第4章第16節「縺れ合う絆を解いて」
死を司る魔剣デスペナルティ。レミューリア神話において地獄を切り拓いたとされる黄金の魔剣は、その伝説に引けを取らない力を持つ。月城財閥が保有する中でも選りすぐりの魔具でさえ、まともな力比べは成立しない。
死に取り憑かれた亡者は桜井と時成を相手に、魔剣と闇の力を織り交ぜて圧倒していた。対となる魔剣ライフダストを持つ桜井は唯一魔剣デスペナルティと斬り結ぶことができ、自由自在に動き回る魔剣デスペナルティの相手に専念。桜井の隣で大鎌を振り回す時成は、亡者が唸り声と共に放つ紫色の魔力を斬り裂く。そうして亡者へ近づくと、隙だらけの骸へ鎌を振り下ろす。
すると、桜井が鍔迫り合いをしていた魔剣デスペナルティは素早く亡者の手元へ、そのまま時成の鎌を弾き返した。反動を受けた時成はよろめき、鎌は過負荷に耐えきれず霧散。鎌が対応する魔具である胸元のボタンはほつれて外れかかってしまう。隙を晒した時成に亡者は魔剣を構え直し横薙ぎに払う。時成は慌てて左手のミサンガを光らせ、ヌンチャク──『天秤』を召喚。なんとか死の斬撃を防ごうとするが、ヌンチャクはいとも簡単に引き裂かれてミサンガもまた切れてしまう。一度に二つの魔具を破壊されたものの、時成は地面を蹴って距離を取る。
亡者が追撃を仕掛けようとしたその時、すぐに火花でできた大車輪が襲いかかった。続けて桜井が大車輪を魔剣へ戻し、亡者を斬ろうとする。孔雀の意匠を持つ黒鉄の魔剣は同じく孔雀の意匠を持つ黄金の魔剣と噛み合う。生命と死の鍔迫り合い──その衝突は博物館でのユレーラとの戦いよりも互角なものだった。至近距離の鍔迫り合いの中、亡者の頭蓋骨は歯軋りをすると眼窩に宿る妖しい闇を強める。闇の纏わりつく左手を無造作に動かし、桜井の胸元へ伸ばす。白骨化した手が触れようとすると、得体の知れない冷たさが全身を覆い尽くす。
恐怖に震え上がるようにのけぞり、噛ませていた魔剣を外す桜井。魂を奪うことは出来ずとも、亡者は大きな隙を見出した。のけぞった桜井へ向けて魔剣を突き出すと、手元を離れて凄まじい勢いで彼を貫こうとする。かろうじて自我を保っていた桜井は強烈な突きに対して、魔剣ライフダストを当てがう。今の彼にはそれが精一杯の抵抗で、大きく後方へ弾き飛ばされた。
彼は地面に魔剣を突き立てて勢いを殺し、荒げた息を整える。顔色もどこか青ざめていたが、亡者からは視線を外さない。果たして外せなかっただけかは区別がつかないが、とにかく魔剣デスペナルティを従えた亡者を視界に入れ続けた。
その時、同じく後方で体勢を立て直した時成が隣に立つ。
「俺が時矢に突っ込んで隙を作る。そしたらあの魔剣を弾いてくれ。あとは俺がやる」
いつもとは違う真剣なトーンで提案する時成。彼はもう覚悟を決めたのだろうか。
亡者と相対する恐怖は拭えていない桜井は、魔剣を支えに立ち直ってから問う。
「……俺がやらなくて平気か?」
不慮だったとはいえ死を司る魔剣デスペナルティがもたらしたこと。ケリをつけるべきは桜井だとも言える。だが桜井とて亡者が時成の弟であることを忘れてはいない。しかしだからこそ、桜井は時成に始末を任せることを憚った。
「あいつは俺の弟だ。あんたにゃ任せらんないね」
時成の言い分は尤もだ。かといって、桜井は魔剣デスペナルティがもたらした不条理を看過できない。
時成と桜井は互いに相容れない覚悟を胸に、亡者へ立ち向かっていく。桜井でさえ亡者に取り憑いた死にはおぞましい感情を覚えずにいられない。だが時成はそれに加えて、亡者の正体が肉親である時矢だという事実が重くのしかかっている。その苦難と葛藤は想像することは出来ても他人が安易に理解できるものではないだろう。しかし彼の胸中には、確固たる覚悟が築かれつつあった。
