第2章第5節「ゆるやかに水面を伝う嵐」

 深夜、DSR本部。DSRの職員たちは基本的に本部の中で寝泊まりをしており、一日のほとんどを本部で過ごす職員も少なくない。もちろん、本部での生活は強制でなく外に家を持つこともできるが、桜井結都や浅垣晴人も含めて貸与された宿舎で生活している。

 前提として、超常現象は時間や場所を問わず発生するもの。DSRのエージェントたちは規定上の勤務時間が区分されているものの、基本的にはいつでも出動できなければならない。そういった意味でも、本部で生活するのは理に適っていた。

 桜井や浅垣は明日にポーラ・ケルベロスと取引を行う任務が入っている。彼らが体を休めている間も、本部では複数の職員たちが活動を続けている。その内の一人であるコレット・エンドラーズは研究開発室にいた。

 研究開発室は主に技術部門の職員が利用する施設であり、武器や魔具の開発、装備のメンテナンスなどが行われている。隣接するのは検査室で、あちらでは超常現象や魔法の解析などを行う役割がある。

 白い長机に置かれた細長いケースを開いて中の物品を見るコレット。椅子に座っている彼女の視界に人影が映り顔を上げると、研究開発室に見知った男性エージェントが入ってきた。

「コレットか」

 彼女が彼に気づくのと、彼が彼女に気づくのはほぼ同時だった。

「あら咲弥さくやじゃない。いつ帰ってきたの?」

「今さっきだ」

 答えた男は雨燕咲弥あまつばめさくや。コレットと同じくDSRのベテランエージェントであり、お互い旧知の仲だった。

「またアンロック廃鉱山?」

 任務から帰ってきたらしい雨燕に対し、コレットはその場所を言い当てて見せる。彼も特別反応したりはせず、任務の内容について話した。

「お前も話には聞いていると思うが、例の黒い太陽事件が起きてから廃鉱山都市に棲むレリーフの活動が活発化してる。廃鉱山からは滅多に出てこないようなものまで地上に上がってきてるんだ。まるで太陽が昇って朝が来たことに気づいて、続々と起きてくるみたいにな」

 現在のDSRは博物館から流出した魔具の回収を行なっているが、魔法生命体レリーフの問題も並行して対処している。桜井や新垣が活動する裏で、雨燕はレリーフの対処に当たっていたのだ。

 レリーフに関して言えば、黒い太陽事件で一旦の解決を見ている。それでも桜井がドッペルゲンガーと呼んだレリーフが消えただけで、通常のレリーフや『魔胞侵食まほうしんしょく』が途絶えたわけではない。それどころか、事件以降レリーフの活動が活発化していると雨燕は語る。

「あそこはもともと特殊だし、ただの余波ならいいけど。でもあなたがいるなら安心ね。アンロック廃鉱山はあなたにとっては自分ちの庭みたいなものでしょ?」

 コレットはあまり深刻に受け止めていない様子だが、これには理由がある。というのも、雨燕はもとからアンロック廃鉱山都市に関する任務を請け負い、他のエージェントと比べても最も詳しいからだ。

 たとえレリーフが活発化しようとも、彼ならなんとかしてくれる。コレットは厚い信頼を寄せているものの、雨燕は歯切れの悪そうに返す。

「どうだろうな。現地には僕のほかにも『輝夜燦然衆かぐやさんぜんしゅう』がいた。ひとまず今は彼女らに任せて、一度帰ってきたところだ」

 曰く、現地にはDSR以外の勢力も活動しているらしい。それはDSRにとっては良いニュースだ。自分たち以外にも対処できる存在がいれば、負担を減らすことができるのだから。

「そっちはどうだ?」

 今度は雨燕から声をかけ、近くにあった椅子を寄せてコレットがつく長机に向かって腰掛けた。

「あたしの可愛い後輩くんたちのおかげで、ポーラ・ケルベロスの尻尾を掴んだところよ。明日彼女と取引することになったの」

 ブラックマーケットに潜入してポーラ・ケルベロスに接触する。それを提案したのは浅垣であり、柊世風の協力もあって作戦は水面下で進められていた。

「上手くいけば良いが、油断はするなよ」

 雨燕はその表情からシワを一つも減らさずに忠告する。彼がどういった性格かを知っているからこそ、コレットは普段の調子で返事をした。

「分かってるってば」

 彼女とて甘く考えているわけではない。相手が何者であるかを見誤ることは、自身にとって不利に働くもの。しかしコレットは相手を見誤る以前に、未だその正体について捉えかねていた。彼女がアルカディアの没落貴族であるとすれば、なぜラストリゾートへやってきたのか。どのようにしてラストリゾートへやってきたのか────

