第4章第2節「縺れ合う絆を解いて」

 浅垣晴人、暁烏澪、鳳条未咲希の三人は、ポーラ・ケルベロスのアジトであるN5セクターの港町『いかだ町』へ向かうことになった。

 ラストリゾートの外縁部に位置する町というだけあって、DSR本部からはかなり遠い場所になる。移動手段として、ラストリゾートの全てのサイトを横断できる鉄道であるラストリゾート・リニアラインを利用することになった。配送センターまでコレットが運転していた車両は大破し、浅垣の車両は月城財閥の屋敷へ向かう桜井の班へ貸与されている。加えて言うならば、飛行形態の車両よりも鉄道の方が燃費や所要時間共に優れている。

 ラストリゾート・リニアラインは、魔導磁石を利用した技術により一時間未満でラストリゾートの端から端を移動する高速鉄道である。通勤や通学で利用されることの多い公共の交通機関ではあるが、実際に混雑するのは都市部のみでそこを過ぎればガラガラの状態だ。なぜなら、ラストリゾートにおいて主要な生活圏は1セクターから3セクターまでの内縁都市部とされており、人々の流れはその中で完結する場合がほとんどだからだ。現に、浅垣たち三人が乗っている列車はN4セクターの工業地帯を走っているが、乗客は疎らにしか見当たらない。

 彼らが乗り込んでいる車両はボックスシートになっていて、澪と未咲希が向かい合って座り、反対側の席に浅垣が一人で座っている。いわゆるリニアモーターカーというだけあってか、騒音や揺れは特段気になることもなく快適に走行している。

 ふと横を向いて反対に座る浅垣の方を見る澪。彼は静かに窓の外を見つめている。N4セクターと隣接するW4セクターに跨るエンタープライズ工業地帯の大半は魔具開発の大手企業である魔導工房レヴェナントとその競合企業が保有していた。この場所で多くの魔具が開発され、配送センターが存在する内縁都市部へ運ばれていくというわけだ。

 つい先ほどまで近代的な都市部を縫う立体的な線路の上を走っていた時とも違う景色。次第に殺風景な工場地帯を抜けると、都心部に比べゆったりとした市街地らしい風景へと様変わりしていく。見ていて不思議と退屈しない車窓の旅を未咲希もしばらく楽しんでいたが、今ではすっかり寝息を立てていた。

 澪は眠っている未咲希を起こさないように立ち上がると、反対側の席にいる浅垣の向かい側へ移動した。

「未咲希は眠っているわ。昨日今日と色々あったから、疲れてるんだと思う」

 わざわざ浅垣に話しかけたのはただの気まぐれだった。彼に聞きたいことや、話したいことが決まっていたわけではない。ずっと黙っていて、このままいかだ町に到着するのを待つこともできた。それでも澪が行動に移ったのは、気まずいだけではない無意識下のものが根底にあるのだろう。

「DSRは良くも悪くも想像もつかないような仕事をしてる。この仕事に関わるには、単なる好奇心だけじゃない覚悟が求められるんだ。知らなくていいこと、知るべきでないこと────未知を知る。彼女の同行を許可したのはその覚悟が見えたからだ」

 世の中には知らなくていいことがある。浅垣の言葉は澪にもよく理解できたが、果たして未咲希にも同じことが言えるのかは疑問が残る。未咲希には澪のことを知る権利があるにしても、戦いにまで関わるべきかどうか。物事には許容できる限度がある。

 もちろん、浅垣の目を疑いたいわけではない。彼には彼なりの考えがあるのだろうが、今の澪にはそれを理解するに足るものがなかった。

「一つ聞いてもいい?」

 だから、澪は浅垣のことを少しでも理解しようと努めた。桜井が信頼する男の本質ならば、と。

「構わない」

 窓枠にかけていた肘を下ろす浅垣。

 対して、澪はいたってシンプルな問いかけをした。

「あなたはどうしてDSRに?」

 その人のことを知る手段として最も深く鮮明に知りたいのならば、生い立ちに関わることを聞くのが手っ取り早い。彼がなぜその場に立ち、どのような気持ちで取り組んでいるのか。

 特に彼はDSRという非常に特殊な組織に従事している。未咲希のように超常現象に憧れて関わることもあり得るだろう。とはいえ、一般人にとってDSRそのものが超常現象であると言ってもいいほど謎が多く、正体不明の存在だ。DSRに入った経緯を問うことでさえ、当たり障りのないものかといえば分からない。