既に時成は魔法剣の炎と風を秘めた二つの宝石、聖槍を秘めた指輪、盾を秘めた指輪、大鎌を秘めたボタン、ミサンガに秘めたヌンチャクを破損してしまっている。まだ魔力が失われたわけではないが、残る魔具も同じように破壊されるのは目に見えている。
だからこそ、彼は覚悟を決めていた。
「───今楽にしてやるからな」
全てをかなぐり捨てでも、弟に安息を与えることを。
生き返った時矢を助けるにも断ち切るにも、まずは彼を蝕む魔剣デスペナルティを取り除かねばならない。
時成はまず右手のブレスレットに嵌められた宝石の内の赤──火炎を秘めた宝石を煌めかせ、炎の魔法剣を握る。対する亡者は魔剣デスペナルティを腕に従わせて振るった。当然、炎の魔法剣は破壊されてしまい、宝石はついに砕け散り手元から落ちる。だが、落ちる宝石を気に留めず、次に白い宝石を光らせて氷の魔法剣に持ち替える。亡者はそれを魔剣で薙ぎ払って破壊、白い宝石は砕け散り地面に落ちる。続けて時成は緑の宝石を光らせて風の魔法剣を握った。当然のように魔法剣は破壊され、時成の周囲には三つのカラフルな魔力の結晶が残る。
次は右手の指輪に対応した槍を召喚し、魔剣デスペナルティと打ち合う。
それが破壊されると、胸元のボタンに対応した鎌。
それが破壊されると、靴の宝石に対応した双剣。
それが破壊されると、ベルトチェーンに対応した大剣。
それが破壊されると、ミサンガに対応したヌンチャク。
それが破壊されると、左耳のピアスに対応した弓。
それが破壊されると、左手人差し指の指輪に対応した儀礼剣。
代わる代わる武器を持ち替えることで、時成は魔剣デスペナルティと強引に斬り結ぶ。一撃を交わす度に眩い閃光と虹が生まれ、その決死の駆け引きは十回にも及んだ。最後に彼は左手親指の指輪を光らせると、聖なる盾を構えて突進する。亡者は魔剣デスペナルティを大きく突き飛ばし、突撃してきた時成の盾を砕いた。しかし、時成は亡者との距離を詰めることには成功する。彼はここまでして、祈るように顔の前で拳を握り込んだ。
「はあ──ッ!!」
周辺には時成が用いた様々な魔具の残骸となる結晶が散らばっている。それらが彼の意志に呼応するように体の四方八方に集まっていく。彼が精神を集中させたまま目を開くと、結晶と化した魔具が本来の武器としての姿を具現化させる。そして全ての武装を従わせた時成は、全身全霊の力を込めて右手を開き前へ突き出す。
「時矢から離れろ……!」
彼が従わせていた全ての武装は、目の前の亡者へ一斉に射出。多数の魔具は過負荷反応を引き起こし亡者を刺し貫くと、青白い輝きと共に尋常でない衝撃波を放った。それは時成の意志と彼に武器による最後の手段。
さしもの亡者でさえその体躯を崩され、苦しげな呻き声を響かせる。時成は捨て身の一撃によって、見事に隙を作り出したのだ。同時に今の彼は全ての武装を失い、次の一手を持たない。捨て身の一撃とはそういうものだが、だからこそ桜井の協力が必要だった。
「今だ桜井! あいつに剣を取らせるな!」
時成が叫んで合図を送ると、桜井は彼を追い抜いて駆け出す。生命を司る魔剣ライフダストを携え、大きく跳躍した彼は空中から勢いをつけて斬りかかる。亡者のもとには魔剣デスペナルティが戻り、それを握って桜井を弾き返そうとした。が、咄嗟の反撃は桜井の一撃には歯が立たず、亡者は初めてその手から魔剣デスペナルティを弾き飛ばされる。
地獄からの呻き声と魔剣が衝突する音が響き渡る安息の間。時成は弾き飛ばされた魔剣デスペナルティ目掛けて跳躍し、魔剣ライフダストを持つ桜井の隣に着地した。
生と死の狭間に繋ぎ止められた時矢に力を与えた魔剣デスペナルティを握った時成は、死の温度を感じ取った。それは時矢が長い間味わい続けてきた寒さでもある。
「……」
魔剣を失った亡者は、骸に纏っていた妖しい瘴気を霧散させていく。そうして闇でできた繭が払われると、生前の月城時矢の姿へと戻った。時成の目にはまるで、弟が本当に生き返ったように映る。