 そして奇しくも、雨燕は敵の正体について独自に調べた結果を口にする。

「あの貴族についてはこっちでも調べてみたが、やはり『亡命教団ぼうめいきょうだん』を通してラストリゾートへ入ったらしい。ラストリゾートは他国の難民や亡命者を受け入れていないが、教団は違う。政府に受け入れられなかった難民たちは自分達と同じ境遇の難民や亡命者を助けてる。おそらく、ケルベロスも彼らをツテにしたんだろう」

 彼が明かした事実について、コレットは驚いた素振りを見せることはなかった。彼女は腕を組み、自分の中で予め組み立てていた推測をなぞった。

「やっぱりね。他国の人間がラストリゾートに潜り込む方法なんて、それくらいしかないもの」

 雨燕がアンロック廃鉱山都市の特務を任されていたように、ベテランのエージェントにはそれぞれに特務が与えられている。当然コレットもその例に漏れず、彼女は彼女の経験からポーラがラストリゾートへ訪れた手段を推測していた。そして、その推測は当たっていたのだ。

「まったく、政府はあたしたちDSRに任せっきりにしないで、難民問題に取り組めばいいのに。確かにあたしの仕事には海に流れ着いた難民を助けることも含まれてるけど、その後まで面倒見切れないわよ。だから目の届かないところで教団が生まれたわけだし、いつの間にか現れたアルカディアの没落貴族に悩まされる羽目になったのよ」

 コレットが思うに、ポーラのような指名手配犯が現れた原因は楽園政府ネクサスにある。政府が難民問題を放置したことが巡り巡って、今のDSRが直面する問題になっているのだと。そのことは雨燕も十分理解していた。

「結局は時間の問題だったんだ。僕が政府にいくら説明しても、彼らは動かなかった。なら僕らで対処するしかない」

「じゃあ咲弥くんもあたしの仕事を手伝ってくれる?」

「手伝いたいのは山々だけど僕も忙しいんだ。それに僕と違って、お前には後輩がいるんだろ?」

 普段はからかい上手のコレットが逆にからかわれるのは珍しい。桜井や浅垣でさえ容易にできないことを、雨燕はやってのけた。彼女はその感覚を楽しむように微笑み、「それもそうね」と意地の悪い声色を滲ませる。自分をからかった彼への、ささやかなお返しだ。

「浅垣くんにはほんのちょっとだけ手伝ってもらってるわ。外縁部にいるソニアとロビンだって彼を認めてくれてるしね。桜井くんと帆波くんも頼もしくなってきたし、そろそろあの二人を誘っても良い頃かしら」

 雨燕は知っての通り、コレットは自身の特務を後輩の浅垣に手伝わせている。彼女は近い将来には桜井にも仕事を任せるつもりらしく、雨燕にとっては羨ましい限りだった。彼はコレットのように後輩は持たない上に、単独行動が多い。だが単独行動を好んでいるわけでもなく、仲間がいるというのは素直に羨ましいものなのだ。

「喜ばしいな。お前の人望にはあやかりたいもんだ」

 その時、研究開発室に三人目の影が差し掛かった。

「コレットさ……雨燕さん? お疲れ様です。帰ってらしたんですね」

「やっと戻ってきた。叶羽かなうちゃんはいた?」

 やってきたのは帆波颯爽ほなみさっそう。彼も浅垣と同じく、コレットが可愛がっている後輩の一人だ。

「はい。浅垣さんのロッカールームの中で寝てましたよ。いつもの自動販売機の裏にもサーバールームにもいなかった時はもうダメかと思いました」

 二人のやりとりを聞き、雨燕はすぐさま状況を理解した。

森羅しんらを探してたのか?」

 どうやら、コレットは技術部門のエンジニアである森羅叶羽しんらかなうという少女を探しているらしい。帆波はコレットに頼まれて本部内を探し回ってきたのだろう。

「えぇ。実は技術部門に新しい武器を発注したの。そしたら叶羽ちゃんが設計図を描いてくれたらしくてね。蓮美ちゃんから完成したって連絡があったから受け取りに来たんだけど、肝心の叶羽ちゃんの姿が見当たらなくって。せっかくご褒美にお菓子を持ってきたのに」

