依頼人:九条の歓迎



 寝台列車の旅を終えて、駅の終着点。そこから「疲れた、もう歩けない」と駄々を捏ねる春彦様をなだめながら歩く事、1時間と13分。

 ようやく、村へと続く唯一の橋を渡り終えた僕たちを出迎えたのは、所々が風化し厳しい時代を耐え抜いて来た事がひしひしと感じ取れる『辻咲村へようこそ』と書かれた看板だった。



「ほう! こんな辺鄙へんぴな田舎で事件が起こっているのか。如何いかにも怪しいじゃあないか!」


 目前に広がるは朝日を浴びた田圃たんぼ畦道あぜみち。歩道に沿うようにして咲き誇る白と赤の躑躅ツツジの花。

 そして、興奮冷めやらぬようすで大声で捲し立てる春彦様。

 僕は恥ずかしくなってキョロキョロと辺りを見回すが、幸い、居るのは蛙や小鳥のみで人っ子ひとり見当たらなかった。



「此処で依頼人と落ち合う手筈なのですが⋯⋯もしや何かトラブルでもあったのでしょうか」

「それか、一杯食わされたかのどちらかだろう」

「か、考えないようにしていたのに⋯⋯!」

「君ほど欺き易い男は居ないからな」



 このままでは蜻蛉とんぼ返りも有り得ると考えていたその時————。



「もっ⋯⋯申し訳ございませんっ!!」


 何処からかそんな声が聞こえてきた。

 前方を見ると声の主は高めの位置で一つに括った髪を揺らし、はあはあと息を切らして此方に向かって来る。



「お待たせいたしました! 此処にいらっしゃるという事は⋯⋯貴方がスマイルさんでしょうかっ」

「は、はい。⋯⋯其れでは貴女が依頼人のQJoeキュージョーさん?」

「嗚呼、はい。申し遅れました、私は常盤家にお仕えしているメイドの九条と申します」


 ぺこりとうやうやしく頭を下げて挨拶するQJoeさんこと九条さん。

 彼女は田舎の風景にはおよそ似つかわしくないであろうメイド服姿だった。本物のメイドを見るのは初めてだ。



「此れは此れは⋯⋯ご丁寧にどうも。私の名は春彦。⋯⋯首都でしがない探偵屋を営んでいる西園寺春彦と申します。其れでは早速、この村で起きている不可思議な出来事について教えていただけますか、美しいお嬢さん?」

「⋯⋯⋯⋯え!?」

「春彦様! 依頼人を口説くのは禁止ですってば!」


 僕は今にも依頼人である九条さんの手を取り、其の白い手の甲に口付けしようとしている春彦様を乱暴にひっぺがした。

 春彦様は女性と見れば、それが例え幼児おさなごだろうと老婆だろうと誰彼構わず口説いてしまう程の女好きだ。

 最早、病気と言っても良いレベルにまで達している。しかも、無駄に整った容姿の所為で相手方も満更でないのが尚良くない。



「九条さん、いきなり失礼しました! 僕は春彦様の助手をしているニコラです。どうぞよろしく」

「い、いえ⋯⋯⋯⋯」


 ぽうっと頬を染め、熱い視線で春彦様を見つめる九条さん。

 遅かったか。彼女もまた、西園寺春彦の毒牙にかかってしまったようだ。



「ええっと⋯⋯それでは、屋敷までご案内する道すがら、常盤家で起きている事をお話しいたしますね」







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