しかし、時矢は目を開けることはなく、逆巻く瘴気の渦中で立ち尽くしていた。さらに信じ難いことに、時矢の足元の影からは無数の禍々しい手が突き出て彼を引きずり込もうとしたのだ。
「クソっ、今助けてやる」
このままでは時成は地獄へ引き戻されてしまう。反射的にそう思った時成は、魔剣デスペナルティを放り捨てて駆け出そうとした。
「待て」
そんな彼を呼び止めたのは桜井だった。時成が振り返ると同時に追い越され、時矢のもとへ歩み寄る。弟を助ける手立てがあるのかと期待を抱くも、桜井は予想だにしない行動に出た。
その手に握っていた魔剣ライフダストを使い、時矢を引きずり込もうとする腕を斬る────のではなく、時矢の胸を躊躇なく刺し貫いたのだ。
「桜井……?」
彼がいったい何をしたのか、時成はすぐに理解することができなかった。
ただ見えたのは、時矢の手が胸に突き立てられた魔剣の刀身に触れようとしていたこと。魔剣を抜こうとする抵抗だったかは分からない。結局、時矢の手が魔剣に触れることはなかったからだ。
「……安らかに眠りな」
再び目覚めることなくその体を光る塵へ変える時矢に、鎮魂の言葉をかける桜井。
もう時矢が生き返ることはなくなり、闇から伸びる手に引き摺り込まれることもない。闇から出ずる無数の腕は掴むものを失い、もがきながら崩れ去っていった。
穏やかに光る塵は時成の前まで流れてくるも、触れることもできずすり抜けてしまう。彼の手には温もりさえなく、ただすり抜けていく光を見送ることしかできなかった。
時成はまだ何が起きたのかを受け止められていない。時矢だった塵がすり抜けてしまったように、事態を受け止めることができなかった。
「なんで……こんな……」
ひどく動揺する声に耳を傾け、桜井は振り返った。
戸惑い、悲しみ、怒り。乱雑に掻き乱され、やり場をなくした感情は当然桜井へ向けられた。
「よく躊躇いもなくこんなことができたな、桜井」
生き返った時矢を殺す。
桜井が成し遂げた事実は揺るぎなく、それ以外に捉えようがない。彼自身、自分が何をしたのか分かっていないわけではなかった。
「あのまま生かしておけば、死ぬよりも苦しい目に遭うはずだ。でも何もお前が弟を殺すことはない。きっと助けられなかった自分を許せなくなる。だから俺がやった。お前は俺を許さなくていい」
潔く事実を認めた上で、桜井は時成が知らないことにまで言及する。そしてだからこそ、時成は目の前にいるのが本当に桜井なのか、分からなくもなっていた。
それでも変わりようのないことは、桜井が時矢にトドメを刺したということだけ。
「ふざけるなよ桜井! 時矢が生き返るなんて夢にまで見た奇跡だったのに、あんたはその奇跡をなかったことにしたんだぞ!?」
桜井の胸ぐらをつかんだ時成は、時矢が生き返った奇跡の尊さを訴えかけた。そう、死んだはずの弟が生き返る、奇跡を。
宝物庫に訪れる前も、棺を開けた時も、時成の中で弟は既に亡くなった存在だった。間違いなく死を受け入れていた。もちろん、生き返らせることができるなら喜んでするが、都合の良い奇跡なんて起こるわけがない。
おかしくなったのはそんな奇跡が起きてしまったから。魔剣デスペナルティを時矢が握った時から、時成は時矢を助けられるかもしれないと希望を抱いた。亡者と戦っている時でさえ、時成は時矢を相手にしていて、彼を助けるつもりでいた。だからこそ、時矢から魔剣を引き剥がすだけに留めたのだ。
しかし、桜井は時成が残した希望の余地を無慈悲に奪った。
胸ぐらをつかむ力は弱々しく、虚無感に包まれているのが分かる。そんな時成を見て、桜井は自然とある言葉を口にした。
「時成。誰かにとっての奇跡は、誰かにとっての不条理だ」
時成からすれば、桜井は励まそうとも慰めようともしない冷徹さが気にかかるだろう。彼は桜井を博物館で共に戦った仲間だと思っていたが、実のところ桜井のことは何も分かっていない。はっきり言って、今の桜井は別人のようだった。
