第4章第10節「縺れ合う絆を解いて」
桜井と時成によって開け放たれた棺の蓋が、鈍い音を響かせて地面に落ちる。
「…………これは」
棺の中を見下ろし、桜井は背筋の毛をぞわりと逆立てさせた。
「ッ…………」
棺の中を見下ろし、時成は信じられないものに目を剥いた。
────棺の中にあったのは、枯れ果てた枝と花。煤だらけの装束に包まれた骸骨。その胸骨にはロケットが引っかかっていた。
予想していたものではある。可能性として十分にあり得たことではある。
それでも、現実として目の前に現れる。自分の目で現実であることを確かめることほど、心を揺さぶるものはない。
「……まさかな。でも誰の骨だ?」
冷静さを欠いた状態で言い終えて初めて、桜井は考え得る最悪の可能性に触れた。
そう。隣にいる時成の父親であり、月城財閥会長は過去に失踪を遂げている。彼の遺体は未だ見つかっておらず、失踪という形になっていた。実際、息子である時成でさえその行方を知らないのだ。
そして、目の前に現れた骸骨。裏世界にある宝物庫の奥に安置されるという封印にも近しい扱い。
良からぬ想像であるのは承知だが、桜井は時成の物言わぬ横顔を見ても否定し切ることはできなかった。
時成は棺を開けてから一度たりとも棺の中身から目を逸らしていない。いや、逸らすことが出来ない。彼は桜井の視線にも気づかず、ただ黙って棺を見下ろす。それから彼が初めて動かしたのは右手で、胸骨に引っかかっていたロケットを拾い上げた。
ロケットを眺める時成の表情は伺い知ることはできない。桜井はなんと声をかけるべきか逡巡していた。時成がロケットを開くと中に納められていたのは、書斎にも飾られていた家族写真。
それを見て目を見張る桜井に対し、時成は朧げに呟く。
「……弟のだ」
弟。時成の口からその存在が触れられたのは初めてだった。少なくとも、桜井は彼から父親以外の話を聞いたことがない。しかし、弟が持っていたロケットが遺骨と共に棺に入っていたということが何を意味するのか。瞬時に察せるほど、桜井は冷静な状態ではなかった。
続く言葉は誰へともなく語りかけられたもの。それでいて、棺の中の遺骨が誰であるかを示すには十分なものだった。
「俺の弟は何年も前に死んだんだ。当時の財閥の資産を狙った抗争に巻き込まれてな。その時、あいつは半分になって帰ってきたんだぜ。冗談にしちゃ笑えないよな」
骸骨という衝撃的な印象のせいで細部まで目が行き届いていなかったが、それは時成の弟と特徴が一致する。詰まるところ、ボロボロの装束に包まれた全身の内、下半身だけは起伏がなく遺骨が失われていたのだ。単なる腐敗によるものでないことは、時成の話からも分かるだろう。
桜井は遺骨が時成の失踪した父のものかと思っていたが、実際には彼の亡くなった弟のものであった。どちらにせよ時成の家族であることに変わりはない。
宝物庫に安置されていた棺は、時成の弟である
「……気の毒に」
直面した事実は不愉快なものであったかもしれない。だがこれが探し求めた真実でもある。
「同情はいらないさ」
桜井を軽く窘めると、時成が手にしたロケットから風化した写真が跡形もなく崩れていく。まるで、弟がいないことをありありと告げるかのように。弟は思い出の中にしかいないのだと。
思い出の中。彼は無意識の内にそれを昨日のことのように回想した。
「あいつな、ずっとレミューリアに行きたがってたんだ。天国と地獄を見て回るんだって言って聞かなかった。昔おふくろがよくレミューリア神話の話を聞かせてくれて、それを鵜呑みにしたんだと思う。天使や悪魔がいて、ドラゴンがいる世界。多分、向こうじゃ楽しくやってるはずさ」
時矢の死と向き合った時成は、弟の楽しげな姿を想像して笑った。
死後の世界。人が死んでしまったらどうなるのか考えたことがあっても、生きている限り答えは出せない。奇しくも、桜井は死の可能性を見ている。
時成の言葉は都合のいい解釈に聞こえるかもしれないが、桜井からすれば事実であるように思えた。
果たして、時成はどこまで本気で口にしたのか。それとも自分を慰めるための強がりなのか。
「さっきレミューリア神話を信じてるみたいに言ったのも……」
