第5章「想像の地平線へ臨む」
第5章第1節「想像の地平線へ臨む」
桜井結都は何らかの原因によって分裂し、その欠けてしまった分身がレリーフとして現れた。ドッペルゲンガーのレリーフ──ユレーラは桜井に成り代わるために世界魔法史博物館の事件を引き起こし、最終的に桜井とユレーラは一つになった。その証拠として、魔剣デスペナルティが手元には残されている。
DSR本部へと戻った桜井は月城時成に話した真実を、コレット・エンドラーズや桐生蓮美たちにも同じように説明することにした。
浅垣晴人の班は桜井の班とは別行動をしていたが、偶然にも二班とも示し合わせたように帰って来た。どちらの班も紆余曲折あったものの時矢以外の犠牲を払うことなく無事。しかしお互いを労る間もなく、桜井は皆を大事な話があると呼び止めた。勇気がある内に、話しておきたかったからだ。外せない用事があるという浅垣を除いて皆が残り、桜井が秘密にしていた真実を黙って聞いた。
言ってしまえば思いの外難しいことはなく、問題はそれが真実として認めてもらえるかの方だ。時成に話した時もそうだったが、事の真偽が曖昧なのは変わらない。
そしてやはり、皆の反応も三者三様とはいえ似たものだった。
「まさか本当にドッペルゲンガーだったなんてね。でもあたしは桜井くんのことしか知らないから、あいつはあいつ、桜井くんは桜井くんだと思うけどなぁ」
椅子に座っているコレットは桜井とユレーラの関係性について、あくまでも別々の見方をしている。以前にも彼女と浅垣にはドッペルゲンガーについて相談したことがあったとはいえ、彼女は数年間桜井の成長を見てきたからこそ、真実を聞いてもどっしりと構えている。いつも通りとも言える反応は桜井にとっても安心できるものだが、それとは別に魔剣のことにも触れた。
「ただ、その黄金の魔剣には引き続き気をつけておいた方がいいかもね。試しに、うちの優秀な敏腕エンジニアの
死を司る魔剣というのも神話に由来するもの。現在のラストリゾートの科学技術でどこまで解明できるかはまったくの未知だ。
「だけどそう簡単に手放したくはない。もう一人の俺が何をしでかすかも分からないし、叶羽を危険には晒せない。少なくとも、俺が持ってる限りは安全なんだ。逆に言えば、俺が持ってなくちゃいけない」
事実として、ついさっき魔剣デスペナルティは月城時矢が蘇るのを助けた。死という特性と亡者の性質が噛み合った必然的な現象はそう何度も起こり得るものではないにせよ、扱いには気をつけるべきだろう。
「じゃああの魔剣について、桜井くんは何も知らないの?」
魔剣デスペナルティに関して、澪はフィラメント博士と共に一時は研究を重ねていた。博士はユレーラが何者かの魂であると仮説を立て、結論としてそれは正しかった。ユレーラが桜井の分身、つまり桜井の魂そのものだったのなら、二人が対をなす魔剣を持つことにも理由があるはず。澪はそう考えていたが、
「生憎、魔剣のことは詳しく知らない。ユレーラと一つになったと言っても、全てお見通しになったわけじゃない。ただ確かなのは、俺の中にはまだあいつがいるってことだけ」
答えは得られそうになかった。だが澪にはそれ以上深入りするつもりはない。桜井を問い質すより、今は不安を吐露した彼に寄り添いたい想いの方が強い。
どう言葉をかければ安心させられるか考え出すと、途端に澪は口を動かすことができなくなった。その一方で、
「桜井先輩は他に一人だっていませんし、浅垣先輩だってみんな一人しかいません。だから、仮にドッペルゲンガー現象に近しい存在があったとしても先輩が気にするほどのことじゃないですよ」
真剣な面持ちで桜井を気遣うのは、カウンターの前に立つ桐生蓮美。真実を知る以前までの桜井もまた、ユレーラをドッペルゲンガーのようなものだと考えていた。桜井とユレーラの関係性は厳密に言えば当てはまらないが、通じる部分はある。それでも、コレットも言うように蓮美にとっての桜井は一人しかおらず、代わりはいない。
蓮美からの励ましを受けて、桜井は情けなく感じるとともにスッと肩の荷が降りるのを感じた。今まで隠していたことがバカらしく感じるほどに。
「そうかもしれないな。たださっきも言った通り、全てを把握できてるわけじゃないんだ。俺の分身が生まれた理由だって何も分からない。そんな状況で真実を話せば混乱するだけ。だから、浅垣と暁烏、それから蓮美以外には黙ってたんだ」
黒い太陽の前で、ユレーラが自分の分身であることを一度告白したことがある。それは一緒にいた浅垣と澪、通信の繋がった蓮美だけが知っていた。実は蓮美には他の皆に言わないよう口止めしていたほどだった。
「え? もしかして、教えてもらえなかったのってあたしだけ?」
「コレットだけじゃないよ。帆波とか柊にも言ってなかった。迷惑かけたくなかったからさ」
あの時博物館の外にいたコレットは当然ながら桜井から話を聞いていない。彼女だけでなく、ほとんどのエージェントがそうだ。