「言ったよな。弟は向こうで楽しくやってるって。お前にとってはそうでも、弟にとってはそうじゃなかったら?」
だがこの場における桜井の異常なまでの冷静さは、時成を諭すには十分過ぎるもの。時成は虚無感に体を支配されたせいか、桜井からゆっくりと手を離した。
「……あいつ、あいつだって……クソッ……」
口からこぼれ出す言葉。ぎゅっと目を閉じれば、瞼の裏には生気のない時矢の顔が浮かんだ。寂しさと、虚しさに包まれた表情を。
それは、
なぜか。理由は、棺を開けた直後に現れたクリストフ・ラベルツキンが示してくれた。
「親父が時矢をあの棺に入れたのは、生き返らせるためだっつってたな。もしそれが本当なら、親父の気持ちは分かる。俺だってもし生き返らせることができるならなんだってする。……だけど、生き返ったあいつは……」
────『あの色のない世界に閉じ込められて、僕は怖かったんだ』
時矢は生と死の狭間に繋ぎ止められ、無理矢理に生き永らえさせられていた。憧れていた
「はっ、何が──向こうじゃ楽しくやってる、だ。苦しんでたとも知らずに」
結局のところ、時成の考えは彼だけに都合のいい解釈だった。しかしだからこそ、生き返った時矢を救うべきだったのだ。悔やんだところで遅いのは分かっている。
棺の中に、もはや遺骨は跡形もない。残されたのは新品同様に磨き抜かれた鏡だけ。とはいえ、いくら綺麗な鏡だろうと虚ろだけを反射している。
だが、時成は今でも弟のことを鮮明に映し出すことができる。過去の思い出は形こそないかもしれないし、形あるものと同じように風化は免れないものだ。しかし、それらが手元になく目に見えないものだったとしても、心が思い出す限りはいつでも感じ取ることができる。兄弟の絆はどれだけ離れていようと、断ち切ることはできないのだから。
そして、桜井はそれを断ち切るような行いをした。
事実、時成も一度は死に取り憑かれた時矢にトドメを刺そうとした。が、実際にドメを刺すことはできなかっただろう。そもそも、桜井の推論が正しいとも限らない。それになぜ、彼があのような行動を躊躇なく起こせたのか、時成はまだ知らない。
「お前の弟が死んだ以上、真実は分からない。ただ一つ言えるのは、この魔剣は起こしちゃいけない奇跡を起こしちまうってことだけだ」
時成が放り捨てていた魔剣デスペナルティを拾う桜井。彼は当然のようにその剣について知り、当然のように使っているようだった。その結果、時矢が生き返る奇跡までも呼び寄せた。
「桜井」
時成は宝物庫の真相を暴いたが、魔剣については全く知らない。
「どうしてあのレリーフが持ってた魔剣を、あんたが持ってるんだよ」
死を司る魔剣デスペナルティ。時成にも見覚えがあったのは、ユレーラが持っていたから。あの時は桜井と瓜二つのユレーラのこともあって、魔剣デスペナルティのことも強く印象に残っていたのだ。
しかし当然ながら、桜井がそれを持っていることは知らない。なぜなら、桜井はまだ博物館であったことの真実をミスター・ラヴオール以外に話していなかったからだ。
とはいえ、時矢の復活に魔剣デスペナルティが原因している可能性もある以上、彼に話さない理由はないだろう。
「桜井、俺はあんたを信じていいのか?」
時成が魔剣を見る目と桜井を見る目には何の違いもない。彼は桜井を一緒に戦った仲間だと思っていたが、実際は何も知らないことを痛感する。
躊躇のなさ。冷徹さ。
そのどれもが、時成の知る桜井にはなかった一面であり、かけ離れたもの。
「今から話すことを聞いてから決めてくれ」
時成の目に映る今の桜井は、本当に『桜井結都』なのだろうか。。
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