第4章第11節「縺れ合う絆を解いて」

「桜井、その剣……」

 時成は桜井が握る剣を見たことがある。だが、桜井が愛用していたのは黒鉄の刀身と孔雀の意匠が特徴的な魔剣ライフダストであって、桜井が持つそれとは違う。

 言われて気づいた桜井は、魔剣へと視線を落とした。

「…………」

 彼が握っていたのは魔剣ライフダストとは対をなす、魔剣デスペナルティだった。黄金の刀身と孔雀の意匠を持つこの剣は、桜井の分身たるユレーラが扱っていたもの。ユレーラが桜井と一体化して以降、彼の手元に残り続けているものだった。

 魔剣デスペナルティを呼ぼうと思っていたわけではない。ただいつものように、漠然と剣をイメージしてそれを具現化する。それによって魔剣デスペナルティが現れたのは、ここが裏世界だからだろうか。

「話は後だ。今は……」

 細かい理屈は分からないが、今やそれも彼の武器である。そう信じて、桜井はやや重たげに感じるそれを両手で握った。

「……」

 対して、クリストフは桜井が喚び出した魔剣デスペナルティを見て、興味深そうに顔を上げた。

「あえて我輩に粛清されるか。それもよかろう」

 彼はタバコの吸い殻を指で弾くと、それは高く宙を飛んで桜井たちの上を通り過ぎる。放物線を描いた吸い殻は、あろうことか開け放たれた棺の中へ落ちた。

「くッ……!」

 その所業に怒りを覚えた時成は、桜井よりも先に前へ飛び出した。

 弾丸のような速度で斬りかかる時成に、クリストフはただ腕を前へかざす。すると、空気中に氷柱が生成され彼を迎え撃つ。鋭い氷柱の風は集中し、一度や二度の斬り返しでは到底捌き切れない。二、三本の氷柱を弾いた時成はすぐさま方向転換し、無数の氷柱を回避。膝を曲げて再び直進すると、今度は右手の指輪を光らせて槍を召喚する。クリストフは再び氷柱の風を放ったが、時成は槍をバトンのように回転させて前へ突き出し、全ての氷柱を砕きながら突き進む。

 氷柱の風を突破した時成は大きく跳躍して、槍を投げつける。直後に右手のブレスレットに嵌め込まれた赤い宝石を輝かせて炎の魔法剣を握り込む。怒涛の波状攻撃を前に、クリストフは再び手をかざし目の前に氷の魔法陣を生成。その中心から氷の槍を放ち、時成が放った槍と正面衝突させる。氷の槍の強度は聖槍よりも劣るため徐々に氷を砕いて進むが、勢いを殺すには十分。さらに続く時成は炎の魔法剣を携え、氷の槍と魔法陣を溶かし斬る。

 クリストフは時成が氷の槍を砕くと同時に氷の剣を生み出すと、氷を溶かした隙を突いて彼を空中から打ち落とした。

 時成を迎撃した次に、クリストフは棺に目をやる。吸い殻を投げ込んだ棺は煙が充満し、今にも溢れ出そうとしている。

 祭壇の手前では、魔剣デスペナルティを握った桜井が残っている。彼は未だその魔剣の扱いに慣れておらず、実は一度も使ったことがない。それでも彼は魔剣ライフダストよりも重く大ぶりなそれを構えた。

「よし……やればできる、だろ?」

 クリストフは時成にやったのと同じ攻め方は使わず、桜井の頭上から氷柱を落としていく。巨大な氷柱の数本を避けた桜井は、一気にクリストフとの距離を詰めた。

 魔剣ライフダストとは勝手が違うこともあり、彼は魔剣を両手で握っている。その分隙も大きくなりがちだが、桜井は魔剣が持つ力でカバーしようとした。両手で振り抜かれた魔剣を、クリストフは氷の剣で応戦する。魔剣デスペナルティは振り抜く度に軌道上に白と黒の火花と結晶を散らす。ユレーラのようにそれを利用できれば隙がないが、今の桜井にはそこまで気が回らない。魔剣デスペナルティを使うのは、彼が思っている以上に負荷のかかることだったからだ。数回の斬り合いを経た桜井は押され気味で、クリストフの踏み込んだ立ち回りによって大きく弾かれてしまった。

(……言うことを聞いてくれ!)

