辺鄙へんぴな村はさぞかし退屈だったでしょう」

「決してそんなことはございませんよ。とても、楽しませていただきましたから」


 些か含みのある物言いの春彦様はにっこりと笑う。

 一見、豪華な食事を囲んだ和やかな晩餐会であったが、其の実、お互いに腹の探り合いをしているようで息つく暇も無かった。



「今夜も、ワインは如何ですかな?」

「⋯⋯ええ、いただきましょう」







✳︎✳︎✳︎






「此のままでは明日には此の屋敷を追い出されてしまうだろうね」

「⋯⋯はい」

「行動を起こすなら今夜を以って他に無いだろう。さあ、決戦の時だ」

「⋯⋯絶対に皆を救いましょう、春彦様」

「ニコラ君にしては珍しく、やる気満々じゃあないか。なあに、心配ないさ。私の天才的な頭脳と君の摩訶不思議な力が有れば向かう所敵なしだからね」


 フフンと自信たっぷりに笑う春彦様はいそいそとベッドへと潜り込む。



「な、何故寝ようとするんですか!? 作戦は!?」

「今は一先ず眠るとしよう。休息を疎かにしては勝てる戦も逃してしまうよ」


 春彦様は本当にマイペースな人だ。然し、何時だって彼は正しい。

 そんな彼を見習って僕も少し休むとしよう。







✳︎✳︎✳︎




 



 屋敷が暗闇に包まれ、人々も眠りについた頃————。


 僕たちは忍び足で一階裏口近くの使用人室に忍び込み、櫻子様が居る部屋の鍵をくすねた。

 そこから、闇に紛れて南の最奥にある櫻子様の部屋を目指す。


「急ぎましょう、春彦様!!」

「自慢じゃあ無いが、私はとんと体力が無いのだよ! 其れに、私は知識人で頭脳戦に特化しているのだ。体力馬鹿の君とは抑々そもそもの身体の造りが違うのだから、もう少しゆっくり走ってくれ給え、ニコラ君!」

「しー! 春彦様、夜は只でさえ声が響くのですからお静かに!!」

「⋯⋯今のニコラ君の声が一番騒がしいのだがな」



 そんなやり取りをしつつ、急ぎ足で目当ての部屋を目指す。廊下を左に曲がると、漸く櫻子様の部屋の扉が見えて来た。


「泥棒みたいで胸が躍るねえ」

「やっている事はそこらの泥棒と何ら違いはありませんからね⋯⋯」


 鍵穴に鍵を差し込み、出来るだけ音を立てないよう慎重に回す。カチャと小さな音を立ててロックが外れる。

 僕ははやる気持ちを抑えてドアノブを捻り、ギィと悲鳴を上げる建て付けの悪い扉をゆっくりと開いた。




 部屋の中には明かり一つ無く、月明かりのみを頼りに歩を進める。


 すると、侵入した僕たちの気配に気付いた櫻子様はムクリと布団から身体を起こす。

 暗がりの中、じいっと深淵しんえんの瞳で僕たちを見つめる彼女は、不意に目を見開き感情の乏しい表情に焦りを滲ませた。


 声なき声でパクパクと口を開閉する櫻子様。


 ————逃げて。



 そう言葉を認識した途端、背後に嫌な気配を感じる。


「おやおや、溝鼠どぶねずみがこんな所まで迷い込むとは⋯⋯一度、セキュリティを見直す必要があるかな」

「⋯⋯⋯⋯!!」


 カチャリと黒光りする拳銃のセーフティを外す音がシンと静まり返った部屋に響き渡る。


 冷たく、刺すように鋭い声の主は常盤奏太郎であった。




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