第4章第7節「縺れ合う絆を解いて」

「……とんだご挨拶ね」

 凍てつく空間に流石のコレットもたじろぎを見せる。彼女は冷静さを欠くよりも前に腕時計に触れ炎の杖『キャンドルステッキ』を喚び出し、生み出した炎を使って抗おうと試みた。

「その減らず口ごと凍りつくがいい」

 クリストフは踵を返して正面玄関の扉へ向かうと、一度扉を閉めて氷漬けだった鍵を鍵穴に挿す。鍵は何の滞りもなく嵌まり、回転して施錠する音が鳴り響く。コレットが次に見た時には、既にクリストフの姿はなく鍵も抜き去られた。

 どういうわけか、彼女の嫌な予感は当たってしまったようだ。だからと言って、すぐに彼を追ったり裏世界にいる桜井に連絡することはできない。まして、クリストフが消えても冷気の勢いは衰える気配を見せない。残されたクリストフの部下がスケート靴を装備していたのは、屋敷を氷漬けにするのも算段通りなのだろう。生身の人間でないのも、寒冷環境下でも活動するためだ。

 コレットは下手に退こうとはせずに、一点のみを陣取る。既にコレットの背後の床も凍り始め、二階にまで及んでいた。もはや、スケーターの独壇場だ。

 滑走を始めたスケーターを前に、コレットは杖を一回転させて床を突く。彼女の足元を中心に炎の円陣が生み出され、足元の凍結を阻む。さらに空いた手でベルトに触れ、ペアリングされた鞘から刀を抜く。

 三人のスケーターはバラバラに動き、両腕に携えた刃を展開して突撃する。最初に突撃してきたスケーターに対し、コレットは陣から動かずに杖を振って迎え撃つ。杖は炎のうねりを生み出したが、陣から出た炎は即座に熱を奪われていく。灼熱から極寒へと変化した空間を裂いて斬りかかるスケーター。コレットは咄嗟に刀を使ってそれを受け止め難を逃れる。

 迎撃のために杖を地面から離したことで炎の円陣はさらに冷気にさらされ、彼女の陣はみるみる狭まっていく。当然、スケーターはそれを見逃さない。続く二体のスケーターは空中に飛び上がり、まるでアイススケート場のように縦横無尽に攻め立てる。

 対するコレットは炎の円陣を維持するために杖を床に突き立て、それを掴んで軸にすると右足の膝を曲げて地面を滑る。そうすることで上空から首を刎ねようとしたスケーターの斬撃を交わしつつ、刀で腕を切断。さらに続けてきたもう一体のスケーターは、しゃがんでいたコレット目掛けて床と水平に滑り込んでくる。

 立ち上がるだけでは、その攻撃を避けることはできない。まして、左足を伸ばし右足に体重をかけてしゃがんだ状態からジャンプすることなどできるはずもない。だが、彼女には体重をかけた右足とは別に杖という別の軸足があった。

「はっ!」

 彼女は一か八かを賭ける間もなく、右手と右手が掴む杖だけを支えに右足も伸ばし切った。それから冷気で濡れた床の上を文字通り両足で滑ると、わずかな遠心力を利用して腰を浮かせる。そのまま宙に浮いた杖を軸にして、体を逆さまに舞い上がった。直後にコレットがいた場所を掠め取るスケーターの両足。スケーターは両足のブレードでもって彼女を斬り裂こうとしていたらしい。そして、逆さまに飛び上がったコレットはスケーターの片足に刀を突き立てる。片足は関節から切断され、体勢を崩したスケーターは氷上と化した屋敷の奥へ消えた。

 一体を無力化したコレットは再び床に足をつけ、残り二体を一瞥。既に片腕を失ったスケーターは残るスケーターと共に、こちらへと滑走してきている。

「…………ッ」

 魔具によって身体能力を底上げしているとはいえ、狭い陣の中での一連の回避行動は体に響いている。彼女は珍しく顔から余裕を消し、真剣に刀を構えた。一歩も動けない狭い陣地に極寒の冷気────次で決めなければ、体力の消耗によって敗北を喫するのは目に見えている。