 魔剣デスペナルティは斬撃の重さだけでなく、桜井の体と心そのものに強くのしかかってくる。魔剣ライフダストを使った時のような身軽さは、今の桜井には皆無だった。

 だが、クリストフは手を緩めてはくれない。彼はいくつかの氷柱を生み出すと、一本ずつ射出。

 躍起になった桜井は魔剣デスペナルティを両手で持つことをやめ、右手を離す。そして本来の愛剣である魔剣ライフダストを喚びこみ、二本の剣を用いて氷柱を弾いていく。

 手数が増えたことで安定して氷柱を捌くことはできたが、魔剣デスペナルティの扱いは心許ない。それが祟ってか、桜井は氷柱の一撃によって左手の魔剣デスペナルティを弾かれてしまった。全ての氷柱を弾き落とすことには成功したが、彼は因縁の魔剣を扱いきることができなかったのだ。

「……っ!」

 桜井の手を離れた魔剣デスペナルティは、まるで吸い込まれるようにある場所へ飛んでいく。そう、吸い殻を投げ込まれ白煙で充満した棺の方へ。そして、




 ────────回転する魔剣デスペナルティの柄を掴んだのは、棺から飛び出した骨の手。




 魔剣を取り落とした桜井だけでなく、反撃を加えようとしていた時成も、クリストフも三人全員がその瞬間を目にしていた。

 煙が充満する棺から魔剣デスペナルティを掴んだ骨の手は、棺の外に魔剣を突き立てる。それを支えにしてゆっくりと上体を起こすかのように煙から浮き上がる骸骨。空洞となった眼窩で三人を一瞥し、ついに棺から滑るようにして動き出した。立ち上がるような動作はなく、本来下半身があるはずの余らせた布地を棺の縁に引きずっている。

 そして、クリストフの吸い殻からの煙を浴びる骸骨はやがて、煙を内側へ吸い込んでいく。煙はやがて肉となり血となり、皮膚となって全身を覆った。この世のものとは思えない光景の中、最後に立っていたのは時成がよく知る人物だった。

