追憶:悪魔召喚


 僕と春彦様の出会いは3ヶ月程前のこと————。




「——来たれ、我は汝を召喚する者なり。さあ、退屈を吹き飛ばし驚きと変革をもたらす悪魔よ。我が問いかけに応じ姿を現すのだ!」


 その呪文を耳にした途端、暗闇から引っ張り上げられる感覚がして、そのすぐ後に目が眩むほどの強烈な光に全身が包まれた。





 ————此処は、何処だ?


 ゆっくりと瞳を開けると、チカチカと点滅するランプの光に目が眩む。ボンヤリとした意識が輪郭を帯び、徐々にハッキリと覚醒していく。

 気が付くと召喚陣の中に立っており、目の前には漆黒を纏い獣のようにギラリと瞳を光らせる一人の男が居た。



「⋯⋯⋯⋯?」

「おおっ! 成功したようだな! 流石私だ、何をやらせても完璧にこなしてしまう。そして、これで証明されたのだ。やはり名探偵に不可能など無いのだよ!!」

「わっ⋯⋯!?」


 呆気に取られる僕の腕を、些か強引に引っ張る全身黒尽くめのカラスのような格好をした男。それにつまずきながらもついて行く僕の頭は混乱していた。


 自分の名前が思い出せない————。

 本来ならば此処は名乗るべき場面なのに、何も頭に浮かばない。ズキズキと頭も痛む。信じたくは無いが、もしや、何らかの原因により記憶を失ってしまったのだろうか。

 いやしかし、自分のすべきことは理解している。幸か不幸か、悪魔としての本能までは消えていなかった。


「して、君の名は何というのだ?」

「⋯⋯⋯⋯わから、ない」

「ふむ、失敗したか。どうやら名探偵にも不調な日はあるようだ。否、矢張り悪魔などという非現実的な生物はこの世の何処にも存在しないのだろう。⋯⋯それで、君は一体何者なのだ?」

「僕は、貴方が召喚した悪魔⋯⋯。其れは間違いない」

巫山戯ふざけるのもいい加減にし給え。君の悪魔ごっこに付き合っている暇など、多忙を極める名探偵の私には無いのだよ」

「違うっ! 僕は本当に⋯⋯!!」


 漠然ばくぜんとした焦りから、僕は思わず語気を荒げた。名探偵を名乗る男はそんな僕のようすをジロジロと無遠慮に観察する。


「見たところ、君は記憶喪失だね? そして、君には今私に名乗る名前も無く、行く当ても無いときた。仕方ない、本来ならば家主に無断での家屋侵入は市警に突き出す処だが、記憶喪失の哀れな君に免じて暫くは面倒を見てやろう。なあに、丁度雑用係⋯⋯否、助手が欲しいと思っていたところだ。遠慮する必要は無いよ」


 マシンガンのように矢継ぎ早に話す男に戸惑っている間にも、当事者である僕を置いてけぼりにして話はどんどん進んで行く。


「然し、呼び名が無いのは不便極まりないな。よし、この私が君にぴったりの素晴らしい名前を与えようではないか!」

「⋯⋯⋯⋯」

「このワクワクは久しいなあ! 実家で飼っていたシェパードの事を思い出すよ!」








✳︎✳︎✳︎







 僕の名付けに張り切っていた春彦様だったが、彼の口から出てくる名前はポチ、タマ、コロ⋯⋯などとてもじゃ無いが人間や悪魔にはつけられないような名前ばかりだった。

 イヤイヤと首を振る僕に、春彦様が妥協に妥協を重ね、書庫にあった本の著者であるとある哲学者の名前を取り『ニコラ』と名付けられた僕。

 あの時、あの本を見つける事が出来て本当に良かった。


 因みに、余談ではあるが春彦様の実家のシェパードの名前は『ミルキィピースジョセフィーヌ号』だそうだ。

 人の趣味やセンスにとやかく言うつもりは無いが、なんとも個性的な名前である。




 人を恐怖のどん底に落とし甘言を囁いて堕落させる悪魔としてはなんとも間抜けな話だが、召喚時の衝撃で僕が記憶を失ったのは間違い無いようだ。(大方の要因は、出鱈目デタラメな召喚陣に出鱈目な呪文で悪魔をび出そうとした春彦様にあるのだが)自分が悪魔であること以外、何者かは分からなかった。


 今となっては春彦様の奇行に驚く事は減ったのだが、召喚の際の供物が“鶏の唐揚げ”だった事には度肝を抜かれたものだ。お陰で僕の大好物は鶏の唐揚げになってしまった。


 そして、残念なことに悪魔の本能から、契約者である春彦様の側を離れられなかった。

 そのため、彼の願いを叶えるべく行動を共にしているのだが⋯⋯今では探偵助手としていいようにこき使われている始末だ。



 契約者の命令には逆らえない————。非常に不服極まり無いが、適当に彼の好みそうな事件を洗うとしよう。


 しかし、先ずはその前に市警へ謝罪に行かなくては。途中で菓子折りも買って行こう。


 嗚呼、憂鬱だ。

 僕は腹の奥底から深くため息を吐き、ゆっくりと重たい腰を上げるのだった。







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