 ────将軍の氷獄から生きて出た者はいない。クレイドルによる世界的なテロ行為の中でも、かの逸話は耳にした者の背筋さえも凍てつかせたという。

 滑走することで凄まじい速度を得たスケーターはコレットの真正面を突く。既に彼女が死守してきた陣地は肩幅ほどもなく、避けることは不可能。刀で受けたとしても、続くスケーターが脇を斬り裂く。

 歴戦のエージェントとて、半強制的に窮地に立たされれば命はない。たとえ窮地に陥ることがない者であろうと、彼らは氷獄という窮地を造ることができる。造られた舞台に立たされた役者は、用意された筋書きに従って動くのみ。そこに可能性は存在せず、確たる事実だけが述べられる。

 今まさに、コレットは将軍が造った窮地に立たされているのだ。窮地に立たされた者は、なす術もなく葬られるのみ。そうした筋書きに従うことしかできず、生き抜く可能性なんてない。

 そう。誰も氷獄から生きて出られないのだから。

『聞こえますかコレットさん……!』

 だが裏を返せば、最初から氷獄に入っていない者には一切適応されない。

『魔法による凍結反応は屋敷内部のみが指定されているようです。大至急屋敷から脱出してください!』

 通信が告げる頃、コレットはスケーターではなく正面玄関の扉を見据えていた。閉ざされた扉は既に凍りつき、外が安全かどうかは定かではない。しかし、彼女が頭に思い描いていた景色と蓮美が伝えた事実はまさに一致していた。この状況を脱するには、一縷の望みをかけて安全な外に出るしかない。

 藁にもすがる想いはついに、蓮美の声によって確信へと変わる。

「…………ちょっと通るわよ」

 陣地を保つ命綱であった炎の杖を後ろ手に掴み、コレットは一思いにそれを槍のようにして投げた。あろうことか、彼女は自ら陣地を捨てたのだ。だがこれは、氷獄の演者の筋書きにはなかった行為でもある。

 突撃してきたスケーターは迎撃の可能性を考えていなかったがために、炎の槍によって胴を貫かれた。さらに槍は不死鳥の炎の如く突き進み、軌道上の氷を溶かしていく。とはいえ、強固な氷獄を溶かし切ることはできず、焼けた床はみるみる内に再び凍結を始める。その前に、コレットは自らの陣地から駆け出した。

 炎の槍は正面玄関の扉をも溶かすが、そこで力を完全に失う。氷が溶けたことで露出した扉がゆっくりと開き、外の景色が覗く。幸いにも魔法の効力は外まで及んでいない。今の内に脱出することができなければ、生き延びる手段はもうないだろう。

 想定外の事態を受け、最初に片腕を失ったスケーターは氷上から溶けた床へと足を踏み外す。勢いを失ったスケーターに対し、コレットは炎の槍が作った溶けた床を駆け抜ける。最後の力を振り絞り、コレットはスケーターとすれ違うと同時に居合を放った。両断されたスケーターが床に倒れる頃には既に床は完全な氷上へ戻る。

 スケーター部隊を見事に無力化したコレットは、間一髪のところで正面玄関への扉へ手をつく。同時に溶けた道が完全に凍りつき、彼女は勢いのまま凍結した床を蹴り飛ばす。屋敷から飛び出した勢い余って転んでしまい、石畳の上へ投げ出された。腕や顔に切り傷をつけ、地面を転がった彼女は息も絶え絶えに天を仰ぐ。

 屋敷前に冷気は一切なく、冷たいはずの夜風さえ暖かく感じる。しかし感覚があるということは、彼女が命拾いしたのは間違いない。

「はぁ……はぁ……」

 ふと上体を起こして屋敷を見ると、半開きの扉からは冷気が漏れ出していた。中が凍土と化しているのは知っての通りだが、玄関口には凍りついたハイヒールが取り残されている。屋敷を出る際に足を取られる感じがしたのは、靴が凍って脱げてしまったからだったのだろう。だが、彼女は捻ってしまった足首を労ることもせずに呆然と屋敷を見つめていた。

 凍結は屋敷の正面玄関のみだとばかり思っていたが、なんと屋敷そのものが氷像と化していたのだ。窓からは凍えるような冷気が溢れ、屋根の一部分は氷に覆われている。

 氷獄。

 その本質を、コレットは凍りかけた背筋で直に感じ取っていた。

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