「────兄さん?」

 復活を遂げた時矢を前に、時成の喉からは声も出ない。時矢の姿は当時のままであり、時成が見間違うはずもない。正真正銘の弟が、そこにはいる。

 まだ幼さの残る純朴な表情の時矢へ最初に声をかけたのは、あろうことか兄ではない。まして桜井でもなかった。

「あぁ、家族に見捨てられ、光さえ届かない深淵に閉じ込められた惨めな迷い子。肉親の言葉など今さら聞く価値もないだろう」

 クリストフは元より時矢の魂を完全に葬るためにやってきた。時矢には知るべくもないことだが、近づいていい相手ではない。

「おい! 余計なことを吹き込むな!」

 焦った桜井はクリストフを諫めるが、時矢を諭すことはできない。

「僕を閉じ込めた……?」

 長い眠りから覚めたばかりの時矢からすれば、まったく理解できる状態ではないだろう。彼にとって目で見たものが全てであり、心に感じたことが全てなのだ。

「己の目で確かめてみろ。貴様の知る空は、こんなふうではなかったはずだ」

 桜井を無視して答えたクリストフ。時矢は言われるがまま天を仰いだ。

 そこにあるはずの青空はない。

 そこにあるはずに太陽はない。

 そこにあるはずの光はない。

 大きく深呼吸をしても、新鮮な空気が入ってくることはないのだ。

 暗い天井から落ちる砂埃が、彼の瑞々しい頬を汚すだけ。顎へ落ちていく黒い砂は、生者の涙とよく似通っていた。

「……そうか……兄さん、やっぱり僕は死んでるんだね?」

 命を持たぬ者には味わえない感覚を思い出し、時矢は深く俯いた。

「それは────」

 月城時矢は命を落とした。命を落とした者に、生者が享受できる喜びが与えられることはない。一度枯れてしまった花が二度と咲かないことと同じように。

 それを如何にして伝えろというのだろうか。

「諸君らが引導を渡してやるがいい」

 クリストフは海底に沈む錘のような言葉を残すと、静かに去っていく。どうやら、クリストフは全てが手遅れであることを知りながら、あえて時成の手に委ねようとしているようだった。死を以って時矢を眠らせることこそが、彼の目的であり時成のすべきこと。そう突き付けて。

 桜井はクリストフの後を追おうするが、棺の前に立ち尽くす時矢に動きがあった。

「どうして、僕にこんなことをするの?」

 聞き馴染んだ声。声変わりを経て低くなった音に、幼さの消えない高い音が混じった声。そこには聞き慣れない感情が込められ、時成は視線を逸らせずにいた。

「あの色のない世界に閉じ込められて、僕は怖かったんだ。父さんも、母さんも、兄さんも、誰も助けに来てはくれなかった。それどころか、あそこに僕を閉じ込めたのは兄さんたちだったなんて」

 誤解だと時成は言い切りたかったが、状況がそれを許さない。

「落ち着いてくれ、時矢。何も心配しないでいいからな。俺が助けてやる」

「助け?」

 生気のない顔で、時矢は時成を見下ろす。

「もう兄さんがいなくたって平気さ。未来永劫に続く闇を切り拓いてくれた、この剣さえあれば」

「時矢?」

 兄の呼びかけに、生き返った弟は躊躇わない。

「う……うぅ、あああぁ」

 苦しげに悶える声と共に、時矢は手にしていた魔剣デスペナルティを抱きしめた。何かに縋るように、強く、強く。その細い腕に刀身が食い込み、仮初の肉体を引き裂いた。裂け目から血が噴き出したと思うと、それはすぐに白煙へ変わる。煙はあっという間に時矢の全身を巡り、小川の流れが岩肌を削るように血肉を削ぎ落としていく。

 ついに、時矢の肉体は本来の骸骨へと変貌。頭蓋骨には闇の瘴気が染み込み、暗い眼窩は光を呑み込む。ボロボロのローブから白骨化した腕をすらりと伸ばすと、浮遊する魔剣デスペナルティは体の周囲を衛星のように回る。命を求めて喘ぐ亡者は魔剣の柄を掴んで斬り払い、白と黒の火花を散らした。

 その姿はもはや死に取り憑かれた悪魔としか言い表せない。

 どう転ぼうと目的が果たされるクリストフは去り、残っているのは桜井と時成の二人。桜井は未だ呆然としている時成に声をかけた。

「時成……時成!」

 何度か呼びかけてようやく我に返った時成は、泳ぐ視線で桜井と時矢だった亡者を交互に見る。

「あいつはもう手遅れだ。ここで終わらせないと」

 一切の躊躇いなく言い切る桜井。それは他人事だからではなく、時矢が生き返ったのは奇跡でなく不条理だということを直感していたから。生と死の狭間に陥った時矢を救うには、真の死を突きつけるほかない。彼の手を掴んで引き上げることなどできないのだ。

 だが時成は、時矢を生き返らせたのが死を司る魔剣デスペナルティであることを知らない。彼は桜井が躊躇いなく時矢を見捨てる判断をしたことに驚きながらも、それを追及する余裕もない。

「……分かってる」

 桜井とは違い、すぐに覚悟を決められるわけもない。言葉では桜井に同調しながらも、彼の心には迷いがある。

 ただひとつ覚悟したのは、弟を断ち切るにせよ救うにせよ、兄である自らの手で行う。それだけだった。

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