第7話 〜汐留優 side〜

 ぼんやりとした意識の中、あるはずの温もりを求める。

 伸ばした腕は、宙を彷徨った。


「んぅ……?」


 うっすらと目を開くと、窓から覗く日差しが目を焼いた。

 どうにも思考が回らない。

 もぞもぞと起き上がり、頭を抱えてため息を吐く。


 朝は憂鬱だ。

 いや、だった、というべきか。すでに、全部放り投げてしまったのだから。

 たくさんの面倒ごとを、全部捨て去って、今ここにいる。


「だからもう、憂鬱じゃない……ん、だけど」


 うーん。

 なんだろうか、このソワソワする感じ。

 妙に、落ち着かない。


「よく、わからないけど」


 ——何にせよ、自由だ。

 今の私を縛るものは、何もない。


「〜〜〜〜!!」


 ようやく、実感が湧いてくる。

 ああ、何だか——ワクワクする!!


 記念すべき最初の1日、まずは何をしようか。

 とりあえず、まずは顔を洗って目を覚そう。そんなことを思ってベッドから立ち上がる。


「……沙織ちゃんはもう仕事かぁ。知ってたけど……ん?」


 分かってはいるが、一抹の寂しさを覚える。

 それだけじゃなくて、ご馳走を前に『待て』をさせられている気分だ。早く話がしたい。


 そんな思いを抱きながら布団を整え、水でも飲もうかとダイニングへと向かったところで、机の上の書き置きが目に留まった。



『優が飲むのかは分からないが、コーヒーを淹れておいた。

 シュガースティックとフレッシュはキッチンの引き出しに入っている。

 好みでなければそのままにしておいてくれれば、帰宅後私が飲む。


 追伸

 できるだけ早く帰宅できるようにしてみるつもりだ。

 時刻が分かり次第連絡する。』



 ああああああああ!!


「好き!!!!!!」


 ぶわぁっと感情が溢れ出る。

 ざっくりと計算すれば、昨日寝たのが午前2時くらい。沙織ちゃんは始発で会社に行くと言っていたから、起きたのが4時くらいで、家を出たのは5時過ぎだろう。

 その短い間に、私のことを考えてくれていたことが、とても嬉しい。


 正直に言ってしまうと、コーヒーは別に好きじゃない。


 黒くて苦いし、何よりも父親が













 ……やめよう。

 もう私は、汐留の人間じゃない。


 ふるりと首を振って思考を払う。

 今はただ、机の上の書き置きと魔法瓶から透けて見える、沙織ちゃんの気遣いに浸っていよう。


「……えへへぇ」


 我ながらだらしのない笑み。


 戸棚からマグカップを取り出して、コポポと魔法瓶の中身を注ぎ入れる。ふわりと、丸みを帯びた香気が感じられた。


「にがっ」


 恐る恐る口をつけると、やはりというべきか、強い苦味が舌を刺激する。

 ただどこか、フルーツのような香りも感じる。


「甘いわけじゃないんだけど……」


 もう一口。

 やっぱり苦い。でも、


「おいしい、かも……?」


 好んで飲もうとは思わないけれど。

 前に飲んだ時のように、吐き出したくなるような苦味ではなかった。


 複雑で、丸みがあって、よく味わえば美味しさもある苦味は、どこか沙織ちゃんのようだな、なんてことを、ちょっとだけ思った。

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