「あぁ。弟の影響だな。当時は信じる信じないでよく喧嘩したもんさ。……信じてやるべきだったのに」
宝物庫に入った時も神話を信じている口ぶりだった時成だが、そこには弟の死が関係している。
とはいえ、桜井には知る由もない。
「……それより気になることがある」
徐々に浮かんでは消えていく苦しみとも虚しさともつかない感情を振り払い、時成は話題を逸らした。
「親父はなんでこんなところに弟を隠してたんだ?」
疑り深く唸る時成に対し、桜井はある程度納得のいく答えを得ていた。
宝物庫という名前はさておき、地下深くに遺体を安置するという点を鑑みれば、ここはいわば墓場なのだろう。裏世界にあるというのも、その丁重すぎる扱いは死者への弔いとしては十分とも言える。誰にも踏み入れられることのない場所で、安らかな眠りにつけるのだ。
「単純に手厚く弔ってやるためじゃないのか?」
だが、時成はそうは思っていない。彼は桜井と顔を合わせるよりも先に、棺の中から埃を被ったあるものを拾い上げた。
「……?」
拾い上げると同時、覆い被さっていた埃が滝のように落ち、それが鏡だということが分かる。そう。鏡だとすぐに分かるほどその鏡面には汚れや傷の一つもなく、それでいて時成を映してはいない不思議な鏡。だからこそ、時成は怪訝な表情を浮かべていたのだ。
「おやおやこれはこれは」
二人しかいないはずの安息の間に響く第三者の声。
「我輩が来るまでもなかったかね」
声と足音に振り返ると、そこには桜井には見覚えのある人物がいた。配送センターにて取り逃がしたポーラ・ケルベロスと共にいたクリストフ・ラベルツキンだ。
「誰だ? どうやってここに……?」
この場所は裏世界にある。裏世界の鍵を持っていなければ、入ることはできないはず。今、鍵を持っているのは時成ただ一人。スペアキーでもない限り、ここに入ってくること自体がおかしい。
にも関わらず、クリストフは悠々とこちらへ歩いてくる。
「敵だ」
「えっ?」
桜井は細かい説明を抜きに彼が敵であることを告げ、祭壇から降りる。今度は時成が飲み込めない状況へ反転しつつも、鏡を棺の中に戻し桜井の後に続く。
「最初からこちら側へ入っても良かったんだが、どうやら待ち伏せを受けていたようでね。無視するのも居た堪れない。彼女は始末をつけておいた。今頃は氷像と化していることだろう」
祭壇から降りた二人を前に、クリストフは煽るように喋る。彼は裏世界に入る手段を持っているらしく、留守番を任せたコレットにも相対したらしい。
「どうかな。あんたが思ってるほどやわじゃない」
クリストフの言葉が正しいかどうかは定かではない。だが彼がこの場にいるということは、相応の結果が出されてのこと。コレットへの心配はもちろんだが、今は目の前の敵を片付けるのが最優先だ。
覚悟を決める桜井の後ろで、時成はクリストフを自分への刺客だと思い込んでいた。
「もしかしてネクサスの長官に言われてきたのか? 生憎だな、宝物庫はすっからかんだったよ。めぼしいものは何もなし」
時成はネクサスの調査が入ることを警戒して、コレットに留守番を任せていた。このタイミングでやってきたクリストフをその刺客と勘違いするのは無理ないかもしれない。
数メートルの距離で立ち止まったクリストフは、虚空からタバコを取り出す。時成の言葉を聞きながら、既に火のついたタバコを吸う。そして、彼は時成の誤解を解こうとはせずに、容赦なく核心を突いた。
「あっただろう。月城時矢の魂がな」
「なんで、それを……?」
クリストフは軽々しくその名を口にした。今、この空間に眠っている弟の名前を。
飄々とした態度を取り戻しつつあった時成は、すぐさま真実の葬られた闇へ引きずり戻される。
「貴様の父は死んだ息子を生き永らえさせるためにこの大層な墓所を築いたそうだ。いつの日か、彼に永遠の命を授けるためにな」
宝物庫に安置された棺の中にあったのは、月城時矢の遺骨。時成たちが得た情報と齟齬はなく、冷酷なまでに自然な裏付けがなされていく。
「魔法によって魂を無理矢理に繋ぎ止め続ければ、いずれ魂は魔に囚われることだろう。やがてそれは悪魔となって貴様らに牙を剥く」
