第11話

「苦しい」


 箸を置いた私の口から、そんな言葉がまろび出る。

 普段は腹七分目くらいで止めておくのだが、優の食事が美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまった。

 けふ、と喉が鳴る。


「ふふ。お粗末さまでした」


「粗末なんてとんでもない。すごく美味しかった。感動した」


 洗い場にずらりと並ぶ食器の群れを見る。

 これだけの品数を仕上げるだけでも大変だろうに。優は、下処理から盛り付けまで、しっかりと丁寧にこなしている。


 食事の時間は、精々が小一時間。

 そのために、優はいったい、どれだけの時間を費やしてくれたのだろう。


「本当にご馳走様。ありがとう、優」


 優は少し驚いた顔をして、それから、花開くような笑みを浮かべた。


「喜んでもらえたなら、良かった」


「後は私がやっておくから、優は休んで」


 そう告げて、スポンジを手に取る。

 ……湿っている。そういえば、朝に淹れたコーヒーのカップや魔法瓶が、帰宅した時には片付けられていた。


 意識してみれば、部屋のあちらこちらが、積もっていた埃がなくなっていたりと、綺麗になっているのがわかる。


 確かに、優は気配りができる。

 だが。


 それは打算からくるもので、優自身の性格は、世話焼きでも、几帳面でもないはずだ。

 人の目がなければ、ベッドの上でポテトチップスの破片を撒き散らしながら、仰向けで漫画を読んでいるのが優なのだ。




 私には、そんな姿を見せてくれていた。




 つまりは。


「……ふっ」


「沙織ちゃん?」


「ん? ああ、いや、なんでもないさ」


 ゆるりと頭を振って、思考を払い落とす。

 私からスポンジを奪い取ろうとする優の手をするりと躱し、笑いながら告げる。


「とりあえず、優はあっちに行ってくれ。

 うちのキッチンは、2人で作業するには狭すぎる」


 そのまま洗剤をスポンジへとぶちまけると、優は眉をへにょりと下げた。


「仕方ないなあ。まあ、素直にご飯を楽しんでくれただけでも良しとしようかな。じゃあ、後はお願いします」


「はい、お願いされました。

 そもそも私の家のことだけどな」


 優の気配が、背後へと遠ざかる。


「さて、と」


 目の前には、普段の十倍近い数の食器たち。

 ……こうして並べて見ると、どちらが使ったものかが一目瞭然。当たり前だが、汚い方が私だ。


「ちょっと凹むなあ」


 別に、そんなことにこだわりはないのだけれど。

 こうして、誰の目にも明らかな状態になってしまうと、気になるのが人間というものだろう。


「ま、あれでもお嬢様だしなあ」


 とりあえず、すぐ洗わない陶器を、洗い桶へと放り込む。

 ざぱん。

 お皿をガシガシと洗っていると、自分の頭からも、もやもやしたものが洗い流されていくのを感じる。


 家事は、嫌いではない。

 誰かの顔色を伺う必要も、叱られたり、叩かれる心配もない。ひたすらに手を動かしていれば、それで終わる。

 予測された結果が、必ず返ってくる。シンプルで、合理的だ。


「ん……?」


 伸ばした手が空を切ったことで、意識が戻る。

 いつの間にか、洗い終えていた。


「終わった?」


 背後から、優の声。


「ああ」


「そう。お茶淹れたよ」


 柔らかな声で、優が告げる。

 その顔は、いつもと変わらぬ微笑みを浮かべていた。

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