第4章第6節「縺れ合う絆を解いて」

 月城財閥の屋敷に残されたコレット・エンドラーズ。裏世界に隠された宝物庫のことは桜井たちに任せ、見張りのために残ることにした。

 彼女はすぐにDSRに連絡を取り、屋敷周辺をモニタリングしてもらう措置を取っていた。広い屋敷を見て回るのも悪くないが、コレットは素直に書斎で寛いでいた。暖炉の前のソファに座り、「あーあ」と欠伸をしながら月城家の家族写真を眺める。

 写真に写っている通り、時成には双子の弟がいた。弟が亡くなったのは数年前のことで、部外者であるコレットも写真を見るまでは忘れていた。写真の中に収められた家族の姿は規律正しい印象を受け、財閥を率いるのに相応しいと言えるだろう。それが今や、財閥は存亡の危機に瀕している。

 コレットも知る通り、会長の失踪やその妻の静養は報道機関が世間に伝えている。DSRのエージェントとして世界の裏事情には何かと知見を得る機会が多いが、流石に家族の事情までは詳しくない。実際、そこに外野の人間が横槍を入れるべきでもないだろう。

 そうして暇を持て余してあくびをするコレットのもとに、DSR本部から通信が入る。携帯端末を起動すると、連絡してきたのはオペレーターの桐生蓮美だった。

「どうかしたの?」

 のんびりと間延びした声で答えると、返ってきたのは緊迫した報せだった。

「コレットさん。屋敷の周辺に敵ステルス機のものと思われる反応を検知しました。前回配送センターにおいて敵ステルス機のジャンプ時に検知された反応と似通ったものです」

 蓮美が管制するモニターに検知された信号は、確かに配送センターに出現したステルス機のものと同じだった。獄楽都市クレイドルのステルス技術はDSRのレーダーさえも欺くほどだが、座標間移動のジャンプに伴う膨大なエネルギーまでは誤魔化せない。その反応が観測された場所がコレットや桜井のいる屋敷の上空ともなれば、事態は想像より切迫しているかもしれない。

「間違いないの?」

 事の重大さをいち早く理解したコレットは念を押して聞く。

「はい。……念のため、増援を送りましょうか?」

 そもそもコレットが見張りに立っているのは、時成が宝物庫の情報が漏れることを警戒してのこと。仮に時成が危惧した通りにネクサスが刺客を寄越すとしても、獄楽都市クレイドルに頼るとは思えない。繋がるはずのない点と点。ではなぜ、彼らは月城財閥の屋敷へとやってきたのだろうか。今のコレットが憶測を巡らせるには足掛かりが少なすぎる。

 兎にも角にも、まずは屋敷にやってくるのが何者であるかを確める必要があるだろう。

「少し様子を見るわ。あたしが命令するまで動かないでちょうだい」

 彼女がやや強気に出ようとしているのは考え無しにというわけではない。こうしている今も新垣たちの班が敵のアジトの制圧へ向かっているからだ。もしも彼らがアジトを留守にしているのであれば、コレットはここで注意を引くべきだろう。

 命令を受けた蓮美もそこまで理解してか、反対することなくモニター越しに頷いた。

「分かりました。……気をつけてください」

 通信を切って端末をしまうと、コレットは速やかに書斎を後にする。

 ただでさえ広大な敷地面積に巨大な屋敷になっている上、召使いの一人も見当たらない無人の邸宅。コレット自身、屋敷に入ったのは今日が初めてでその全容を把握しきれてはいない。もし正面玄関以外に出入り口があったとしたら一巻の終わりだが、彼女はそこが唯一の出入り口であることを願って足を運ぶ。

 とはいえ、邸宅の中に侵入されたとしても彼らが桜井たちと鉢合わせることはない。彼らがこちら側ではなく向こう側の裏世界にいることは、彼女にとって都合良く働くだろう。何せ、裏世界への鍵は時成しか持っていないのだから。

 コレットは玄関ホールへやってくると、二階の手すりから下を見下ろす。どうやらまだ訪問者はないようだ。ひとまず胸を撫で下ろし、手すりから離れようとした時だった。

 正面玄関の扉は外側へと開け放たれ、すっかり陽が落ちた夜の闇がなだれ込む。続けて入ってきたのは、氷上を滑走するためのスケート靴らしきものを履いた複数の人間。人間と言っても彼らの腕や足の関節は剥き出しになっており、生身のそれとはかけ離れている。石畳の上を火花を散らして進んできた彼らは絨毯の上に乗って止まり、合計で三人が扇状に並ぶ。