 浅垣が口を開こうとしたのは問いかけから数秒後のことだった。澪に話すべきかどうか、逡巡するには十分な間隔だったはずだ。

「DSRに入ったのはそうしたかったからじゃない。そうせざるを得なかったからだ。人生なんてのは、自分の意思に関わらずあれこれとふりかかってくる。俺には選り好みをする余裕がなくて、過ちも犯した」

 彼はいずれこのことを澪に話すべき時が来ることを悟っていた。

「その中には信じられないような奇跡、そして理不尽があった」

 彼の口ぶりはまるで自白のようだ。

「DSRはそれら──いわゆる超常現象の真相を突き止めるための手段に過ぎない」

 あくまでも手段であると言い切った浅垣。彼に何があったのか具体的なことまでは分からないが、澪は彼の言葉に含まれた意味に触れていた。

 桜井とは違って、浅垣とはまだ関係性が薄い。にも関わらず、ここまで踏み込んだ質問に答えてくれた。

 彼の誠意に応えようと、澪も言葉を選んで言う。

「奇跡と理不尽を超常現象っていうのなら、見舞われた気持ちは私にも分かるわ。ある日突然、私は超能力者としての力を与えられた。その真相は何も分からないけど、私はこの力に責任を感じてる。奇跡にも理不尽にもなる、この力を」

 浅垣も気づいているが、澪は超能力者でありその苦悩を抱えている。即ち彼女もまた、浅垣の言う超常現象に見舞われた人物でもあるのだ。

 おもむろに手のひらを見つめる澪に対し、

「説明のつかない超常現象は、誰にも責任を追及できない。その責任を背負うためにDSRがある」

 彼は澪の境遇について同情を示した。それが上辺だけのものでないことは、彼のどこか悲しげな瞳が証明している。

 だが彼女は、浅垣の言葉にすぐに頷くことはできない。確かに超能力は望んで手に入れたものではなく、超常現象は誰にも責任を求められない。それでも与えられた以上は自分の力であり、力には責任が伴うものであるからだ。

 さらに責任は消えるものではなく、生涯を付きまとう。澪が戦う理由はまさにここにあり、力を正しく使おうと努力する動機にもなっている。

 カルマ・フィラメント博士に利用された過去を思い出しながら、澪はぎこちなく言葉を紡ぐ。

「でも、超能力はただの超常現象じゃない。私の意思で、奇跡も、理不尽も起こせる私の行い。他の誰でもない、この私の」

 一言一言、刻々と声に出していくと、「あぁ」と浅垣が相槌を打ち、続く言葉を引き継いだ。

「だから過ちを受け入れ、責任を持たなければいけない。たとえ超常現象に依るものでも」

 言いたいことを代弁され、澪は改めて浅垣を見つめる。

 超能力者である澪が背負う責任はさておき、浅垣にとっての責任とは何なのだろうか。彼の言葉は確たる真相を露わにしていないが、何か超常現象に見舞われたらしいことは分かる。しかし単に見舞われただけならば、責任を背負うべきことなのだろうか。天災に見舞われたからといって、被災者たちに責任を追及するべきではない。彼にDSRに入る決意をさせた超常現象。それはいったいどんなことなのか。

 その答えと繋がっていたのは、澪にとっても身近な人だった。

「桜井には俺のようになってほしくはない。あいつは超常現象に関わるべきじゃないんだ。できることなら、少しでも遠ざけておきたい」

 浅垣の口から出てきたのは桜井結都の名前だった。超常現象とそれにまつわる責任がなぜ桜井と繋がるのか。当然ながら、澪が簡単に理解できるはずもなかった。

「もちろん、避けられないことなのは薄々気づいている。だからあいつをDSRにスカウトした。いつか来る日に備える為に」

 そう。桜井をスカウトしたのは誰でもない浅垣本人だという。

「超常現象から遠ざけておきたいのにスカウトしたの?」

 澪が驚くのも無理はない。浅垣の行動は矛盾しているからだ。DSRは超常現象を調査する機関であり、世界で超常現象に最も近い立ち位置と言える。そんなところに桜井を招いたのには、彼なりの考えがあった。

「誰かを守りたいなら側に置いておくべきだ。それにあいつは世界の謎を知りたがっているし、俺にはあいつの可能性を奪う権利はない。たとえ険しい道のりだったとしても、俺が限界を決めつけるのは違う。そうだろ?」

