第5章第2節「想像の地平線へ臨む」
仮想空間を利用した量子通信を可能とする通信室へ向かう浅垣と桜井。
「今回はレリーフは関係ないだろ? 話すことなんてある?」
ラテランジェロ総帥との面会というのは滅多にあるものではない。二週間前は魔法生命体レリーフ──ユレーラが絡んでいたからこその特例だ。しかしながら、今回の事件は獄楽都市クレイドルが関与しており、レリーフの問題とはまったく関係がない。
ではなぜ、桜井たちが面会に呼ばれたのだろうか。
「確かに今回はそうだ。だがレリーフに頭を悩ませているのはラストリゾートだけじゃない」
通信室へ入ると、分厚い扉がスライドして閉まる。白を基調とした壁に囲われた空間の中央には台座があり、指紋を読み取るための装置が組み込まれている。
二人がそれへ手をかざすと、電子音と共に照明が落ちる。足元から紅い光を発する性質を持つ魔導粒子ユレーナが浮かび上がっていく。魔力を構成する素粒子が空間を緑色に描き出し、二人に海の中にいるような錯覚に陥らせる。魔導科学技術を応用した量子通信は、仮想空間へ特定の人物を送り込むことで実際に会っている臨場感を味わえるもの。紅と緑の光はやがて青い光へと変換され、カラフルな色彩を得ることで景色を描き出していく。彼らのいる空間を覆い尽くした光のさざなみは、景色を別世界へと塗り替える。
次の瞬間、二人が立っていたのは殺風景で神秘的な場所だった。薄暗い空には天の川が輝き、足元の水はそれを反射する。見渡す限りの水平線と小さな島。二人は波が寄せてくる砂浜の上にいて、目の前の大きな木の下にはスーツを着た壮年の男性が背中を向けて立っていた。
彼こそがラストリゾートの総帥であり、超常現象対策機関DSRの創設者である男だ。
「ラテランジェロ総帥。桜井を連れて来ました」
桜井の隣に並び立った浅垣が声をかけると、総帥はこちらへ振り返った。厳粛な顔つきは表情が読めず、彼は淡々とした口調で話す。
「ご苦労だった。ポーラ・ケルベロスの処遇についてはネクサスが協議することになる。今後の動向が決まり次第、君たちにも通達しよう」
「了解しました」
浅垣と総帥のやりとりはいかにも業務上といったものだが、桜井はこれまでの面会で総帥に啖呵を切ったことがある。総帥は魔導科学が超能力者の実験のために澪を利用していたことを認めており、桜井は彼を信用するべきかを決めあぐねていた。とはいえ、今回は浅垣も立ち会ってくれている。まずは大人しく様子を見ることに決め、桜井は彼の言葉の続きを待った。それが想定外のことである可能性など考えもせずに。
「さて、本題に入ろう。魔法郷アルカディアでは以前から魔法生命体レリーフの出現が確認されている。これまでアルカディア側は我々に協力を要請してくることはなかったが、最近では魔法生命体レリーフの対策を講じるための評議会が開かれるそうだ。それに伴って、DSR側にも召集がかけられている」
魔法郷アルカディアと言えば、ラストリゾートの外にある国の一つ。タイムリーなところで言えば、ポーラ・ケルベロスの家門とは縁のある土地だ。総帥曰く、アルカディアに魔法生命体レリーフが現れたというらしく、桜井は言葉に眉を動かした。レリーフが現れたということは、ユレーラが関係している可能性もある。手元に魔剣デスペナルティがある以上繋がりは薄いが、謎の手がかかりにはなるかもしれない。
短い間で考えを巡らせていた桜井だったが、彼にとって思ってもないことが起きた。総帥は、桜井に視線を向けてからこう告げたのだ。
「そこでエージェント桜井、君には魔法郷アルカディアへの遠征を頼みたい」
間違いなく、宣告は桜井に向けられたものだった。彼はすんなりと言われたことを理解することができた。理解し難いことを言われたわけではない。だからこそ、彼は自分のみが指名されたことに愕然としていた。
「ち、ちょっと待ってくれ。俺一人で? 浅垣は来ないのか? コレットは?」
戸惑いを隠せない桜井は浅垣らの名前をあげるが、総帥はすぐに否定した。
「彼らには引き続きラストリゾートに残ってもらう。エージェント桜井の不在分まで埋め合わせる必要があるだろうが、楽園守護局とも連携し任務に臨んでくれ」
前提として桜井だけが派遣されることが決まっている。それを覆すことなんてできない。あたかもそう振る舞う総帥だったが、桜井の隣には浅垣がいる。彼ならば、桜井にかかる重責を理解してくれはず──そう、思っていた。
「……了解しました」
しかし、浅垣は意見の一つも申し付けずに受け入れた。
「俺が、DSRを代表してアルカディアに……? 何かの間違いじゃ」
桜井を庇ってくれる味方はいない。浅垣でさえ、彼を引き止めてはくれないのだろうか。
すると、総帥は冷淡に真実を裏付ける。
「アルカディアの女王レイヴェスナ・クレッシェンド卿は直々に指名している。魔法生命体レリーフを処理した経験を持つエージェントである桜井結都。先に断っておくが、召集を拒否する権限はない」
確かにその条件があるなら仕方がない、と納得できるはずもない。桜井はレリーフを処理した経験を持つが、彼一人の力で解決したわけではないのだ。浅垣や蓮美、コレット、時成、澪たちがいたからこそユレーラと対峙できた。それを彼自身がよく理解していたからこそ、召集に彼一人だけが指名されたのには納得がいかなかった。
「それにしたって、俺一人だけが行くよりも浅垣たちもいた方がいいだろ? アルカディアに行くんだったら尚更だ」
桜井は総帥へ必死に抗議する。彼が持ち出したのは、浅垣が持つある武勇伝について。
「浅垣は獄楽都市クレイドルの征服軍を率いていたグリゼルダ・レオグローヴを倒したんだろ。ラストリゾートだけじゃなくアルカディアの人々も知ってる英雄だ」
約二年前、ラストリゾートとアルカディアの間で行われた合同会合があった。この日を狙った獄楽都市クレイドルのテロが発生し、浅垣を含むDSRエージェントとアルカディアの魔法使いたちは共同戦線を敷いたという。
大規模な戦争において、数は最も重要な要素のひとつ。クレイドルは非人道的な方法で改造された魔導兵士の軍勢を擁していて、それを束ねる心臓と頭脳があった。征服軍の心臓たるグリゼルダ・レオグローヴ、征服軍の頭脳たるクリストフ・ラベルツキン。浅垣にはグリゼルダを倒したという実績があり、それはラストリゾートとアルカディア両国に知れ渡っているのだ。まず間違いなく、桜井よりもアルカディアへの遠征を任せるに相応しいだろう。
しかし、浅垣は強く桜井に迫った。彼に現実を教え込み、目を覚まさせるように。
「俺じゃなく、お前が指名されたんだ、桜井」
言葉は短く、冷たく突き放すようにも思えるかもしれない。だが実際には、浅垣は桜井の背中を押そうとしていた。
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