第3章第11節「絡まる縁が手繰り寄せる運命」

 桜井たちはコレットや澪、未咲希とも合流し、浅垣の車でDSR本部へと帰ってきていた。

 幸いにも誰も大きな怪我を負うことはなかったが、医学的な知識を持つコレットに軽く体を診てもらう。爆発を間近で受けた桜井は強い揺さぶりを受けたものの、普段の調子を取り戻しつつあった。とはいえ前向きになれる状況とは言い難い。オペレーターの蓮美の横で腕を組む浅垣の表情も、いつにも増して深刻そうだ。

 ポーラ・ケルベロスを取り逃がしたことはもちろんだが、もう一つ気になることがある。浅垣たちが見ているホログラムにも投影されている、配送センターに現れた将軍のこと。「まさか獄楽都市の将軍がこの地に戻る日が来るなんて」という職員たちの話し声から察するに、事前にポーラとの関係が疑われた獄楽都市クレイドルの将軍であるのだろう。

 そして桜井個人としては、敵情よりも身内に懸念を多く抱えてもいる。勝手に現場へやってきた未咲希のことや、超能力者として意気込んでいた澪のこと。

 ふと彼女たちの様子が気にかかり、桜井は中央司令室を見回す。しかし姿は見当たらない。

「なぁ、暁烏たちを見なかったか?」

 デスクでコンピューターに向かって腕を組んでいた柊世風ひいらぎよかぜに行方を聞いてみる。が、彼は考える素振りも見せずに答えた。

「いや見てないな。一緒だったんじゃないのか?」

 柊の言い方から察するに、澪たちは戻ってから一度も司令室に顔を出していないようだ。

 配送センターから戻るまでの間、澪たちは同じ車に乗っていた。本部の地下駐車場に到着してから、桜井と浅垣は簡単な診察のために彼女たちと一旦別れている。

 心配になった桜井は司令室から出て二人を探す。廊下ですれ違うこともなく、ラボを覗いてみてもコレットの姿しかなかった。そしてついに、休憩室や食堂として使われるサロンにて二人の姿を発見する。

 彼女たちの間柄について知っているわけではないが、会話も交わさず落ち込んだ様子はいつもとは明らかに違う。未咲希はソファーに座って俯き、澪は未咲希の後ろ側に立って一面のガラス窓から街を見下ろしている。仲が良さそうな雰囲気とは対極の、気まずい空気だ。

 二人には二人の話があるのは承知の上で、桜井は決して軽くない足取りで近づく。

 先に気づいたのはソファーに座っていた未咲希で、彼女はぎこちなく笑顔を作って言った。

「あ、お疲れ様です……桜井さん」

 未咲希の暗い挨拶に、背中を向けていた澪も振り返る。二人と目を合わせながら、桜井は慎重に言葉を選んだ。

「二人とも大丈夫だったか?」

 すぐに「大丈夫です」と答えようと口を開きかけるが、未咲希は口を噤んだ。一瞬の間では彼女にどんな考えがあったのか分からないが、彼女は黙り込んだ澪の方を見ている。自分のことよりも、澪のことが心配。そんな気遣いを感じさせる眼差しで。

 当の澪はつま先を桜井に向けてはくれず、目を逸らしたままだった。それでも向き合おうとしているのか、彼女は背を向けてしまうこともない。ただ、罪悪感と責任感に板挟みにされたせいで身動きが取れなかった。

「ごめんなさい」

 開口一番、澪は謝罪の言葉を口にする。

「私、大して役に立てなかったわよね。あれだけ私を頼ってほしいなんて言っておきながら」

 澪は超能力者であることに責任を持ち、その力を正しく使おうとしている。立派なことかもしれないが、彼女一人が背負うには重すぎる責任。それは結果として自らを犠牲にする行為に至らせたのは、桜井も知るところだ。彼はそれを一度止めることができず、その責任を共に負うことを誓った。

 そういった意味においては、今の状況に陥ったのは少なからず桜井たちDSR側にも責任がある。フィラメント博士の魔具を持ち出したことも、澪からすればとても冷静ではいられなかったはずだ。今回は彼女が破壊してくれたため大事には至らなかったが、不必要な負担をかけさせたのは間違いない。

「ヤツを取り逃がしたのは俺たちの責任だ。君だけのせいじゃない」

 桜井に続ける形で、未咲希はソファから腰を浮かせて言う。

「そうだよ。それに澪はちゃんと私たちを守ってくれたし」

 桜井が庇おうとする以上に、未咲希は澪のことを慰めようとしてくれている。

 彼女の言う通り、澪の活躍は期待以上だったと言えるだろう。澪は単身でポーラを追い詰め、渡した博士の魔具を破壊した。もし澪がいなかったとして、桜井たちは彼女と同じことをしなければいけない。少なくとも、浅垣はその部分を見込んで作戦に引き入れていたはずだ。

