第4章第12節「縺れ合う絆を解いて」
最初に澪が感じたのは体にのしかかった重さだった。押し潰されるほどではなく、それからは温もりが感じ取れる。次に騒々しい風の音を捉える聴覚が戻る。風は断続的に吹き荒れていて、それには魔力が放つ特有の音が乗っていた。光を遮るまぶたを開くと、彼女はようやく爆心地へ意識を立たせた。
「ん……未咲希……?」
魔具の連鎖爆発にさらされた澪は仰向けに倒れ、胸元には未咲希が覆い被さっている。爆発の寸前、未咲希は澪を助けようとしたのか腕を引いて庇い込んできた。澪の盾となりその体に強い衝撃を受け、気を失ってしまっているようだった。
澪は気絶した未咲希を抱え込んだまま上体を起こし、頭を支えて地面に寝かせる。隣に腰を落とした澪は未咲希の頬に触れ、ついた汚れを優しく拭き取った。だがこうして肌に触れても声をかけても、彼女の意識が戻ることはない。
眠っているような表情に対して悔しげに俯くと、澪の視線は首元に留まった。未咲希が着用しているネックレスは魔具としての役割を持つ。護身用である以前に祖父からのプレゼントでもある大切なものだと聞いていたが、なんと千切れていたのである。おそらくは、連鎖爆発による影響だろう。
「……」
澪は千切れたネックレスを握りしめる。魔力はまだ残っているが、魔装の役割だけでなくお守りとしての役目を果たすことはもうできないだろう。
魔具の破損は、後遺症として魔法アレルギーを患う可能性があることで知られている。一度に多量の魔力を浴びることで、体が拒絶反応を引き起こす。最悪の場合、死に至るケースもある。
そんな危険性を孕んだ連鎖爆発に、未咲希は曝されてしまった。自分がそばにいながら、彼女を守り切るどころか守られることになったのだ。
不甲斐なさに唇を噛んでいると、後方から浅垣が近づいてくる。どうやら彼も難を逃れたようだが、足取りは少し重く見えた。
「……大丈夫か?」
浅垣は倒れている未咲希に歩み寄ると、膝を曲げて首に手を伸ばす。ゆっくりとだが確かに上下する胸を見る通り、まだ息は残っている。しかし、多量の魔力に曝された以上、一般人である未咲希が助かる保障はどこにもない。澪や浅垣にできることは限られていた。
その時、視界の隅からじわじわと伸びる緑の波に気づく澪。それは浅垣もよく知る『
管制塔から降る割れたガラスや魔力の塵が漂う歪んだ空間。滑らかに整備されていた道路は衝撃で割れ、裂け目から伸びてくる草花やツルが敷いていく緑の絨毯。その中心には胎児のように丸まったポーラが宙に浮いていたのだ。
まだ何も終わっていない。澪は何か言葉を発するでもなく悟ると、もう一度未咲希に視線を落とす。手に持っていた千切れたネックレスを未咲希の手の中に強く握らせ、こう提案した。
「この子をお願い」
ひとまず未咲希を安全なところへ連れていくこと。ポーラは運良く連鎖爆発の力を味方につけたようで、こちらは未咲希が重傷を負っている可能性が高い。そんな状況下で何をすべきか、澪と同じように把握していた浅垣は素直に頷いた。
「分かった。さっきの家まで連れていく」
未咲希を抱え上げた浅垣は最後に「無茶はするな」とだけ告げ、その場から走り去った。
「すぅ…………はぁ」
息を整え、澪は改めて前を見据える。倒すべき敵というだけではない。未咲希がついてくることを許した、自らの過ちを清算するために。
博物館から持ち出された無数の魔具を、あろうことか自ら間近で破壊したポーラ。発生する連鎖爆発に曝されるのは避けようがなく、致死量に及ぶ魔力を摂取することに繋がる。普通なら重度の魔法アレルギーを発症し、最悪の場合は命を落とすことになる。だがしかし、魔法アレルギーには稀に体が魔力を拒絶することなく適合するケースもあるという。世界でも数件しか報告されていないケースではあるが、澪はそれを目の当たりにしていた。
胎児のように丸まったポーラの周りの空間は歪み、ガラスの破片や魔力の塵が舞っている。それらが嵐のように吹き荒れたかと思うと、空へと上昇した。浮かんでいた大きな雲へ入ると、緑色の光を放ち暗雲へと変貌。星々の輝く青空を瞬く間に昏い雲が覆い尽くす。すると渦を巻き始める昏い空から赤紫の雷が落ち、地上のポーラへ直撃。眩い閃光に澪が顔を庇うと、ポーラは眠りから目覚めるかのように両手両足を広げた。
