第4章第15節「縺れ合う絆を解いて」

 魔人とは、いわば体そのものが魔具となった人間のことを指す。医学的観点から言えば、血液や生命に魔力が混じり、それが体内を循環している。だから魔人は魔具を持たずして魔法を操り、超能力者の如く力を発揮することができた。もちろん多くの場合は拒絶反応を引き起こすことが大半で、魔力と適合する確率は極めて低い。だが事実として、魔人となった前例は報告されている。とはいえ未だ魔人同士が対決したという事例は確認されていなかった。

 付け足せば、世界魔法史博物館に収容されていた魔具の連鎖爆発によって覚醒した魔人が、世界に二人も存在すること自体奇跡的なこと。極め付けには、その二人が対決するなど想像できるだろうか。

「せやあ!」

 魔人である未咲希の強烈な拳を受け止めたのは、魔人であるポーラの手だ。同じ場所で覚醒した魔人の対峙は、大地を揺るがし天空を震わす衝撃を生む。降っていた雨粒は一様に霧へ蒸発し、近距離で睨み合う二人。そこへ介入してくるのは、世界に九人しかいない超能力者だ。

「届いて……!」

 澪は手のひらに虹色の光を放つ魔力を集め、エネルギーの糸として放つ。それは敵であるポーラではなく、未咲希の体と繋がる。あたかも星座のように二人を繋いだ糸を通して、未咲希は温かな力が湧き立つのを感じた。微かな光を帯びた糸を手で包む澪から伝わるのは、彼女が持つ強さと優しさ。それは単なる力ではなく、彼女の想いが未咲希の魔人としての力を安定させる。

 そうして力を借りた未咲希は、拮抗していたポーラを押し返す。魔人の力を遺憾なく発揮した彼女は追撃を仕掛け、ポーラは守りの体勢に入る。肉体そのものを武器とする未咲希の拳や蹴りは徐々に守りを崩し、確実に体力を削っていく。今の彼女は澪の恩恵によって数多の魔具を取り込んだポーラを上回っている。そんな猛攻の切れ目、隙と油断を見せるポーラ。すかさず懐へ潜り込んだ未咲希は勢いよく地面を蹴った。

「とうッ!」

 彼女の体は大きく宙へ舞い上がり、同時に体を反らして蹴り上げる。ポーラはなんとか腕で防ぐが勢いを抑えられず空中へ打ち上げられる。未咲希が作り出したチャンスに、澪は光の糸を離して両手を動かす。空中のポーラを中心に魔力の棘を生み出し、一拍置いてから中心を一斉に刺し貫く。複数の魔力の棘はポーラを貫くと爆発を引き起こし、彼女を遠方へ弾け飛ばした。

 一旦の余裕を得た澪は足元に咲いた小さな花やその蕾を避けながら、未咲希のもとへ小走りで駆け寄る。彼女にとって敵の安否よりも友達の方が大切だったからだ。

「未咲希、大丈夫?」

 魔人となった彼女の姿は依然とは見違えるようだったが、澪を見た彼女は良い意味で表情を崩した。

「うん。……へへっ、これくらいへっちゃらだよ」

 いつもの未咲希らしい態度を受け、澪は感極まるように首を横に振った。魔人になったというのに、大丈夫なわけがない。にも関わらず平気な顔をする彼女に、呆れて、嬉しそうに。

「……まったく」

 彼女の顔を見て、彼女の声を聞いて、会話をする。それが何よりのことだったのだろう。肩の力を緩め、澪は安堵した表情を浮かべている。

 反して、未咲希は澪の脇をくすぐりかけた。

「なぁに澪ー、私がくたばるとでも思ったの?」

 澪はくすぐりの手を制しながら、軽く叱りつけるふうに返す。

「もう、本気で心配したんだからね?」

 もちろんと言うべきか、未咲希は澪の気持ちに気づいている。彼女と繋がった時に、想いも一緒に受け取っていたのだ。そしてだからこそ、未咲希は彼女の顔を見て恥ずかしくなってしまった。それを誤魔化そうとしたのだが、澪にはそこまで気が回らない。