 言いながら、コレットは机の上に置かれた細長いケースの蓋を閉じる。そこには彼女の言う特注の武器が納められていた。それを開発した少女にお礼として持参した菓子折りも、ケースの隣に置かれている。

「僕は夜中にお菓子を持ってくのはどうかと思ったんですけど、コレットさんが叶羽ちゃんは夜行性だから平気って言うもんですから」

 帆波の言う通り、叶羽は深夜に起きていることが多い。それ以外の時間はほとんど眠っていて、職員たちからはナマケモノみたいだと言われている。だが決して嫌味ではなく、彼女が優秀なエンジニアであることは誰もが認めていた。だからこそ、コレットは彼女に特注をかけたのだ。

「なるほどな。確かにこの時間に寝てるのは珍しいな。実は僕も盾のメンテナンスを頼もうと思ったんだが」

 雨燕はフラフラして研究開発室に来たわけではない。コレットに出会ったのも単なる偶然で、彼もまた叶羽に用事があった。

「でも寝てるんなら仕方ないわね。ラキもいないみたいだし、また今度にしましょう? せっかく持ってきたお菓子を置いてったら誰かに食べられちゃうかもしれないし」

 こうなってしまっては雨燕としても打つ手がない。彼は額をかきながらため息を吐いた。

「こういう時に特注装備は困るんだ。メンテナンスの仕方があの子にしか分からないなんて、普通じゃない」

「普通じゃない武器なんだから当たり前でしょう? 浅垣くんもおんなじこと言ってたわ」

 すかさず口を挟むコレット。浅垣が愛用する機械剣ペンホルダーもまた、叶羽だけが整備することができる。それほどまでに、DSRの技術部門にとって叶羽の存在は重要なのだ。

 しかし、最初から叶羽一人だけに依存していたわけではない。

「せめて顎門あぎとがいればな。金盞花が捕まってもあいつは帰ってこない……」

 数年前、金盞花が殺してしまうまでの間、DSRの技術部門には鶯姫顎門うぐいすひめあぎとというエンジニアがいた。実は彼こそが機械剣ペンホルダーや雨燕の武器を開発した張本人であり、彼の死後誰もその技術品に触れることができない。あまりに複雑な構造は、開発した本人にしか理解できないからだ。

 そんな中で、叶羽だけは彼が遺した技術の本質に理解を示した。それゆえに、鶯姫の開発品は叶羽にしか見ることができなかった。

 全ては、金盞花が鶯姫を殺した悲劇によるものだ。

「ホントにね。あたしもお酒に付き合ってくれる人がいなくなっちゃったわ」

 優秀なエンジニアであると同時に、鶯姫はコレットにとって貴重な飲み仲間だった。コレットにとことん付き合える酒豪は後にも先にも、彼を除いていないだろう。

「たまには一杯やるか?」

 寂しげに天井を見上げていたコレットを気遣ったのか、ひょんなことを言う雨燕。予想もしていなかった言葉に面食らいつつ、彼女はすぐに柔らかく微笑んだ。

「珍しく嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも明日はさっき言った通り任務があるの。だからまた今度ね。予定は空けとくから」

 二人の親しげなやり取りに付け入る隙はなく、帆波はただ見守ることしかできなかった。帆波がDSRに入ったとき鶯姫は既に殉職した後であり、彼の話はコレットや浅垣の口からしか聞いていない。鶯姫については、何も知らないも同然だ。

 さらに両サイドを刈り上げた髪型に厳格な面持ち、スーツをきっちり着こなした雨燕は威圧的に映る。帆波だけでなく他の職員も雨燕は新垣以上に接しづらく感じていて、その彼がコレットとは親しげに話している。帆波が遠慮するのも無理ない。

「それなら帆波、お前が付き合ってやれ。僕は次いつ本部で落ち着けるか分からないからな」

「えっ?」

 その折、帆波は不意打ちのように会話に巻き込まれる。身構えていなかった彼は戸惑いながらも、雨燕の提案を受け入れようとした。

 だが彼の顔は渋い。なぜなら、お酒でコレットに付き合うということが何を意味するのか、後輩としてよく知っているからだ。

「僕一人じゃ厳しそうなので、桜井くんも呼びますよ……ははっ」

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