第4話

 言い訳をさせてほしい。

 いかに私がズボラ、コホン、日常生活に気を使わない性格だとしても、直接肌に触れるものをそんなに長期間洗濯しないなんてことはない。

 ……普段であれば。


 およそ2ヶ月前のこと。接待でしこたま飲まされた私は、久しぶりに泥酔してしまったのだ。

 幸い私は、酔っ払っても理性が飛ぶタイプではない。ただただ気持ち悪くなるだけだ。美味しい酒が飲める人間が羨ましい。

 疲れがあったのかもしれない。もしくは、悪路をアクティブすぎる運転でかっ飛ばしたタクシーの運転手が悪い。あれはもはやジェットコースターだった。


 帰宅した私は、吐いた。

 それは盛大に吐いた。胃の中身を全部ぶちまけた。

 しかも、横になった瞬間に吐き気がやってきたため、ベッドの上で。


 マットレスは即座に買い換えた。シーツはゴミ箱行きだ。

 問題は、予備のシーツがひとつしかなかったこと。

 そして、二日酔いと仕事の忙しさを理由に、予備のシーツを買い足すことを忘れていたことだ。


 何が言いたいかというと、この2ヶ月、シーツを洗濯していない。


 さぁっと血の気が引いていく。


 まずい。非常にまずい。

 客人を、あまつさえ優を、私の体臭が染み付いたベッドに寝かせろと?

 それはノーだ。断じてノーだ。絶対にノーだ。許されざる行いだ。

 だが床に寝かせるのはもっとダメだ。

 客人を床に寝かせて自分はベッドを使うなど、人としてあり得ない。


 どうする。

 思考が高速で巡る。

 そんな中、鋭敏化された五感が、ガチャリという音を拾った。

 タイムリミットが迫る。


 ファ○リーズなんて洒落たものは、私の家にはない。そもそも部屋に人を上げることを想定していないのだ。

 なんとかして、臭いを誤魔化す手段を考えなければ……!

 臭いを誤魔化す?


「そうだ!」


 天啓。あれがあった!

 バッと引き出しを開け、目的のものを探す。握り拳程度の大きさの、小さな厚紙の箱。中身は、四角い透明な立方体に、銀色のリボンのような装飾があしらわれたアトマイザーだ。

 勢いよく振り返り、ベッドに向けて中身を噴霧。

 ふわりと、花のような香りが広がった。


「沙織ちゃん、出たよー。……何してるの?」


「いや、なんでもない」


「ふーん。あ、なんだか良い香りがする」


 くんくんと沙織が鼻を鳴らす。


「香水? 珍しいね」


「ああ、取引先の方にいただいたんだ。せっかくだから、部屋に使ってみた。……ああ、ベッド使ってくれ」


「うん、ありがとう」


 ぽすりと腰を下ろす沙織。

 緊張が高まるが、特に不快げな様子はない。ほっと胸を撫で下ろす。

 手のひらの香水を引き出しに戻し、毛布を広げる。スマートホンで時間を確認すると、もう2時近い。そろそろ寝なければ。

 そのまま床に横になった私に、優が驚愕の視線を向けていた。


「え、沙織ちゃん、毛布一枚だけ?」


「ん? ああ、そうだが」


「それは申し訳なさすぎる!」


 優が何か言っているが、よくわからない。

 私か客人かの二択ならば、私が床に寝るのが当たり前だ。


「いやそうだけど。私でもそうするけど、人を床に寝かせて自分がベッドを使うことに対する申し訳ないという気持ちもわかって?」


「わからん。そうするべきならばそうすればよい。それだけの話だろうに」


 正解の分かっている二択で、間違いを選ぶ意味がわからない。

 そう告げると、優はぐぬぬと唸り声を上げた。


「……そうだ。二択じゃなくしてしまえばいい!」


「なにを言っている? 優か、私か。それ以外などないだろう」


「ある! !!」


「……うん?」


 ふむ。

 ……ふむ?

 …………ふむ。


 言葉を咀嚼。疑問を覚え、そして、優はこういうやつだった、と納得した。


「一応言っておく。そのベッドはシングルだが」


「詰めればいける!」


「客人に不便を強いてはいけない、というのが本来の意図なのだが」


「私は不便じゃない!」


 目が、暴走している時の優だ。

 こうなってしまうと優は譲らない。

 その後も問答を続けたが、意見を翻させることはできなかった。


「はあ……」


 時刻はすでに午前2時。流石に私でも、2〜3時間程度は眠らなければ仕事が厳しい。

 強引に床に寝ることもできるが、それをすれば優は自分も床で寝出すだろう。そういうやつだ。

 それでは本末転倒も良いところ。


「仕方がない。ここは引くが上策だろう」


「おーい。心の声が漏れてるぞ」


「聴かせているのだよ」


 わざとらしくため息。

 こんなことで堪える優ではないが、意思表示は大切だ。

 床に広げた毛布を畳み、押し入れへと仕舞う。


「では、寝ようか」


「う、うん」


「先ほどまでの威勢はどうした」


 なぜか、言い出しっぺである優が、正座で小さくなっていた。

 頬にも赤みが差している。


「いや。恥ずかしくなってきちゃって」


「おかしなことを言うな。女同士だろう」


 スマホでアラームをかけ、ベッドに横になる。

 安さ重視の、柵のないパイプベッド。転げ落ちないか心配だ。


「ほれ。さっさと寝るぞ」


「……うん」


 躊躇している優を引っ張り込み、部屋の電気を消す。

 流石にシングルベッドに二人は狭い。肩に感じる人肌の温もりがこそばゆい。


「色々と話したいところではあるが、生憎と明日も平日だ。今日はさっさと寝て、明後日時間を作ろう」


「わかった。……えっと、おやすみ、沙織ちゃん」


「ああ。おやすみ、優」

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