棺は古代に伝わるそれとは異なり、明らかに魔法にまつわる意匠が見て取れた。それもそのはず。クリストフが言うには、あの棺は時矢の魂を現世に繋ぎ止めるためのものだと言う。
すんなりと飲み込める狂言に続き、クリストフは左手の拳を開いて鍵を喚び出した。その鍵は、時成が持つ裏世界への鍵と同じものだった。
「貴様の父はそうなることを危惧して我輩に鍵を託したのだ。だがまさか貴様自らが棺を開けるとは」
クリストフが持っている鍵は時成の父の所有物。時成が持っている鍵はシャンデリアの執務室に隠されたもの。おそらく、前者がオリジナルで後者がコピー。時成が探し当てたものはスペアキーだったということになる。
しかし、時成が衝撃を受けたのはそれだけではない。オリジナルの持ち主である、失踪したはずの月城時宗がどこかで生きているという証拠に繋がったことだ。
「そうか……やっぱり親父は生きてるんだな」
どこか安堵するような、はたまた嬉しそうにも見える声色。彼は父の失踪からずっと手がかりを探し続け、今日まで見つけることができなかったのだ。それをついに見つけることがどれほどの感情を呼び起こすか、誰であっても想像に難しくない。
そんな時成の想いにつけ入るように、クリストフは一度タバコに口をつけてから言う。
「そうとも。貴様の父は既に過ちを認めている。その責任を取るべく、自らの財閥を解体する。だからこうしてやってきた」
タバコの白い煙と共に明かされる、時成の知る由もない真実。赤裸々に語られた真実には、クリストフの目的もまたぼんやりと見えてくる。
「世界魔法史博物館の魔具も直に我々クレイドルの手に渡る。残るはお前たち兄弟の魂だ」
再びタバコに口をつけ、胸に息を吸って白い煙を吐く。だが明かされた真実を再び曇らせることはできない。
「なるほど。ようやく見えてきたぞ。お前たちの狙いは最初から財閥だったわけか」
DSRが調査していたテロリストたちの活動にあった世界魔法史博物館から流出した魔具の取引。その目的は定かではなかったのだが、取引を主導していたポーラの裏にクリストフがいることは既に分かっている。クリストフが月城財閥に狙いを定めているのなら、博物館の魔具を狙ったのも筋が通るのだ。なぜなら、博物館を管理しているのは財閥だからだ。
そして、クリストフが屋敷の裏世界にまでやってきた理由は、時矢に引導を渡すため。
「でも残念だったな。弟はお前の好きにはさせない。お前が親父の使いっ走りだったとしてもな」
言い終えると同時に、時成は右手のブレスレットに嵌められた宝石の内の一つを光らせて剣を握った。
戦う意思を見せつける時成の傍ら、桜井はクリストフを次のように煽り返す。
「あぁそうだ。あんたのお仲間のポーラ・ケルベロスだったっけ? もうとっくにアジトの場所は突き止めてる。今頃片がついてるかもな」
桜井とは別で行動している班が、現在はポーラのアジトへ向かっている。順調に行っていれば、今頃は制圧を終えているかもしれない。時成の意気にあてられての挑発だったが、当の時成は当然DSRの作戦について何も知らない。
「そうなのか?」
純粋に聞いてくる時成に対し、桜井は小声で「そうだよ」とだけ呟く。
相変わらず意思の疎通が憚られるせいでいまいち締まらないが、桜井は気を取り直して手を開く。自らの愛剣を喚びこむべく指を擦り合わせて。
「とにかくそういうこった。こっちも片をつけるとするか」
指先に散った火花は瞬く間に細長い魔剣を織り成す。これまで桜井はそうした召喚方法を用いなかったが、自分の分身であるユレーラとの戦い以降密かに練習を重ねていた。その甲斐あってか、上手く魔剣を召喚すること自体は成功。ただし、握られたのは桜井の意図したものとは正反対のもの。
「桜井、その剣……」
時成は桜井が握る剣を見たことがある。だが、桜井が愛用していたのは黒鉄の刀身と孔雀の意匠が特徴的な魔剣ライフダストであって、桜井が持つそれとは違う。
言われて気づいた桜井は、魔剣へと視線を落とした。
「…………」
彼が握っていたのは魔剣ライフダストとは対をなす、魔剣デスペナルティだった。
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