 彼が桜井のことを話しているのは分かっているが、澪には他人事のようには聞こえなかった。

 未咲希は澪にとって守るべきかけがえのない友達である。彼女は澪のことを知りたがっていて、危険と分かっていてもついてこようとする。そんな彼女を頭ごなしに遠ざけていたばかりの澪には、あまりにも痛い言葉だった。

「だから、君にはあいつを支えてやってほしいんだ」

 しかし、澪の懸念など他所に突拍子もないことを告げる新垣。

「え?」

 思わず聞き返す澪だったが、浅垣はいたって真剣な表情のまま。

「俺やコレットもできる限りのことはしているが、仕事上の付き合いとその延長線に過ぎない。君はDSRを介さない、純粋に付き合える間柄だ」

 かなりストレートな言い方は彼が持つ不器用さの賜物だが、少なくとも澪に訴えかけることはできた。突然の申し出に混乱しているらしく、澪は必死に桜井とのことを思い返す。

「……でも、あの事件から彼とは会ってなかったの。連絡しようとも考えたけど、あまり迷惑をかけたくないし」

 確かに桜井は自分を見つめ直すきっかけをくれた人だが、二週間前の事件から今までの間に会ったことはない。彼との関係性は再び動き出したばかり。とはいえ、彼のことは一度たりとも忘れたことがなかった。

「桜井はほぼ毎日君のことを気にしていた。連絡することを考えてもいたみたいだが、あいにく連絡先を聞き忘れたと」

 そして、浅垣は桜井も同じだったと話した。

「彼が私のことを……」

 二人は一時離れ離れとなっていたが、考えていたのはお互いのこと。浅垣は知る由もない、二人の間で起きたことを加味すれば気にするのは真っ当とも言えるだろう。

 ただ奇しくも、歩みを止めていた二人の背中を押そうとしたのが浅垣だった。

「無理な頼みなのは百も承知だ。それでも桜井のことを任せられるのは君しかいない」

 浅垣から頼られたことも相まって、澪は真面目に取り合おうとしていた。忘れてはいけないが、澪は桜井に大きな借りがあってまだ返すことができていない。無論、桜井は恩返しの有無を気にしていないが、澪は感謝の気持ちだけは必ず伝えたいと心から思っている。その最中に言われた浅垣の頼みは、澪にとっては良い機会になるかもしれない。

 ともあれ、すぐに答えが出せることでもない。結局いかだ町に到着してからも、気持ちに整理がつくことはなかった。こればかりは、件の彼がいない限りは解決しないだろう。

 一旦思考を切り替えて、澪は眠っていた未咲希を起こし浅垣と共に列車から降りる。

 駅から出るとすぐに、幻想的な景観が三人を迎え入れた。

 駅は高い土手になっていて、静かな町を見下ろすことができた。都心部で見られるような高層ビルの類はなく、煙突のある民家が軒を連ねている。そんな穏やかで長閑な街並みの先に広がるのは、水平線まで続く海だ。海といえば青く澄んだ景観を想像するが、ラストリゾートの海はネオンのように光り輝いている。それは魔力が潮流となって現れる超自然現象の一つであり、色は時間の経過と共にカラフルに色を塗り替えていく。観光地として知名度があるのも納得の見栄えだ。

 澪はN5セクターを訪れたのは初めてで幻想的な景色に呑まれていたが、この町を故郷とする未咲希は胸に大きく息を吸い込んでリラックスしている。

 未咲希は早速、浅垣と澪の二人を実家へと案内した。駅のある土手から降りてすぐにある簡素な商店街を抜け、海に近い町角の外れ。疎らに建てられた民家の間には農耕を営むための畑が広がり、海の近くでは育ちにくい作物を育てるための温室も見て取れる。内縁都市部にも多数の温室が存在しているが、その実態は人工的なもの。都市部で流通する天然作物のほとんどはここで生産されているのだ。

 そんな数ある内の一角、敷地へ繋がる正門には『鳳条』と記された標札が掲げてある。畑には一際目立つ大木が植えられ、赤い果実を実らせている。その大木の下には、落ちている果実を拾うハットを被った老人の姿があった。

「おじいちゃんっ!」

 浅垣と澪を連れてきた未咲希は、老人に向けて元気よく声をかけた。

「未咲希なのか?」

 彼は眉間にシワを寄せて彼女の姿を見るや否や、半信半疑に言う。事前に連絡もなく帰ってきたのだ。突然帰ってきたら誰であろうと驚くものだが、彼女の変わらぬ笑顔は疑いようのないものだった。

「ただいま!」

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