ゆっくりと地上へ足をつけるポーラに対し、澪は強風に髪を靡かせて言った。
「最初からこれが狙いだったのね」
事実として、ポーラは魔人として覚醒した。より大きな脅威として目の前に立ち塞がっている。
彼女は緑色に発光する魔力の塵を手で掴もうとしながら、感慨に耽るふうに話す。
「クレイドルの将軍は私に魔具の門番をするよう命令したわ。全ての魔具を皇帝に献上するためにね。でもこれは私にとってまたとないチャンスだった。これだけの魔具があれば、あいつらに抗うことができる。例えば、一度に大量の魔具を破壊して被爆することで、魔人になること」
「え? あなたは仲間を裏切ろうとしているの?」
ポーラが語る意思と、彼女の背後にあるクレイドルの思惑は明らかに食い違う。それは偶発的なミスによるものではなく、胸の内で燻り続ける炎が招いたものだった。
「あいつらの思い通りにはならないってことを教えてやるのよ。これは私の復讐でもあるんだから」
つまり、彼女は最初からクレイドルを裏切るために行動を起こしていた。これまで従っていたのも、全てはこの瞬間のためであると。
それでも澪には飲み込めない部分があった。復讐という失敗が許されない行為として、大量の魔具を用いて自爆するのはあまりにもリスクが高すぎるからだ。
「復讐のためだけにこんなことをしたの? こんな、こんなことをしたら、死んじゃうかもしれないのよ? うまくいく確証だってないのに」
澪の真っ当な訴えを受けてなお、ポーラは動揺する素振りを見せない。彼女は常に一つの結論だけを見据えている。どれだけ可能性が低かろうと。
「私に失うものは何もない」
堅い決意の芯が通った声に、澪は押し黙る。
澪もまた、命を投げ打ってでも成し遂げようとしたことがある。超能力者の矜持として何がなんでもやり遂げようとしていたあの時、澪は確かに一つの結果しか信じていなかった。彼女一人では、他の可能性に気づくこともなかっただろう。まして、一つの現実にこだわるあまりに捨てていた可能性の尊さを知ることもなかったはずだ。
「……」
ポーラは既に手遅れの段階にまで来ていた。彼女の覚悟は現に、魔具を使った自爆によって魔人として覚醒する奇跡をも導き出している。ここで立ち止まれば、未来だけでなくそれまで耐え凌いだ自分すらも否定することになってしまう。一度踏み外してしまえば、二度と元に戻ることはない。その時幸運にも支えてくれる人が現れただけの澪に、ポーラへ声をかける資格が果たしてあるのだろうか。
譲れない想いとわずかな迷いが渦巻く中、ポツポツと雨が降り始める。強い魔力に影響されたことで天候は変化し、雷を伴う豪雨へと移り変わった。その恵みを受けたせいか、『
まだ薄い草花が縫う豊かな地面に立ち、雨の降る昏い空を見上げ、ポーラは静かに宣戦布告する。
「邪魔をするなら容赦しないわ」
ポーラの腰にあった鍵束はどこにもない。連鎖爆発によって失われた────わけではない。彼女が両手を構えると、どこからともなく大型の魔法銃が形成された。
そう。携帯していた鍵束、そこに付属する重火器すらも彼女は魔人としての肉体に取り込んでいたのだ。
彼女は躊躇う素振りも見せずに引き金を引くと、銃口からは猛烈な勢いで炎が放たれた。灼熱の火炎は降り頻る雨すらも蒸発させ、数メートル離れた澪を呑み込む。灼熱の火炎を受けた澪は、両手で魔力を集めてなんとか防ぐ。だが足元の地面が融解を始め、長くは保たない。瞬時に魔力で二振りの短剣の星座を描き、それを回転させて扇風の如く火炎を切り裂いて突撃。ポーラの元へ距離を詰めて斬りかかるが、光の短剣は空を切って地面へ突き刺さる。
「……ッ!」
驚くのも束の間。澪の背後に瞬間移動していたポーラは、火炎放射器から大型のユレーナライフルへ持ち替える。
短い間に正確な狙撃を数発放ったポーラだったが、澪も驚くべき反射神経でそれを躱す。ジグザグに動いて射線から外れつつ、手にした二本の短剣を柄同士で合体させブーメランのように放つ。再び瞬間移動によって回避したポーラは、ユレーナライフルからレールガンへ持ち替える。
「この期に及んでまだそれに頼るの?」
魔人となっても変わらず銃を扱うポーラは、澪の相手などこれで十分とでも言いたげに鼻で笑った。
「これじゃ不満かしら」