 一方で、戦いはまだ終わっていない。二人による熾烈な攻撃を受けてなお、ポーラは辛うじて手近な空中足場へ降り立った。消耗のせいか着地に失敗し膝を折ると、彼女は沸き上がる感情に呻く。声にならない慟哭に呼応するように、周囲の魔力が膨張し不気味な波動を放つ。波動はやがてポーラの体内に燻る魔力と共鳴し、彼女の胸から暗雲の覆う昏い空へ打ち上がる。

 緑色の光は雲を割くと全体に波動を伝え、歪な光を漏らし出した。

 いち早く異常な天候の変化に気付いた澪に続き、二人は今一度肩を並べる。

「……未咲希、力を貸してくれる?」

 ポーラを打ち倒すには、同質の力を宿す魔人である未咲希の力が必要不可欠だ。本来なら戦いから遠ざけ、守るべき友達に頼る。澪にとって勇気のいる言葉だったが、彼女は素直に頼った。決着を着けるにはそうするほかない。

「みーお」

 しかし、澪の決意とは裏腹な間延びした声を聞く。若干の動揺から隣を見ると、二人は自然と目を合わせた。

「力を貸してほしいのは私の方。だから、助けてくれる?」

 魔人として覚醒したといえども、未咲希は超能力者である澪に憧れていた。その気持ちは今も変わらない。なぜなら、そこには魔人や超能力者という前提がなく、澪を澪として見ていたからこそ。

 ハッとさせられた澪は、省みるように目を閉じる。今、澪は未咲希のことを魔人という力の前提のもとに考えていた。自らが抱えていた苦悩と同じ扱いを迫る。自分らしさを知った彼女は、前提条件を覆すことができる。

 超能力者だから。

 魔人だから。

 そうではない。もっと大切なことを、教えてもらったではないか。

 そして、澪は目を開いて言った。

「うん、お互いにね」

 超能力者に力添えをするには相応の力が必要だ。友達以上にもそれ以下にもなれなかった未咲希にとって、魔人としての力は願ってもないもの。もはや向かうところ敵はなし、そんな心意気だ。

「私たちならきっとできるよ!」

 短い間で心を通い合わせた二人の繋がりは、より強いものとなっている。示し合わさずとも一緒に駆け出し、鈍い光を放つ空の下にいるポーラへ立ち向かっていく。

 二人が駆け出すのとほぼ同時に、雲が蓄えていた魔力は限界を迎え、地上に向けて光の雨を降らした。緑色の光の雨は直線状に空間を切り裂いて落ち、大地を蹂躙する。それでも澪たちは臆することなく光の雨と雷が跋扈する地上を走り抜けた。彼女たちを見下ろしていたポーラは大型の銃を召喚し、天災を避けた隙を狙い撃とうとする。彼女は先頭にいる未咲希を狙撃したが、弾が届くことはない。エネルギー弾による狙撃は全て、高速で動き回る澪が撃ち落としていたからだ。

 背中から魔力を噴射して空を自在に移動する澪は、空中への移動手段を持たない未咲希の元へ向かう。

「掴まって!」

 風に乗ったコンテナの上を走る未咲希に声をかけ、手を伸ばす。それから彼女の手を掴んで引き上げると、彼女をポーラのいる空中足場の方向へ飛ばした。そうして空高く舞い上がった未咲希は、体を丸めて回転をつけつつ落下。ポーラのもとへ流星のような蹴りを見舞う。体にはポーラと同じ源からの力に所以する緑色の魔力を纏って。

