辻咲村の魔女


「ニコラくん、名探偵が帰ったよ!」

「春彦様⋯⋯随分とお早いお帰りのようで」


 勿論、これは嫌味だ。他人に一切の関心が無い春彦様が気が付くとは思えないが、無力な僕の些細な意趣返しだった。


 散歩に出てから、数時間。とっぷりと日も暮れて鴉が群れを成し寝ぐらに帰る時間になっても春彦様が帰って来る事は無かった。


 僕はその間にも忙しなく仕事をこなしていたと言うのに全く呑気な物だ。

 一番の難関は矢張り、一度引き受けた依頼を突っ返しに行く事だった。

 しかも、その相手が市警と来れば、一筋縄では行かない事は明白だろう。


 ヘコヘコと頭を下げ、逃げるようにして帰って来た僕。

 今月の初めに親日家と名高い同盟国の王族が首都を訪問した際の後始末に追われている市警の人々は、上を下への大騒ぎだった。非常にタイミングが悪い。そして、先方の機嫌もすこぶる悪い。

 嗚呼、此れからどんな顔をしてこの街を歩けば良いのやら。


 然し、そんな僕の苦労を知る由もない春彦様は、いとも簡単に無茶苦茶な命令ばかりを下すのだ。



「さて、ニコラ君。私の助手を名乗るからには、私の要望を全て叶える必要があるだろう? ⋯⋯私が何を言いたいかは、分かるね?」

「はいはい。⋯⋯持って来ましたよ、春彦様の求めるような奇怪な事件を」

「おおっ! 流石は世界一の名探偵の優秀な助手だっ! 早速、詳細を聴かせて呉れ給えよ!」

「SNSで偶然見つけたのですが————」

「⋯⋯ほう。私はそう言った俗な物とは無縁だからね。現代っ子たる君のそういう所は素直に心強いと感心するよ」


 春彦様は目を細めてそう言った。些か引っかかる言葉が聴こえた気もするが、この人に褒められて悪い気はしなかった。

 僕は思わず緩みそうになる頬を引き締める為に、ゴホンと一つ咳払いをする。



「此処から列車を2回乗り継いで、其処から更に1時間程歩いたところにある“辻咲つじさき村”という閉鎖された村での怪しげな噂を耳にしました————」



 辻咲村————。そこは外界から切り離されるようにしてたたずむ辺境の地。其の名は余り世間では知られていない。

 今も尚、戦前の街並みが残る時代から取り残された辻咲村を代々取り仕切るは『常盤ときわ家』。その一族には、どうやらきな臭い噂があるそうだ。



 常盤家には魔女がんでいる————。

 少女の姿をしたその魔女は、数百年程姿を変える事無く生きている。そして、其の代償とでもいうように、彼女以外の一族は皆短命で、成人を迎える前に亡くなる者が殆どらしい。


 村人いわく、魔女が一族の寿命を引き換えにして悪魔に永遠の若さと寿命を与えられているのではないか?

 依頼人曰く、一族に恨みを持つ者の呪いではないか?





「是非とも、此の不可解な噂の真実を解き明かして欲しいとのことです」


 僕が依頼内容のあらましを話し終えてスマートフォンから顔を上げると、春彦様はキラキラと金の瞳をこれでもかと輝かせて此方を見ていた。ウズウズとジッとして居られないようすで今にも踊り出しそうな彼は、僕の手を掴んでブンブンと上下に激しく振る。



「⋯⋯これは面白い! こういう胸が踊るような事件を求めていたのだよ、私は!」

「春彦様のお眼鏡にかなったようで良かったです⋯⋯」

「善は急げだ、早速向かおうではないか!」

「はいはい、そう言うと思って既に列車のチケットは手配済みです。それと、依頼人にも直ぐに向かうと伝えてあります」

「流石はニコラ君だ! 私の事をよく解っているじゃあないか」

「これだけ貴方と一緒に居るのですから、嫌でも慣れますよ⋯⋯⋯⋯」



 春彦様は先ほど脱いだばかりのコートを再び羽織り、旅支度も程々に部屋から出て行こうとする。



「時は金なり、だ。ニコラ君、もたもたしている暇はないぞ!」

「そう思うなら春彦様も此の大量の荷物を持ってください! 殆どが春彦様の物ですよ!?」

「君は真逆、此の私に重い物を持てと言うのか? 此の私に?」


 2回も言った————。

 他意など微塵も無く、心底不思議そうな顔で此方を見る春彦様に僕は心の中でため息を吐く。

 此れから小旅行ならぬ子守りが始まることに、僕の胃はキリキリと悲鳴を上げていた。







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