光速に近い射速を誇るレールガンは、超能力者であっても軽視できない破壊力を持つ。それに対して澪は空間に漂う魔力の変化から予兆を察知し、難なく体を捻って避けていく。ただし、標的を失ったプラズマは管制塔の支柱へ直撃。鉄骨の足場が音を立てて崩壊する。それに気を取られた澪を見過ごさず、ポーラは再びレールガンを放つ。澪は直撃を免れず、咄嗟に素手で防ごうとする。手に込められた強力な魔力とプラズマが衝突し、濡れた地面に深い焦げ跡が刻まれるほどの衝撃波が生まれた。続けて澪は崩落する足場に巻き込まれないように空へ跳躍、空中に魔力の足場を作って蹴る。さらに魔力の光で描いた星座から光の剣を持ち、流星のような攻撃を仕掛けた澪はポーラが持つレールガンの銃身を破壊した。
澪は濡れた地面に着地して受け身を取ると、そのままの勢いで光の剣を体ごと振り抜く。ポーラの首元に剣を突きつけ、彼女を追い詰めるために。が、うまくはいかなかった。
「堕天使狩りのケルベロスの名を舐めないことね」
なんと、ポーラは澪の光の剣を素手で掴んでいたのだ。次の瞬間には光の剣を真ん中から折り、激しい火花を散らす。剣を折ったポーラは澪の腹部を蹴り飛ばした。
魔人としての身体能力ゆえに、蹴りは澪を後方のコンテナにまで打ちつけるほど。咳き込みながら視線を敵へ戻すと、ポーラは右手を上げて何かを掴もうとしていた。彼女の視線の先には澪の頭上にある足場があり、それは緑色の魔力によって包み込まれる。まるでポーラが魔力を通して操るように。
膨大なエネルギーの影響を受けた空中足場は、あっけなく崩落を始める。それだけでなく、周囲の積み重なったコンテナや別の浮遊する足場なども一斉に崩れ、雪崩を引き起こしたのだ。
ポーラには重火器の扱い以外に秀でた能力は見られなかった。おそらく、彼女は魔人として取り込んだ魔装の力を自在に引き出すことができる。これまで見せた武器召喚や瞬間移動はその内の一つに過ぎず、彼女はそれ以上の強大で危険な力を秘めている。一度に大量の金属を操ることも、まさに澪のテレキネシスとも近しい性質の力だ。
そうして引き起こされた金属の雪崩は、まるで港湾倉庫を見舞う大嵐だった。避けるだけでは下敷きになると悟った澪は、落ちてきたコンテナや鉄骨を更なる足場にして空中へ躍り出る。その間もポーラは召喚した長大なライフルによる狙撃を繰り返し、澪を撃ち落とそうと狙う。ただでさえ引力に操られたコンテナや鉄骨を避けなければならない澪は苦しい思いを迫られる。足場にした柱は即座に狙撃され、別のコンテナに飛び移れば着地の隙を突かれる。
無傷で鉄の雪崩を脱した澪だったが、空中で狙撃を腕に受けて大きく弾き飛ばされてしまう。エネルギー弾に撃ち落とされた彼女は、まだ無事だった足場へゴロゴロと転がる。すぐに立ち直って息を整えると、魔人ポーラは悠々と足場へ飛び乗ってきた。
「どうして私の邪魔をするの? 私は獄楽都市クレイドルを滅ぼそうとしているだけ。クレイドルは世界征服を企む敵よ。それなのにどうしてあいつらを庇うの?」
膝をつく澪を見下ろすポーラはそう訊ねた。彼女はあくまでもクレイドル打倒を目指している。そのために集めた魔具を利用して自爆し、魔人として覚醒するという奇跡までも起こした。それに立ちはだかる澪は、ポーラにとっては正義を阻む敵だ。
しかし、澪は正義を掲げているわけではない。立ち上がった彼女が口にしたのは、確固たる信念からのもの。
「庇っているわけじゃないわ。あなたが手にした力は制御できるようなものじゃない! 敵を滅ぼす為に私たちや自分まで犠牲にするつもり!?」
自己犠牲を厭わなかった澪だからこそ、ポーラに言えることもある。代償を支払うこと自体はさておき、それに自分だけでなく他人を巻き込むのはもってのほかだ。
そんな反論を受け、ポーラは雨に濡れた頬を片手で拭った。
「獄楽都市クレイドルは世界最大の軍事国家よ。彼らに勝つ為には全てを上回る力が必要だった。この力が如何ほどのものか、見極めさせてもらうわ」
クレイドルを倒す力として魔人の力を得ることに成功したポーラ。彼女はもう止まることはない。
「超能力者であるあなたを殺し、クレイドルを滅ぼすに足る力であることを証明してやる!」
雨が降り注ぐ空中の足場で、覚醒した魔人と超能力者が衝突する。
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