 そして彼らの後から屋敷へ入ってきたのは、貴族を彷彿とさせるブロンドの髪を持つ背の高い男性。配送センターで目撃されたという、獄楽都市クレイドルの将軍クリストフ・ラベルツキン。彼とスケート靴を履いた部下以外に姿はなく、ポーラ・ケルベロスはいないようだ。

 二階の手すりから彼らを見下ろすコレットは、自分のペースを崩さないまま声をかけた。

「あら、ここの主人に用事があったのならご足労様。残念ながら席を外しているわ」

 彼女は言いながら手すりから離れ、すぐ横の階段を降りて彼らの前に立ちはだかる。しかし将軍であるクリストフはそれを意にも介さず、煙草に火をつけて一度口をつけた。

「一言で済むなら言付かってあげてもいいけど」

 降り立ったコレットを前にしても、クリストフは億劫そうに口から白煙を吐くのみ。

 互いを気遣う素振りもなく自らの余裕を崩さない。それでいて張り裂けるほど緊張した空間で、彼はその隻眼でコレットを見据えた。

「無用だ」

 斬り捨てるような一言。もちろん想定通りの切り返しだったが、次に続く言葉は解せないものだった。

「我輩が探しているのは既にこの世を去った子息の方でね」

 クリストフが指したのは時成のことではない。彼はまだ健在だ。しかし彼が財閥の御曹司であることは大衆が知るところで、クリストフの発言はコレットの中で明らかに矛盾していた。

「何ですって?」

 そう。既に亡くなった子息。

 偶然にもコレットの脳裏には、書斎で見た家族写真が浮かんでいた。規律正しく厳粛な家族像を表した四人の内、コレットは見覚えのない少年を目にした。時成の隣に並んで立っていた、双子の弟。彼は数年前、既に亡くなっている。つまり、クリストフの言うこの世を去った子息とは彼しかいない。

 闇に濡れた真実に手を滑らせるコレットをよそに、クリストフは煙草を咥え左手に持ち替える。それから右腕を曲げて握り込んだ拳を開く。すると、手のひらの上に冷気を放つ鍵が現れた。

「財閥の闇は触れる者を凍てつかせる。貴様のような使用人風情では到底触れることもできんだろうが、氷像は砕くことができる」

 氷に触れれば凍傷を負う。にも関わらず、クリストフは冷気を放つ鍵を掴んだ。常人とは思えない芸当を見せる一方で、コレットは大した驚きを見せることはなかった。

 代わりに、コレットは「ちょっと?」と口を挟む。

 クリストフが探しているという既に亡くなった子息や、財閥の闇は深い謎に包まれている。最悪の場合、クリストフが持つ鍵が裏世界へ通じるそれと同一のものかもしれない。そうだとすれば、コレットだけでなく桜井たちにとっても危機的状況となる。

 だが、コレットは狼狽えずに強気の態度を崩さない。

「話の腰を折るようだけど、あたしはここの使用人なんかじゃないわ」

 確かに彼が投げ込んだ釣り針は気を引くが、食らいついたら最後足元を掬われる。経験上、彼女はそのことを良く理解していたからこそ、余裕を手放さない。今は謎の真相を事細かに解き明かすより、目の前の敵を退けることが先決。そして何より、掴み所のない謎よりも気に食わないことの方が無視できないものだ。

 彼女のしたたかな反論を受けて、クリストフは小さく鼻で笑った。

「ふん、使用人であろうとなかろうとさしたることではあるまい。どのみち貴様は、ここから生きて出られんのだからな」

 言い終わると同時、彼は右手に持っていた吸い殻を投げ捨てる。吸い殻はコレットへ向けて弾かれたが、彼女の元に届くことはなかった。それどころか、彼の手を離れた直後に空中で静止したのだ。いや、厳密に言えば違う。

 吸い殻は瞬く間に凍りつき、地面に落ちると粉々に砕け散った。

 異常は吸い殻だけに止まらない。クリストフの足元を中心とした空間が徐々に凍り始めていたのだ。絨毯や天井にはあっという間に霜が降り、分厚い氷に覆われていく。

「……とんだご挨拶ね」

 凍てつく空間に流石のコレットもたじろぎを見せる。彼女は冷静さを欠くよりも前に腕時計に触れ炎の杖『キャンドルステッキ』を喚び出し、生み出した炎を使って抗おうと試みた。

「その減らず口ごと凍りつくがいい」

 クリストフは踵を返して正面玄関の扉へ向かうと、一度扉を閉めて氷漬けだった鍵を鍵穴に挿す。鍵は何の滞りもなく嵌まり、回転して施錠する音が鳴り響く。コレットが次に見た時には、既にクリストフの姿はなく鍵も抜き去られた。

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