「はぁッ!」

 ポーラは咄嗟に彼女を弾き返そうとするが、弾くどころか防御も間に合わない。吹き飛ばされて背中を打ち、足場の端まで追いやられた。

 同時に光の雨を降らした天災も収束し、ほとんど霧となった雨が吹く。雲が蓄えた魔力も薄まったせいか、陽の光も射し込み始めている。

 空を飛んでいた澪もまた足場へ舞い降り、未咲希と肩を並べて相対する。ポーラは拳を握り込んで立ち上がり、切れた唇の痛みに手をやった。付着した血はすぐに雨が洗い流すが、怒りを晴らすことはできない。

 澪と未咲希はすぐに追撃しようとはせず、彼女の出方を見る。猶予を与えるためではなく、和解するために。

「ここまでよ。無駄な戦いはもう終わらせましょう」

 ポーラは既に満身創痍といった状態だ。これまでも彼女は膨大な魔力を操ってきたが、そのどれもが炎のように揺らぎ、雷のように痺れ、水のように流れたりと不安定だった。それはひとえにポーラが魔力を制御しきれていない証拠であることを、超能力者である澪は見破っていた。おそらく彼女が魔人としての力よりも未だ銃に拘るのも、制御しきれないからだろう。もしこれ以上不安定な力を扱い続ければ、更なる災厄を招くだけでなく彼女の命にも関わる。

「どのみちあなたには過ぎた力よ。でも戦いをやめれば、あなたを助けてあげられるかもしれない」

 そんな情けの手を差し出されても、ポーラは忌々しげに告げた。

「全てはクレイドルを討ち滅ぼす為……あなたたちを葬り、この力を証明してみせるわ」

 あくまでも目的は別にあるというのに、彼女は証明の手段に拘っている。それを諦めたり考え直す気などないのも、見れば分かることだ。彼女の覚悟は危険な行為も厭わず自らを犠牲にすることすら許容している。

「それだけのために戦いをやめる気がないなら、なんとしてでもあなたを食い止めるわ」

 譲れない覚悟は衝突を避けられない。交わされた言葉も、視線も、意思も、力も。

 彼女たちは全てをぶつけ合う。

「やれるものならやってみなさい……!」

 全身全霊の力を振り絞ったポーラは両手に緑色の光を生み出す。天災をも引き起こすそれはバチバチと火花を散らしている。非常に不安定な力はやはり彼女自身扱いきれておらず、澪のように剣や槍といった形を与える器用なこともできない。まして、取り込んだ魔具の全てを把握していたとしても、彼女には使いこなせなかっただろう。しかしだからこそ、滅茶苦茶に思えるほどの破壊をもたらす膨大な力が彼女の手にはある。

「……何もかも……」

 膨張する魔力は彼女の肉体から滲み出し、その全てが両の手に収束。苦しげに息を漏らしながらも、彼女は意を決して両手を合わせた。

「……消え去さってしまえ!」

 瞬間、音が消え、光が奪い取られる。彼女の手中から溢れ出した緑色の魔力は天空へと突き抜け、空に浮かんでいた雲を引き裂く。震える体を動かすこともままならないが、彼女は目の前の敵を葬るべく破滅を振り下ろした。

 緑色の火花を散らす極太の光線となった力は、澪と未咲希を丸呑みにする。天空を割き大地を舐める光線は空中足場から飛び出し、遠くにあったクレーンを支える柱をも貫いた。あらゆるものを塗り潰す力は徐々に弱まっていき、息切れしたポーラは肩で息をする。そして彼女がぼやける瞳で見たのは、破滅の跡に残り続ける二人の姿。

 文字通りの全身全霊の攻撃を受けた澪と未咲希は、その渦中にあって未だ失われていない。なぜなら、二人は手を繋ぐことで力を結束し耐え抜いていたからだ。彼女たちは魔力的な繋がりを持っているが、それ以前に強く結ばれている。たとえ全身全霊の力を込めた一撃でさえ、それを引き裂くことはできない。

