第5章第4節「想像の地平線へ臨む」
「未咲希はどうですか……?」
「血中の魔力濃度は常軌を逸していますが、それ以外の数値に問題はありません。瞳孔が虹色に染まっている点についても、魔人や超能力者にとって正常な特徴です。魔人として診るのならば、身体的には好ましいほどに安定していますね」
「わーおすごい。これも澪ちゃんがそばにいてくれたおかげかしら」
DSR技術部門の衛生課を統括する教授・
「よかった……でも私は何もしてないわ。きっと未咲希が頑張ってくれたおかげよ」
「もー澪? 私が頑張れたのは澪がいてくれたおかげだって」
二人のやり取りを変わらない笑顔で見守っていた帰山は、改めて検査結果が映るホログラムを見て興味深そうに呟く。
「これほど膨大な魔力を絶妙なバランスで安定させているのは、鳳条さんご本人の力というよりも明らかに外からの干渉が影響していると考えるのが妥当です。超能力者である暁烏さんがそばにおられたのなら、彼女の力を間接的──あるいは直接的に支えることも可能でしょう」
帰山教授曰く、澪が操るテレキネシスは未咲希の力を上手く作用させ、結果として肉体と魔力の適合を助けたという。澪自身、未咲希を支えようとしたのは間違いないが、ここまで上手くいくとは思ってもいなかった。
「ふふ、ここはしがない医者として、お二人の絆が成した奇跡──ということにしておきましょうか」
彼女たちは自分たちが起こしたことが奇跡的だったと知り、お互いに顔を見合わせた。
「……本当によかった」
澪は奇跡を確かめるように言葉に変え、二人は満足げに微笑み合う。
と、検査結果のホログラムを見ていたコレットがふいに口を出す。
「とはいえ、未咲希ちゃんにはまだ力をコントロールする術がないわ。澪ちゃんの力が補助輪になってくれればいいけど、力を使うのは控えたほうがいいかもね。ちゃんと訓練するなら別だけど」
ポーラとの戦いで力を満足に使えたのは澪のおかげ。そのことは未咲希も十分に理解していた。だからこそ、彼女はその力をきちんと自分のものにしたいとも考えていた。
「コレットさん、私……この力を使いこなせるようになりたいです!」
魔人になってしまった以上は仕方のないことだが、澪は彼女の申し出を快くは思えない。力を持つことの意味、それを背負うには相応の覚悟がいる。超能力者である身からすれば、未咲希には荷が重いと思ったからだ。
「考えてあげてもいいけど、今は休みなさい? 魔人としての初陣だったんだから、かなりの体力を消耗しているはずよ」
澪の不安を汲み取ったこともあってか、しばらくは休ませる必要があるとコレットは話した。
「休息が必要なのは君もだよ、コレット。その足、手当てしたほうがいいんじゃないかな」
「はいはい。教授には敵いませんよーだ」
未咲希の検査を優先してくれたコレットは、自身を後回しにしていた。足を引きずっていたこと、ぎこちない座り方。帰山にも話してすらいなかったが、微笑みを湛えた彼には見破られていたらしい。
素直に彼に従って残るという彼女と別れ、澪はすぐに未咲希を家へ連れ帰ることにする。
それから数時間後、朝帰から手当てを受け終えたコレットは、DSR本部内にあるサロンへ向かおうとしていた。多くの職員たちが食事や休息に利用するサロンだが、既に夜は午後九時を回っている。比較的空いている時間帯を狙って、彼女は晩酌をしようというのだ。
今日は色々なことがあった。『サーキット・ロジスティクス』が運営していた配送センターに囮の取引へ向かい、月城財閥の屋敷で獄楽都市クレイドルの将軍とも戦った。どちらも裏にはポーラ・ケルベロスと獄楽都市クレイドルの思惑が潜んでおり、それに介入する形となったコレットも無事では済まされなかった。普段は難なく任務をこなしている彼女にとって怪我は決して多くなく、怪我したことを腹立たしく思っていた。彼女の怪我はいくら相手がクレイドルの将軍だったからといっても、日頃の軽はずみな心持ちの油断によるところも多い。根っこの部分を嫌でも分かっていたからこそ、余計にむしゃくしゃしていたのだ。
こんな時は、お酒でも飲んでリラックスしよう。苦労した日はそれを忘れるためにも、そうするに限る。彼女の中での鉄則である。
誰もいないサロンで冷蔵庫を物色したコレットだったが、めぼしいものはない。普段から自分が飲んでいるせいか、ストックはそれほど多く残っていなかったようだ。仕方なく適当な缶ビールを数本取ると、一番大きなソファーを独占する。