 しかし、

「……ちゃんと大人しくしてるって言わなかったっけ」

 氷のように冷たい声色のまま、澪は未咲希を見下ろす。

 未咲希自身は配送センターでの作戦に引き入れられていたわけではない。彼女が独断で潜入してきた。その点を踏まえると、彼女は澪のことを強く言える立場にはない。

「や、約束を破ったのは謝るけど……どうしても澪のことが心配で」

 痛いところを突かれても、未咲希は退くことなく弁明する。表情はすっかり困り果てているように見えるが、めげずに踏ん張る。

 だが、澪には言い訳にしか聞こえなかった。

「どうしてもこうしても、心配されることなんてない。私は超能力者だもの」

 前提としてあるべきこと。澪は超能力者である。

 それは忘れてはいけないことでもあり、彼女を苦しめる茨でもあった。

 決して断ち切ることはできない。いや、断ち切ってはならない。

 戒め。これが、彼女の前提。

 だが往々にして、前提とは覆すことができるものだ。

「そうじゃなくて……!」

 珍しく、未咲希は大声を発する。怒鳴り声とも違う彼女の声は、慈愛の潤いを帯びていた。

「澪が超能力者だからとかじゃなくて、澪がいなくなっちゃうのがイヤなの」

 全ての物事において、前提は必要なものだ。前提がなければ物事は成り立たず、全てが仮説となってしまう。再三にはなるが、前提は簡単に覆るものではない。

 しかし、前提は覆すことができる。

 それを澪に初めて教えてくれたのは、誰でもない桜井だ。

「………………」

 未咲希の必死の訴えは、澪にそれを思い出させるに十分だった。

 しばらく言葉を詰まらせた澪は、桜井や未咲希に見せる顔もなくついに背中を向けてしまった。一面のガラス窓からは街並みと天の川の浮かぶ青空が見える────はずが、反射した己の姿しか目に映らなかった。

「私はずっと、超能力者であることを前提に考えてきた。……最近は自分らしくしようって思ってるの。でも考えれば考えるほど、私は超能力者であることから逃げられないし、逃げちゃいけないって思ったの。なのに、それを無責任に切り捨ててまで、私らしくすることなんてできるのかなって」

 澪は長らく超能力者としての在り方に悩んできた。その最中に桜井と出会って、考えを改めるきっかけを得ることができた。しかしながら、簡単に解決できるようなことでもない。人の性格が簡単には変わらないように、澪が悩む前提も楽に取り払えるものではないのだ。

「できるよ」

 しかし、未咲希は最も大切なことを教えてくれた。

「だって澪は澪だもん。もし超能力者じゃなかったとしても、私は澪のことが好き。ううん、超能力者として戦ってる澪も、家にいる時の澪も、私が困ってる時にいつも助けてくれる澪も、私の大好きな友達だよ」

 人の性格は簡単には変えられないが、人には様々な側面がある。態度を改めたことで性格が変わったように見えることもあるがそれは錯覚に過ぎない。単に、別の面を見せてくれただけなのだ。その一つの面だけで、その人を理解し判断できるはずもない。良い面も悪い面も含めて、その人。

 澪の場合、超能力者というのは一つの面に過ぎず、そこに関わる前提や責任を無理に取り除く必要はない。ただ一つの面に拘ることをやめるだけで、彼女は超能力者というしがらみを抱えながらも、暁烏澪として普通の一面にも向き合うことができる。何も切り捨てることを考えないでいいのだと。

「未咲希……」

 ソファーから立ち上がって澪のそばに来て手を握っていた未咲希に、澪は驚きを隠せずにいた。

 自分でさえ受け入れることが憚られる澪らしさを、未咲希はとっくに受け入れている。それを受け入れようとしないということは即ち、好きでいてくれる未咲希をも受け入れないことを意味してしまう。そんなことがあっていいのだろうか。

 ふと後ろを振り返った未咲希は、桜井とも目を合わせて頼んだ。

「桜井さんも澪が困ってたら助けてあげてください。澪ったら恥ずかしがり屋だから、なかなか私には頼ってくれないんです」

「ちょっとっ」

 すっかり年上の面目が立たずにいる澪。二人のやりとりを見守っていた桜井は、和やかに微笑んで言った。

「まだ任せろとは言えないな。正直、暁烏には助けられてばかりだし」

 先ほどから褒められっぱなしの澪はこそばゆさに耐え兼ねたのか、声を上擦らせながらも言い返す。

「そんなことないわ。むしろあなたにはたくさん迷惑をかけちゃったし……その、お礼もできてないし」

 無意識に桜井だけに話しかけていた澪に対し、未咲希は自分も含まれていると解釈して口を挟む。

「お礼なんて気にしなくていいのに。むしろこっちがお返ししきれないくらいだよ」

 桜井が来たばかりの頃と比べて、幾分か明るい雰囲気になったように感じる。

 結局、彼の出る幕ではなかったとはいえ一安心だ。

「とにかくよかった。また元気そうな顔が見れて」

「私も、あなたの落ち込んだ顔は見たくないわ……もちろん、未咲希もね」

 桜井の言葉に誠意を込めて返す澪。相変わらず彼女はまっすぐで強い芯と優しい心の持ち主だ。それは時に彼女を衝動に走らせ、躓いた時には支えられる人が要る。桜井はその人になれればと考えていたが、心配は杞憂だったらしい。彼女には未咲希という頼もしい親友がいるのだから。

「うんうん、澪はせっかく美人さんなのにムスッとした顔ばっかじゃもったいないよ! 桜井さんもそう思うでしょ?」

「ふっ、そうだな」

 未咲希に乗せられただけなのか本心からなのか。煽てられてばかりの澪は怒ったようにも照れたようにも、頬をほんのりと赤く染めた。

「もう二人とも、ほんとに調子いいんだから」

「あ、ほーら、また口尖らせちゃって!」

 楽し気なやりとりに、桜井も釣られて微笑む。おそらく思っている以上に二人の仲は睦まじく、立ち入る隙もないだろう。

 今は二人の邪魔をしないよう、彼は後ろ歩きをしながら一時の別れを告げた。

「それじゃあ、もう少し休んでおくといい。進展があったらまた呼びに来るよ」

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