III. キック・アウト・ザ・ジャムズ

「──どん底まで堕ちていこうよウェイ・ダウン・インサイドきみにはこいつが必要だからユー・ニーディット

 束の間時間の波の間を漂っていたわたしの意識は、現在に舞い戻る。

 のばらの手になるオリジナル<ペンタトニックドライバー>(このタイトルも、ナレいわく「だせえモドプタ」)から、セッションは自然にこの曲に移っていた。二年前に初めてセッションした曲。半世紀以上前に作られた曲なのだとのばらが教えてくれた。アートの再現をする理由が分からない。なぜ終わったものに拘泥する? そうわたしが問うと、のばらは答えた。過去のものを演ることは──時間を戻って行こうとすることじゃない。再現でもない。の私たちがの美を引きずりだすことで、いまと過去が混ざりあうんだ。

 待たせすぎだと叫ぶようにナレがスネアを打ちのめした。その一瞬でバンドに火が入り、わたしと可思議はひとつのかたまりになってスタジオの空気を塗り潰す。それに更にナレが応えてギアを上げる。ライドとハイハット、キックが一体になって形作られるリズムの骨格と、ウワモノに食い込むような手数の多いスネア。

 ナレのドラムスはいつも強い牽引力でビートを引っ張ろうとする。最初、それに必死に合わせてついていこうとしたわたしに対して、のばらは「合わせるな」と言った。「合わせようとなんかするな。リズム体はだ。主導権を奪い合って、瓦解するギリギリまで行け。どっちかが手を離したら、勢いのまま崖から落ちる。そういうバランスで、互いの命綱になれ」それをグルーヴ、って言うんだ。

 音楽の合奏とは、互いに寄り添って一体になろうとすることなのではないか、と、わたしはそのように考えていた。でものばらはそうではないと言った。音楽が教えるのは、われわれが同じひとつのもので、手と手をとってつながり合える、なんてこと。そうじゃなくて、われわれはどうしようもなく孤独で、ばらばらで、引き離されている、ひとつひとつの魂、それでも、傷つけ、争いながら、心の一番底の部分で、踏みとどまってひとつになれると願っている。最後には互いの命綱になれると夢想している。気づいている。音楽を通してわたしたちはそれを

 半ばフリーフォームとなってリズムのグリッドを仕切るバーを軒並み薙ぎ倒したナレが、散らばるスネアの乱打を収束させるようにしてブレイクに入った。入れ替わりに可思議のギターが不穏なフィードバックノイズを波打たせる。戦争の箱ボックス・オブ・ウォーと名付けられたディストーションペダルが年代物のダイオードとオペアンプで信号を煮立てて凶暴にクリップさせた。シビル・ウォーと呼ばれる九十年製のビッグ・マフを模した、ダークでハイゲインなトーン。戦争の音が響く。リハーサル・スタジオの退出十五分前を告げる、白いランプが点滅している。



 わたしたちは、格安のイタリアン・レストランのチェーンでの打ち上げを終えて、駅前広場でガードレールにもたれかかっていた。件のレストランはスタジオの真上にあって、わたしたちはいつもそこで打ち上げをする。スタジオの中ではあらゆる方法を駆使して散々に時間を操作し、ぐちゃぐちゃに掻き回す。音楽とはそういうものだからだ。すると、その享楽の時間のツケを払うように、腑抜けた無為な時間を過ごす必要が生じる。ナレと可思議は飢えた獣のようにテーブルの上を食い荒らす。わたしはのばらと皿を共有する。わたしたちが分け合うエスカルゴを見て、ナレと可思議は「信じらんねー」「宇宙人かよ、おまえら」と言う。

 わたしたちは東京の星の少ない夜空を見上げる。そのまま可思議が言った。

「どうなるかね」

 わたしが答える。 

「インフルエンザの死者数は一世紀で二千分の一になった。黒死病ももうない。天然痘に至っては根絶した。いたちごっこを繰り返してはいるが、それでも人類は前進している」

 ナレが言う。

「そしてメタルはいずれガンにも効くようになるー」

 そうじゃねえだろっ。可思議が言葉を被せた。

「そうじゃねえって。来月のライヴだよ。自粛明けの久々のライヴじゃんか。マジで大丈夫かよ。人、来んのかな?」

 黙っていたのばらが口を開いた。

「意外とナイーヴなんだな、可思議は」

 言葉を続ける。

「大丈夫だよ」

 そう言った。

「過去はもう過ぎ去った。いま最善を尽くしてる。なら」

 のばらがわたしの方を見ているのに気がついた。

「未来は最高に決まってる」





<了>

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