彼女が複数本の缶を持っていったのは、全部飲むためというわけではない。サロンに通りがかった誰かを捕まえて一緒に飲むためだ。やはり一人で飲むよりも、こういう時は誰かと飲んだ方が気も紛れるというもの。もちろんと言うべきか、誰も来なければ結局は全部飲むが。
その時、タイミングよくサロン前を通った浅垣の姿を目ざとく見つけるコレット。
「ねぇ~浅垣く〜ん、今ひまでしょ〜?」
大袈裟な猫撫で声を出して既に半分減った缶ビールを揺らして誘う。一応、立場で言えばコレットは浅垣の上司に当たるため、まさか断るわけがない。なんといっても、いつもお世話してあげているあたしのお誘いなんだから──
はやくも酒が回り始めている頭で考えていたが、それに反して浅垣は立ち止まりもせずに一言残して去っていった。
「悪いが今は忙しい」
実のところ、浅垣が誘いを断るのはいつものことである。というより、コレットの誘いを喜んで受ける人はそう多くないのだ。なぜなら、彼女は無類のお酒好きでありながら酒に強いというわけではない。ただ飲むことはできるせいで、最終的には潰れてしまう。そうなると、付き合った人は介抱しなければいけない。彼女と飲むこと自体は確かに楽しいものかもしれないが、後のことを考えると付き合っても途中で抜ける人が多かった。
「ちぇ~、釣れないなぁ」
心底残念そうに呟き、悲しみのフレーバーと共に一缶を飲み干す。
それからしばらくすると、次にサロンへやってきたのは澪だった。
「あら、何か忘れ物でもしたの?」
コレットが検査を終えた後、澪は未咲希を連れて帰ったはず。彼女が本部にいるはずもないが、どうやら一人で戻ってきたらしい。
酔いどれ気分のコレットを見つけ、澪は少しばかり狼狽えた様子だった。
「あ……お邪魔だったかしら」
ソファの前のテーブルには缶ビールが複数本あり、既に二本目に入っている。もちろん、来たる相方用だがまだ手付かずのものもあった。
時間も時間だったため、彼女のひとときを邪魔してしまったとも思った澪。しかし、コレットはソファに深く座り直して顔を覗き込むように言った。
「大丈夫よ~。むしろ来てくれて嬉しいわ。とりあえず座ったら?」
「あ、いえ! 私はただ桜井くんを探しに来ただけですから」
さりげなく澪を誘おうとするも、あっさりと断られる。それでも彼女ががっくしと肩を落とさなかったのは、澪の口から想定外の名前が出てきたからだ。
「あぁ~、桜井くん。桜井くん、ね」
どこか意味深長に繰り返すコレット。本格的に酔ってしまったのだろうか。
心配するとも若干引き気味とも取れる表情の澪だったが、デタラメとは思えない言葉に耳を疑った。
「もうすぐアルカディアに行っちゃうんですって。はぁ、……ちょっとだけ寂しくなるわね」
アルカディアに行く? 彼が?
結びつかない言葉を噛み砕けず、澪がそのまま口に出すとコレットは深く頷いた。
「あたしが知った時、あなたは未咲希ちゃんと帰った後だったから伝えようにも伝えられなくてね」
澪と未咲希がコレットの診察を受けるために桜井と別れてから、彼とは顔を合わせる機会がなかった。だからこそ、改めてきちんと話がしたいと思って本部に戻ってきている。だが、知らない間に遠征が決まっていたという。
「それで……彼は今どこに?」
せっかく会いに戻ってきたのに、会えずに帰るのももどかしい。彼女はおそるおそる訊ねた。
「たぶん、DSRが用意した隠れ家で休んでると思うわよ。しばらく会えなくなると思うけど……」
コレット曰く、桜井はもう本部にはいないという。次にいつ会えるかも分からない。もちろんのこと、隠れ家の場所は基本的にDSRの職員にしか知らされない。どう考えたところで、赤の他人である澪が会うにはとうに手遅れだ。
えもいわれぬ焦燥感に襲われる澪に対し、コレットは一言だけ囁いた。
「どうしても会いに行きたい?」
果たして、酔いのせいだろうか。
理由なんて二人には些細なことだった。
彼女が本当に会いたいと願うなら、たとえ酔いのせいにしてでも教えることが彼女なりの誠意。
しかして、甘い誘惑は抗い難いものである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます