メイド長:東雲との邂逅



「こんな時間に何の用です? 其れに、そちら方たちは一体⋯⋯?」

「東雲さん⋯⋯! な、なんで此処に」

「貴女が数日前から何やら怪しげにコソコソとしているからでしょう」


 あたふたと挙動不審な九条さんに厳しい視線を向けてピシャリと言い放つ東雲と呼ばれた女性。彼女は栗色の長い髪を天辺でキッチリと一纏めにして、きつく釣り上がった瞳で僕たちを見るようすが几帳面な性格と厳格さを物語って居た。



「もっ⋯⋯申し訳ございませんっ!!」

「謝罪は後で結構です。先ずはこの状況について説明なさい」






✳︎✳︎✳︎






「そういう事でしたか⋯⋯。此処まで御足労頂いたのに申し訳ございませんが、御引き取り願います」

「そっ、そんなあ⋯⋯」

「勿論、交通費を含めた謝礼は御支払いたしますのでご安心下さい」


 ピクリとも表情を動かさずに淡々と話を続ける東雲さん。九条さんの話によると、彼女はこの屋敷を取り仕切るメイド長らしい。流石の貫禄だ。



「こんな時こそ、春彦様お得意のの出番では⋯⋯?」


 窮地に陥った僕はとある妙案を思い付き、隣に居る春彦様にこっそりと耳打ちをする。


「アレ⋯⋯とは?」

「女性と見れば誰彼構わず口説きにいくじゃないですか! このままでは折角来たのに追い出されてしまいますよ」

「⋯⋯嗚呼! 成る程。女性を口説く事は呼吸をする事よりも自然で簡単な事だよ。⋯⋯私にとってはね」


 春彦様はニヤリと口角を上げる。「任せ給え」と言い残し、ゆったりとした動作で東雲さんの目の前まで歩いて行く。

 そして、片膝をついて彼女の前に跪き、瞳を潤ませ見上げる。薄幸の美青年という自分の見た目を最大限に利用した作戦だ。



「美しいお姉さん。そんなに怒ってばかりでは折角の美しいお顔が台無しだ。⋯⋯どうか、この私に笑顔を見せては頂けませんか?」

「⋯⋯⋯⋯」


 軽いリップ音をたてて、手の甲にキスを落とす春彦様。抵抗する事無くなすがままの東雲さんに作戦は成功したように思えたのだが、彼女は予想外の行動に出る。



「⋯⋯一体どういうつもりなのです、貴方は」


 険しい顔でエプロンのポケットからハンカチを取り出し、春彦様が口付けた箇所を拭った。そして、未だ東雲さんの足元に跪く春彦様にまるで汚物を見るような視線を向ける。



「⋯⋯⋯⋯!?」


 未だかつて無い仕打ちに後退り、呆気に取られる春彦様。彼には悪いが、いつもの余裕の笑みが消え硬直するその姿は傑作であった。僕は頬を噛み締め、必死に笑いを堪える。


 ————然し、春彦様の色仕掛けも効かないとなると、一体如何したものか。



「春彦様⋯⋯?」

「⋯⋯⋯⋯」


 今も尚ショックから立ち直れず、いつの間にか東雲さんの側を離れて冷たい廊下の隅で三角座りをする春彦様を見やる。ウジウジと涙目で床に『の』の字を量産する姿に、流石の僕も哀れになってしまう。

 如何やら、その恵まれた容姿に天才的な頭脳を持つ彼は、挫折や苦労というものを知らずに育った為か相当に打たれ弱いようだ。




「もうっ! 何時もの余裕は如何したんですか! 春彦様は事あるごとに、ご自分でどんな美女も、例え女神であっても虜にする程の美男子かつ稀代の名探偵だとおっしゃっているでしょう!? 偶々袖にされたからといって其れは変わらぬ事実ではないですか!!」

「⋯⋯⋯⋯!」



 僕の言葉を聴いた春彦様がゆっくりと顔を上げた。良し、後もう一押しだ。



「そ、それに⋯⋯春彦様がいらっしゃらないとぼ、僕が困ります! 貴方が居なければ、事件の解決など夢のまた夢! そして⋯⋯頼りない助手の僕には名探偵、西園寺春彦様の存在が必要不可欠でしょう!?」

「⋯⋯⋯⋯」

「は、春彦様⋯⋯?」


 春彦様は肩をブルブルと震わせている。この作戦は失敗だろうか。諦めかけたその時————


「うふふふふ⋯⋯⋯⋯そうだろう! そうだろう⋯⋯!!」


 笑い声が聞こえる。


 如何やら、僕のプライドをかなぐり捨てたゴマスリに尊厳を取り戻したようすの春彦様。立ち上がり、完全復活を遂げた彼に僕は胸を撫で下ろした。しかし————



「探偵ごっこでしたら他所でやっていただけますでしょうか。うちには貴方たちのような探偵さんが求める事件は御座いませんので」


 茶番を繰り広げる僕たちを前にした東雲さんは相変わらず氷のように冷たい視線を向け、ピシャリと言い放った。

 そして、やる気も虚しく僕たちは常盤家から追い出されてしまったのだった。






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