浅垣と澪にだけ真実を明かしたのは、黒い太陽へと向かうため。だができることなら、二人にも黙っていたかったのが本音。彼らは桜井にとって身近な人であり、ユレーラの正体を知れば今ある関係性が崩れる恐れもあっただろう。博物館から帰った後も、DSRのトップであるラテランジェロ総帥に話して以降、彼はユレーラの正体についての話題は意図的に避けてきた。魔剣デスペナルティの存在を隠していたのも、結局は仲間の目を気にしていたからにほかならない。
「なーんだ、そういうことだったの。迷惑なんてかけてなんぼのものだし、あたしたちに遠慮しなくていいのに」
そして意を決して話した今。彼らは桜井が恐れていたような反応を見せなかったどころか、受け入れて支えようとしてくれている。それが今の彼には心強いと同時に、申し訳が立たなかった。
「黙ってて悪かった。蓮美には特に負担をかけちまったよな。この借りは必ず返すよ」
「いえ、そんな負担だなんて。……私は先輩の決心がつくまで待つって、心に決めてましたから。決心がついてよかったです」
とその時、「あの」と声を挟んできたのは鳳条未咲希だった。隣にいた澪も声をかけようとするとは予想していなかったらしく、少し驚いた表情を見せた。そんなことなどお構いなく、未咲希は次のように言った。
「桜井さんのドッペルゲンガーを見たことはないけど、私も皆さんと同じ気持ちです。実際、自分に似てる人って探せば意外と見つかるんですよ? でも本当に同じ人っていないんです。実は私、自分のドッペルゲンガーを探したことが──っいてて!」
事情を知る由もない彼女は自分なりに空気を読んだつもりだったが、急な痛みに顔を引き攣らせる。
「大丈夫? どこか痛いの?」
澪は慌てて未咲希の顔色を伺うと、未咲希は顔をあげて弱々しく笑って見せた。
「へ、平気だよ。ちょっと肩がピキッてなっただけだから」
何を隠そう未咲希は魔人として覚醒したばかり。それどころか、魔人として姉妹の如く覚醒したポーラ・ケルベロスを打ち倒した。体にかなりの無理をさせていたのだろう。気を抜いたせいか、それがぐっとのしかかってきたらしい。
「魔法アレルギーの後遺症の可能性もありますし、一度
魔人ではないが同じく魔法アレルギーを患っている蓮美は冷静に提案する。桜井も彼女の提案を後押しする情報を思い出した。
「そうだな。確かコレットも魔人には詳しいんだよな?」
彼の問いかけに、コレットは「まぁね」と頷いた。
「むかし友達をしょっちゅう診てたから、ある程度のことなら分かるわよ」
DSRでエージェントとして長く活動しているコレットはかつて魔人のエージェントとも組んだことがあり、その際に魔人に関する知識を身につけたという。そもそも衛生担当であるからこそ、魔法アレルギーにも見聞が広く蓮美自身も定期的に検診を受けている。魔人となった未咲希であろうと、経験豊富なコレットなら確実に診ることができるはずだ。
「未咲希、みんなもああ言ってくれてるし一応診てもらおう?」
背中に未だ痺れる感覚が残る未咲希は素直に頷いた。
「う、うん。コレットさん、お願いできますか?」
コレットと澪と未咲希は既に昼食と作戦を共にした仲だ。彼女は快く承った。
「任せといて」
意気揚々と立ち上がるが、彼女の歩き方もまたどこか庇うように見えた。というのも、彼女は月城財閥の屋敷における戦闘で足を捻挫してしまっていたのだ。当初は桜井の肩を借りないとまともに歩けないくらいだったが、今は庇いながらも歩けている。帰りの車の中でした応急処置のおかげもあるだろう。とはいえ、無理に動かすべきでないのも確かだ。
桜井が心配げに見守る中、蓮美が言った。
「あ、コレットさん! あんまり焦らないでくださいね」
心配の声に、彼女は余計なお世話と言わんばかりに振り向かずに返す。
「はいはい、蓮美センパーイ。……あーあ、教授に診てもらうなんて何年ぶりかしら」
未咲希だけでなく、コレット自身も怪我を負っている。彼女が衛生課の教授の世話になるのは久しく、ぶつぶつと小言を残す。
彼女が澪と未咲希を医務室に連れて行くのを見届けると、司令室に残ったのは桜井と蓮美の二人。ひとまず皆に真実を伝えることはできたが、浅垣にも改めて伝えた方がいいだろう。そう考えようとするまでもなく、桜井の元へちょうど浅垣がやってきた。彼は桜井が気づくよりも前に、短く声をかけた。
「桜井、ラテランジェロ総帥と面会だ。ついてこい」
「浅垣どこ行って……え、また?」
聞き返そうとする頃には、浅垣は既に背中を向けていた。急用で席を外していたらしいが、どうやらラテランジェロ総帥との面会があるとのことだ。突然のことに頭が追いつかないが、桜井は蓮美と別れ後をついていく。
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