「チッ……!」

 憤りに舌打ちを鳴らした彼女はすぐさま瞬間移動によって二人との距離を詰める。忌まわしい繋がりを断つため、彼女は腕を突き出して膨大な魔力の壁を打ち出す。澪と未咲希の繋がれた手を消し飛ばす勢いだったが、二人は手を離して避ける。が、繋がりを断つことはできたはず。彼女はそう確信して更なる攻撃を仕掛ける。

 邪魔な未咲希へ向けて乱暴な魔力の弾を放ち炸裂させ、一時的にあしらう。ポーラが第一の標的としたのは未咲希ではなく澪で、まず彼女から片付けようとしていた。

 ポーラはもともと器用な技術を有する魔法が苦手でコンプレックスを抱いていた。超能力者である澪のように魔力を安定させることもできず、ポーラにとっては不愉快極まりない存在。しかしだからだろうか、彼女はここに来て澪のように剣を作り出そうとした。制御しきれない不安定な魔力は刃の形になろうとするが、歪んで鞭のようにしなる。それは澪を斬りつけたが、彼女は素手で取った。

 まるで嘲笑うかのような行為とは裏腹に、澪は表情ひとつ変えずに冷たく告げる。

「これ以上好きにはさせない」

 既にポーラは限界を過ぎた状態で、魔力の操作も覚束ない。土壇場で編み出した不安定な剣など澪には届くわけもなく、一思いに押し返されてしまった。ポーラは大きくよろめきながらも、その時に澪と未咲希を繋ぐ光の糸を再び認識する。

「えい!」

 よろめくポーラの懐へ瞬時に潜り込んだ澪は、そのまま真上に突き上げるように魔力を叩き込む。続けてタイミングを見計らった未咲希は大きく跳躍すると、澪と同じように魔力を叩き込んでポーラをさらに打ち上げる。それから澪は魔力を噴射させて加速すると、ポーラに三度目の攻撃を食らわせる。ついに上空へ打ち上げられたポーラと、上空へ舞い上がった澪。

「食らいなさい」

 そして、澪は空中で手を合わせて腰に溜めると、高純度の純白に光る魔力の剣を撃ち落とす。放られた剣はポーラを貫く直前に、澪と繋がった糸で空中に留まっていた未咲希を過ぎる。

「これでおしまい!」

 未咲希は澪が放った剣に対して、体を翻して強烈な踵落としを見舞う。とてつもない力を得た剣はポーラを貫くと、彼女を地面へ打ち下ろす。最初に打ち上げられた際に空中足場からズレたことで、彼女は地上へと落下すると激しい爆発を引き起こした。

 魔人の撃墜によって、異常気象は完全に収まり空には晴れ間が戻る。力の源が断たれたことで、その影響下にあったものが解放されているのだ。

 澪と未咲希は手を繋いで地上へ降りてくると、倒れたポーラの様子を覗いた。

 彼女は今度こそ戦意を喪失し、立ち上がる力も残っていないようだった。まだ意識は残っているようで、いっそ穏やかな息遣いをしている。澪が膝を折って覗き込んできたことに気づくと、彼女は天を仰いだまま呟いた。

「……私の負けね。あなたに勝てないようじゃ、奴らを滅ぼすなんて思い上がりだったわ」

 敗北を喫する。ポーラは自らの力を証明するためだけに戦った。その結果として負けたのだから、彼女にはもはや思い残すことはないのだろう。だが彼女にとって、この戦いで証明されるものが他にもあることを感じ取っていた。

「でも、これだけは約束して。クレイドルを倒して。私よりも強いあなたなら、きっとできるはずよ」

 彼女の言葉を聞いて、澪は何も返さない。

 彼女の言葉を聞いて、未咲希は澪の後ろ姿を黙って見つめた。

 ポーラは二人の強さが証明されたと語り、静かに目を閉じた。しかし二人にとってこの戦いが証明したものは、強さとはかけ離れたものでもあった。

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