第5章第3節「想像の地平線へ臨む」
桜井は彼の真を映す瞳からそれを汲み取っていた。その時初めて、彼は自覚する。先ほどまで自分より浅垣が適任だと騒ぎ立てたのは、単に一人だけで行くのが怖かったのだろう。仲間から遠く離れた土地に行くことが心細かったのだ。
だが、浅垣は桜井を見放そうとしているわけではない。彼を認め、未来へ送り出そうとしているだけ。
言葉を詰まらせていると、ラテランジェロ総帥は二人から目を外し輝く天の川を見据えて呟いた。
「魔法郷アルカディアはラストリゾートよりも歴史の長い魔法文明が根付いている。世界の状況について知るだけでなく、君が抱えている疑問の答えを知る機会にもなるだろう」
冷静になってみると、アルカディアへの遠征は桜井にとってまさに願ってもない好機だ。レリーフが出没しているという情報ももちろんだが、桜井は多くの疑問を抱えている。
ユレーラが誕生した理由と、彼の存在の意味。
生と死を司る一対の魔剣ライフダストと魔剣デスペナルティの関係性。
それらの謎を解き明かすには、アルカディアという新天地は手がかりになるかもしれないのだ。
「浅垣、俺は……」
かけられた言葉により、彼は本来向き合うべき問題を直視する。
「お前のドッペルゲンガーだったレリーフのことが気になるんだろ?」
浅垣は桜井が抱える謎に少しだけ触れた。彼は既に桜井とユレーラの関係を知っているが、あの後に黒い太陽の中で起きたことはまだ伝えていない。今がその時だと思った桜井は、勇気を出して頷いた。
「あぁ。あいつは……本当に俺の分身だって言ったんだ。あの太陽の中で俺はあいつを倒したんじゃなく、一つになった。冗談なんかじゃなく、俺の手元には二本の魔剣が残ってる」
彼の告白を聞き届けた浅垣は、改めて桜井へ向き直る。それからほんの少し逡巡した後、ため息を吐いて言う。
「桜井よく聞け。この世界には知るべき真実と知らなくていい真実がある。だが、絶対に知るべきでない真実なんてない。お前には知る権利があるはずだ」
時に、真実か虚構かの区別がつかないことがある。確かめれば終わることだったとしても、確かめることができないこともある。そういった場合において、真実と虚構の境界線は途端に崩れ去るもの。そして大抵の場合、人は未知の部分を想像によって補う。こうして生まれる認識は、往々にして人を惑わす。その不安を拭うために、人は真実を追い求めるようにできている。
浅垣が言わんとすることの真意は、まるで雲の上にあるかのようにぼやけ──確かめずにはいられないものだった。
「探したいなら、俺は止めたりしない。あとはお前が決めろ」
誰がそうしたのか、真実や可能性は雲の中にあって見えないことが多い。確かめてみるまで、雲の中に何があるのか分からない。そして奇しくも、雲とは手が届かないものである。
だが、浅垣の説得は桜井の心に滑り込み、彼の背中を押した。届かないはずの雲に手が届くようになったのだ。それなのに、手を伸ばして真実を確かめないでいられるだろうか。
「分かった。引き受けるよ」
元より総帥は召集を拒否する権限はないと言っていた。だが今の桜井にも、召集を拒否する理由はない。
「出発は二日後の朝だ。それまで体を休めておくといい」
最後に事務的な連絡を済ませると、総帥は腕を上げて浮かび上がったホログラフを操作して通信を切断。桜井と浅垣は現実へと引き戻され、白い通信室へ戻された。
沈黙が走る中で、浅垣は量子通信室を後にしようとした。
「浅垣」
何も言わず立ち去ろうとした浅垣を呼び止める桜井。彼は自動で開いた出入り口の前で立ち止まり、続く言葉を聞いた。
「……何も知らないのか?」
仮想空間で真実を告白した時、浅垣は驚きもせずに心づけた。それ自体はコレットや蓮美とも変わらないが、明らかに含んでいたものは違う。思い返せば、黒い太陽の前で土壇場にユレーラがドッペルゲンガーであることを明かした時にも、浅垣だけは理解を示し桜井の背中を押した。
そしてもう一つ気になっていたのが、桜井の愛剣について。
「俺がDSRに入った時にあの剣をプレゼントしてくれたこと、覚えてるよな? あの剣が魔剣ライフダストだったことも、浅垣は最初から知ってたのか?」
生命を司る魔剣の真実を知ったのは、世界魔法史博物館でのこと。黒い太陽事件を解決に導く奇跡を起こしたのも、あの剣があったからこそ。神話を詳しく知らない桜井では、当然外見を見ただけでは知り得なかった。当時でさえ、ユレーラが対となる魔剣デスペナルティを持っていなければ確信をもってなかっただろう。
さらには、魔剣ライフダストは浅垣からもらったものでもある。なら、彼はそのことを知っていたのだろうか。
「知っていたとして、根拠のない憶測を伝えたりはしない。魔剣のレプリカなどごまんと存在する」
浅垣はこちらを振り向かなかったが、否定することもなかった。どちらかと言えば、肯定と受け取れる口ぶり。やはり、浅垣は予め知っていたのだ。
「じゃあ……ユレーラが俺の分身だってことは、どう?」
魔剣ライフダストを知っていた浅垣。それを知っているなら、きっと桜井より多くのことを知っているはず。
そう。彼はユレーラについて本当は何か知っているのではないか、と。
しばらくの沈黙の後、浅垣はこちらに横顔を見せて言う。
「言っただろう。憶測は混乱を招く。確かめないことには事実などないも同じこと」
普段の断言する冷たく言い切る言葉遣いとは裏腹に、声色は僅かにふらついている。まるで根を張っていない弱々しい野草のように。
彼の言葉を受けた桜井は、それが自身へ掛けられたものと理解していた。ユレーラが桜井の分身であることを明かし、浅垣を含めた全員が疑いを持たず信じてくれた。とはいえ、もし反論されれば分身であることを証明するには根拠が足りない。当然のことながら、証拠を集めなければならない。手元に残った魔剣デスペナルティだけでは、桜井が分裂した理由や原因を説明できないのだから。
一方の浅垣は意図してか否か、息を止めていた。ほんの少し苦しげに息継ぎをし、それを悟られまいと桜井の前から立ち去る。一言だけを残して。
「今お前に伝えられることはない」
遠ざかる背中はすぐに死角へと入り、桜井は通信室に一人取り残された。まるで、浅垣が手の届かないところへ行ってしまうかのように。
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