おにぎり

北緒りお

おにぎり

「おべんとうはどこでたべるんですか?」

 ひときわ元気そうな男の子が、その活発さを服に表したかのように、引っかけたカギの繕いや裾にスレのある着物に芝生の枯れたのや雑草のちぎれたのなんかがついています。

 秋空が高く晴れ渡り、海の近くでただでさえ広く感じる空にさらに深い奥行きを与えています。

 銀杏の葉は色づき、黄色というよりは黄土色の葉でその枝々や地面に明るいハイライトを入れています。それがあってなのか、石畳でなにやら重いような印象のあるこの通りがこの季節だけ明るくなったような気持ちになるのでした。

 反面、路地をよく見てみるとついこの間までに青々としていた雑草たちはすっかりと生気を失ったように、くすんだ黄土色に葉の色を変えているのだった。

 鉄道があり、港があり、石畳の通りがありと、仕事の人間や観光で訪れるものなど、さまざまな思いでここを訪れ、用を済ませたり見物をしたりと、それぞれの過ごし方をしています。

 さっきの男の子はというと、引率の先生に着物についた枯れ草を払ってもらっています。

 その洋服姿の先生は、まだ若く長い髪を後ろで一つに縛り、活発な子供たちが一丸になってもやり返せるような颯爽とした風格を持っているのでした。子供たちに集まるようにとよく通る声で号令をすると、子供たちは先生を取り巻くように集まります。

 まるで、子犬が母犬にじゃれついているかのようなもので、じっとしている子は少なく、隣にいる学友にちょっかいを出すのや、どこかで捕まえてきたらしき草バッタをさもいいものかのように大切に持ち歩いているの、さっきの男の子はおとなしく先生の隣に立ち、なにやら手持ちぶたそうにしています。

 先生はやや大きめのバッグから二つ折りのリーフレットのようなのを取り出し、子供たちが聞き逃さないようにゆっくりと「もう少し歩いて、これに書いてある海の見える丘についたら昼ごはんです!」と伝え、子供たちに歩こうと促すとゆっくりと歩き始めたのでした。

 少しつんけんしているように見えたものの、先生の視線は十数人ぐらいの子供たちをまんべんなく、それでいて一人一人を確実に視界の中にはいるようにしているのでした。

 港が見える広場。

 商港らしく大づくりな建造物の中、芝生のある公園は海に向かって開けていて、その一角に子供たちが集まり、みなそれぞれに昼ごはんを取り出し始めるのでした。

 さっきの元気のよい男の子は背負っていた背嚢からおにぎりを取り出します。竹の皮のひしゃげ具合から、その中の飯粒たちは朝に見た形から変わってしまっているのだろうと想像ができました。なにやら古文書でも開くかのように慎重に竹の葉の端をつまみ、ゆっくりと持ち上げます。

 案の定、おにぎりはすっかりと形を変え、中心に入っていたであろうウメボシの赤が平たくなったところからじんわりと見えたのでした。

 想像通りだったのが面白かったのか、さも愉快そうに先生に報告します。

「おにぎり、ひしゃげちゃってらぁ」

 先生はその大きな声にどう返事をしようかと少し迷っていたみたいでしたが、男の子は気にしないで思いっきりかじり付いてます。

 一口目に大きく、その半分ぐらいを一気に食べています。

 男の子はおなかが空いていたのもあって、なにやら夢中でおにぎりを食べているのでした。

 かみしめるごとに、ご飯の甘い香りがほんのりと立ち上がり、いくらでも食べられそうな気持ちになっています。

 二口目、やっとおにぎりの中心にある梅干しにたどり着きました。

 さっきまでのごはんの甘みだけでなく、梅干しの塩の味が舌の先を引き締めるような気持ちになって、その後に感じる酸っぱさが顎の付け根のあたりになにやら少しの力が入るような気持ちがするのでした。

 まだおにぎりは半分ぐらい残っています。

 また大きく口を開けると、半分残っているおにぎりのさらに半分を食べます。ごはんがどんどんと消えていきます。

 こぶしほどあったおにぎりはあっという間になくなり、指先についたお米を前歯を使ってきれいになくすると、また次のおにぎりを食べるのです。

 大きめのおにぎり三つは、すっかりと姿を消し、おにぎりの重みで少しずっしりとしていた背嚢は、大きくあいたおにぎりの空き地で、なにやら一仕事を終えたような力のない姿になっているのでした。

 秋空はからっと晴れて高く広がっているものの、ときどき吹く風が少しひんやりとしているような気もします。

 けれども、おにぎりを食べて満足したからか、男の子の体の奥底はそことなくほんのりと暖かく、少しぐらいの風では冷えそうにありません。

 先生はその様子を子供たちに囲まれながら一緒にごはんを食べて遠目で見ていたのでした。

 港から広場を眺めると、子供たちがワイワイとお昼ごはんを食べているその少し先では、鉄道の工事をしています。

 そこもお昼の時間です。

 お昼というよりは、彼らの言葉を使うと「めし」でしょう。

 やかんに入った麦茶を湯飲みにつぐと勢いよくのどを鳴らして飲んでいきます。

 商港からさらに続く鉄道を敷設するためこの現場で汗を流して働いているのです。

 大きなアルマイト製の入れ物、それこそ学校の給食の時間に見るような大きさの入れ物に入ったおにぎりが運ばれてきます。

 その入れ物は、運んでくる女性がやっと抱えられるほどの大きさで、新聞紙ぐらいの幅でしょうか、そのなかに大きなおにぎりがひしめくように入っているのでした。

 男たちは運ばれてくるのを待つ間に麦茶を飲み一息ついていました。見守ると言うよりはどれも同じように見えるおにぎりを選ぶかのように選び、これぞというものに手を伸ばしていきます。

 一つひとつのにおにぎりはさっきの子供が食べていたのよりもはるかに大きく、にぎりめしという言葉で表すのがよいのかもしれません。現場を動かす力を一気にまかなえるようにと、特別大きく作ってあります。それこそ、赤子の頭ぐらいはあるでしょうか、具は真っ赤な梅干しが入り、それをもりもりと食べていくのでした。

 夏の間に赤銅色に焼けた肌と短く刈り込んだ頭の男は、現場の中堅どころでしょうか。若い衆に比べて肩の肉の付き方がたくましく、仕事中の動きにも余裕があるように見えました。にぎりめしは皆が取り合うようにとっていく中で少しだけ間を置いて取りに行き、目についたものを手にしていたのでした。食べるというよりも、とにかく腹を満たして午後の仕事に備えようという考えなのか、がっつく訳ではないものの勢いよくモリモリと食べていくのでした。

 その様は、大きな岩山を砕いていくかのようで、なにやら削岩していく音も聞こえそうなぐらいに大きくにぎりめしの塊を削っていくのでした。

 どんぶり飯をそのままにぎりったかのようなにぎりめしはあっという間に姿を消します。若い職人はもう一つと手を伸ばし、一個目と同じようにかじりついて食べていくのでした。

 その男はというと、にぎりめしを食べ終わり、お茶を一口飲み干すとたばこを一服し、休憩時間の〝無の時間〟を堪能しているのでした。

 若者はにぎりめしにかじりついています。男はその様子をたばこを吸いながら少し離れたところから眺めています。まだ、〝力の加減〟というものがわからず、仕事のムラが気になっているものの、やる気があるからどうにかなるだろうなと、ぼんやりと考えながらその様子を見ているのでした。

 にぎりめしが勢いよく食べられている道ばたから大通りを抜けていくと港があります。

 そこには、出航を待つ人たちが使う待機所があり、まだ船旅が中心だった当時は、その待合所で時々見聞きする海外の言葉に、異国のにおいを感じていたのでした。

 二十代の半ばを過ぎたぐらいであろう背広を着た若者がいます。その顔は凜と精悍で大志を抱き海外への第一歩を行こうとしているのでしょうか。その席の隣には着物姿でたたずむ女性がいます。四十代ぐらいでしょうか、若者の母親が座っています。

 会話はほぼなく、時々交わされる会話は「体に気をつけて」や「便りをよこして」などという、母親からの問いかけに男性が静かに頷(うなづ)くぐらいです。

 女性は手にしていた包みを広げると、おにぎりの包みを広げます。

 そっと食べるようにと促したおにぎりは、竹の包みのうえに二つ並びたくあんがその隙間にあります。丁寧に握ったのがわかるのが、丸みのある三角形が同じ大きさで、ここに来るまでの間にも形が崩れないようにと注意しながら運んできたのたと思われます。

 待合室での二人の時間と同じようにゆっくりと、一口二口と食べ進んでいきます。口に運ぶ前にその形を目に焼き付けているかのように、まっすぐと見つめ、食べ進めていく中でも無くなってしまうのが惜しいのか、かみしめ、そしてだんだんと小さくなるおにぎりに惜別の感情を合わせているのか、時間をかけて食べていくのでした。

 出航の時間まではまだあります。けれども、出航前の手続きなどで、待機所でゆっくりとしていられる時間はさほどありません。

 残っているたくあんをゆっくりとかみしめ、残り一個のおにぎりもこの時間と一緒に永遠に続けばいいとばかりに少しずつ、噛みしめていくのでした。

 最後の一口がなくなろうという頃、手続きをせかす鐘が鳴ります。

 今生の別れではないものの、なにかあってもすぐに駆けつけることができない距離がこの親子の間にできる瞬間です。

 若者はすっかりときれいに食べた竹の皮をゆっくりとたたみ、それを包んでいた木綿のハンカチーフも丁寧にたたみます。母親はそれを持って帰ろうとしますが、ぼそっと、これも持って行くよ、と言うと床に置いていた鞄の中に優しく納めたのでした。

 手続きをせかす鐘が鳴り、そろそろ時間だからつぶやくと、立ち上がったのでした。

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